第3話 浪川なひまりちゃんと痛々しく改稿された俺

 我らが母校『軍魔帝国立ハイケープ・ハイスクール』通称『ハイハイ』は活気のある市街地から一つの川を隔てた奥地にその校舎を構えている。

 何とも可愛らし気で元気あり気な略称とは裏腹にガチ目の文武両道を掲げていて、生徒たちもそれを体現するような存在ばかりだ。

 当然例外もいるが。――ん?黒影ちゃん、何故俺の方を見るんだ?おいおい、俺は成績優秀品行方正運動神経抜群のエリートって設定があるだろ?それを忘れてもらっちゃあ困る。


「......ひぃくんって病気なの?」


の、な。と言うか、勝手に俺のノーパソを覗いて読み上げるな。消すぞ?」


「ククク、デイリーノルマ達成。報酬はひぃくんの怖い顔~」


 誰もいない静かな朝の部室。

 教室にしては少し狭めだが、一人と影無き影のコンビだけでは場に満ちる静寂を払拭するには少々力不足だった。

 時間にして丁度七時半。朝練の学生らの気だるげそうな声が窓辺から湿った空気と共に聞こえてきた。


「ねぇ、それよりもさ、一区切りまで書いたらその物語をワタシに見せてよ」


「ん?いいよ。俺と黒影ちゃんの日々の苛烈を極めたバトルシーンもたくさん書いてあるから、読み応えは保証するぜ」


 当然今まで物理的にも概念的にもこの存在とバトルをしたことはない。するメリットもきっかけもないから当然だ。その方が俺も楽。


「ククク、いつかひぃくんと戦う日が来るときは、どうやってひぃくんはワタシを凌辱してくれるのだろう」


「なんで俺がムフフな方法で黒影ちゃんを倒そうとするんだ?そしたら余計名残惜しくて倒せなくなっちゃうだろ」


 別に常に求めていないが、定期的に金曜のようなふわふわをもふっとされたら俺は気づかぬ間に黒影ちゃんの傀儡になってしまうだろう。

 だからといって、俺は己の欲望をこの世界に反映させようとはしない。

 確かに俺以外の全員がケモ耳と尻尾を生やした美少女の楽園世界に憧れがないと言えば嘘になる。絶対楽しいに決まってる。

 だが、この世界に不可解な影の観測者がいる限りむやみやたらと改稿するわけにもいかない。

 実際、中学生の時に少し助平なことをしようとしたときに黒影ちゃんは俺の前に姿を現した。

 黒影ちゃんがいなければ今頃この世界はキャッキャウフフなパラダイス・ワールドになっていただろう。


「まぁ、ワタシはいつかまた欲望のまま世界を創っては壊してを繰り返すひぃくんを見てみたいけどなぁ」


「はぁ。それよりも俺はどの行動が黒影ちゃんの地雷に当たるのかを日々怯えながら過ごしてるんだ。だけども現状何もしてこないんだったらこのまま俺の野望を突き進めていく。文句はないな?」


 黒い影は頷くことも返事をすることもなく、満面の笑みを浮かべて静かに俺の方を向いていた。

 満面の笑みになるといよいよ顔が見えなくなる。不気味さ120%だ。まぁ、一応この存在をどうにかする方法は考えてはあるが。


「というか、今日のひぃくんどこか改稿されてない?」


 心当たりはあった。

 だがあえてそれに抵抗することなく過ごしている。


「されてるんだけど、まぁいいかなって思ってる」


「ふーん。ワタシは文脈異常共イレギュラーズがひぃくんのことをいじれるようにするのは反対だけどなぁ。だってひぃくんが更におかしくなっちゃうかもしれないし」


 さすがにそうなる前に何とか手を打つが、メインヒロインが物語を紡いでいくうえで必要な改稿だと考えたものであれば俺はその意思を尊重して受け入れるつもりだ。

 おそらく、今の俺に及んでいる影響も改稿者が目的の結末に辿り着くうえでいい効果があるかもしれないと思ってやっていることなのだろう。


「まぁ、更におかしくなったときは黒影ちゃんが教えてくれ」


「ククク、ワタシにその手段を委ねていいの?まぁ、ひぃくんが怒らない程度に済ませるけどね」


 そういう脅しのようなことを言ってくれている間が逆に安心できるものだ。

 すると黒影ちゃんは何かに気づいたように扉の外を見た。


「――それで、どうやら来たみたいだけど」


 すると黒い影が指さす方向、コツ、コツと乾いた足音が廊下に響いていた。

 音の鳴らし手は明らかにこちらへと近づいていた。


「誰だろう?――あっ」


「ククク、ついに始まったね」




【――瞬間。『設定』が、書き換わった】




《――エピソード・コランの、本格始動だ――》




――――――




「失礼します。――あれ、古谷先輩だけでしたか」


「あぁ、おはよう。ひまりちゃん」


「おはようございます」


 そう言ってボブヘアの女生徒はぺこりと頭を下げた。


 一人だけしかいない空き教室の扉を開けたのは、他の誰でもない、――『ひまり』だった。

 その手には一枚のファイルとそれに挟まれた紙があった。


「あいにく、君の優秀なお姉さんは教室に行っててね」


「優秀って、はは。そうでしたか。あっ、これを」


 そう言って浪川妹は俺に入部届を渡してきた。

 紙にはしっかりと学籍とフルネーム、そして浪川の朱印が押されていた。


「確かに受け取った。それにしても、随分と朝早くから来てくれたんだね」


「はい。お姉ちゃんから古谷先輩が部室にいると連絡をくれたので来ちゃいました。えへへ」


 確か俺がこの部室の鍵を開けたのは七時前だったので距離的に考えてこの時間に辿り着けないこともないだろう。

 それにしても仲のいい姉妹であること。まぁ、俺と妹との絆の前では太刀打ちできないだろうが。


「よし、これで今日から君は誇り高きハイハイ漫研部の一員だ。よろしくな」


「はい。誇り高き、ですね。ふふっ、よろしくお願いします」


 こうして、浪川の改稿によって橘は浪川なひまりちゃんとなって我が漫画研究部の一員となった。

 容姿は据え置きのまま、自身の存在の設定がいじられたことにも気づかず天使のような笑顔を朝から俺に振りまいてくれた。

 しかし、ぽらんな方の浪川とは違ってひまりちゃんはなんと言うか、どこか浪川とは対極の存在のようにも見えた。

 二人とも最高の美少女であることに変わりないが、ひまりちゃんは可愛い系で、浪川は美人さん。

 髪形も対極で、髪色もひまりちゃんの方が断然明るい色をしていた。

 それにひまりちゃんの方が浪川よりも......いや、何でもない。人それぞれの魅力があるからノーコメントで。


「それで、ホームルームまで時間があるけどひまりちゃんはどうする?」


「そうですね......。せっかくなので、古谷先輩の絵を見てみたいです」


 果たして、屈託のないお日様のような笑顔を前に断れる男はいるのだろうか。いや、いたら俺が改稿してやる。これは私欲による行為判定にはならない、その世界の方が平和だからだ。断じて、これは私欲によるものではない。


「実は持ってきたんだ。ほら」


 そう言って僕は大きめのスポーツリュックから液タブを取り出した。

 教科書なんかのそれより遥かに大きく重たい俺の相棒は、去年の春に買ったものだった。

 買ったときは、家族からは急にどうしてというような顔をされた。


「あっ、私が使っているメーカーと同じですね」


「そうなんか?まぁ、ちょっと待っててくれ。今PCと接続するから」


 リュックから複雑に絡まった配線を取り出して、HDMIを差して、タイプCに差して、地面に転がっているたこ足に電源を差して、ソフトを起動して、おっと、その前にPCの画面をどうにかしないと。

 危うく初対面からいきなり痛々しい小説を見せつけてしまうところだった。危ない危ない。


「えーと、確か......。お、あったあった。じゃじゃーん」


 ひまりちゃんに見せられるイラストだけを厳選したフォルダをお絵描きソフトにドラックアンドドロップ。

 するとしばらくのロードの末、レイヤー情報がびっしりと表示されたイラストが液タブに映った。


「おおっ、これが古谷先輩のイラスト......」


「よければ好きに見てくれ。マウスとキーボードはここにあるから」


 机の上にはワイヤレスのマウスとキーボードを置いていた。

 するとひまりちゃんはコロコロとマウスホイールを転がして拡大縮小をしてみたり、スペースバーに指を置いて移動させてみたりと、こなれた手つきで操作しだした。


「......すごい、一枚のイラストにつきレイヤー数が100を超えてる」


「はは、これは俺の変な癖だ。粘土をこねるように上から納得いくまで色やエフェクトを重ねて塗っているんだ。だから時間もかかるし、イラストごとに雰囲気が全然違う」


 一般的なイラストの作り方の基本は、まず大まかな構図を決めるためにラフという下描きを描き、その後次第に形を決めて線画というイラストの骨組みとなる線を描いていく。そしてようやく塗りの作業に入っていろいろやって完成だ。

 俺の場合、いろいろやっての工程でとてつもない寄り道をするため、一つのイラストを仕上げるのに最低でも二日はかかってしまう。

 イラストというのは、速く描けるようになるとまた別のことにも挑戦してみようとなるため、結局描き上がる時間というのはそれほど変わらないのだ。

 まぁ、これはあくまでも俺の場合の話。天才については例外で、人によってもそれぞれだ。


「それでも素敵だと思います。特に背景が色鮮やかですね。......それにしても、どのイラストにも描かれているこの女の子は誰なのですか?」


 ひまりちゃんが指摘するように、どのイラストにも決まって一人の少女が描かれていた。

 薄ベージュのショートヘアに、透き通った泉のような青い瞳。

 着ている服や色味は違えど、ほとんど同じような見た目をしていた。


「あぁ、それはね......。変な話、俺もよくわからないんだ」


「そうなのですか?ということは、元となったキャラクターもいないオリキャラってことですか?」


 少し首を縦に振るのを躊躇ったが、とりあえず首肯してみせた。


「まぁ、そんなところだ。気づいたら彼女を描いているんだ。まぁ、俗に言う『うちの子』みたいなもんだと思ってくれ」


「そうなんですね。ふふっ、この子に名前とかってついていたりしますか?」


 名前。そう言えばこの少女に名前を付けていなかった。

 俺の中ではいつも少女と呼んでいたので特に考えたこともなかった。


「そうだな......。ちょっと待って、今つける」


「えっ、今から付けるのですか?」


「あぁ。えーと、確か俺が初めてこの少女を描いたのが......」


 スマホの画像フォルダを勢いよくスクロールして起源を辿る。

 液タブを買う前はひたすら紙にシャーペンで描いていた。

 落書きは一切せず、全て全身全霊を以って描いていたのでほとんどの作品を写真に収めていた。


「あった。二年前の十二月だ」


 正確には一年と約五か月前なのだが、画面にはシャーペンで描かれた少女の横顔のイラストがあった。

 荒削りな修正のため何度も消しゴムで消した跡が残っていたが、それでも確かに今の少女と判別できるイラストだ。

 それにしても、久しぶりにこれを見た。


「なぁ、十二月の誕生石って何だっけ?ひまりちゃん知ってる?」


 困ったときは誕生石や誕生花。

 中二の時に培ったこの発想はなかなかに汎用性の高いものだった。


「十二月、ですか......。えーと、ちょっと待って下さいね。あっ、ありました。えーと、トルコ石と、ラピスラズリと、――タンザナイト?へぇ、初めて聞く鉱石だ」


 ひまりちゃんは薄ノロな俺とは違ってすぐにスマホで調べてくれた。

 俺も次いで調べてみたが、そこには確かにひまりちゃんが詠みあげてくれた鉱石の名前があった。


「なるほど。ラピスラズリって九月と十二月の誕生石だったのか。てっきり九月だけかと思っていた」


「古谷先輩の誕生日って、九月なのですか?」


「ああ。かのエリザベス一世と同じ誕生日の九月×日だ。実に誇らしい」


 そう、かのエリザベス一世と同じなのだ。なんと光栄なのだろう。

 ――え、もしかして有名じゃない?

 ひまりちゃんがすっごい反応に困ったような表情をしている。

 仕方ないじゃん、だって俺と同じ誕生日の偉人を調べてもパッと目につく人がいなかったんだもん。


「コホン。それで、誕生石が......タンザナイトってなんだ?」


「あまり聞き馴染のない鉱石ですよね」


 俺とひまりちゃんは揃ってタンザナイトについて調べた。

 検索のサジェストには『タンザナイト 誕生石』と出るあたりどうやら正真正銘の誕生石のようだ。ウィキにもそう書いてある。


「へぇ、こんな見た目か。。ん?よく見たらこの色って......」


「イラストの女の子の瞳の色と似てますね」


 まるで示し合わせたかのように、少女の瞳の色とタンザナイトの青紫色はほぼ一致していた。

 若干イラストの少女の方が明るい色をしているが。どこか、運命を感じたような気がした。


「なるほど、石言葉は『知性』、『神秘』、『希望』か」


「素敵ですね。この女の子にぴったりな気がします」


 俺の思い描いていた少女の性格とは少し違うような気もしたが、どこかそんな雰囲気も纏わせられるような見た目で少女を描いていた。

 本当はもっと天真爛漫な太陽少女をイメージしていたが、これはこれでありだ。


「にしてもタンザナイトか。うーん、少女の名前として付けるには少し微妙だな。タンザちゃん?いや、タンザナちゃん?いや、なんか違うなぁ」


 もっとこう、すっと馴染むような感じがいい。

 タンザナ、男としてだったらかっこいいかもしれない。何だか長き眠りから解き放たれた柱の男に出てきそうな名前だ。

 だが儚げな少女につけるには少し違うと俺の心が訴えかけていた。


「......へぇ、タンザナイトって別名『灰簾かいれん石』とも言うんだ」


 ひまりちゃんは悩んでいる俺をよそに、ウィキの画面を見てそう呟いた。


 ――瞬間、稲妻が落ちるようにインスピレーションがバアァァァァンッと湧き上がった。


「......ありがとう、ひまりちゃん」


「えっ?あ、はい。どういたしまして?えへへ」


 またしても何も知らない浪川ひまりが、可愛く困ってしまった顔を俺に向けた。


 この少女の名前が、ついに、この場を以って、決定した。

 苦節十分にも満たない長丁場?の格闘の末、ようやく辿り着いたこの少女に最も相応しい名前。そう――。


「今日から君の名前は――『カイレン』ちゃんだ!」


 ――そう声高らかに、俺はイラストに映る一人の少女に指を指してそう宣言した。


 カイレン、なんといい響きなのだろうか。

 生まれてきてくれてありがとう。十二月万歳。誕生石万歳。――そして、全ての少女達カイレンちゃんに、おめでとう。


 ――はぁ、今日の俺の心の中はやけに痛々しく騒々しい。あの文脈異常あいつのせいなのだが。


「カイレンちゃん......はい!すごくいい名前だと思います!」


 ひまりちゃんは今度こそ困惑することなく俺に笑顔を見せてくれた。

 こう、人と言うものは純真無垢を至近距離でぶち込まれた場合、そのキャパを超えた感情のやり場をどこにすればいいのかわからなくなるものだ。

 だが、今の俺はこの少女に命名ができたことへの高揚感によってそれどころかではなくなっていた。


「あぁ、何だか新しくカイレンちゃんを描きたくなってきた」


 元から高かったイラストへのモチベがまた一段階ギアを上げたような気がした。あぁそうだ、早くあの変速したら脱輪する自転車を直さないと。


「私も、描いてみてもいいですか?」


「ぜひ、描いてくれ。あ、そうだ。せっかくだから設定画でも作ってみるか」


 放課後にやることが決定した。――そう、俺はこの美少女カイレンの設定を書いて描く。そしてひまりちゃんにも描いてもらう。

 せっかくだ、成長した俺の実力を浪川にも見せてやろう。

 あぁ、学校ってこんなに楽しいものだったのだな。元橘なひまりちゃんにしてくれた浪川、マジでナイス。ありがとう、愛して――親愛をこめて、愛してる。


【――心の声が鬱陶しいと思ったが、俺は『浪川来藍』の改稿に抵抗することなく続けた】


「ふふっ、古谷先輩って意外と愉快な人だったのですね」


 そう言ってひまりちゃんは笑ってみせた。


 ――浪川が俺をこのように改稿した狙いは何なのだろうか。

 妹として設定したひまりちゃんを暖かく向かい入れるためにいつも以上に面白おかしな性格にさせたのか、それとも別の理由があってのことなのか。それはこれからわかっていくことなのだろうが。


 ――騒がしい心をよそに、俺はそのまま続けた。


「ん?あぁ、よく言われる。だからお姉ちゃんが言った根暗のっぽって言うのは半分しか合ってないんだ」


 世の男子たちよ、羨め!俺の身長は185cmだ!ハーッハッハッハ!――まぁ、はっきり言って、現状このことが役に立ったことは一切ないが。漫研にいるし、彼女も自分から作る気はないし。


「確かに、古谷先輩って背が高いですよね。いつも座っていたので気づきませんでした」


 まるでその言い方だと俺がいつも机の主としてこの部室に君臨しているような感じになっちまう。


「ほら、こんな俺の数少ない取柄でもあるんだ」


 何を途中まで話していたか忘れてしまったのでとりあえずその場で立ってみた。


「わっ、本当だ。いくつあるんですか?」


「......86だ」


 1cmだけ盛った。


「えーっ!?たかぁい......」


 そうそうこれこれ、この反応。

 俺はこの女子から背が高いねと言われた時にしか得られない栄養分で生きていると言っても過言ではない存在なのだ。

 このために俺は中学校を卒業するまで毎日十時半までには寝ていたし、好き嫌いもなくモリモリ野菜を食べてきた。


「つっても、俺には彼女はいないし、運動部に所属しているわけでもない。完全に宝の持ち腐れさ」


「......そうなのですか?古谷先輩は、十分その恩恵を受けているとは思いますけど」


「......そうなのか?」


 あれ、もしかして俺って俗に言う鈍感系ってやつ?


「少なくとも、私は古谷先輩は素敵な人だと思いますよ。あ、当然恋愛感情抜きでの評価ですよ」


「......知ってる」


 なんか、こう、あれだ。知ってたさ、別に。別に、こう言われたからって気にしているわけではない。誰だって、全ての人に好かれることはできないんだ。

 俺の妹だってそうだ。テレビに出ている今が旬のイケメン俳優を見て反吐を出している。

 人それぞれにそれぞれの好みあり。十人十色って言うだろ。うん。


「まぁ、俺は今からでも作業に取り掛かるよ。まだホームルームまでは少し時間があるし」


「あ、私も隣で見てていいですか?」


「あぁ、いいよ」


 ひまりちゃんはそう言って椅子を僕の隣へと移動させて隣へと座ってきた。

 ふわりと、浪川と同じシャンプーの匂いがしたような気がした。


「それじゃあまずは服から決めていくぞ!」


「はい。頑張ってください!」


 こうして俺と浪川妹の二人、時間も忘れて作業に夢中になってホームルームまでの時間を潰した。

 だが何事もやり過ぎはよくないらしく、俺とひまりちゃんは揃いも揃って初日から遅刻しそうになった。

 上級生になるにつれて教室が上の階になる仕組み、誰が作ったんだよ。すぞ?





――――――





「――ってことで、ようこそハイハイ漫研部へ!」


 クラッカーはないが、気持ちが盛大で音は控えめな拍手を美少女に。

 俺と浪川はひまりちゃんの入部を祝して部室で歓迎会を行うことにした。

 掛け声を言ったのはもちろん俺。自分の妹にようこそだなんて他人行儀みたいなことできないという、なんとも徹底したお姉ちゃんっぷりを浪川は俺に見せつけていた。


「えへへ、ありがとう。お姉ちゃん、古谷先輩」


 もう浪川先輩ではない、お姉ちゃんなのだ。

 その変化に俺は未だ適応できていないかもしれない。――何故ならそう、二人は全然似てないからだ!


「それにしても古谷ってそんなにテンション高かったっけ?」


「ん?お前の妹が入部したんだから、盛大に祝ってやらないとだろ」


 ――あなたが俺をこんな風にしたんですよ。

 それはともかく、今の俺は以前の頃の俺と比べて素のテンションが高いのは確かだ。

 何故なら件の文脈異常共イレギュラーズの計画を思いついてから毎日を過ごすのが楽しみになったからだ。誰だって、生きるモチベがあるときはテンションが上がるものだろ?


「まぁいいや。それで、今日は新入部員の勧誘はしなくていいの?」


「別に先週もしてないようなものだったろ。まぁ、とにかく今はひまりちゃんの入部を祝してパーティーでもしようぜ」


 そう言って、教師に見かけられると顔の花弁を変化させて何かを訴えてくるほどの量のお菓子を机の上に広げた。

 俺は気の利く男なので、なるべく手が汚れないものを選んで買ってきた。


「まぁ、来るも来ないも時の運ってことか。じゃあ私はこれー」


「私はこれかな」


 浪川姉はしょっぱい系、浪川妹は甘い系のお菓子を手に取った。

 ここら辺からもう違いが出ているとは。だがそれもまたいいのかもしれない。ここまで明確だと逆に面白いまである。

 俺はもちろんしょっぱいのも甘いのも全部取った。どちらか迷ったらどっちも取るかどっちも取らないかを選ぶのが俺の生き方だ。


「俺、ジュースはあんま好きじゃないからウーロン茶しか買ってきてないけどいいよな?」


「うん。そっちの方がさっぱりしてるからいいや」


 トクトクトクと、俺は気の利く男なので、皆の分も注いだ。これからこのくだりをあと二回ほどやるつもりだ。

 注ぎ終えるとそれぞれ言葉は違えど感謝の意を俺に示した。


「そんじゃ、かんぱーいっ」


「「かんぱーい」」


 こうして俺ら新生ハイハイ漫研部は紙コップを交わしてその活動の第一歩を踏み出したのだった。

 お菓子と飲み物を嗜む程度の活動ですら、この部活にとっては十分すぎるくらいの活動なのだ。

 他の部活の実態は知らん。よそはよそ、うちはうち。

 先輩たちが残していった崇高なるスタンスを、俺ら残された部員は後世まで語り継ぐつもりでいた。

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