第7話 意味深な態度と反応が謎だ。

 夕食後、リビングで寛ぐ紗江さえさんと白木しらきを眺めつつ俺は洗い物を行う。


(何やら飲兵衛が酔いに任せて色々言っていたような気がする)


 そう思った理由は食後、横になった白木しらきが立ち上がって悲しげな表情で俺に抱きついたのだ。食って寝ると牛になるぞと、いつもの返しをした途端にな。

 肥らないよと呟きながら抱かれた時は頭が真っ白になった。

 それはもうギュッと音が響きそうな力強い抱擁で、ここで抱き返して良いのか分からない俺は両手を頭上に持っていく対応で返すしかなかった。

 下手に触れて「変態」だとか「セクハラ」だとか言われたくないしな。


(何だったんだろうな? あれは・・・)


 海外のガールフレンドでも白木しらきほどの抱擁はなかった。

 というかあれはフレンドリーを表現する軽いものだったから、重いか軽いかの差しかないけれど。


(薄らと涙を流して、悲しむような事でもあったのかね?)


 あり得るとすれば最初に考えた通り、準備中に余計な事を聞かされたのかもしれない。

 あの・・・紗江さえさんは酒に酔うと唐突に暴露話をしてしまう悪癖がある。

 その悪癖は自宅のみで発揮される行いだが、知りたくもない事を軽快に語りだすから俺が警戒するオチが常に付き纏っている。

 そして今回の被害者は悲しい事に白木しらきとなったらしい。

 語った目的は不明だが管理人の仕事はそれはそれでストレスが溜まる仕事なので、一種のストレス解消に付き合わされたのでは? と思えてならない。

 俺も手伝いで、その大変さに苦労していたりするしな。

 その仕事の気苦労は家賃を貰っている関係か、こちらが強く出られない行為に依るものが大きい。俗に言う、非常識な住人からのクレーム対応だ。

 常識的な住人は早々クレームを入れてこないが非常識な住人は平然と夜中であろうが電話をしてくるのだ。電話がかかると就寝時間でも対応せねばならないため、最近の飲兵衛の飲酒頻度は酷い事になっている。


(ま、飲んでも覚めやすい体質が良い意味で助かっているともとれるが)


 ちなみに、残念美女の紗江さえさんは弁護士資格を持つ有名国立大学出身だ。遺産相続をするまでは第一線で活躍していたほどのやり手弁護士だった。今ではニートと思われるだらしない格好しか選ばないが着飾ると見栄えするのは確かだった。

 その元弁護士ですら辟易する住人が女性専用区画に住まうのだから頭痛の種でしかないよな。なお、契約書そのものは宅建資格まで取得した紗江さえさんが作って提示しているものだが、この住人は契約書の弱味を突いてクレームを入れてきていると知った時は後の祭りだった。


(やり手でもボケる時はボケると)


 その住人がクレームを入れるのは夜中だけ。


(上階から子供の泣き声がするとか)


 赤子の面倒を見ている以上は我慢して下さいと返すしかない。


(両隣からギシアンの声が響くとか、女性専用なのに男が入っているとか)


 これはまぁ両隣が同類の非常識と思うしかない訳で。

 マンションの壁と床は防音かと思うほど分厚いのだが、どうしても玄関だけは防音には出来ないんだよな。紗江さえさんも「嫌なら出て行ってもいいよ」と愚痴っているが、近隣に女性専用を謳うマンションが存在しないのも確かで、その住人が結婚しない限り出て行くことはないだろう、と思う。


紗江さえさん以上の行き遅れと聞いているから早々出会いなんて無さそうだけど・・・器も小さいし)


 その小さい器の所為で荒れ狂うから勘弁してほしいと思うのが俺の心情だったりする。


(マンション経営も楽ではないな。マジで)


 それなら管理会社に委ねたらどうかと思うが、それだけは「嫌だ」と言う。

 紗江さえさんは紗江さえさんで難儀な性格をしていると思うしかない。

 この件は先にもあった散財に繋がるストレスの元凶でもあるので母さんからは「辛いだろうけど付き合ってあげて」と言われているのだ。


(祖父母が他界するに至った原因でもあるしな)


 証拠が無いから明確にそうとは言えないが解剖結果がストレス性のショック死だった。紗江さえさんが我慢しているのも不審死に対する証拠集めと思っても不思議ではないな。

 それはともかく。

 洗い物を終えた俺は麦茶を淹れてリビングに向かった。


「ほい。麦茶」

「あ、ありがとう」

「飲兵衛には水」

「私はウーロンハイで!」

「そんなもん、ねーよ!」

「えーっ!」


 未成年に酒を求めるんじゃねー。

 ホント、キャラが立っている叔母だわ。

 すると白木しらきが、


「ふふっ」


 何を思ったのか急に微笑んだ。


「今、笑うところあったか?」

「ううん。楽しいなって。いいな・・・管理人さんとの同居生活」

「そうか? 大変だと思うが」

「いいでしょ〜。羨ましい?」

「う、羨ま・・・」

「おい、こら。マウントを取るな」


 全く、俺の嫌いな態度をそこで取るなよ。

 俺が真剣な口調で叱ると紗江さえさんは申し訳なさげな態度になった。


「おっと。ごめんごめん。嫌いだったね」

「え? 嫌いって?」

あき君って誰が上とか下とかが嫌いなんだって」

「違う。嫌いなのは立場と権力をひけらかす行為だ。卑屈になって・・・」


 卑屈は俺にも当てはまるから苦々しい表情に変わったが、


「羨むのも嫌いだな。そもそもの話、上とか下とかが嫌いだったら社会構造自体がダメになるだろうが。就職したら嫌でも上司とか先輩が居るんだぞ。俺はそんな社会不適合者にはなりたくないぞ」


 社会全般の構造までは否定したくない俺であった。


「そ、そうなんだ」

「先達でも素晴らしい偉人が居る。先輩でも誇らしい人々も居る。上司でも教授でも教師でも、尊敬に値する人物は当然、居る。俺が尊敬出来ないのは政治屋とか誰かを見下す、驕り高ぶりに染まった奴等のことだ」


 俺がそう熱弁すると白木しらきが頬を引き攣らせながら右手を緩りとあげてきた。


「そ、それって、私も、入ってる?」


 ん? 立場上はカースト上位だよな?

 でも、普段は分け隔てなく誰に対しても優しく接している。

 俺は例外だが・・・立場をひけらかしている事は無いな?


(だって、立場には責任が伴うのに・・・あっ)

 

 俺は熱弁の中で重要な条件が無い事に気がついた。


「あー。すまん。白木しらきは別だわ」

「べ、別?」

「ああ、尊敬出来ない者の中に責任を果たせない奴も入る。白木しらきは責任を果たしたいという思いがあるだろ?」

「そ、そうだね。重要な役職ほど責任が伴うし」

「その思いが有るのと無いのとでは周囲の空気にも違いが出るからな。教師から良い意味で評価されるのもその点が大きいし」

「そうなんだ」


 俺は悪い意味で評価されているから羨ましいと思う事がある。これを言葉に出すと自分の嫌いな奴に俺自身が含まれるので・・・一種の同族嫌悪からくる忌避感なのかもしれないな、これは。


「そうそう。安心していいよ」

「ダメな大人が何か言ってるが、安心してくれ。俺は白木しらきを、そこらの他人を見下すクズと同列視していないから」

あき君も結構、見下しているけどね」

「うっせぇわ。俺は自分をクズだって自覚しているからいいんだよ」

「えっ・・・」


 そうでなければ上から目線で物事を発することなどしないだろう。

 今の俺は他人の顔色窺いに疲れ、必然的にこういう態度が出るようになっただけだ。それは外から見たら同類と思われる行為で、同類な他人から同類だと揶揄される行為に他ならなかった。

 治せるなら治したいが孤独に甘んじている状態だと治せるものではない。


(人とは他者と交流してこそ成長する生き物だもんな。間違いを正してくれるなら喜ばしい事だが、一方的に貶されるのは流石の俺でも辛いもんな。普段は見ない振りして過ごしているけど、辛いものは辛い)


 俺がそんな捨て台詞を吐いた所為で白木しらきは悲しげな表情に変わっていた。


「本音で語り合える相手が欲しい」

「私が居るじゃないの」

「おb」

「ん?」

「さ、紗江さえさんは年が離れ過ぎているだろ」

「それを言われると返す言葉もないわね」


 年上からの助言は有り難いが世代を考えるとどうしてもな。

 すると沈黙を護っていた白木しらきが俯いたまま口を開く。


「あ、あき君はクズじゃないよ」

「え?」

 

 何故、否定されなければならないのか?

 学校での素振りを思い出すと逆だしな。

 飲兵衛も沈黙して真顔になっている。


「わ、私が、あき君と語ってあげるから」

「は?」

「ほ、本音で語ってあげるから、自分をクズだなんて言わないで!」


 これはどういう心境の変化なんだ?

 俯いていた白木しらきはキツい睨みを俺に向ける。

 お、怒っていらっしゃる? 学校では見た事のない怒り具合だ。

 俺はあまりの威圧に屈するしかなかった。


「あ、ああ。うん。そうする」


 そう、発するしかないよな。

 本音で語る点では疑問が浮かぶが、白木しらきの発した事は俺の望んでいた事だったから。

 すると、それを聞いた飲兵衛はニヤけ、


「惚れた弱みですにゃ〜」

「は?」


 意味不明な単語を吐いて、その場でスウェットを脱ぎ始めた。


「客の居る前で下着になるんじゃねーよ」

「だって暑いもん! 熱々なんだもん!」

「もんって」

「自分の見る目を貶された事と同じだもん!」

「貶す?」


 全くもって意味が分からない。

 一先ずの俺はポケットからハンカチを取りだして白木しらきの涙を拭う。


「可愛い顔がぐしゃぐしゃだ」


 白木しらきはハンカチに右手を添えて苦笑しつつ上目遣いになった。


「だ、誰が泣かせたのよ」

「俺か。すまん。ハンカチは」

「洗って返す」

「そ、そうか」


 普段との落差があるからか、慣れないな。

 ともあれ、泣き止んだ白木しらきは半裸の飲兵衛ではなく俺が玄関から見送った。


「じゃ、またね」

「ああ。またな」


 泣き止んで学校では見る事のない優し気な笑顔になって最上階の家に帰っていった。

 玄関に残された俺は腕を組んで首を傾げる。


「塩が融解したのか?」


 そう思わざるを得ない反応だったな。

 すると半裸の飲兵衛がきょとん顔で問いかけた。


「普段のって塩なの?」


 まだ上着を着てないのかよ。


「塩だな。きっつい反応が・・・って、その呼び名を使うなよ。別人だろうに」

「これはこれで前途多難だわ」

「は? どういう意味だよ?」


 いや、マジでどういう意味なんだよ?



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