第7話 窮境

石通

 

 電車内の暗闇の中、地下鉄トンネルの照明がかすかにさしこむ地下鉄車両の座席に石通は座っていた。


 車両の窓は結露し、びしょ濡れだった。

 

 車内では誰もライトを点けていなかった。


 体力面での眠気と疲労がピークに達し、精神的にも疲弊して頭が働かなかった。

 

 危険な二人組と一緒の空間にいるため本能は寝ては駄目だと訴える。

 

 二人組にある程度、行動を制限されているものの何をする訳でもなく、ロングシートに座り、ただ時間だけが過ぎていった。

 

 脱出方法も今の所、見当たらない状態だった。

 

 地下鉄トンネルは途中に非常口はないため、得体の知れない何かがいる浸水したトンネルを突破する以外に脱出手段はない。

 

 手持ち無沙汰な状態で自然と最悪のシナリオは何通りか浮かんでくる。

 

 

 地下浸水のタイムリミットにたどり着いてトンネルも地下鉄車両も水没する。

 

 トンネル内を徘徊する怪物が車両内に入ってきて襲われる。

 

 あの二人組に殺される。

 

 二人組の盾にされる若しくは巻き添えになるかもしれない。

 

 様々な考えが浮かび緊張で胃が収縮する。

 

 

 運転室の前で赤い服の男は、突然、ロングシートから立ち上がった。

 

 石通と茎家、二人組ともう1人の男性に緊張が走る。

 

 彼が人を殺害するのも目の前で見せられた。

 

 危害を加えられる恐怖と何をするかわからない不気味さがつきまとう。

 

 彼らは人を人と思わない。

 

 赤い服の男はつり革に手をかけた。

 

 足を折り、腕に力を入れつり革で懸垂をし始めた。

 

 しばらく懸垂し続けていた。

 

 赤い服の男の息遣いと吊革がきしむ音だけが真っ暗闇の空間に響く。

 

 運転室前の床には水で薄まった大量の血痕の水たまりがあった。

 


 赤い服の男に注意を向けていると黒い服の男が突然、移動してきて石通の横に座ってきた。

 

 石通は、驚いた。


「よお」


 スマホのライトで石通の顔を照らし始めた。


 薄々は嫌な予感がしていた。

 

 黒い服の男は自信満々な態度で笑みを浮かべながら話しかけてきた。

 

 石通は、黒い服の男を見ないようにした。

 

 続けて、話しかけてくる。


「お前底辺?」


危惧していた事態が起き始めようとしていた。石通は、危害を加えられるかもしれないという恐怖心で萎縮してしまう。脅迫も込みで仕掛けてくる。

  

 座席から離れようとしたが、両手で肩に体重をかけられて座らされる。

 

 石通の頬を手の平で軽くペチペチ叩いた。


 「俺、お前みたいな奴いじめるの好きなんだよね。昔も学校の時とかお前みたいな奴いじめたわ」


 石通は逃げ場がなく、話を聞くしかない。

 

「自殺した奴もいるんだけど笑えるよね。死んだのも含めて」

 

 石通は沈黙を通す。無反応を装う。内心は恐怖心で動揺が止まらない。

 

 一方的に話し続けてきた。

 

 コミュニケーションとして成立していない。


「あのさっき俺たちが使えないクソ乗務員と話してる所で割って入ってきた女、学級委員みたいだったよな」


 返す言葉もなくて石通はげんなりし始める。

 

 黒い服の男は石通の頬をはたいた。

 

 石通はよける。


「意識高そうな感じというか、まあまあいい女だったよな。犯しまくりてええな」

 

 石通は黙り込んだ。


「なんか言えよ」

 

 石通の肩にパンチした。


「こんなくだらない事してる場合じゃない。駅員さんもちゃんとした形で治療しないと」


 近くにいた茎家が言った。


「お前気持ち悪いな」

 

「おい!窓見ろよ!」

 

 赤い服の男が強い口調で全員に向かって言った。

 

 ライトで窓を照らした。

 

 女性専用車両の表示のついた車両の窓は、水分で濡れていたがよく見ると、違和感があった。


 大きな水滴ではないが水の塊が無数に動いていた。水滴の他にもネバネバの液体が窓に付着していた。

 

 赤い服の男が窓の外に付着した塊を車両内側からナイフの持ち手でつついた。

 

 塊は、震えながら黒茶色に変色した。

 

 他の塊も一斉に茶色に変色していく。サイズは様々だが30センチ前後の個体が多くいた。


 窓にいつの間にか数え切れないほどの黒茶色の物体が付着していたのだった。

 

 黒茶色の舞台は八個の小さい塊をベースに無数の糸を動かしながら、粘液をのばしながら、八本の足から伸びるさらに4本の爪が有象無象が蠢いていた。

 

 物体は生物でトンネル内にいる怪物の小型タイプ若しくは幼体。

 

 黒い服の男は、赤い服の男の近くに行き話し始めた。

 

 会話の内容は聞きとれない。

 

 石通は窓に見入った。

 

 無数の小型怪物が張り付いてる。さらに包囲網が狭まっているようだった。


 「隙を見て強引にでも他の車両に移動するしかない」

 

  茎家が押し殺した小声で話しかけてきた。石通は不意を突かれ、驚いて茎家を見る。

 返答に困った。

 

 もし、失敗したら地獄。


 このまま何も手を打たなくても地獄だった。


「行動を起こします。それに合わせて協力して下さい」


「はい」


「非常用ドアコックは開けられそうですか。レバーを引き、扉引いて下さい」

 

 先程、駅員がレバーを引こうとする所まで見た。カバーは開けられたまま、後はレバーを引くだけ。外に無数にいる怪物を中に引き入れる計画だった。


「しっかりして下さい!」


「え、あ、はい…」


 危険すぎる。うろたえた。


 逃げきれないかもしれないし脱出出来たとして逃げ場はあるのか。全く予想できない。


「駅員の人を連れ出してる間、最後尾まで手伝ってください」

 

 首を二回ふって頷いた。状況が少しでも変わるよう望みをかけるしかなかった。

 

 石通の手足は震えた。


「話して良いなんて言ったか!?」

 

 赤い服の男の怒号が飛んだ。赤い服の男と黒い服の男が近づいてきた。


「抜け駆けする気じゃないよな。抜け駆けはありえないから」


「はい?」


  茎家は返答した。


「あ?はい?じゃねえよ」

 

 茎家が赤い服の男につかみかかって赤い服の男の後頭部をスタンションポールに叩きつけた。その瞬間に石通も黒い服の男を突き飛ばして、座席にもたれた所で黒い服の腹を蹴った。


 窓の外に張り付いている生物の体が透明から黒茶色に変色したのが見えた。

 

 もう一人の若めの男性はどうしたら良いのかわからず立ち尽くしていた。

 

 二人とも怯んだ。

 

 石通は急いで非常用ドアコックに手をかけた。

 

 茎家は駅員を片方の肩を持ち上げた。駅員の男性は意識をとり戻しており、自力でも歩こうとしていた。苦しそうな様子だった。

 

 石通はレバーを引いた。

 

 運転室前、右側のドアが開いた。


 石通も茎家と反対側の肩を貸し、駅員を移動する。



 乗車口から壁を伝いながら窓に張り付いていた小型の生物が車内に蠢きながら大量に入ってきた。


 赤い服の男は、床に落としたナイフを拾いにいった。

 

 黒い服の男は、急いで運転室、乗務員室の中に入って扉を閉ざした。

 

 赤い服の男が乗務員室の前のドアを叩きまくった。


「開けろ」

 

 起きた事態に動揺して立ち尽くしていた若めの男性に小型怪物が何体か飛びついて倒れ込む。


 石通、茎家、駅員は、もうすぐで連結部にたどり着こうとしていた。

 

 後ろで男性の苦痛に悶える叫び声が聞こえた。

 

 飛びかかってくる小型怪物を振り払いながら赤い服の男がナイフを持って追いかけてくる。

 

 車両内に小型怪物が大量に入り込んできた。

 

 茎家が連結部の思い扉を開けた。狭まる幅に合わせて体を横にして、駅員の肩を担ぎながら連結部を通った。

 

 二号車に入り、優先席に横たわった女性の遺体の横を通り過ぎる。

 

 2両目の車両の連結部扉の脇にある消化器に注目する。

 

 駅員から離れた。

 

 茎家は、石通を一瞬見たがそのまま前進する。

 

 近づいていき扉の脇にある消化器を取り出した。消化器を持って茎家と駅員を追いかけた。

 

 茎家たちは2両目中央まで進んでいた。

 

 このままでは追いつかれる。相手は武器を持っているため、このまままともに相手にするのは危険だった。

 

 茎家たちの逃げる時間を稼ぐため、赤い服の男に消化器を噴射しようと考えた。

 

 ホースを取り外し、ピンを抜こうとした。

 

 焦って正常な判断が出来なかった。

 

 股に挟んでピンを抜こうとした。

 

 抜けない?!

 

 角度が定まらず、手も震えた。通常は平らな地面に置いて、落ち着いてピンを引き抜けば良かっただけの話である。マヌケそのものだった。

 

 走ってくる赤い服の男にどんどん距離をしめられた。

 

 消化器を投げつけたがよけられる。

 

 石通は急いで3両目へと向かった。

 

 2両目の最後でつかみかかられそうになる。

 

 ギリギリで3両目に入り、連結部扉を閉めて押さえた。

 

 すぐに赤い服の男が連結部の中から扉を開けようとした。

 

 石通は扉を押さえる。


「開けろゴミ」

 

 赤い服の男は連結部の扉のガラス蹴りまくった。気密性を高める必要上連結部扉のガラスは強化ガラスになっておりよっぽどの事がない限り割れることはないだろう。

 

 駅員に肩を貸しながら、車両を移動途中の茎家が振り返り叫んだ。


「石通さん!!」


「先に行って下さい」

 

 連結部貫通扉を押さえながら茎家に向かって叫んで返答した。

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