第3話 悪意
二人の男は浸水するトンネルの途中で停車している車両からの避難途中、乗務員に突然クレームをつけ始めた。
美咲はそれを見ていた。
勿論、正当性のある主張や意見があるわけではなかった。
浸水しているトンネルで避難誘導を進める駅員も乗客が車両から出てこない事に異変を感じ梯子を登り乗務員室から顔を出した。異変を感じて会話に加わる。
「緊急事態で安全に関わります。急を要す・・・」
「あ?ちげえよ。どうしてくれんだって話なんだよ。ゴチャゴチャ言わず駅まで電車動かせよ」
車掌の言葉を遮り、口調が強まる。
「それは出来ない状態にあります。早く非難を」
もう一人の黒い服の男が自信満々の態度で会話に割り込む。
「念書、書いてもらえる?これ、トンネルがこんな事になってるのって鉄道会社の責任って事は明白だよな」
「
今はそういった事は受付られません。駅への避難を」
「じゃあ、誠意はないって事か?もっと上の奴ここに呼べよ」
会話は途切れ、沈黙が走る。
一瞬の間があったので隙を見て駅員が美咲の方を見て手招きし貫通扉へ呼びながら避難誘導に戻ろうとした。
「まだ話終わってねえから」
それを見ていた赤い服の男が妨害した。
「これ以上続けると、威力業務妨害や鉄道営業法の罰則に抵触します。法的な罰則を受ける事になります。早く、避難へ」
車内に緊張が走る。
「ちげえよ」
「安全に関わる事なんだよ!」
横の駅員が激怒した。
「いやいや、キレんなよ」
黒い服の男が馬鹿にしたような態度で言った。
話がまとまらず。落とし所のないやりとりが積み重ねられていく。
堂々巡りで支離滅裂、何が言いたいのかもよくわからない。
なんでこんな事になるのか美咲には意味がわからなかったが会話の中から見て二つの目的を推測した。
一つはタイムリミットと他の乗客を人質にして経済的利益の取得を試みようとしている事。
もう一つは負の感情、悪意をまき散らす事だと思えた。
車掌の言う通り犯罪行為である。悪質な状況である事は間違いなかった。
普段こういった粗暴な性質の人間と関わる事はない。ネット上ならまだしも公の場で羞恥心なくこういったふるまいをする感覚が信じられないと言った感想だった。もう撮影してる人もいるかもしれないし、隠し撮りをネット上にアップされたり、この状況を書かれる事により社会的に自身の立場を悪くするという事に関して心配はないのだろうか。
運が悪いと捉えるべきだろうか。
乗務員たちは緊急事態の中で急遽、避難誘導へ対処してる。
運転士の男性が怪我をして不在の中、限られた人員で4両編成中3両の約60人前後の乗客を急遽さばいて避難させた。最善を尽くしている乗務員を追及する理由はなかった。
さらに懸念される事態がある。中国河南省や日本の丸の内線の事例のように車両が水没する危険性があった。
モタモタしている場合ではないかもしれない。
この状況でさすがに自分だけは大丈夫とは思えないが時間が過ぎていく中で状況にのまれて正常性バイアスに陥らないように頭を働かせた。
このまま、あの二人が諦め、乗務員の制御下の元、避難に戻るのが最善である。しかし、一向に引く気配がない。
この状況に業を煮やしたこの場にいる乗客がしびれをきらし勝手にパニック状態で避難を始める事もあり得る。
時間は深夜3時。大半は疲労と眠気のピークに達していると思われる。今の所、この件に関して他の乗客も見ているだけだった。
コンディションが悪いのとおかしな二人組が恫喝してて怖いので誰もアクションを起こせない。
関わらないのが一番賢い選択であるが何か出来る事はないかと考えてしまう。
外部から誰か助けに来てくれるのが望ましいが深夜のうえにネットで見たようにこの事態は都内各所で起きており、しかも深夜で警察消防救急がなかなか来れない状況という事も推測できる。
乗務員側に加勢して、他の乗客の協力を募り、出来るだけ穏便に押し切れるだろうか。この二人組は頭がおかしいので連帯がとれれば、取り押さえられれば理想だがそれはなかなか難しい状況にあった。
男性の暴力は怖いが覚悟した。美咲は深呼吸しながら、二人に見えないようにスマホのボイスレコーダーを起動した。アクションを起こす事によって状況が変わる事を祈り実行に移した。
怒りや恐怖心の感情を抑え、穏やかな口調で四人のやりとりの中に割り込んだ。
「あの、すみません。これ以上、ここに長居するのは危険だと思います。乗務員さんの言うとおり避難に戻りましょうよ」
「あ?なんて言った」
赤い服の男が美咲に向かって威嚇した。
美咲は、何も言えなくなる。やっぱり怖かった。
「ん?なんだよ?なんて言った?」
赤い服の男が振り返り、黒い服の男を見る。黒い服の男は後ろで笑っていた。
やはりやらなきゃよかったかもしれない。
「避難に戻りましょう」
止めに入りながら駅員の男性が言う。
二人は真顔で沈黙する。一体何を考えているのか表情からは読み取れない。
「地下鉄が水没した事例もあります」
もう一度、促した。
美咲の後ろに並んでいた暗い顔をした美咲と同年代くらいの緑の上着の男性を見た。
直感で彼に助け船を出してほしいと思った。
緑の上着の男性は目をそらして、関わりたくない様子だった。当然の反応でもある。
「話は後で避難に戻ります」
「いやいやいや、関係ねえんだよ」
赤い服の男が打ち消す。
「早く避難しましょう」
後ろのスーツ姿の男性が賛同してくれた。
二人は不機嫌な態度のまま無反応だった。
「何やってんだよ!」
しびれをきらして後ろにいた乗客の一人の年配の男性が怒りながら、乗客と美咲たちを押しのけて一人で最後尾乗務員室まで突っ込んでいった。
車掌は、気づいて止めようとするが年配男性は乗務員室に入ってしまう。
年配男性は、何かに気づき乗務員室で立ったままトンネルを見ていた。
乗務員室に年配の男性が行くまでは一瞬の出来事だった。
トンネルから悲鳴が聞こえた。
その場にいる全員がトンネルに注目する。
美咲からも遮光幕が開けられた窓から乗務員室内正面ガラスを通してトンネルの様子が確認出来きた。
悲鳴を上げながら浸水状態のトンネル内を人々が車両まで戻ってくるのが見えた。まるで何かから逃げているようだった。
「戻ってくるぞ」
乗務員室にいる年配男性がつぶやいた。
照明でかすかに見えるトンネルの中が波打ち、カーブの死角から激しい水しぶきが姿を現した。
物体はトンネル内、水面を映し歪んで鏡のように見えた。
トンネルの半分を覆うほどの大きさで物体の実体、全体像はわからない。物体は透明な塊だった。
水しぶきが車両まで逃げようとしている3人を次々と飲み込んでいった。
車両へと一切スピードを落とさず向かってくる。
目の前で何が起こっているのか全くわからずにただ見ている事しか出来ない。一同が唖然としたままになる。
水しぶきと物体が車両へとたどり着く。
水しぶきが車両に衝突し、車内に衝撃が伝わり、車両全体が激しく揺れた。
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