第4話 浸水


 開いたままの貫通扉から車掌室に大量の水しぶきが降りかかり、乗務員室で驚愕し立ち止まっている年配男性へと降りかかった。


 浸水したトンネル内に何かがいる。


 消化器官の胃腸が摂取した食物を消化する時のような音が鳴り響いた。


トンネル内には悲鳴と叫び声が響き渡っていた。


 物体は車両の前にいる。


 驚愕しながら年配男性が乗務員室から出てきて戻ってきた所で車内照明が突然、消灯する。


 車内が真っ暗闇に包まれた。 


 車内にいる乗客の女性が驚き、短い悲鳴を上げる。


 数十秒間消灯した後、再び照明は復活した。


「まずい」


 車掌が言葉を漏らした。


 車掌と駅員は顔を見合わせる。


 駅員は大きめの声で乗客に促した。


「先頭車両への移動をお願いいたします」

 車掌が先頭に立ちながら先頭車両への移動を誘導した。


 状況がわからないまま乗務員の指示に従い、他の乗客はついていく形となった。 


「焦らず、押し合わずに急いで下さい」

 車掌が促す。


「トンネルのあれは?」


 切迫した空気が流れる。


 乗客の一人の中年男性が駅員に尋ねた。


「わかりません」


 乗客は全員、急いで先頭車両へと急いだ。


 緊迫した空気の中、美咲は言われた通り他の乗客に続き、先頭車両へと移動する。


 再び、連結部を通り車両間を移動した。



 乗客は慌ただしく車両を移動する。


 先頭車両の乗務員室、運転室の前に乗客たちは集まる。


 車掌と駅員が打ち合わせした後、車掌が話し始めた。

「落ち着いて聞いていただけますようお願いします。車内の電力が断たれました。現在は予備電源で稼働しています。最大で20分です。先頭車両から進行方向の高輪駅への避難をお願いします」

 

 やはり悪い知らせだった。


「トンネルで何が起こってるんですか?」


 女性が車掌に尋ねた。


「とにかく避難をお願いします」


 運転室に入り準備をしていた。駅員が運転室から顔を出した。準備が完了した事を意味した。


 最後尾の乗務員室同様、貫通扉が開けられ、梯子が線路へと降ろされていた。


 急いで駅まで避難する必要はあるが果たして大丈夫なのだろうか。雨以外での原因による浸水。浸水の原因があるかもしれない。最後尾車両でトンネルにいたのは何かの生物かもしれない?


 美咲はスマホを見た。

 

 しまった……

 

 ボイスレコーダーをつけたままにしていた。急いで切る。

 

 スマホの電池は残り17%。電波もなくなっていた。

 

 契約してからずいぶん経つので電池の減りも比較的に早まっていた。

 

 電波もすでに遮断された。

 

 先ほど、車掌が説明したように電車内への電力が断たれたためである。

 

 電波を中継するケーブルも何らかの理由で使用出来なくなった。

 

 都内の地下で完全に孤立無援になるという状況だった。

 

 あの二人組のせいで避難が遅れたのも大きく影響していた。

 

 車掌は先導するため、一番最初に乗務員室から貫通扉を通りトンネルへ降りていった。

 

 準備の出来た乗客から続いて行く。

 

 美咲もその後を続いていった。

 

 乗務員室の中へと入る。

 

 運転席には計器や操縦盤などが並ぶ。


 開けられた貫通扉から梯子で線路へと降りる。

 

 少し先に合図灯を懐中電灯代わりに持ち先頭を慎重に進む車掌が見えた。その後ろに3人の乗客がスマホのライトを点灯し続いていっていた。


 トンネルは進行方向の線路だけが続き、壁で反対方面の線路は見えないタイプの物だった。

 

 梯子は、階段式の物で斜めに線路へと伸びていて手すり付きのものだった。

 

 浸水したトンネルは照明がかすかに照らし、線路が見えないのも恐怖の一つだった。

 

 左腕でバックを抱え、右手で手すりをつかみながら慎重に線路へと降りた。

 

 浸水したトンネルの中、腰まで水に浸かった駅員が梯子の脇にいた。


「足下に気をつけて下さい」

 声をかけてきた。

 

 頷いて、梯子を徐々に降りていく。

 

 徐々に体が黒い水に浸かっていく。水の冷たさが体に伝わる。

 本来なら自宅の快適なベッドで就寝している時間なのに、よくわからない謎の水に体が浸かっていく。

 ホントに最悪。

 

 水は美咲の腰まで浸かった。

 

 振り返って車両を見た。

 車両はモーターと車輪の高さまで水に浸かっている。

 車両正面がへこんで歪んでいるのに気付いた。いつも見る電車車両の正面とは異なる。まるで何かにぶつかったようだった。

 

 急停車させる際にかけた急ブレーキの衝撃以外に何かに強制的に車両が停止させられたかのような暴力的な衝撃の感覚を思い出す。

 

 数メートル先、先に降りた中年のスーツ姿の男性の後を追う。

 

 前を歩く男性のさらに先で車掌と二人の乗客がトンネルの壁を見ていた。

 

 なぜ立ち止まっているのか。

 

 前の男性に習い、車両の中心を基準に線路中央を歩くようにした。

 

 節約したいところだが渋々、電池が少ないスマホのライトを点灯させて進んでいく。


 車両の上からトンネル天井を高圧電線が伝っている。胴体架線方式で線路横を高圧電線が走る第3軌条方式、サードレールではないため浸水した線路へ降りても感電の心配はない。 

 そもそも停電している。

 

 しかし、天井からなんらかの形で電力の通っているケーブルの漏電が起きてしまう事もあり得る不安は尽きない。何が起こるかわからない。

 

 車掌達は少し急ぎ気味にトンネルを進んで行くのが見えた。

 

 前の男性も車掌達が立ち止まっていた場所で立ち止まる。

 

 美咲も追いつき、前の男性がライトで照らす先が徐々に見えてきた。

 

 壁に大きな穴が空いていた。美咲の目線の高さから、縦に2m程裂け目が壁にできていた。裂け目の奥に真っ暗闇の空間が見えた。

 

 水が流れ出しているのか流れ込んでいるのかわからなかった。

 

 言葉を失う。

 

 不可解な出来事が次々、起こる。

 

 開通から年月がたち耐用年数に近づいて老朽化しているにしても地下鉄トンネルは安全のための保守点検を厳しく行っているはずだし、地震でも被害を受けることは少ない。

 

 剥落、亀裂やひび割れがトンネル全体に広範囲に起こっていた。

 

 浸水、最後尾車両で起こった事と何か関連があるのかもしれなかった。

 

 背筋に冷たいものが走り、肺がムカムカし、息苦しさを感じる。危機が迫っている胸騒ぎを感じた。

 

 モタモタしてられない。

 早く駅までたどりつかないと。

 

 前の人たちがなぜ先を急いだのか理解した。

 美咲も先を急いだ。

 

 先を進み、カーブに差し掛かる。

 カーブを抜け、カーブの死角で見えなくなっていた先に行った運転手達が見えてきた。

 先に見えたのは駅ではなかった。

 

 トンネルの正面は黒と黄色の警告色の壁で行き止まりになっていた。


「防水ゲートか」

 美咲の前を歩いていた中年男性が言った。

 

 車掌が合図灯を持って引き返すように大きく手を振っていた。

 

 防水ゲートは地下トンネルへの豪雨の流入による浸水対策に設けた設備の一つ。

 

 なぜ、防水ゲートで先が閉ざされているのか。地下浸水の原因と関係があるのか、それとも手違いにより封鎖されてしまったのかもしれない。

 

 また悪い知らせが一つ増えた。

 

 美咲も車両に引き返すために戻ろうとした。

 

 地下鉄トンネル内に非常口はない。

 

 一体どうやって地上に出ればいいのかわからない。

 

 美咲の後ろで叫び声と悲鳴が聞こえた。


「逃げろー」

 

 大声で誰かが叫んでいた。

 

 振り返ると後ろの車掌と乗客達がこちらに急いで戻ってきている。さらに後ろには黒と黄色の警告色の防水ゲートがゆがんで見えた。ゆがみを中心に猛烈な水しぶきがこちらに向かってきていた。

 

 勢いよくたつ水しぶきは身の危険を感じさせる様子だった。

 

 最後尾車両で見た光景と同じだった。

 腰まで水に浸かっている状態で水の抵抗により早く動けない。

 

 最後尾で人が飲み込まれていく姿を見ていた。どういった状況なのかわからないが無事では済まないと本能が訴えた。

 

 なりふり構っていられなかった。

 

 泳いだ方が早い。

 

 スマホをもったまま、バックを捨てて泳いで進んで行く。

 

 水は冷たく、砂っぽくて、臭いはなかった。

 

 パニックに近い状態で少し泳ぐと、息が続かなくなり、再び歩きに戻した。

 

 車両まで必死で移動していく。

 

 進みながら車両に近づいてくると違和感に気づいた。

 

 貫通扉は閉められ、梯子の脇にいた駅員の姿もなかった。

 

 美咲より後ろにいた乗客たちが貫通扉の前に3人立っていた。

 

 車体を叩いているのが見えた。車両の中に入れない様子だった。

 

 車両内乗務員室に先ほど赤い服の男と黒い服の男が後ろ姿でいるのが見えた。

 

 後ろを見ると逃げ惑う他の人々の後ろで透明だった物体が水しぶきの中心で黒茶色の実体を現した。トンネルの半分を覆い尽くす程の巨体で物体はなんらかの生物だった。

 

 謎の生物が迫ってきている。距離的に間に合わず、車両まで戻る時間はもう残されていない。

 

 来る途中に見た、トンネルの壁に出来た亀裂に向かった。

 

 亀裂は人1人は体を横にすれば入れる程の幅が開いていた。穴の先に空間があったのを思い出す。先に何があるかわからない。行き止まりかもしれないがこの先に一か八かかけるしかない。


 

 亀裂に近づいていき、人一人ギリギリ入れるスペースに無理矢理体を押し込めた。

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