6
夜の街に飛び出すと吐息が白くなった。時計を見ると頑張ればギリギリ終電に間に合う時間だ。
「終電ギリギリだ。」
「じゃあ走ろ!」
「え。」
無邪気に笑った美玲が俺の手を取って走り出した。夜の繁華街の灯りとその無邪気さがあまりにアンバランスで可笑しくなってしまう。つられて手を引かれるまま夜の街を駆け抜ける。地下通路に降りて、それでも止まらずに足を動かす。迷路のような地下街は人がまばらだった。やっと俺たちが足を止めたのは地下鉄のホームドアにたどり着いてからだった。
「はー! 間に合った!」
「まだ5分あるよ、超余裕。」
「久しぶりにこんな走った!」
互いに肩で息をしながら顔を見合わせて笑った。学生か。そんな風に思いながらも、結局こういう馬鹿馬鹿しいのが1番楽しいんだなんて思ってしまう。
「んふふ、ドラマみたいだったね。」
「いつのドラマだよ。」
「10年くらい前じゃない?」
定刻より少し遅れてきた電車に乗り込んで、混雑する車内で当然のように美玲の腰を抱き寄せた。すると珍しく美玲が腕から逃れようとする。
「あっつい。」
「ダメ。」
睦に触られたばかりだし金曜日の終電なんて治安が悪いに決まっている。これ以上美玲に何かあっては俺の方が無理だ。走ったばかりで俺も暑いが俺の精神衛生のためにも耐えてもらわねば。美玲は諦めると俺の胸に頭を預けて目を閉じた。
帰宅後一緒に風呂に入ってベッドに傾れ込んだ。美玲と話がしたくて一回戦を終えて休憩を挟む。といっても美玲の方はすでにグッタリしていた。
「本当に辞めるの?」
腕の中に閉じ込めた美玲の髪を撫でながら尋ねる。
「うん。」
「なんで。」
顔を上げた美玲と目が合った。美玲はふっと吹き出すと優しく笑った。
「次の4月から専門学校に行くの。」
想定外の言葉に目を瞬かせる。
「…専門学校?」
「うん、今年の4月は間に合わなくて。だから1年間限定で働くのに派遣社員を選んだの。元々1年しか在籍できないから。」
「そっか…。何の専門学校行くの?」
「歌。」
そう言われてしっくりきたような気がする。今日のカラオケがなければ丸っきり意外だったのだろうが、あんなのを聞いてしまった後では納得だ。
「健くんたちが嫌なんじゃないよ。」
だからそんな拗ねた顔しないで、と言われてまた目を瞬かせた。確かに美玲に辞めて欲しくないけれど、そんなに顔に出ていただろうか。
「歌手になるの?」
「上手くいけば。一回ちゃんと勉強してみたいなぁって思って。」
「そっか。いいね。」
「うん。」
そう頷く美玲の表情は晴れやかでワクワクしているのがよく分かった。そんな美玲を見ているとこちらまで嬉しくなってしまう。好きな人の幸せは喜ばしいものだ。けれどその後に美玲が口にした言葉で俺は地の底に落とされる。
「だから、健くんとの関係もそれまで。」
「……え。」
「もう3ヶ月くらい、かな。」
「ちょっと待って、なんでそうなるの。」
美玲の顔を覗き込むと、美玲は真っ直ぐに俺を見上げた。
「ずっと、最初から決めてたの。」
「なんで。別にセフレくらいいたって…。」
「健くん、その頃には28とかだよ?」
「だから?」
「婚期逃すよ。」
そう笑って頬を撫でられる。結婚願望がなくなったと言っていたのはそういうことか。専門学校を卒業する頃美玲は31歳だ。そこから生活していけるか分からない世界に足を踏み入れようとしている。だから全部捨てるんだ。
「男は別に婚期なんて関係ない。」
「私に構ってたら出会い逃しちゃうよ。」
「っ……。」
美玲がいるからいい。美玲が結婚してくれればいい。そう言ってしまいたかったけれど残り3ヶ月と言わずに今すぐ拒絶されてしまうのが怖くて言葉に詰まる。
「スキャンダルの芽はない方がいいでしょ?」
極め付けにそう言われて俺は何も言えなくなってしまった。
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