第5話 哀れな魔物に祝福のキスを。
「スキュラと出会うのは、これが初めてではありませんでした。キハラ平原での戦い……私たちが大敗を喫して、アライアン王国が東半分の領土を失った戦いで……あの化け物と対峙したのです」
「フィーナさんが? 直接戦ったんですか?」
「ええ。こちらには、三人の聖女が。うち二人はその場であえなく亡くなり、私だけが遺されてしまった……」
「そうだったんですか……残念です……」
「だから、ね。あなたには感謝しているのです。あなたは仇を討ってくれた。彼女たちもこれで浮かばれます」
フィーナはそう言って、寂しそうに笑った。
「そんな大層なことは何も……」
ただ感覚的に使えると思った力を振るって、積み木を崩す子供のように暴れただけだ。
目の前で死んでいく兵士たちに、同情している暇すらなかった。いいことをしたのだと感謝されても、そんな実感はわかなかった。
「さあ、ここに」
フィーナに続いて、八つの光剣が突き刺さったスキュラの遺骸の元に近づいた。ぼろぼろと崩れ落ちる身体の中心から、手のひらほどの大きさの、黒い球が、ごろん、と地面に転がり落ちた。
「これが”穢気核”です」
「穢気核? 私たちが浄化するのは、確か穢気溜まりでしたよね……?」
フィーナに手渡され、恐る恐るそれを手に持った。
それは、金属でできているかのように重かった。光沢があって、やはり黒い湯気のようなものを放出し続けているが、熱さはない。むしろ無機質で、ひんやり冷たかった。
「穢気溜まりは、湧き出した穢気が凝縮したものです。そのまま地上に残るものを”穢気溜まり”、穢気から発生した強大な魔物の生命力となったものを”穢気核”と呼びます。スキュラのような強さのものであれば、倒せば必ず穢気核が転がり落ちることでしょう」
「なるほど。これを光の武器で壊せばいいんですか?」
「いえ。穢気核は穢気溜まりと違って少し特殊で、砕いたら粉々になりますが、穢気を発生させ続け、放っておけば再び球体に戻ってしまいます」
ただ力で壊しても消えて無くならないのか。ややこしい環境問題みたいな奴だな。
「その為、穢気核だけは”祝福”を授けることで、きれいさっぱり消し去ることが必要なのです。こればかりは兵士や騎士にはできず、これこそが聖女の役割と言ってもいいでしょう」
「祝福ですか。光剣を使う訳じゃないんですね」
「ええ。もっと簡単です。穢気核に口づけをしてください」
「ああ、はい。口づけですね…………え?」
あまりに当然のことのように言うので聞き流しかけた。聞き返しても、フィーナはいつものように、にっこりと笑ったままだ。
「口づけってあの?」
「あの口づけです」
「キスの事?」
「キス、接吻、口づけ、どれでも構いません。唇の上下両方を、しっかりと……」
「いやいや、それはわかってますけども」
「それじゃあ、どうぞ」
笑顔が怖い。
優しくて美しいフィーナの普段の笑顔は、とても柔和で心地よいが、たまにその意味合いを180度変えて、とんでもない圧力を発する。
どうやら逃げ場は無いようだ。力技で解決できない分、フィーナの方がスキュラよりもよっぽど怖い。
それにしても、聖女というのは散々な扱いじゃないか?
召喚に失敗すればとんでもないことになるようだし、出てくるとき素っ裸で全員に見られるわ、翌日には平気で最前線に駆り出されて命の保証は無いし、終いにはこんな気持ち悪い物体にキスしろとか言われる。
「本当にしますよ?」
「どうぞ」
「本当の本当にしちゃいますよ……?」
「ええ。ちゃんと隣で見ていますから」
最悪。オエッ。でも仕方ない。鉄球にキスしていると思って諦めよう。それでもそんな姿見られるなんて公開処刑もいいとこだ。
目を閉じて、恐る恐るそれを近づけ、ゆっくりと、唇に触れさせた。
美少女になったと思えばこの扱いだ。未だこの身体を自分の物とは思えないが、こんな扱いを受けるべき身体ではないと思う。
唇が当たると、やはりひんやりとした感触が伝わってきた。特に変化もないので、そのまま続けていると、じんわりと唇を触れた部分が温かくなってきた。
すると突然、閉じた目の瞼の向こうからでも分かるほど、眩しい光が目の前で光った。
「んん!?」
驚いて目を開けようとしたが、眩しすぎて開けられない。焦っているうちに、光り輝く穢気核は膨張しながらその形を変え始めた。
驚いて手を離そうとしたが、何かが身体に巻き付いて、首の後ろと腰の裏を押さえて、離れられなかった。
次第に光が引いていき、唇に触れている感触が、柔らかく、温かいものに変わっていることに気づいた。
ようやく目を開けると……目の前に人の顔があった。
それも女性の。
穢気核に口づけしていたと思ったら、いつの間にか金髪の美少女と口づけをしていたのだ。
「んー!」
思わず押しのけて離れようとしたが、なぜか抵抗するように少女は首と腰を支えている手を離そうとしなかった。
それでも精一杯力を入れて、なんとかそこから脱出した。
「ぷはっ……な、何だ何だ!? 何で女の子が?」
その少女は、金髪の黒いドレスを着た、自分より少しだけ背の低い女の子だった。綺麗に手を身体の前で組んで、澄ました顔でこちらを見ている。
その瞳は吸い込まれるような深い青で、キラキラと宝石のように光っているが、表情はロボットのように無表情だ。金髪は頬の横のサイドを残して、頭の後ろでアップにしてまとめていた。黒い硬質の繊維のようなもので出来たドレスは禍々しく刺々しい。
黒の長手袋とビスチェを覗けば、上半身は露出が多く、肌は普通の色白の女性のものだった。引き締まった腰から、螺旋を描くように黒い繊維がスカートの裾に向かって伸びており、裾はいくつもの長い束の繊維が柵のように地面の方向へ向いている。黒のブーツも同じく硬質の光沢のある物質でできている為、鎧のようにも見える。
「申し遅れました。私はララ・スキュラ。メイティア様とスキュラの遺伝情報を基に、あなたに仕えるべく生み出された、高位生命体です。誠心誠意、その務め、果たさせて頂きますので、宜しくお願い致します」
ララと名乗った少女は、自分に向かって恭しくお辞儀をした。
なんだ? 穢気核に祝福を授けると、こういう子が生み出されるものなのか?
フィーナも人が悪い。わかっていたのなら初めからそう言ってくれればいいのに。
そう思ってフィーナの方を振り向く。しかしフィーナは明らかに身構えて、それどころか身体の横に二光剣を展開していた。
「え? フィーナさん? どうして戦おうとしているんですか?」
「ゆっくりと、下がって。メイティア。奴を刺激しないように」
「えっと……祝福を授けたら、こうなるんですよね? 俺……じゃない。私、間違っていませんよね?」
一人称を取り繕うことを忘れると、フィーナにどやされる。しかし今はフィーナもそんなことを気にしている余裕は無さそうだった。
「先ほど言った通り、通常は祝福を授ければ、穢気核は浄化されて、白く蒸発して消滅します。これは異常事態です、メイティア」
「でも……」
何故だか、俺にはララが悪い奴には思えなかった。心の底で、そう確信してた。
別にキスしたからではない。可愛い子とキス出来て、コロリとやられちゃったチョロい奴とか、そういうのとは断じて違う。
……本当だってば。
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