3

事件が起きたのは金曜日の忘年会だった。部長は乾杯の音頭のために仕事納めを労った後、爆弾を落とした。



「え〜。この場を借りての発表なんだが、玉寄くん。」

「はい。」



部長に手招かれた美玲が部長の隣に立つ。部長は手を美玲の方に向けて言った。



「派遣社員で来てくださっている玉寄さんだが、今回の更新を最後に3月末で我が社を離れることになった。」



青天の霹靂。寝耳に水。足元が崩れるよう。頭を鈍器で殴られたかのよう。目の前が真っ暗になる。

そんな言葉をたくさん並べても足りない程の衝撃。隣の海野までもが「おい…」と小声で声をかけてくる。



「残り3ヶ月、お願いします。」

「こちらこそお願いします。」

「交流できるせっかくの機会だ、楽しんでくれ。」



そう言って部長は「乾杯」と音頭をとった。その後のことはあまり覚えていない。珍しく酔ったんだと思う。気付けば美玲を壁際の席に押し込んでその隣をキープしていたし、テーブルの下ではちゃっかりその小さい手を握り締めていた。



「美玲さんどうしていなくなるんですか…!」

「桃ちゃん早いよ! まだ3月までいるよ。」



そう笑う美玲の存在がひどく遠く感じる。手を握っているのだから、間違いなく近くにいるはずなのに。手持ち無沙汰で目の前のジョッキに口をつけるも中身はすでに空だった。新しいものを頼もうとすると、それを美玲に制止される。



「黒田さん、食べてないのに飲み過ぎです。酔ってるでしょ。」

「仕事納めたんだからたまにはいいでしょ。」

「もう、誰が面倒見るんですか。」

「海野。」

「振るな。奥さん以外は介抱しねぇ。」

「あら、アンタ意外と良いこと言うじゃない。」

「灰田さんったら今頃気付いたんすか? 俺こう見えて一途なんで。」



繰り広げられる会話に美玲が気を取られている隙に新しいものを注文した。バレて美玲に少し怒られたが、この程度で潰れる俺ではない。むしろチェイサーを挟まずにずっと飲んでいる美玲の方が心配である。しかし桃原を介抱していた美玲を思い出し、問題ないだろうと放置したのがいけなかったのかもしれない。

珍しく二次会のカラオケに参加するという美玲について行くことにした。いつもなら一次会で切り上げて俺の家に帰るところだが、まぁたまにはいいだろう。一次会同様に壁際の席に押し込めた美玲の隣をキープして、皆が変わる変わる歌う姿を眺めた。



「美玲ちゃんも歌いなさい!」



灰田が遠くから美玲に声をかける。そういえば美玲とカラオケに来るのは初めてだ。俺は基本歌わないのでそもそも来ないが、美玲が歌っている姿には興味がある。そういえば美玲が歌っているのを聞いたこともない。鼻歌程度はたまに聞いたことがあるような気がするが、あまり覚えていない。それというのも俺が音楽に興味がないせいだろう。



「灰田さん適当に入れてください〜!」



周りのボリュームに負けじと声を少し張り上げた美玲に笑みが溢れる。お局にこんなことを気軽に言うのは美玲くらいのものだろう。灰田は隣の桃原とあれやこれやと悩んで曲を予約した。それは昔……といっても10年程前に流行った曲だ。携帯のCMソングにも起用されて大ヒットし、少なくとも当時中学生以上だった人間には馴染みのあるラブソングだ。俺ですら分かるのだから世間の認知度はかなりのものだ。



「はい!」



笑顔の灰田からマイクを受け取り、そのまま隣の美玲に向ける。しかし一向にマイクを手に取る様子はない。やがて曲の前奏が始まってしまったので困って美玲にマイクを突きつけると、美玲は小声で言った。



「持ってて。」

「は。」



困惑する俺を他所に美玲はマイクと口の位置を調整した。俺はマイクスタンドか。そんな突っ込みは美玲が歌い始めた途端にどこかへ吹き飛んでしまった。

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