5
頬に何かが触れる感覚がして目を覚ました。どうやら寝落ちしてしまったようだ。目を向けると目を開けた美玲が微笑んでいた。女神か?
「ごめんね、起こした?」
「いや…。」
どれくらい眠っていたんだろうか。最後の記憶の段階で部屋はすでに明るくなっていた。美玲を抱き締め直すとまた少し眠気が襲ってきて瞼を閉じる。
「寝てない?」
「なんか寝たくなくて。」
ゆっくりと目を開けると美玲が微笑んだまままた泣いていた。
「…また泣いてる。」
「なんでだろ。」
そう笑う美玲は嘘つきだ。俺の感情の機微に鋭い美玲だ。自分の感情にそこまで疎いはずがない。けれどもう追及しない。もう、この時間も終わりが近い。
「健くん。」
「ん。」
「ありがとう。」
「……何も、できてないよ。」
美玲は首を横に振った。
「私ね、睡眠薬なしじゃ眠れなかったの。でもこの1年間で、鬱になって以来初めて睡眠薬なしで眠れたの。それがどれだけすごいか分かる?」
「俺のおかげ?」
「うん。健くんといると安心して眠れたの。」
「狡い、このタイミングで。」
「ごめんね。でもやっぱり、言いたくなっちゃった。」
ボロボロ泣きながら言うからすでに腫れ上がった目がさらに腫れて大変なことになりそうだ。
「あとね、私、狡いの。」
「知ってる。」
「健くんが私のこと好きなの、最初から知ってた。」
「え。」
「初めてシた日に言ってたよ。」
「…嘘。」
ということは何か。始めから俺の気持ちはとっくに美玲にバレていて、美玲もそれを知っていたってことか? …この1年間の努力は何だったんだと少し馬鹿馬鹿しくなる。美玲は困ったように笑った。
「健くん隠すつもりあったの?」
何度目かになるその言葉に軽く頭を抱える。そんなに分かりやすいか? 俺…。
「私、そんな健くんの気持ちを知ってて利用してたの。狡いでしょ?」
そう言って美玲は俺の腕から抜け出してベッドの縁に腰掛けた。
「健くんは分かってないみたいだけど、健くんに甘えてばっかりでたくさん助けてもらったから。いい加減、1人で立たないとね。」
こちらを振り返った美玲の笑顔は何か吹っ切れたようで清々しかった。
「そろそろ、帰ろうかな。」
そう言って立ち上がった。脱ぎ捨てられた服を順番に身に纏っていく姿は何度見ても煽情的だ。けれどそれも最後だと思うと酷く虚しい。
「歯ブラシとか私の物、持って帰って処分してもいいかな。」
「…うん。」
洗面所からは美玲の歯ブラシとクレンジング、ヘアアイロンなんかが消えた。隙をついて鞄の奥底に美玲の誕生日にと購入したピアスを放り込んだ。きっと家まで気付かないだろう。
「じゃあ…長らくお世話になりました。」
荷物をまとめ、玄関で美玲が振り返って微笑む。本当にこれで最後なんだろうか。
「美玲。…もう、俺にチャンスない?」
美玲は困った顔で笑った。
「……いつになるか分からないけど、もし、待っていてもらえたなら…そのときは、彼女にしてくれる?」
そんな風に笑うからまた泣きそうだ。この魔性の女はどこまでも狡い。そしてそんな美玲が堪らなく愛おしい。
「無理。一生手放さないから、戻ってくるならそのつもりで戻ってきて。」
「ふふ。」
美玲を抱き締めると改めてその華奢さを身に沁みて感じる。抱き締め返してくるその腕も心許ない。こんな小さな体で1人で無理に立たなくたっていいのに。俺が側にいるのに。
「…ありがとう。俺、美玲がいたからこの1年挫けず頑張れた。」
「よかった。」
あんまり嬉しそうに言うものだから抱き締める腕にさらに力を込める。美玲が潰れてしまうんじゃないかというくらい目一杯抱き締めてもそれでも足りない。
「本当にありがとう。ずっと好き。大好き。」
「…ありがとう。」
少し離れて一度だけキスをした。
「それじゃ、行くね。」
「ん。…いってらっしゃい。」
「…いってきます。」
美玲は俺の頬を一撫ですると部屋を出て行った。
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