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高すぎず低すぎない綺麗な声だった。出だしは声が掠れたり消えがちになるもののように思うが、出だしで美玲が歌い始めた瞬間一気に美玲の世界に引き摺り込まれたかのようだった。
「うまっ…。」
思わずといった風に誰かが言った。本当に上手い。その姿勢でどうやってその声量を出しているんだ。本当に美玲が歌っているのかと思ってしまう程上手い。音程が外れないことはもちろん、こぶしもビブラート使っていて技術的にも上手いということが素人でも分かるレベルだ。美玲は驚いて視線が釘付けになっている俺に気が付くと、一瞬ニヤリと笑った。ゾクリと鳥肌が立つ。知っている。この感覚は未知への好奇心と自分に向けられた視線への興奮だ。
美玲はやがてチラチラとこちらに視線を寄越すようになった。ファンサか? と呑気に笑っていた俺は歌詞を聞いてそれどころではいられなくなる。
「♩ 君が好きなんだ--」
「♩ ずっと側にいて--」
そんな言葉のタイミングで俺に視線を寄越す。とんだ魔性の女だ。そのたびいちいち俺がしっかり反応するのを見てはほくそ笑む。どういうつもりだ。
曲が終わると盛大な拍手と称賛の声で大盛り上がりだった。灰田はまた美玲用にと曲を入れるのだが、美玲の番までまだ少し時間がある。俺は飲み物を取ってこようと部屋を抜け出した。厳密には美玲の隣から、である。
「ヤバかったな!」
大興奮の海野が後からやって来て俺の肩をバシバシと叩く。どうやらできあがっているようだ。
「玉寄さん超歌上手いし、何よりあの視線ヤバくね!? 皆画面見ててあんま気付いてなさそうだったけど、俺やられたらヤバいわ〜!」
「奥さんに怒られるぞ。」
「浮気はしねぇし。」
実際ヤバかった。歌詞だと分かっているのに美玲が俺の目を見てその言葉を紡いでいると思うと、自分に向けられた言葉なのではと錯覚してしまいそうになる。おまけにあの上手さだ。まるで2人だけの世界にいるかのような気分になってしまう。
「俺頭冷やしてから戻る…。」
「効果抜群かよ!」
海野はけらけら笑いながら戻って行った。入れ違いにやって来たのは岡本だ。岡本の方は海野と打って変わって不機嫌そうだ。
「黒田さんと玉寄さんって、何なんですか?」
随分と唐突である。そう問われると困ってしまうのが本音だが、こういった場合の返答は美玲と打ち合わせ済みだ。
「上司と派遣社員だけど。」
そう、俺たちは同僚ですらないのだ。
「嘘です!」
「嘘ったって…付き合ってないし…。」
「あんな雰囲気出しておいて! クリスマスも2人で帰るし!」
痛いところを突く。けれど本当に付き合っていないし、どちらかが想いを伝えたわけでもない。
「じゃあトモダチ。」
「友達…。」
「そ。仲良しなの。」
これは嘘ではない。俺たちは同僚ではなく、恋人同士でもない。けれど友人でもない。オトモダチなのだ。正式な関係名称はソフレだかセフレだか、そんなんだ。
真意を察してか知らずか、岡本はやはり顔を顰めた。納得いかないと顔がよく喋る。
「…黒田さんにはどう見えてるか知らないですけど、私結構本気なんですけど。」
「止めとくのをオススメする。」
「何でですか。」
「すっごく好きな人がいる。」
知ってると思うけどとは敢えて言わなかった。俺には慰めなんていらないのだ。俺はただこの気持ちを抱えて生きるだけだ。岡本はジワジワと悔しそうに顔を歪める。泣き出す前みたいだ。
「黒田さんの片想いだと思ったのにっ…。何なのあの魔性っぷり…狡い…!」
「否定しないけど前半部分は余計なお世話だよ。」
「私、当分ウェルカムなので!」
岡本は急に頭を下げたかと思うとそのままトイレへと行ってしまった。補充した飲み物を片手に部屋に戻ると、先程まで俺が座っていた席は睦に奪われていた。
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