第10話 はしるほのおの魔法少女。

 協会、野良。声の既視感、敵意の理由。

 理性の巻き起こした疑問を──


「ぁは......!」

 ──排斥したのは本能だ。

 意識が、ぴきぴきと音を立てて切り替わって行くのを感じる

 まるで夢から覚めたよう。麻痺した感覚も現実感も、指先までぴしりと戻って気持ちがいい。


「戦っちゃうの〜?」

 耳障りな間延び声。

 きっと分かった上で聞いている。

 言わずもがなに決まってる。


 冷たく淀んだ空気が、横たわって一直線。

 路地裏の奥と入口、彼我の間合いはやや遠い。パンチを浴びせるなら、それなりの距離を走らなければならない。


「......」

 けど、動かない。

 一旦見せる待ちの姿勢。

 サイドテールが不敵に揺れた。


 必然、先に沈黙を破るのは彼女。


「走れ、」

 たった一言。

 ──それだけで、闇の半分は吹き飛んだ。

 およそ常識では考えられない大発火が、彼女の手元で巻き起こる。その規模、周囲数mメートルをはっきり照らし上げる程。

 常識外の大炎上は、頭大の火球を三つかたち取った。


「──ケルベロス!!!」

 ぴしゃりと叩きつけるような号令。

 それが合図。

 地獄の番犬の名を冠した炎が三つ、手から零れて同時に走り出す......!


 あれが呪文、あれが魔法!

 けど感嘆してる場合じゃない。

 ストレートじゃない火の玉が、路地裏の壁に乱反射。

 不規則に低く跳ねる火球たちが、暗闇を切り裂きながらこちらに迫っている......!


 地を這うと形容するには速すぎる弾速だが、そんなのは脅威という程でもない。

 問題なのはこのロケーション、およそ幅1m強の路地裏。

 ヒトが2人すれ違える広さだが、三ツ首はさすがにキャパオーバー......!


 横は言わずとも。

 後ろに下がるのはナンセンス、こちらの射程からさらに遠ざく。

 突っ切ったならそこの魔物と同じ末路!


(じゃあ上!)


 考えるより先に、身体は宙を舞っていた。


 ──垂直上昇、風を切る。推力を失う。下方を炎が過ぎ去った。月の光に触れた気がする。肩の短いマントがはためいた。重力に引っ張られて──


 いびつに着地。


 両の手ついた不格好。そのまま睨んでまるで獣。

 どうやら初撃は避けられた。


「はっ──っ、」

 低姿勢のまま荒く息。次が来る。

 飛び上がってから落ちるまで、相手が何もせずに見守っているわけが無い。


 手元の発火、魔法の合図。

 その輝きが既に見えてる。


「──っ、は!」

 だから好機と駆け出した!


 崩れ崩れのクラウチング、けれども生み出すジェットスタート。

 身体と共に算段も走る。


あの魔法ケルベロス、弾速も予備動作も、銃に比べれば数段トロい......!)


 ならばこちらから向かっても、余裕で回避が間に合う判断。

 狙う間合いは約6m、そこから飛べば拳が届く。

 あえて先に攻撃をさせたのはこのためだ。手札が露見したならば、その弱点は容易に突ける......!


「ケルベロス!」


 高い声、同じ響きが狭路につんざく。

 巻き起こされる二度目の現象。三つ首の火球が、手元から零れ、地に落ち、ようやく加速。

 そんなプロセス踏んでる間に、こっちは最高速で疾走してる!


 火球の相対速度は倍以上。

 あっという間にまで迫ったそれは、熱の一端を顔面に浴びせてきている。

 つまりそれだけのスピードで、炎の主に近づいてるということ!


(この距離!)


 跳んだ。一切の迷いなく。

 角度は鋭角。

 避けれる高度の最小限、詰める間合いは最大限。

 先の跳躍を避けるための防御行動とするならば、これは真逆の攻撃行動である......!


 ごう!と火球の燃焼音。

 顎から首、腹、もも、つま先──と、熱波が撫でていくのを感じ取った。

 地を這う番犬、空駆けるわたし。

 すれ違ってさようなら。

 あとは飼い主の顔面に、クレームパンチ一発叩き込むだけ!



(......だけ?)



 ──拳を振りかぶった途端、周囲の景色が減速する。

 それは思考の加速を意味している。

 嫌な予感が、首筋に凍りついている気がする。


 跳躍のちょうど中ほど、彼我の距離およそ3m。

 この距離まで詰めて、ようやく相手の姿が見えた。

 燃えるような赤い髪。

 シルエット通りの巨大ツインテール。

 可愛らしげなつり目の顔立ち。

 赤を基調としたドレスのような衣装。

 肩やおへそが露出してて、スリットから覗く脚も目に痛い。

 まるで薔薇のよう。


(そんなことは、どうでもいい!)


 そう言い切れるぐらい、視線を引きつけられているのは二点。

 燃え上がっている、彼女の手元。

 それから下方地面、ちょうどわたしと彼女の真ん中に、萌ゆる種火がちいさくひとつ。

 言うまでもなく、魔法の前兆。

 悪寒の原因はそこにある。


 考えが一筋走り出した。

 想像するのもおぞましい、先の見えない導火線。


(わたしはどうやってこの距離まで来た?)


 相手の切った手札から、その弱点を読み取ったまで。

 そしてこの時......こちらの手札も切らされていることに、気が付かなければならなかった。

 跳躍という手札。疾走という手札。

 相手も同じ魔法少女ならば......人ならば、切られた札からこう類推しても不思議じゃない。


 ──黒い魔法少女は、こちらの攻撃を防ぐ手段を持ってない。

 ──少なくともこの間合いは、黒い魔法少女の射程外である。

 ──ゆえに、警戒すべきは距離を詰める行為、その一点。


 赤い彼女の浮かべる表情は、余裕。

 その意味は、こちらの跳躍は想定通りであるということ、しかも解答札を用意しているということ......!


 導火線は燃え尽きた。


「燃え上がれ、」

 辿りついた先は、種火。

 次に起こるのは、爆発。


「バーチカルフレイム!!!」

 種火から咲き誇った、文字通りの火柱。

 わたしの眼前を塞ぐ、真っ赤な壁。


(避け──)

 ──られない。


 翼を持たぬ生き物は、一度跳んだら着地するまで、その軌道を変えられない。


 跳ぶ鳥を落とす勢いの猛火は。

 ごう、とわたしを飲み込んだ......


 ───────────────────


 炎のさなか、アカの世界。


「ぁ゛......!」

 思考、思考。

 さらに加速した思考は、灼ける痛みを念入りに感じ取る。


(──い)

 肌を焼き、身を焦がし、酸素を奪う渦炎。

 熱い、痛い。送受を問わない全身からの危険信号が、ひとつひとつ明確に感じ取れる。


(──、ない)

 だから理性がなくても先がわかる。

 本能が全力で騒いでる。

 このままでは確実に、確実に──


(──る必要は、ない)

 ──

 身体は消し炭になってない。ドロドロに溶けてもいない。

 ただ痛くて、熱いだけ。


(避ける必要は、ない!)

 先にも言った通り。

 翼を持たぬ生き物は、一度跳んだら着地するまで、その軌道を変えられない。

 例え巨大な炎が立ち塞がろうと──


「ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ーーーっっっ!!!!!!!」


 ──振りかぶった拳を、止めるには値しない......!

 ───────────────────


 炎を蹴破った、絶叫。


 夜の闇に躍り出る、鴉色の魔法少女。

 迎え撃つは炎の主、焔色の魔法少女。


 燃やしただけでは、運動エネルギーは消しきれない。

 そのことを、火元の彼女はよく知ってただろう。

 こちらを見据える顔に驚きの色はなかった。


 対するこっちは決死の形相。

 その凪いだ表情に、全力パンチをぶち込んでやる......!


「ファイア・ウォール!」

「──はッ!!!!」

 振り下ろされる拳、突如生じた半透明の紅障壁。

 両者はぶつかり、ガァンと鈍い音を喚き散らかす......!


 この、拳と彼女の間にある邪魔な壁。

 どう考えても彼女の魔法。

 そんなのありか!飛び道具バンバン撃っときながら、対空攻撃に防御手段まであるなんて反則だ!


 だが同時に、彼女の顔から余裕が消え失せているのが見えた。

 炎の突破は想定してても、一切の淀みなくパンチを放ってくることまでは予期していなかったらしい。


 相手の読みを、一瞬だけでも上回ったということ......!


「......離れな、さいなっ!!!」

「わッ───!」


 堪えきれなくなったのか、彼女は押し返すような仕草を取った。

 半透明のバリアが連動、わたしの身体を強烈な力で吹っ飛ばす。

 ダメージこそは大してないが、せっかく詰めた距離が離れてしまう......!


 思考の加速が止んでしまった。

 わたしは闇の側に、彼女は光の傍らに。


 ──獣のように四つ足着地。仕切り直し。

 だが、戦闘開始時と違う点がひとつある。それはお互いに疲弊しているということ。

 精神的にも、肉体的にも。

 肩で呼吸をしているのは、わたしだけではないようだ。


「......これ以上は、手加減できないわ」

 荒い息混じりで、彼女は言い放つ。


 手加減、それは事実であった。

 わたしは死なずにこうして立てている。なんなら衣装が少し焦げただけで、肉体へのダメージはほとんど軽傷。

 最低でも魔物を焼死させる力はあるはずなのに、明らかにセーブしている風、だった。


「命までは取らない。

 今日のことを忘れて、魔法少女なんかやめて──去りなさい」


 言外に言われている。

 さもなくば、殺す。

 ここで向かって来たら、殺す。

 またどこかで見かけても、殺す。

 余裕のない表情が、逆に脅しでないことを証明していた。


「......」

 どうすべき、か。

 ──まだ立てる、まだ走れる。

 ──まだ殴れるし、まだ読み合える。

 本能が叫ぶ。でも同時にこう言ってる。 

 それは命を張る理由には、ならない。

 もう充分だ、とも。


 ゆっくりと四つ足ケモノから二つ足ニンゲンへ立ち上がり、視線を上げた。

 夜空を長方形に切り取っている、そびえた建物。その屋上から、白いカラスがちょこんと覗くのが見えた。

 逃げるならこっち、と言ってる気がする。


「......」

 視線を再度地上に戻す。

 彼女に返した答えは、無言。


 そのまま一歩二歩三歩下がって......壁に向かって跳んだ。


 配管、室外機、看板。

 出っ張りという出っ張りに飛び移り、壁を駆け上がって屋上を目指す。


 途中、視線を彼女に向ければ目が合った。警戒している、目。でも追撃はしない、という目。

 無言の意味するところが伝わったのだろうか。そういうことしておこう。


 ──閉塞感が、一気に霧散した。

 壁面を登りきった。

 開けた風景もまた闇であるが、月の光が差し込んでる。


 地獄の路地裏、炎ひしめく魔の狭路。

 戦いは痛み分け、あるいはわたしの負けだけれども。

 無事にそこから脱出できたよう、だった。

 ───────────────────


 屋上に降り立つ。


「残念だったね〜」

 コルパの声が迎えてくれた。

 戦いの一部始終を安全圏から見てたらしい。


 ふと全身を見下ろした。

 煤だらけ、焦げだらけの衣装が目に入った。元が黒いからあんまり目立たないけど。

 そんなわたしを見つめて、こんな質問を投げかけて来る。


「ど〜お、足りた〜?」


 足りたって、何が。


「わかり、ません」


 途端、胸に色んなものが湧き上がってきて、苦しい。


 生きて帰れたという、安堵。炎に巻かれた痛みと、恐怖。初めて向けられた殺意への、怯え。明日からどうなるんだろうという、不安。色々と増えてしまった謎への、疑念。それから────、──。


 今更ながら湧いてきた感情に、表情筋が引き攣るのを感じ取った。

 わたしは今、ひどい顔をしているに違いない。


「──無理に言わなくていいかも〜

 顔を見れば〜、十分ってやつ?」


 ほら。

 ぎゅっと、スカートの裾を握る。


「今後どうするのかとか、色々質問はあると思うけど〜

 今日は帰って寝なさい〜」


 ......彼女の言葉に則るならば、もう魔法少女をやめる以外の選択肢はないはずだけど。

 コルパはそうは考えてないみたい。


 表情がさらに引き攣った。

 でも、やな感情が湧くことにさえ疲れてしまっている現状。

 言う通りに寝た方が良いのかもしれない。


「......じゃあ、おやすみなさい」

 

 少しだけ近くなった月を背に。

 屋上から屋上へと飛び移って帰り始める。


 お家って、こっちの方角で合ってたっけ......



 ───────────────────


「すごいよね〜。あんなにヒドい目に遭ったのに」


 ......ひとり残された白いカラスは、

 ひとりだけ気づいてる事実──対峙した魔法少女や、本人でさえ気づいてないこと──を、ぼそりと呟いた。


 聞き届けるのは、月か雲か夜闇しか居ない。


「あの子、んだから」


 彼女は間違いなく、満ち足りていたのだ。

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