だい 3 話 - わるいゆめ

「■■。■■■■」

 その声は、耳元への囁きであり、大衆のどよめきでした。女性であり男性、子どもであり老人、希望であり絶望を感じさせる声色をしていたのです。

 そんな形の定まらない恐怖の中にあっても確かに感じとれたこと。

 それは。

 ということでした。

「近づくな、ワヘイ。昨日の声とまったくちがう」

「わ、わかった。ならさ、一回かえろうか、ここ、こわくなってきたしさ」

 ふたりが後ずさり、振り向いて去ろうとした、その時。

「あっ」

 ワヘイの短い足に、硬く、まるでミミズのようにうごめくツタが絡みつきました。

「ワヘイ! 」

「と、とれないっ……! 」

「このっ! 」

 サクイは急いでツタを噛みきりましたが、第二、第三……無数のツタが矢継ぎ早に伸びてきます。ツタは穴の中から現れていました。

「■■■。■■■■」

「ワヘイ逃げるぞ! 走れ! 」

「え、あ」

 先に出口へ走っていたサクイは振り返ります。

 身がすくんだワヘイと、目が合いました。

 ワヘイは身がすくみ、完全に硬直していたのです。

「――ならいま助ける! 」

 きびすを返したサクイ。ワヘイから強引にリュックを奪い、軽くなったワヘイの首根っこを掴んで、入口へ向かって「えい! 」と投げます。

 その隙を見逃してはくれず、サクイの両腕には容赦なくツタが絡んできました。

「くそっ、この……! 」

 嚙みきろうにも歯は届きません。

 入口で尻もちをつくワヘイも、ただ呆然とその光景を見つめていました。

「はなせ、はなせよっ! にげろワヘイ! はやく! ぶん殴るぞ! 」

 殴るぞ、と言う言葉もワヘイには届きません。彼はサクイに殴られたことがないのですから。

「■■。■■。■■」

 わらい声が、洞穴に反響して何度も鼓膜を揺さぶります。ふたりは耳を塞ぎたい思いで頭がいっぱいになり、体も強張り、心が萎みました。

 サクイはジリジリと穴へと引きずられていきます。岩盤に足の爪を立てて抵抗しますが、ツタの力にはかないません。

「■■。■■■■」

「サクイ……! ねぇだれか、だれかいませんか! 助けて! 」

 助けを呼びますが、動物の返事一つありません。

「あぁっ、ちくしょう、ちくしょうッ! 」

 サクイの声と体は穴の紫へと消え、穴もまた、水が渦巻いて栓の中へ吸われていくように、空間から跡形もなく消失しました。ツタは千切られ、生気を失ったように地面に伸びます。


 *


 残ったのは、力なく立ち尽くすワヘイだけ。

 彼はやっとのことで、喉に詰まった恐怖を吐き出します。

「こ、ここ、これは、ゆ、ユメかね、あ、はは、は」

 ショックのあまり口角が不自然にあがり、引きつった顔のまま帰路へ。

 いつも通りのカラスの鳴き声。

 川のせせらぎ。

 鹿や、イノシシが駆ける音も、いつもと何ら変わりません。

 暗い家。

 ランプをつけても、何も用意されていない食卓。

 ワヘイは何も口にせず冷たい布団にもぐります。

 この悪い夢が覚めて、次に目をあけたとき。

 サクイがいつも通り、隣にいてくれるのだと信じながら。

「こんなユメでないてたら、サクイにわらわれちゃうさ。今日はなかないもん」

 ワヘイはそう言って、浅い、浅い眠りについたのでした。





――次回へ続きます。

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