第8話 心の中にあったストーリー
昨日、一部の小説を非公開にします、と予告して先程非公開にしました。
◇非公開にした小説
・太陽のような(約10万文字)
・太陽のようなSecond Season(約6万文字)
出来栄えはともかく、初めて書いた小説ということで思い入れも強い話だったため、やっぱりちょっと寂しかったです。
お一人の方が、
『大好きな作品なので、これからこの作品に接して好きになる人がいなくなることが、ちょっとだけ残念です』
と温かなコメントを下さりました。心から嬉しく、心から救われました。
泣きそうです。
本当にありがとうございます。
(なぜ非公開にしたかは第6話に書きました)
◇◆◇◆◇◆◇
『太陽のような』のぶっちゃけ裏話をします。
それは、この話はずっと『私の心の中』にあったストーリーでした。小説にして書こうとは全く思っていませんでしたが、私の想像の中で勝手に話が進んでいきました。私の現実逃避の妄想だったのかもしれません。
つい、最近の話です。たまたまですが1994年の月刊カドカワの大槻ケンヂさんのインタビューを読む機会がありました。(なんと30年前のものです!)
そこに書いてあったことで、面白い話がありました。
大槻さんは、嫌なことがあった時に自分で作ったキャラクターを想像し、その人になりきったりしていたそうです。その人はずっと大槻さんの中にいて、だんだん友達や取り巻く人も出来てきて、信仰する宗教までできて、世界が広がっていき、三世代目ぐらいまで話が進んでいる。みたいな話をされていました。その世界があると、イヤなことがあったときに逃げ込めるので楽だそうで……
(芸能人さんのインタビュー自体あまり読んだことがなかったのですが、この方はなかなか心の内的なぶっちゃけ話を沢山されていて面白かったです)
私はそれを読んで、これは私の話と近いな、と思いました。私も自分の中でも勝手に想像の世界が広がっていったという点で。
心の中に想像(妄想)のストーリーが勝手に出来上がっていくこと。その想像は長い間心の中にあって、勝手に広がり成長していくこと。それは心の避難所なのか、自分だけの楽しみなのかはわかりませんが、そういうことをやっている人が自分以外にいるという話を知れて、仲間がいたぞ、と勇気付けられました。
だって、そんな妄想の話する人いないですよね。私も友達とかに絶対しないですし。
私はその心の中で出来上がったストーリーを『太陽のような』という小説の形にしました。
書いているときは気付きませんでしたが、後から読み返してみると、自分の中で消化されていなかった想いや癖みたいなものがストーリーの局所に現れていたようにも思いました。それで、読まれるのが恥ずかしいと思ったり、いたたまれないような感覚に苛まれたのかもしれません。
人の無意識領域の底に沈んで思い出せない、原形をとどめていない、イメージの世界に溶け込んでしまった何か。象徴のような種のような何か。その何かをストーリーという形で掘り起こして言語化すると、こんなストーリーができた。みたいな感じ……。ちょっと上手く言えませんが。
でも、書いたことの意義はちゃんとありました。不思議なことに、小説という表現で内側から外に出したからなのか、私の中で『太陽のような』のストーリーが再生されることは無くなりました。
これは、自分の中の囚われていた何かから、前に進めたのだと前向きに解釈しておきます。
ちなみに、『太陽のような』は私の書いた小説の中で一番の長編で、一番読まれていました。しかし、改訂版にして出せるかどうかはやっぱり未定です。
ちょっと今回は深層心理のような話になりました。
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