第6話 ニートは不可解な人だった。

 極力目立たない私服に着替えて管理人室へと向かった私はドキドキした状態でインターホンを押した。

 しばらくすると玄関が開き、室内から女を捨て去った管理人さんが顔を出した。


(思った通り、スウェット姿で顔を出したね)


 この人も着飾れば美女に化けるが、普段からニートの如くな生活をしている関係か色々とズボラである。唯一の収益はマンションの賃貸料のみ。私の家も年間で一括払いをしているので相当な金額が懐に入っていると思う。そのどれもが収益という訳ではないと思うけどね。維持費とか消耗品に使う事だってあるから。

 あとは近隣の自治会へと支払う町内会費も家賃の中に含まれるという。

 自治会に関わるのは管理人さんだけなので私達が呼ばれることはないけれど。

 管理人室は入口から見える範囲は狭いと思ったが奥は意外と広かった。

 一階に存在する駐車場と玄関の間に存在する一室。

 個室が二つ入るほどの広さが確保されているようだ。

 奥に進むと二部屋の個室があった。

 片方はSAEと書かれた札がある。

 片方はAKIと書かれた札があった。

 名前の通りならあき君の私室なのだろう。


(と、扉が・・・開いてる?)


 あき君の私室は扉が半開きのままだった。

 不用心と思ってしまう反面、興味が出てしまった。

 だが、勝手に入るのは気が引けたので、気を取り直して奥に進む私だった。

 すると管理人さんがほくそ笑んでこちらを見ていた。


「入れば良かったのにぃ」

「くっ」


 おそらくわざと開けていたのだろう。


「私の気持ちを弄ばないで下さいよ」

「弄んでないよ。何れは入るのだし」

「そ、それは・・・そうですが」


 小声で揶揄われてしまったが仕方ないよね。

 私が愛している大切な人の私室なんだし。

 ただま、その後に驚くべき事実を報された。


「どのみち、上は買うでしょ?」

「えっと。多分・・・え? 女性専用では?」

「そうでもないわよ。最上階と下の階は家族連れも居るしね」

「ふぁ?」

「二階から八階が女性専用。九階から上はファミリー向けで分譲もしているわ」

「そうだったんですか!?」

あき君もこの事は知っているけど、今は状況的に面倒を招くからね。表向き、上にあがるのは私と一緒って事になっているの」

「ああ、それで」


 契約は両親が行ったから詳細は聞かされていないのよね。女性専用だから安心していいと言われて借りる事になったのだけど、まさか階下に家族連れの男性が居るとは思わなかった。


(普段は全然見かけないから単身赴任をしているのかもね)


 個室扉から奥に進むと広いリビングとキッチンがあった。

 キッチンではあき君が調理の段取りをしていた。

 しかも前髪をヘアピンで留め、眼鏡を外した状態だった。


(顔が。格好いい顔が、ご開帳だよぉ・・・はうぅぅぅ)


 そのうえ制服で隠していた太い腕も見えていた。


(しかも、半袖でぇ!)


 夏場でも半袖にならないあき君。

 長袖で暑くないのか心配になった事もあった。

 あき君の顔が直視出来ない私はお辞儀した。


「お邪魔、します」


 あき君は私を一瞥しつつ応じてくれた。


「ゆ、ゆっくりしていってくれ」


 あき君の頬が引き攣っている。

 声音も動揺しているのか震えていた。

 緊張していることだけは十分伝わってきた。

 それに気づいた私はいつもの調子を意識して、


「う、うん。ありがと」


 素っ気ない態度をあえて取った。

 顔を直視出来ないからそっぽを向いたけどね。


(格好良すぎて鼻血が出そう・・・)


 だが、私の挙動が原因で勘違いされてしまった。


「本音では顔を合わせたくないと」

「え。ち、ちが・・・」


 違うのぉ! 顔が見られないだけなの!

 普段と違いすぎて落ち着かないだけなの。


「あうあう」

「これは前途多難ね」

「なんとか言って下さいよぉ」

「どんまい」

「どんまいって」


 そんな一言は望んでないよ。

 あき君が準備の間、私は静かに待った。

 その際にビールを開けて飲み干す管理人さんが小声である事を教えてくれた。


「良い匂いがしてるわね」

「そ、そうですね」

「手料理、食べたいでしょ?」

「そ、それは、まぁ・・・そうですが」

あき君の腕は凄いわよね」

「そ、そうなんですね」


 凄いのは知っている。まだ味わった事はないけども。

 すると管理人さんはテーブルに置いたスマホを手に取る。

 それはあき君が普段から使っているスマホだ。


「はい。これ」

「え? 私に渡されても」

「解除キーは四月三日よ」

「ふぁ?」


 それって0403ってこと?

 それは私の誕生日なんですが。


「あの子ってば好きな子の誕生日をキーに指定しているのよね」

「そ、そ・・・それは」


 誰の事なのか聞こうとしたら微笑みながらネタばらしされた。


「どう? 嬉しい?」

「あ、それは。はい、嬉しい、です」


 それを聞かされたら嬉しいに決まっている。

 そのうえで私が驚く一言をボソッと語った。


「あの子も本当なら通う必要はないのよね」

「通う必要って?」

「ここだけの話よ」

「はぁ?」


 本人に聞こえない声量で管理人さんはあき君が成し遂げた偉業を教えてくれた。


「偏差値が異常だったのはそれが原因ね。あき君には何もかもが簡単過ぎるもの」

「それでも歴史とか、地理は?」

「暗記も得意なのよ。見た物を写真のように一瞬で覚えるから」

「ああ」


 最初は信じられなかった。だが、随分前に両親が語っていた事と同じ話題だった。そう「覚える」と聞いてスッと理解出来たのだ。仮に私があき君と同じように努力しても偉業を成し遂げる事は出来ないだろう。妬むよりも凄いと褒めたくなった。私の愛する人は誰よりも凄いんだぞって。

 管理人さんはあき君の努力を思い出しつつ遠い目をしながら呟いた。


「ただ、そんなあき君を妬む者達も当然、居るのよね。四才から行われた英才教育だけで身につくものではないのに。それらは努力の果てに身についた知恵、それが結果として現れているだけなのに、ね」

「・・・」

「料理もそう。多言語もそう。ひけらかすと面倒を呼び込むから、あき君は隠すようになった」

「め、面倒って?」

「貴女も知っているでしょ?」

「あっ」


 それは私が聞いた例の件に通じる話だった。


あき君の悪名は嵌められた結果なのよ。転入後、最初の中間試験でトップに躍り出た。当時のトップだった男子から一方的に妬まれてカンニングと騒がれた。担任教師も義務教育を受けていない生徒が学年一位になるなんて有り得ないとカンニングを疑った。あとはあれよあれよと言う間に異常な噂が拡散して気づいた時には目も当てられない状態になっていた。海外で頑張った学生に対する仕打ちとしては最低の部類よね」


 奴は告白だけでなくそちらでも動いていたのね。


「出る杭は打たれる、と」

「まさにそれよね。だから差し障りがない程度に実力を隠した。でも、それがカンニングをしたと」

「思わせる信憑性になってしまったと?」

「悲しい事にね。一度でも悪人のレッテルを貼られてしまうと、周囲が疑ってかかるのは刑事ドラマを見ても分かるわよね。虚構と現実は違うと言っても、虚構のような行いを誰であれ当たり前に行うから」

「やりきれないですね」

「本当にね」


 未成年を護るはずの教師が生徒発のいじめに荷担した事も問題になりそうだよね。ちょっとした体罰でさえ教師は怯えるのに、いじめに荷担したならばどうなるかは必定だろう。


「ま、その担任教師も悪いことをしていたからどっこいどっこいだけどね」

「悪いこと?」

「離婚した母親に付いていった姉。溺愛している弟との関係を隠して言いなりになって、試験問題を事前に与えていたそうよ。そんなのでトップに立っても実力と見做されないわよね」


 えっと、それなんてカンニングよりダメなのでは?


「内申書も溺愛した弟だけは良い事ばかり書いた。対するあき君は悪い事の方が多かった。他人の人生など興味が無いと言いたげなクズしか居なかったのね。あの中学には」

「と、ところで、なんでそんなに知っているので?」

「私が懲戒免職に陥れたのよ。調べたら出るわ出るわだったわ。隠せると思っているのがバカの証拠よね」

「はい?」

「私の趣味は資格取得なのよ。だから当然、弁護士資格も持っている。法学部に通って取得した本物よ」


 ニートな管理人かと思ったら想定外の資格持ちだと分かった。

 お酒を飲むとコンプライアンスが飛んでいくのはどうかと思うけど。


「懲戒免職後は週刊誌にもリークしたわ。それでも溺愛している弟を護るために自分一人でやったと証言して、遙か遠方の僻地で教師をやっているみたいだけどね。全然学習しない教師は流石にウケるけど」

「週刊誌って。で、でも噂が消えないのは」

「それとこれとは別って認識ね。あき君の味方になる記者は居なかったわね」


 それはなんというかやりきれない結果だと思う。


「嫉妬から出た嘘。その後の行動で肯定したも同然になって誰もが噂が真実だと貶し始めた。あき君も数字以外は信じられないと言って、トレーダーの真似事から本業に近い状態にまでなったのよ」


 すると管理人さんは何を思ったのか会話を打ち切った。


「この話はここまでのようね」

「はい?」


 それはあき君が準備を終えて私達の元に近づいたからだ。

 長い間、会話していたはずが、そんなに時間は経っていなかった。

 あき君は慣れた様子で準備を進める。


「さて、牛脂を融かして」

「すき焼きだったんだ」

「そうだよぉ。A5ランクのお肉付き!」

「はいはい。飲兵衛はこれ以上、ビールを開けない」

「ケチぃ」

「このビールは使うから置いているのに飲むなって」

「え? ビールを使うの?」

「少量だけな。アルコールは飛ぶから安心してくれ。残りは飲んでいいから」

「やったぁ! あき君、愛してるぅ!」

「はいはい」


 二人のやりとりは叔母と甥っ子のはずなのに恋人のような関係に見えた。

 その後、シメのうどんまで頂いた私は幸せだった。

 だが、それで終わると思いきや不意に肩に触れて貰えてキュンとなった。


(スキンシップだぁ!)


 あき君に飛びつきたかったが我慢した。

 ここで飛びつくと頭のおかしい子になってしまうもの。

 最後にデザートを頂いて、満足しながら横になった私だった。



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