5

「美玲さん本当に3月末で辞めちゃうんですか?」

「もう少しだけお世話になりますね。」

「もう少しと言わずずっとお世話しますよ。」



ニコリと笑った睦が美玲の手を取る。睦が醸し出す雰囲気も相まって、そこだけホストに見えてしまう。



「間に合ってます。」



美玲が笑って言うも、睦も負けじと笑って言う。



「俺甘やかすの上手だし、結構優良物件だと思うんだけどなぁ。」



なんて美玲の両頬に手を添えて言う。それはもう同僚の域を越えていて、俺の美玲への感情を抜きにしても完全にやりすぎだ。声をかけようとしたその時、美玲が睦の手を振り払った。



「私の番だ!」



綺麗な笑顔で睦に笑いかけてマイクを手に取る。あの笑顔を俺は知っている。拒絶の笑顔だ。睦はそれに気付いているのか無視しているのか、特に気にした様子もなく美玲が歌う様子を隣で眺め始めた。

まただ。美玲が歌い始めた瞬間一気に美玲の世界に引き摺り込まれたかのような感覚になる。そしてまた、視線が絡まる。好きだとかそんな恋愛描写の場面ばかりだ。明らかに狙っている。それはもう岡本の反応で裏付けが取れた。俺はこの想いを抱えていくだけだ。だが美玲の考えていることがあまりにも分からない。拒絶されない限り美玲の気持ちは分からないままでも問題ない。けれどそれは気にならないという意味ではないのだ。歌い終えたかと思うと美玲はカップを片手に席を立った。その後を睦がついて行く。2人が部屋を出た瞬間に灰田が寄って来る。



「黒田、アンタあれどうすんのよ。」

「どうって…。」



先程岡本にも言ったばかりだが、俺たちは別に付き合っているわけではない。皆の面前で堂々とできることは限られているのだ。その時だった。勢い良く扉が開いたかと思うと、怒った岡本が睦の首根っこを掴んでいた。



「離せよ岡本!」

「いい加減にしろこの酔っ払い!」



岡本は乱暴に睦を部屋に投げ込んで仁王立ちした。何事かと騒がしくなる室内を見渡して、岡本は俺を見つけると俺のネクタイを引っ掴んだ。



「玉寄さんが! アイツにセクハラされかけてたから! 後お願いします!」



岡本が先輩である睦を睨み付けて牽制する。状況が飲み込み切れていなかったが、その場を灰田に任せて部屋を飛び出した。美玲はドリンクバーカウンターの前で膝を抱えてしゃがみ込んでいた。目の前にしゃがみ込んで声をかける。



「美玲。」

「健、くん。」



顔を上げた美玲の瞳は微かに潤んでいた。考えるよりも先に体が動いていた。美玲を抱き締めると美玲が擦り寄ってくる。



「睦に何かされた?」

「抱き締められただけ…。」

「他は? 手とかほっぺ触られてたけど、他は触られてない?」

「うん…。」



ギュッと抱き締め直して美玲の両腕を摩る。



「大丈夫。岡本が今頃吊るし首にしてる。」

「物騒だけどそれがいい…。」



正直意外だ。前に電話でセクハラをされたときはケロッとしていたし、慣れているとも言っていた。それがここまで弱るとは。いや、美玲には悪いがその方がいい。俺には可愛くて大事な女の子なのだ。相手が誰であれ内容が何であれ、嫌なものは嫌でいいのだ。頭を撫でていると、美玲がポツリと呟いた。



「健くん、抜けよ。」

「え。」

「えっちしよ。」

「ん゛っ。」



思わず咳払いをする。こんなに直接的に誘って来る美玲は珍しい。



「美玲さん。公共の場所です。」

「健くんもずっと私のこと美玲って呼んでる。」

「それとこれとは違くない?」



美玲は俺のネクタイを掴むとそのまま引き寄せた。唇が重なる。ただ触れるだけのキスだというのに、あまりに甘美なキスだった。皆に見られる危険性があるせいだろうか。



「その気になった?」

「元々その気でした。」



今度はこちらからキスをして、美玲の手を取って立ち上がった。荷物を取りに部屋に戻るとすっかり酔いが冷めたらしい睦が正座して灰田の説教を食らっていた。ざまーみろ。灰田に美玲と抜けると伝えると、代金は睦に出させると言うので一旦そのままカラオケを出た。

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