第5話 こんな大人になりたくない。

 紗江さえさんのイタズラで一人の住人を管理人室に呼び出す事になった。


「まったく。調理中に俺のスマホを触るなよ」

「いいじゃないの。二人では消費出来ない物量なのだし」

「よく言うよ。肉の分量を相談したら三人分、買ってこいって返信したくせに」

「それはそうだけどさぁ」


 俺が下準備をしている最中、リビングに置いていたスマホを勝手に操作されたのだ。顔認証ではなく番号認証だったことが運の尽き。その番号は俺が好きだった女の子の誕生日だ。四才の時、離れ離れになった大切な女の子。海外での生活は常に寂しく、地元の言語を覚える以外はその子との思い出が詰まったビデオレターを何度も見る生活をしていた。時には両親が撮影して送る事もあったな。

 そのビデオレターも日本に帰国する四年前から急に途絶え、その子が心変わりしたと絶望した俺である。それであっても両親は送りつけるから渋々と撮影に協力した。ただま、四年前は俺も余裕がなかったから仕方ない話ではあるのだけど。


「でも良かったじゃない。グループに入ったわよ〜」

「は? なんで?」

「さぁ?」


 相手は何を思って俺のアカウントを登録したのだろうか?

 紗江さえさんは理解したうえで言葉を濁しているのは分かる。

 この人は自分の感情が無意識に顔へと出てしまうからな。

 ポーカーをしようものなら一人負けするほど顔に出てしまう。


(一人負けして俺の前で全裸、下着姿になった時は引いたよな)


 最初から脱衣ポーカーなんてゲームはやっていないのにな。

 夏季休暇の暇潰しで朝から晩までポーカー漬けの日々だった。

 夏季休暇の課題は早々に終わらせたので本当に暇だったのだ。

 課題の提出は遅れて提出して誰に写させて貰ったのかと呼び出しを受けたりしたな。もしそこで名前を出そうものなら被害者が無駄に増えたので黙秘しておいた。


(カンニングといい色眼鏡で見続ける生徒指導の数学教師か)


 数学教師はかつての担任教師を彷彿させる頭が良いだけのバカ教師だ。問題児だからと嘘を見抜けない時点でバカと称しても不思議ではない。そんなバカしか居ないから嘘に惑わされ間違いだと叫んでも信じない。

 かつての俺もおかしな噂が拡がったタイミングで周囲に違うと発した。だが、噂を最初に発したのが担任教師と知ると絶望しかないよな。それを知って周囲がどちらを信じるかは明白だった。


(子供がどれだけ嘘と断じても戯言と貶すだけだから)


 それもあって訂正時間が勿体ないとしてやられるがままになった。噂なんて沈静化すると思ってな。でも、噂は別の噂を作って拡がり続けた。沈静化する事なく高校にまで噂が拡がっていった。


(誰もが思考停止して嘘か真実か知ろうともしない)


 一方的に悪いイメージを膨らませ言いたい事だけ言う。悪人なら心を踏みにじっても良いとさえ平然と行える残虐性だ。それが冤罪だと判明した時、何人の人間がこの件を忘れ去るのだろうか?

 それこそ新たな論文が書けそうなくらい問題が多発しているように思える。


「心理学を選択していなかったら、受け流せたかどうか分からなかったな」

「どうかした?」

「いんや。なんも」


 つい、ボソッと呟きが出たが過去の経験はバカには出来ないと改めて思った。

 しばらくするとインターホンが鳴り、紗江さえさんはスウェット姿のまま玄関に向かう。


(人前に出る格好ではないのに、女として終わっているよな)


 これが母さんなら着替えてパパッと化粧して玄関に向かっただろう。

 六つも年の離れた姉妹な割に、この違いは何なのだろうか?

 すると玄関から聞こえたのは聞き覚えのある声音だった。


「気にしないで上がってね」

「お邪魔します」


 何故か白木しらきが訪れた。


(もしかするとあのアカウントは白木しらきだったのでは?)


 そうとしか思えないよな。茶トラのブサ猫アイコン。

 中の人がとんでもない美少女とは誰も思うまい。

 知っているのは親友と一部のクラスメイトだろう。

 なんでも本日は親睦会があったとか聞いたしな。

 俺には無関係な集まりだから無視を決め込んだけど。

 キッチンに立つ俺に気づいた白木しらき


「お邪魔、します」


 恐る恐るという素振りでお辞儀した。

 俺は野菜を皿に盛りながら応じた。


「ゆ、ゆっくりしていってくれ」


 いつもの余計な一言が無いからか何故か声が震えた。


「う、うん。ありがと」


 いや、素っ気ない反応ではあったな。

 顔を合わせることなくそっぽを向いたから。


「本音では顔を合わせたくないと」

「え。ち、ちが・・・」


 何か言っているが俺は気にせず冷蔵庫から肉を取り出した。


(そらそうだよな。今回は紗江さえさんに呼び出された。俺はオマケでしかないし)


 ま、でも、これがいつもの反応だから、何故か安心出来た俺であった。


(素っ気ない態度で憎まれ口を叩く方が白木しらきっぽいし)


 周囲の顔色を窺って何枚もの猫の皮を被っている姿よりはマシである。

 それこそ俺と喧嘩した時のあの子を彷彿させる憎まれ口だ。

 喧嘩時は人の本質が現れるからバカに出来ないよな。

 白木しらき紗江さえさんの対面に座って待っていた。

 この時の白木しらきの様子は借りてきた猫かと思った。

 紗江さえさんは既にビールの缶を開けていて未成年が居る事を忘れているように思えた。


「ちょっと、空腹状態で飲んだら悪酔いするでしょ」

「いいのいいの。今日はめでたい日なんだからぁ!」

「何がめでたいんだか? ごめんな白木しらき紗江さえさんが押っ始めてしまって」

「う、うん」


 俺はカセットコンロをテーブルに置いたのち、皿と鍋を続けて持ってきた。

 当初はアヒージョも行おうと思ったが、すき焼きには合わないと思い、あさり汁を提供する事にした。

 こってりの肉とあっさりの汁。あさりは昨日のうちに下準備していた食材だ。

 元々今日の夕食で出す予定だったから助かったよな。


「さて、牛脂を融かして」

「すき焼きだったんだ」

「そうだよぉ。A5ランクのお肉付き!」

「はいはい。飲兵衛はこれ以上、ビールを開けない」

「ケチぃ」


 ケチと言いながら離したビールを元に戻すなよ。


「このビールは使うから置いているのに飲むなって」

「え? ビールを使うの?」

「少量だけな。アルコールは飛ぶから安心してくれ。残りは飲んでいいから」

「やったぁ! あき君、愛してるぅ!」

「はいはい」


 粛々と準備を終えてグツグツ煮込んでいく。

 ご飯も注いでおき、烏骨鶏の卵を割り入れる。


「卵が小さい?」

「烏骨鶏の卵だよ」

「そ、そんな高級食材を?」

「そうでもない。これは特売品だったから」

「あの店って庶民向けのスーパーだよね?」

「そうなんだが、何故か売っているんだよな」


 ホント、不思議なもので高級品と呼べる食材が揃っている格安スーパーだった。

 これにはあまり店舗に出入りしない白木しらきも唖然としていた。


「とりあえず、飲兵衛から注いで」

「牛を多めで!」

「野菜も食べろよ」

「牛を多めで!」

「はいはい」


 紗江さえさんの今日の舌は肉を欲したと。

 昨日はあさり汁が良いとか言って用意したのにな。


白木しらきも」

「あ、ありがとう」

「存分に食べてね。あき君の収益から得たお肉だから!」

「しゅ、収益?」

「株取引だよ」

「あ、ああ、それで」


 この叔母は洗濯以外の家事が出来ないズボラ叔母だが舌だけは無駄に肥えていた。それもあって外食の日々に明け暮れ、財布事情が辛い事になった。

 元々が飲兵衛でもあるので酒代も飛んでいくしな。

 そんな愚妹の様子を知った母さんが見かねてしまい俺に同居を勧めてきたのだ。ただ、同じ家に住むのでは無駄にお金を余所へと流してしまうので、俺に給金を払いつつ食事を用意する事になった。

 洗濯だけは女性物の下着しかないから自分で洗えと言っていたっけ。

 勿論、下着を洗えと言ったのは紗江さえさんに対してだが。


「くぅ〜。美味い!」

「お、お肉が蕩けましたね」

「A5の肉はマジで美味いな」

「お肉は美味くて酒も進む」

「ほどほどにしてくれよ」

「ぜんしょしまーす!」

「ホント、騒がしいおb」

「そこは紗江さえさんでしょ?」

「ホント、騒がしい紗江さえさんだわ」


 酔っていても訂正を忘れない叔母。

 白木しらきも苦笑するほどの態度だった。


(この笑顔。何処かで見たな)


 学校で見る猫の皮と違う。妙な懐かしさを感じた俺だった。

 肉を食べ終え、シメに入る。


「茹でうどんをどーん」

「はいはい。白木しらきもシメはいけるか?」

「問題無いよ」


 この時の白木しらきは素の状態なのか塩の気配が消えていた。

 美味しい肉とあさり汁。少ない量のご飯を平らげて幸せそうだった。

 シメを食べたのち、俺は鍋を片付ける。


「ごちそうさまでした」

「美味しかったよぉ〜」

「おそまつさまでした」


 これで本日の夕食が終了・・・してないぞ。


「じゃあ、私はお暇」

「なんで帰るの? まだ残ってるよ?」

「はい?」


 帰ろうとした白木しらきを呼び止める叔母。

 飲兵衛の夕食がそれで終わる訳がない。


「この人はフルコースを常に求めるからな」

「は? ふ、フルコース?」

「夕食が和食であってもそれだけは外せないんだ」


 俺はきょとんとする白木しらきの両肩を両手で押して座らせる。

 本来なら触れることすら許されないのだが、


「あっ」

「すまん」

「いいよ。別に」


 今回は特別に許されたらしい。俺の手が触れた両肩を愛おしい素振りで触れ、優しい笑顔になったのは不可解だったが。


「取り寄せておいたチーズケーキを召し上がれ」

「ふぁ? と、取り寄せて?」

「並ばないと買えない店舗の奴だぁ」


 それは近所で売られている有名店のチーズケーキ。

 前日に届けられていて冷蔵庫で保管していたのだ。紗江さえさんはビールの入った野菜室以外は絶対に開けない。仮に開いたら俺が料理を作らなくなると知っているから。


「先日、欲しいとか言って注文させたでしょ?」

「そうだっけ?」

「相変わらず都合の悪い事だけは忘れますよね」

「てへっ!」

「イラッとするわぁ」

「それは分かる」


 珍しく白木しらきと意見が合った。

 この人は単純に言うと我が儘な御嬢様だ。末の妹だからと甘やかした弊害ともいう。飲まない時はまともだから飲ませない方がいいが勝手にビールを開けるからどうしようもなかった。


「困った飲兵衛だよ。ホント」



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