第2話 避難
最終電車。乗っていて電車はトンネル内の途中で停止してしまった。
乗務員から避難を促される。
以前、テレビで地下鉄の避難訓練の映像を観たことがあった。
乗客は、地震による津波で乗務員の誘導の元、地下鉄から避難するという内容の物。
駅間のトンネルで停止した車両で車両端の貫通扉から乗客が乗務員の誘導の元、一人ずつ線路に降りて、駅まで避難するという流れであった。
地下鉄トンネル内には途中に出口はない。今、乗車している路線のトンネルは単線のトンネルで反対方向線路と壁で区切られている。
非常用ドアコックで側面から脱出するのはスペースがなく危険であるため、乗務員、駅員の誘導の元、前後最端の乗務員室の貫通扉から出て避難するのが通常の手順。深夜、終電後の時間、浸水したトンネルを歩いて、駅にたどり着き、地上に出る事になる。
美咲は絶望した。
美咲は25歳の会社員。都内の大手デベロッパー勤務。学生時代の友達真由と茜、二人と食事して帰宅する所だった。
真由の自宅で食事していた。高校時代の友人で心置きなく接せられる仲だった。遂、話し込んで最終電車の時間になってしまう。
真由は自宅に泊まる事を薦めてくれるが帰った。真由と茜に冷やかされる。連休の休み中で次の日は付き合って一年になる一哉と一緒に過ごす約束があった。
車掌が最後尾から戻ってきた。連結部から車両に入ってくる。
「それでは先程、アナウンスのあった通り、避難準備をお願い致します。一列になり最後尾車両へと移動をお願いいたします」
車掌は車両を進みながら繰り返し整列を促した。 乗客が列を作る。美咲も他の乗客同様、指示通り列に並んだ。
乗車のほとんどが驚きと戸惑いの様子を見せる。
美咲がいるのは前方先頭車両から4番目のドアの位置だった。
列はゆっくり進み始める。
基本的に待ち時間である。
美咲がいる車両は先頭車両で避難は一番最後になる。
眠気は覚めたが疲労は残ったままの状態である。手持ち無沙汰になり、落ち着かず、スマホを見てしまう。スマホの残り電池残量は30%。
無目的にスマホでブラウザやアプリを見る。
スマホをぼーっと見てやり過ごす。
車内の様子を撮影している乗客も何人か見受けられた。
非常事態でスマホを見ていて逃げ遅れるのもありえない話ではない。
あるワードを思い出す。正常性バイアス。
2011年3月11日東日本大震災以降に特に注目され、知る機会が多かった。
ある実験で、隠し撮りした個室に複数人を集め、待機させておいた。その室内に、白い無害な煙を流し込む。煙は火災を連想するものだが、室内の一〇名の被験者は、全員無反応でスマホを触るなどしていて避難行動などのリアクションを一切起こさなかった。煙は、室内で完全に充満していってもそのままだった。火災報知器のベルが、フロア全体になり響いてもそれは変わらなかった。
正常性バイアスとは異常時に、まだ大丈夫なのではないかと間近に迫る危機を日常の延長線であるととらえ、逃げ遅れてしまう認知の歪みにより起こる心理バイアス。
スマホの画面を通して、日常を自分の中にとり戻しているのかも知れない。
待ち時間が長いため現在の状況に対しても現実感が薄れる感覚もあった。
後ろで舌打ちが聞こえた。
写真を撮っている乗客に対してのもののようだった。
美咲も少し、ギョッとしつつ後ろを向き舌打ちした人物を確認した。
赤い服を着た男性だった。険悪な空気が漂う。
確認した後、すぐに前を向いた。
スマホで撮影をしていた男性は撮影をやめた。
その後は特に何も起こらなかったがピリピリした空気になった事で再び美咲の中でも再度不安が募る。
これから浸水した地下鉄トンネル内を乗務員の指示の元、水に浸かりながら進む。
アプリのタロットカードを引くことにした。遊びでたまに引いている。
良い結果が出れば、なかなか気分は良くなる。
~今日の運勢~というテーマでアプリのタロットカードを開いた。
シャッフルされ始める。カードが裏面で並べられた。任意の一枚を選択する。美咲はカードを選択しタップした。
出た結果は塔(Tower)のカード。
カードに描かれているのは天から塔に落雷が落ちて爆発し、火災の起きた塔からパニックになった人々が苦しみながら次々と塔から転落し投げ出されている悲惨な光景だった。
説明文にこう書かれていた。
今日は大変な一日になりそうです。トラブルや災い、危険な目に遭うかもしれません。 このカードには破滅と同時に変革、再生の意味も込められています。物事は終わるべくして終わります。あなたはきっと乗り越える事が出来るでしょう。文章はやんわりとしたフォローでしめられていた。
結局、不安の感情が覆い尽くした。
馬鹿だった。やるんじゃなかった。
美咲はゲンナリしながらアプリを閉じた。
列は少しずつ進んで行く。
車掌は一番後ろで乗客の様子を見た後、運転室へと入った。
「前の方に続いて整列をお願い致します」
列が止まるたびにスマホを触りながら座席に座る人やスタンションポールにもたれかかる人も出てきた。
時刻は午前2時30分を回り、待ち時間での疲労も重なる。
列を並び少しずつ進む中、美咲の少し離れて後に並んでいる男性の舌打ちをしたり、「モタモタしないで進めよ」と言った声が聞こえた。
車内にはたびたび険悪な空気が流れる。
恐怖を感じつつも振り向くと先程のやはり赤い服の男性だった。
再び列の後ろで付き添っている車掌に嫌がらせとして圧力を加えるのも目的の一つに思えた。
連結部を3回通り、車両を先に進むごとに最後尾の様子が見えてくる。
最後尾の最端、乗務員室の扉が開けられ次々と乗客が外へと出て行くのが見えた。
駅員が乗務員室の前で先導し働きかける。
列の一番後ろで乗客に付き添っていた車掌は、前に移動していき、乗務員室の前の駅員と変わる。
少し話した後、駅員は貫通扉から地下鉄トンネルへと降りていった。
浸水するトンネルを進んで行く。都内地下鉄の駅間の長さは平均1キロ。勿論、線路途中の車両の長さも含め、1キロ以上の距離はない可能が高い。情報を頭に入れる事で不安を減らしたかった。
連結部を通り最後尾の車両に辿り着く。
列は進み、美咲の順番が次第にせまる。
美咲の後ろには20人程の乗客が並んでいた。
やむを得ないが嫌なものを待つ順番待ちである事に変わりない。
列は進み、次が美咲の順番となる。
「足下にお気をつけ下さい」
乗務員室の前には車掌が立ち乗務員室へ入るのを促していた。
乗務員室前のシート端の位置で待っていた。
美咲の前の男性乗客が出て行った瞬間に、後ろから男性二人組が美咲の横を通り、割り込んで進み車掌へと話しかけた。
勇気を振り絞ろうとしたところで肩透かしを食らい美咲は戸惑いびっくりする。
美咲の事は無視。
憤りの感情が湧いたが様子を見る事にした。正常な判断を失うわけにはいかない。キレた所でなんの解決にもならない。
男性二人組は一人は黒いジャケットを着た男、もう一人は先程の舌打ちをして険悪な空気を流していた赤いパーカーを着た男だった。年齢不詳で若者にも中年にも見える。ガラは勿論、悪い。
二人は車掌の前に立ち、話しを始めた。低い声でぼそぼそ話し始めて、近いのによく聞き取れなかった。
早く終わってほしいと思った。
話している内容に興味はなかったが次第に二人の声が大きくなり、美咲の耳に入ってくる。
赤い服の男が車掌に話し始めた。
「トンネルに出んのかって言ってんだよ」
「ご協力をお願いいたします」
「服濡れるよな」
「安全のためです」
「こっち客なのにか?」
赤い服の男が車掌とやりとりしている横で黒い服の男は陰険な表情で車掌を睨んだ。
話の流れで美咲は状況を理解した。
クレームだった。
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