第4話 友情愛情クロッシング

「で?」

 タカシが下履きに履き替える俺を待ち構えて、ひと言短く聞いてきた。当然、それだけでは何の事を聞いているのか分からなかった。

「何が?」

 その日の午後、緊急職員会議のため、授業は午前中で終わり、生徒たちは校舎から出された。まだ日が高い午後一時半、俺たちは一斉に下校している。

「さっきの本だよ。送ってきたって」

 校門を抜けて歩いている俺のカバンを、タカシがポンポンと二回軽く叩いて言った。ボロボロになった俺の本をタカシに貸そうとしたところ、マキが自分の持っている「オリ夏」をタカシに貸す事になり、俺の本はカバンの中に入ったままになっている。

「ああ。昨日な」

「オレさぁ、憶えてんだよなぁ。もし風船を拾った人から返事が来たら何を書いたか教える、そう言ってただろ?」

 そんな事言っただろうか。言われてみたら言ったような気もする。

「それ、私も聞きたいな」

 マキが突然後ろか追い抜いて来て、俺の方を振り返って言った。

 両手を後ろに組んで、後ろ歩きしながら微笑む姿に、いつか見たドラマのシーンが重なった。

「なんでマキまで聞きたがるんだよ」

「良いじゃない、別に。それに、ちょっとは恩を感じてもらっても良いと思うけど?」

 そう言われると、反論のしようがない。

 それに、メッセージカードに何を書いたかなんて、今考えればなんて事ない内容だ。

「早く大人になりたい」

「何?」

「え?」

 二人とも聞こえなかったのだろうか。揃って首を傾げている。俺は立ち止まり、二人も立ち止まるのを待ってからもう一度ゆっくりと言った。

「早く大人になりたいって書いたんだよ」

 今度はちゃんと聞こえたようだが、二人とも揃いも揃って、目をぱちくりしている。

「それで、なんで本が送られてくるんだ?」

「そうそう、なんでだろう? 手紙もあったんでしょ? 手紙、見てみたいけど……さすがに手紙は見せられないか」

 森川さんからの手紙も、カバンの中には入っている。本当は誰かに見て欲しくてたまらなかった。自慢したかった。でも、あからさまに見せたのでは、嫌味なヤツと思われそうだったから、誰にも手紙の事は話さなかったのだが……。

「誰にも話さないって約束するなら……」

 俺はそう白々しく言って、カバンの中から手紙を取り、途中で奪おうとして伸びてきたタカシの手をかいくぐり、マキに手渡した。

「え? 読んでいいの?」

「別に良いよ。ラブレターってわけじゃないし、最初の手紙だ。当たり障りのない事しか書いてねえよ」

 マキは、四方から伸びてくるタカシの手を、身体の向きを変えて背中で受け、封筒から便箋を抜き出し読み始めた。

 完全に歩く足を止め、手紙に集中する。タカシも、マキの肩越しに覗き見ていた。

 時折マキがうるさそうに、ハエを払うような動作で手を振ってタカシを追い払う。

 それでもタカシはマキの肩に顎を乗せる勢いで、執拗に食いついていた。

 こいつらって、こんなに仲良かっただろうか?

「ふーん、凄く綺麗な字を書く人なんだね。同じ年だとは思えないわ」

「そうだな。でもマキの字だって綺麗じゃねえか」

 タカシのその言葉に、マキはタカシを睨みつけた。

「シーッ! シーッ!」

 やはり俺が二日間休んでる間に何かあったに違いない。なんだか面白くなかった。

「はい、読んだら返してくれよ、ご両人」

 何気ないひと言だったが、振り向いたマキが、そのままの勢いで俺の膝に回し蹴りをした。

「カケルはうるさい!」

 カケルって……いきなり呼び捨てかよ。

「はい、ありがとう。凄く良いコそう。でも、本送ってくるってきっと大変よ? 私なんて、新刊の本買うの一年に二冊が良いトコ。文庫本ならまだしも、ね。お金持ちの子なのかなあ」

「いてて……。うん、それなあ。昨日のうちに返事書いて、手紙出そうとしたんだけど、婆ちゃんがさ、本貰っといて、手紙だけじゃ申し訳ないって」

 俺はマキに蹴られた左膝を、全く痛くはなかったが、大げさにさすりながら手紙を受け取り、カバンにしまった。

「例によって夏ミカンをひと箱。『岐阜じゃあ夏ミカンなんて無いだろうからねえ』って……。さすがに無い事はねえよなあ?」

「いや、分かんねえぞ。あったとしても、あんな酸っぱくてたいして美味くないもん、わざわざ買わねえだろ。なあ、マキ」

「ええ? 私夏ミカン好きだよ」

 そう言ったマキと目が合った時、妙にマキは照れた風で、すぐに前を向くと早足で歩きだしてタカシを追い抜いた。

「でもさ。何となく分かるな」

 マキは先を歩きながら、振り返らずにそう言った。

「何が?」

「大人になる事と、本を読む事のつながりっていうか、関係っていうか。別に私が他の子より本読んでるから大人ってわけじゃないけど。どう言ったらいいのかな……」

 多分今までの俺なら、マキの言っている事のこれっぽちも理解できなかったはずだ。でも今なら分かる。分かる気がした。俺も歩く速度を上げ、マキのすぐ後ろに追いつく。

「世界が広がる?」

 俺の声が届いて振り返ったマキの顔は、驚きと喜びを足したような不思議な表情だった。

「そう! それだよ、それ! なんか嬉しい。カケル君とこんな風に本の話ができるなんて思わなかった。私も森川さんに感謝だよ」

 あ、君付けに戻った。

 なんなんだろうね、よく分かんない奴だ。

 マキとは、席が隣同士だった時はよく話した。元々話しやすい性格だったし、何より話してて楽しかった。ただ、何しろすぐに泣く。俺はすぐに泣く女子が苦手だった。

 それなのに、今日の一件で急に距離が近くなったような気がする。

 そしてなにより、マキとタカシが異様に仲良くなった気がしてならない。

「なあ」

「ねえ」

 言葉が重なった。

「先言えよ、レディーファースト」

「うん、オリ夏どうだったのかな、って」

 俺は一瞬だけ考えてひと言返した。

「面白かったよ」

 俺のその答えに、マキはあからさまに不満げだった。

「はあ? それだけ?」

「仕方ねえだろ、上手くいえねえよ。面白かったのは間違いないんだから」

 言葉になんかできなかった。昨日感想を書いたはずの手紙の内容すら、自分でも全く思い出せなかった。

「まぁ、初めて小説なんて読んだ俺でも面白かったんだから、タカシだって面白いって……」

 言いながら振り返ると、すぐ後ろにいると思っていたタカシは、二十メートルも後ろをトボトボのんびりと歩いて来ていた。

「チッ、なんだよアイツ」

「で? カケル君はなんて言いかけてたの?」

「あ? うん、お前たちってさ、ひょっとして付き合ってんのか?」

「お前たちって?」

「お前とタカシだよ。なんかさっきから見てて、お似合いだなって思ってよ」

 マキの肩を叩いてそう言った俺にとっては、本当に軽いひと言だった。

 なのに、目の前のマキは、今にも零れ落ちそうなくらい目に涙を溜めていた。

 マズい。これは本当にマズい。

「いや、ほら、冗談だよ、冗談。仲良いからさ、なんか、な?」

 謝っても逆効果なのだろうか。そもそも何がそんなに嫌だったのか分からないまま謝るのも効果は無いのかもしれない。でも、とにかく謝るしかなかった。

 マジですぐ泣く女子は苦手だ。

「悪かったって。ごめん! ほんとごめん!」

 俺の精一杯の謝罪に返ってきたのは、水平にフルスイングで振り回された、教科書で重くなったマキのカバンだった。


 なんでこんな事になったのかな。

 俺はマキの部屋に所在なく座っている。

 マキが持ってきたオレンジジュースの入っているグラスが、俺が「客」である事を強く主張している。

「ゴメンね。キレて当たるなんてカケル君みたいな事しちゃった」

 マキも照れくさいのか、冗談交じりにそう言って謝った。

 まだ二時過ぎだ。マキの親は共働きで二人ともいない。

 女子の部屋に上がるなんて人生で初めての経験だ。それがまだマキだからそれほど緊張はしなかったが、彼女もそれは同じだろうか。

「ほんとだよ。腕が思いっきり青くなってる。まだ押したら痛えよ」

 マキが出してくれた保冷剤を、タオルで巻いて腕に押し当てている。

 正直痛みは押さない限りない。冷やしても効果があるとは思えない。それでも何をして良いかわからない空間に居て、腕を冷やし続けるという行動が、何かの助けになっている気がした。

 マキの部屋の本棚には、ぎっしりと本が並べられていた。漫画ではない本ばかりだ。

 マキが俺の視線に気づいたのか、両膝を付いたまま本棚の方へズズッと移動して、一冊の文庫本を手にした。そして、表紙を一度自分で確かめるように見ると、その本を俺によこした。

「これは?」

「白畑千恵子の『悪魔隠し』」

「ホラー?」

 表紙には、学校の制服を着た若い男女が手を繋ぎ、背中を向けて並んで立っている絵が描いてある。

「ホラーではないかな。別に怖い話じゃないし。不思議な感じの話だけど。神隠しってあるじゃない? あれの悪魔版」

「分かるようでわかんねえ説明だな。何がどう悪魔版なんだよ」

「それ言っちゃったらネタバレになっちゃうもん」

 俺はじっと見つめてくるマキの視線を避けるように、その「悪魔隠し」をパラパラとめくって、読むでもなく眺めた。裏表紙には、物語のあらすじが書いてある。

 ――突如として始まった悪魔隠し。中世の時より悪魔に対峙してきたヴォイド家の血を受け継ぐ男、天馬。彼に深く関わる者からその餌食になってゆく。悪魔の狙いに気付いた天馬は、自らの呪われた運命に嘆きながらも強大な敵に立ち向かう。

「深く関わる者? 家族とかか?」

「ううん。天馬に家族はいないよ。仲の良い友達から順番に居なくなるの。……カケル君ってさ、タカシ君と一番仲良いよね。他には誰と仲良いの?」

 本の裏表紙から顔を上げると、マキの顔が思いのほか近くにあってドキリとした。

「ん? ああ、タクマとか、あの辺……かな。でも休みの日にまで遊んだりはしてねえかな」

「そっかあ。……ねえ、女子では? 仲良い友達とかいる?」

 女子の友達か。正直、俺は女子と絡むのは面倒くさくいと思っていた。女子そのものが面倒なわけじゃなく、すぐに冷やかすような奴らがいるからだ。

 健全な男子なりに好きというか、かわいいと思うコはいる。でもそれだけだ。

 森川さんはどうなのだろうか……。まだ顔も見た事ない相手が脳裏に浮かんで、俺は苦笑した。

「別にいないよ。友達って言えるのはマキぐらいじゃないか?」

 マキは一瞬困った顔を見せた……ような気がした。しかしそれは一瞬だった。

「へえ、そうなんだ。喜んでいいのかな、それ」

「さあ。ただ、喜んでもらえたら、俺は嬉しいかもな」

 何気に出てきたその言葉に、俺自身が驚いた。と同時に、急に照れくさくなった。耳が赤くなってくるのが自分でもすぐに分かる。

「これ、借りても良いのか?」

 今出した声、おかしくなかったか?

 自分の声が、高いのか、低いのか。今まで普通はどんな声で喋っていたのか。自分でも分からなくなるくらいには動揺していた。

「うん、いいよ。持って帰って」

 一方でマキは今までと変わらない。その平静さに俺の中に突如湧いた熱気も次第に冷め始めていた。

 もう限界だと思った。

 これ以上ここに居たら、自分でも思いもよらない言葉が口をついて出てきそうで、俺は逃げるように立ち上がった。

「ありがとうな。腕ももう全然痛くないから」

「え、もう帰るの? バスの時間までまだあるよ?」

「いい。バス停で待つよ」

 そう言ってマキの家を出たが、マキもまた家を出てついてきた。

「バスが来るまで付き合う」

 バス停はマキの家から歩いて一分もかからない。

 断る理由もなく、俺はただ頷いてバス停のベンチに座った。

 当然のようにマキも握りこぶし一個分のスペースだけ開けて隣に座り、足を前に伸ばしてぶらぶらとさせていた。

 こんな事なら、まだ部屋にいた方が良かったかもしれない。

 こんな所にいたら、誰に見られるかもわからない。それを明日冷やかされでもしたら面倒だ。

 そう思ったが、同時に誰かに見られたいと願っている自分もいる事に気が付いた。

「マキは?」

「なに?」

「仲のいい友達」

「ああ、その話か。また急に話戻るんだね」

 マキはそう言ってケラケラと笑った。

「悪いな。頭ン中で考えてたから、自分の中では急でもなかったんだよ」

「うん、そうだと思った」

 マキはそう言って笑うと、青い空に一筋走る飛行機雲を眺めていた。

「……そうだな。ミサだよねやっぱり。近所だし、親同士も仲良いし。でも、ミサから見たらどうだろう。私が一番って思ってくれてるか分かんないや」

「へえ。女子って仲良くしてても本音出さないイメージあるもんな。男子では? やっぱタカシ?」

 タカシって名前を聞いて、マキは俺を睨んだが、ふざけてそうしているのは口元にできたエクボで分かった。

「タカシ君と話し始めたのはつい最近。カケル君がエスケープしてからだよ」

「はあ? 俺が原因なの?」

「そうだよ。私のせいでもう学校来なくなるんじゃないかって……。だからタカシ君に相談したの」

 そういう事だったのか。でも……。

「なんでマキのせいになるんだよ。逆なら分かるぜ? 俺みたいなのがクラスにいるせいで、マキが学校に行きたがらなくなるって言うんなら」

「そんなの絶対ない! あ、……ごめん」

 突然語気が荒くなったマキに、少し驚いた。

「カケル君が、すぐに泣く女子を嫌っていたの知ってるから……。だからあのくらいで泣いちゃった私にイラついて出て行っちゃったのかなって」

 そんな事考えていたのか。それなら見当違いも甚だしい。

「ねえよ、そんな事」

「うん、大丈夫。今はちゃんと分かってるから」

「お、そうか? それじゃあ間違いなくマキが女子の友達ではナンバーワンだな」

 どことなく沈んだ空気をはねのけたくて、明るく言ったつもりだったが、マキは下を向いてそれ以上口を開こうとしなかった。

 数分の沈黙の後に、遠くからバスが近づいてくる音が聞こえた。

「バス来たな。じゃあまた明日。本、帰ってからすぐ読むよ。今日は時間がたっぷりあるし」

「うん。でも、テストも近いから無理して早く読まなくても良いよ。返してもらうのはいつでも良いし。それと、もうさぼっちゃダメだよ? カケル君がいるのといないのとでは、クラスの雰囲気全然違うんだから」

「そうなの? 自分がいない時のクラスなんて見た事ないから分かんねぇや。当たり前だけど」

 そこにバスがやってきたので、二人とも同時に立ち上がった。

 明るい太陽の下で、マキの明るい髪がサラッと舞った。

「じゃあ。ジュースご馳走さん」

「うん。また」

 俺はガラガラのバスに乗り込むと一番後ろの席の窓際に座り、バス停で手を振っているマキに手を振り返した。


 その日、マキから借りた「悪魔隠し」を早速最後まで読んだ。

 仲のいい友達から失っていった主人公が、友達として言葉を交わした事もない、遠くから見ていただけの女子と恋に落ちる。だが、彼女こそが悪魔だった。最後に主人公は苦悩しながらも彼女を葬り、友達を救う事を選ぶ悲しい物語だった。

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