第5話 後退

石通

 

 先頭車両。車掌から説明があった。予備電源に切り替わったので貫通扉からトンネルへと出て駅へと避難する。

 

 石通広規(いしづひろき)は車両でトンネルに出て行く順番を待っていた。


 電車走行時から停止まで座席の向かいに座っていて最後尾車両まで彼の前にいた20代で同年代くらいと思われる女性は、先にトンネルへと出て行ってしまった。

 

 怖じ気づいていたため様子を見ていて車両から出るのが最後の方になった。

 

 貫通扉を通りトンネルへと出て行く。水に腰まで浸かり、スマホのライトを点灯し、前にいる人を頼りにトンネルへと歩みを進めた。

 

 少し進むと、トンネルを進んだ所で先に行った人たちの叫び声と悲鳴が聞こえた。

 

 トンネルのカーブの死角から先に行った人たちが戻ってくる。

 

 異常な状況が伺えた。最後尾で見た光景と同じだった。石通は急いで車両へとすぐに引き返した。

 

 駅員も梯子の脇で驚愕する。

 

 梯子を登り水から上がって、貫通扉からびしょ濡れで車両へと戻る。

 

 びしょ濡れになり水分で体に張り付いた緑のフード付き秋物のコートの上着を脱いだ。

この状況で気にすることに意味があるのかわからないが少し申し訳ない気持ちになりロングシートに腰掛けず、地べたに座り込んだ。

 

 駅員や他の乗客も続々と車内に戻ってくる。

 

 車両の進行方向から駅へと脱出する事も出来なかった。

 

 動揺した。

 

 突然、乗務員室のドアが閉まる音がした。

 

 誰かが急いで乗務員室に入った。


 「開けろ!」

 

 突然の声に石通はびっくりする。運転室の前で駅員がドアを叩いて怒鳴っているのに気づく。暗闇の中で薄っすらと見えた。


 再び立ち上がった。


 乗務員室を見ると乗務員室へのドアは閉ざされていた。

 

 運転室を見ると先ほどクレームをしていた二人が運転室にいて、貫通扉を閉ざしていた。トンネルに出た人が車内へ戻れなくなり締め出されていた。

 

 「おい!開けろ!!」

 

 「こういう時は人数が少ない方が有利なんだよな」

 

 黒い服の乗務員室の中から言った。

 

 駅員が進行方向、右側のドア右上の非常用ドアコックのパネルを開けた。

 手動で側面のドアを開けて外に締め出された人を車内に退避させようとした。

 ドアコックを使用しドアを手動で開けようとした所で運転室から赤い服の男が出てくる。

 

 赤い服の男は、非常用ドアコックを使わせないように駅員の手を右手で押さえた。

 

 石通は固まり身動きがとれなくなる。

 

 男と駅員はもみ合いになる。

 

 左手で腰からナイフを出して、駅員の左腰を2回刺した。

 

 駅員は床に倒れ込んだ。その場にうずくまる。

 

 石通は理解が追いつかない出来事に対処出来ずに固まる。止めに入ったりする事など出来なかった。

 

 車両に衝撃が走り、大きく揺れる。

 

 全員、その場でバランスを崩した。

 

 運転室の窓を見ると窓いっぱいに巨大な物体が黒茶色の姿でもぞもぞと蠢く。

 

 運転室の正面のフロントガラスは巨体に覆い尽くされる。

 

 運転室から黒い服の男も出てきた。

 

 その場にいる全員が運転室、正面ガラスに注目した。

 車両の外から断末魔と悲鳴が響き渡る。


 車両が振動で揺らされたのち車両の外から音が聞こえなくなった。

 

 沈黙が場を支配する。

 

 地下鉄トンネル内の浸水した水が波打つ音が聞こえた。


 車両に差し込むトンネルの照明のかすかな光で照らされているが暗闇に目が慣れていく。

 

 車両の残ったのは、石通、赤い服の男性と黒い服の男性の二人組、怪我をした駅員の男性、スーツ姿の男性、石通より少し若めの男性、初老の女性の7人が先頭車両、乗務員室前にいた。


「あなたたちのせいで逃げ遅れたじゃない!!!!」

 

 女性は甲高い金切り声混じりで言葉を放った。

 

 二人組への批判だった。

 

 突然、放った言葉に石通は驚く。


「あ?」

 

 赤い服の男がすぐ反応し、黒い服の男はすぐ後ろで薄気味悪い笑みを浮かべ馬鹿にしたように笑っていた。

 

 この女性はどちらかという気性が激しいタイプだった。パニックとともに感情が吹き出す。


「全部、あなたたちのせい。ねえどうしてくれるの!!」


 悲しみと怒りが混ざった感情が発露する。

 

 二人組の感情を逆撫でる。

 

 石通はどうしていいかわからず固まった。


 「どうしてくれんのよ!!」


 キンキン響くような声で言った。


「ギャーギャーうるせえな」

 

 赤い服の女性を黙らせようと口を抑えようと掴みかかった。

 

 スーツ姿の男性が止めに入ろうとした所で黒い服の男がナイフを男性に向けた。

 

 赤い服の男と女性は掴み合いになり、男の手に持っていたナイフが女性の首に刺さったのだった。

 

 ナイフの刃は女性の喉を貫く。

 

 赤い服の男はナイフを首から抜いた。

 

 赤い服の男の服にも吹き出した血が返り血になり飛び散る。

 

 苦しそうなうめき声ともつかない声を発しながらゴボゴボ音を立てながらよろめく。首に手をあて傷口を抑えるがとめどなく血液が流れ出ていく。  

 女性は近くのシートに座り込んだ。

 

 前のめりになり痙攣しながら俯く。女性は動かなくなる。そのまま息を引き取った。

 為す術もなく状況を見る事しか出来なかった。


 赤い服の男はナイフを手に持ったまま、シートに腰掛けた。

 

 黒い服の男もシートに座る。

 

 しばらく車内に沈黙が走った。


 「お前とお前、死体、隣の車両に移せ」

 

 赤い服の男はシートに腰掛け、大股開きながらスマホのライトで光を向けながら石通ともう一人のスーツ姿の男性を指さした。


「俺、ここに死体あんのやだから」

 

 石通と男性は立ち尽くした。


「早く行けよ」

 

 男性と石通は渋々、女性の遺体を二人で持ちあげ女性の遺体を運んだ。


「お前らが戻んなくてこいつが死んだらお前らのせいだから」

 こいつとは、怪我してシートに横たわっている駅員の男性の事だった。赤い服の男が念を押してくる。


「モタモタすんなよ。早く戻れよ」

 

 二人組とは別に若めの男性が煽ってきた。彼は二人組側についた。まるで動物的本能による瞬時の判断だった。ように有利な立場を取れば自分の身を守れると思ったのかもしれない。

 

 男性が上半身を持ち、石通が足を抱えて持ち上げた。

 運搬し始めると血だらけの女性の遺体の血液が石通とスーツ姿の男性の衣類に付着した。

 


 車両の中を移動する。

 

 男性が、連結部にたどり着き、遺体を持ったまま、重い連結部扉をあける。

 

 連結部をこえ、2号車に入る。

 

 最初のロングシート優先席へと女性の遺体を降ろした。

 

 石通と男性は立ち止まった。


「このままじゃまずい」

 

 1号車を見た後、男性が呟いた。

 

 男性が話し出すとは思わず、石通は驚く。


「なんとか脱出方法を見つけないと・・・自分の名前は茎家(くきいえ)と言います」


「はい」

 

 お互いに危うい立場にいる。自己紹介などしないでほしいと思った。この茎家という男性は果たして信用できるのか。ネガティブな考えだけで思考が埋めつくされる。

 

 そもそも地下鉄になんか乗らなきゃよかった。


「石通と言います」

 

 渋々、答えた。

 

 あんまり長くは話せない。早く戻らないと怪我をした駅員が頭のおかしな二人組の所にいる。

 

 このままだと彼の身は危険にさらされている。良心が許さない。

 

 また、もし見捨てた場合はこの事態が収拾した場合には人質にされている駅員の男性を見捨てた件についての責任を追求される事も予想される。

 

 避難誘導を懸命に行っていた彼を見捨てることが出来ない。

 

 あの二人組はこの心理状態も読んで、計算して弱みにつけ込んできているとみてよかった。

 

 逃げ出したいという気持ちがあっても逃げ場はない。

 地下鉄トンネル内には得体の知れないものがいる。


「戻るしかない」

 

 茎家が言った。石通は頷いた。

 

 隣の車両から連結部を越え、先頭車両へと戻る。

 

 スマホのライトを照らしながら暗闇の中、乗務員室前まで戻る。

 

 乗務員室前では右側ロングシートの乗務員室に一番近くの位置に赤い服の男が座っていた。

 

 照明など点けずに大股を広げ、返り血を浴びた血だらけの服のまま手にナイフを持ちながら、ぼっーとトンネル内の非常灯を見つめていた。黒い服の男がすぐ近くに座っていて、少し離れた場所に若い男性が座っていた。

 

 左側ロングシートに怪我をした車掌が横たわる。車掌は気絶していた。

 

 二人組は戻ってきた件に関して無反応だった。

 

 茎家が車掌の元に駆けより、容体を確認した。石通は茎家の後についていく。

 

 乗務員室内にあった、黒い鞄から応急処置セットを取り出して、包帯とガーゼと消毒で傷に茎家が応急処置を行った。石通はその間ライトで照らした。

 

 簡易の処置を済ませる。


 「移動しましょう」

 

 怪我人を移動させるのは好ましくないが、石通もそれに関しては賛成で車掌を二人で移動させようとした。


「動かしていいなんて言ってねえよ」

 

 突然、後ろから陰険な声で赤い服の男が放った。

 

 移動するのを諦め、ロングシートの茎家と石通は二人組から離れた駅員が見える位置にそれぞれ腰を下ろした。

 

 特に何も言わなかったが危害を加えられるかもしれないため重苦しい空気が漂いその場にいるだけで苦痛だった。

 

 一体なにが目的なのか考えてみるがクレームをつけていた時から彼らに目的はない。

 


 勿論、この場から今すぐにでも逃げ出したい。悪夢ならすぐに目が覚めてほしい。

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