第7話 迷いと恐れ

 昼、病室。


 レムには珍しく、昼食後もあたりをぶらつかないで個室のベッドの上に座っている。

 机の上には通信端末を置いていた。


(約束の時間だな……)


 見立て通り、まもなくして着信があった。通信端末が振動して机の上でがたがたと音を立てる。


 正直なところ、レムはこの通話に気乗りしなかった。

 話してみても、誰も幸せにならないことがわかっていたからだ。

 

 それでも約束は約束。反故にはできない。

 レムは観念して通信端末に手を伸ばし、通話を受ける。


「こんにちは、ハイランド」


 ハイランドからだった。


 レムが入院してからは、ハイランドはレムの専属を一旦離れてプロダクション内の別のタレントのマネージャーを務めていた。

 しかし担当でなくなったというわけではなく、将来的な復帰を見越して入院後も連絡を取っている。

 

「こんにちは。すみません、他の打ち合わせで少し遅れました」

「大丈夫よ」


 レムは「どうせ暇だし」と付け加えようとしてやめた。

 嫌味に聞こえるかもしれないと思ったからだ。


「調子はどうです」

「たぶん悪くない、と思う」


 実際のところ、入院前のようなひどい頭痛は随分引いていた。

 少なくとも、薬が効いている間は気にならない。

 ひと月に及ぶ診察と検査で、脳の病変部は順調に小さくなっていると医師にも言われている。


 レムがそういった客観的な現状を説明すると、ハイランドは納得したように頷く。


「それであればやはり、復帰計画を立てましょう。具体的に動くのは手術が終わって退院の見通しが立ってからになると思いますが、計画を立てるのは早ければ早いほどいい」


 ハイランドの口調に熱気がこもる。


 彼は基本的には冷静で理知的な男だが、結果主義の世界に生きる者らしく、自分の仕事を成功させることには強い意欲を持っていた。

 そして、ハイランドはレムのパルスオペラ歌手としての能力に自分とプロダクションの将来を賭けていた。

 レムが長期入院を余儀なくされても、担当を外れなかったのもそれが理由だった。


 レムもハイランドの意欲を買い、信用してタッグを組んできた。少なくとも、入院まではそれでうまくいっていた。

 だが今はその熱い意欲が、どうにもうっとうしく思えて仕方がなかった。


「復帰発表と一緒にコンサートを発表すれば注目も集まります。それに会場も……」

「ハイランド」


 レムはついに聞いていられなくなり、口を挟む。

 ハイランドの自分への期待がわかっているからこそ、余計苦しい。


「ごめん、私……復帰したくない」

「え……」


 ハイランドにしてみればまさに衝撃、青天の霹靂。

 パルスオペラに全てを賭けてきたレムを見守ってきたからこそ、レムの口からそのような言葉が飛び出してくるなど思ってもみなかった。


 そして続く沈黙。

 ハイランドは何を言っていいかわからず、発するべき言葉を探しかねているようだった。


「全く想像できないの。復帰して、コンサートホールに立ってる自分が」

「……きっと大丈夫です、弱気になっているだけですよ」

「いいえ。うまく言えないけど、気持ちとか、そう言う問題じゃない。歌う意味がわからなくなったっていうか……」


 レム自身も混乱していて、考えに整理が付けられずにいた。

 歯切れの悪い言葉を並べることしかできないのがもどかしい。


 今までであれば、レムにとっては自分の持てる力を尽くして名声を得て、自分の価値を証明することが至上の命題だった。

 だが今は、その前提が揺らいでいた。


 この世界のルールに則って、自分の存在価値を示すことが全てなのか。

 自分のパルスオペラに、いかほどの意味があるのか。

 確かだと信じてきたものを、手放しで信じることができなくなってしまった。


 レムの心の内に、ルミネの姿が浮かぶ。

 この世界から全く価値がないものと見放され、その埒外で生きるしかないルミネ。

 彼女が理不尽な運命に晒されてもなお堂々と生きていることを思うと、途端に自分がちっぽけなものに思えてくる。


「でも……」


 ハイランドはなおも食い下がろうとした。

 だが、ついに続けて口にすべき言葉は見つからなかった。

 尋常ならざるレムの心境、そして今の自分には現状をどうにもできないことを悟ったようだった。


「……この話をするのは早かったかもしれませんね。もうちょっと病気が良くなってからにしましょう」

「うん。ごめん、せっかく時間作ってくれたのに」

「仕方ないですよ、今は療養に集中しましょう。症状が改善すれば気も晴れるかもしれないですし」

「わかった」

「何かできることがあったら、いつでも連絡を寄越してくださいね」

「うん」


 ハイランドは「それでは」と軽く挨拶をして、通話を切る。

 通話が終わると、後には静寂ばかりがレムの個室に広がった。

 

 通話を早く切り上げたのは、ハイランドが気を利かせてくれたからだ。

 レムの思うハイランドの一番良いところは、担当のアーティストにあれこれ自分の考えを押し付けたり、無理やり何かをさせたりはしないところだった。


 閉じたカーテンの隙間から、外の様子を伺う。

 寒候期も終わり春に差し掛かる季節だが、ここしばらく続いている曇り空からはその気配は窺い知れない。


 レムは午後から嵐の予報が出ているから外で散歩はしないようにと看護師から釘を刺されているのを思い出した。


 ハイランドが置いていった魔道具ケースは入院以来ずっと、ベッドの下で埃をかぶっている。

 医師からもそろそろ手術の時期を考えてもいい頃だと言われていたが、レムはそれも先延ばしにしていた。


 無論、ずっとこのままでいい、と思っているわけではない。

 

 どこに向かって歩いていけばいいのか、わからないのだ。

 どうしようもなく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る