第29話

「おい!」

 我慢していた怒りが、少しだけ溢れる。

 僕は声を荒げると、取り巻きの男子を押しのけて、三宅大河の前に立った。

 くしゃくしゃにしたコピーを投げつけ、息を吸い込んでから言う。

「頼むよ…、これ以上、構わないでくれ」

 泣きそうになりながらそう訴えても、彼はへらっと笑うだけだった。

「なんで? お前、朝言ってたじゃん。『別人』だって。だったら、別にいいだろ。オレは別人が特集された週刊誌を持ってきて楽しんでいるんだから」

「くだらない嘘つくなよ。完全に僕の揚げ足をとりに来ているだろ」

 一歩近づく。

「なあ、頼むよ、僕は普通に生きたいだけなんだ。邪魔しないでくれ…」

「いや、邪魔しているのはそっちだろ?」

 三宅が笑うのをやめて言った。

 彼は週刊誌を閉じて机に置くと、周りを指した。

「お前の存在がさ、この学校で普通に生きたいと思う生徒たちに、どれだけ影響を与えているのかわかっているのか?」

「それは…、お前らの意識の問題じゃないか」

「みんな、お前の存在に恐怖しているんだよ。だって、二十六人を殺した殺人鬼のクローンだもんな。怖いに決まっている」

「最初から言っているじゃないか、僕は殺人鬼じゃないし、傷つけるつもりなんて無い」

「傷つけるつもりはなくても、怖いものは怖いんだよ」

 ため息をつく三宅。

「お前、いい加減気づけよ」

 偽善者の声。

「早く、自分の存在が邪魔だって気づいて、この学校から出て行けよ」

 周りの男子が笑う。

 調子に乗った彼は唾を散らしながら続ける。

「じゃあ、はっきり言うよ。お前は、オレのやることなすことが気に入らないみたいだけど、これは、善意なんだよ。オレが、このクラスのみんなを守るために、お前を追い出すために、やっているんだよ。お前もさ、自分が殺人鬼じゃない善人だって言うなら、空気を察してさっさと消えろよな」

「やだよ…」

 首を横に振る。

「僕は、普通に勉強をしたいだけだ」

「あっそ」

 次の瞬間、三宅大河が座ったまま足を振り上げ、僕の腹を蹴った。

 突然だったために防ぐことができず、そのまま転げる。顔を上げた瞬間、鼻先を蹴り上げられた。

 ガチンッ! と頭蓋骨の中に嫌な音が響く。視界が赤く染まったかと思うと、鼻血が床に滴った。

 僕は顔を上げて彼を睨む。

「何するんだよ…!」

 三宅は両腕を広げた。

「ほら、やり返せよ。殺人鬼らしく」

 その言葉に、一瞬は拳を振り上げたが、すぐに止めた。まだ冷静な思考があったのだ。

「…やらない」

 身構えた三宅大河は鼻で笑った。

「なんだよ、腰抜け。殺人鬼らしく殴れよ」

「殴らない…」

 必死に、静江さんとの約束を思い出す。

「暴力は振るわないって、決めているんだ…」

「なんだよ、面白くねえな」

 彼はつまらなそうに床を蹴った。

 わかっている。こいつらとは分かり合えない。いつまでたっても、僕を「殺人鬼」と見なして、拒否し続ける。もう終わりだ。

 僕は鼻を擦った。

「これだけは…言わせてほしい。僕が今まで、誰かを攻撃したことがあったか? 僕は普通に高校生活を送りたい…。普通に勉強して知識を付けて、大学に行って、それなりのところに就職して…、三食食べられるような暮らしを送りたいだけなんだ…」

「殺人鬼がなんか言ってら」

 彼は天井を仰いで笑った。

「その顔で、幸せな生活が送れると思ったか?」

「確かに、僕の顔は幸田宗也のものと同じだ…。でも、中身は違うって知っていてほしい。僕は…、君たちと友達になりたかった…」

 そう絞り出した瞬間、また、腹を蹴られた。吐きそうになりながら床に転がる。頭上からは、僕を取り囲む者たちの下品な声が降ってきた。

「殺人鬼と友達なんて御免だわ。あ、でも、嫌な奴がいたら、代わりに殺してもらおうかな? おい殺人鬼、四組の斎藤殺して来いよ。首落として持ってこい」

 三宅は笑いながらそう言った。

 口の中に鉄の味が広がる。

「…くそ」

 こいつらに正義の心は無い。ただ単に、うっぷん晴らしがしたいだけ。「殺人鬼」のレッテルを貼られた僕を打ちのめすことで、気持ちよくなりたいだけ…。

「あ、そう言えばお前、里親がいるんだってな」

 三宅大河はそう言うと、鞄の中から週刊誌を取り出した。古い装丁だが、今朝のものとは違う。だけど、組まれた特集は、あの殺人鬼について。

 三宅は鼻で笑うと、声高々に、それを読み上げた。

「『尼崎翔太と、赤波夏帆によって作成されたクローンは、木漏れ日の烏のメンバーだった篠宮静江によって引き取られた。世間からは、殺人鬼と同じ思想の人間に育てられないか、不安の声が上がっている』って」

 倒れている僕の腹の上に、それを書いていた週刊誌が投げつけられた。

「お前の里親って、幸田宗也のこと好きだったんだろ? だったら、お前のことを幸田宗也と同じように育てるに決まっているだろ」

「…違う」

 倒れたまま僕は否定した。

「静江さんは、そんなふうに僕を育てなかった…」

 あの人は、僕を篠宮青葉として育ててくれた。あの人は、僕の母親だった。

 ゆっくりと身体を起こす。雑誌が床に落ちる。

「だから、そんなこと、言わないでくれ…」

 声に力を込めた時、一瞬、意識が途切れた。

 身体の力が抜けて、顔面から床に倒れ込む。それと同時に、周りから歓声が上がった。

 すぐに覚醒した僕は、床に手をついて身体を起こした。

 鼻から血が滴る。床を汚している。

「ああ…」

 走馬灯と呼ぶには大袈裟だろうか? ぼんやりとした視界に、昔の記憶が蘇る。

「………」

 小学校に入学した頃のこと。

 義務教育だから、先生たちは僕の入学を拒むことはできなかった。だが、幸田宗也のクローンが入学したことは、生徒の保護者の間で大問題となった。「殺人鬼のクローンだから、きっと狂暴に違いない」「うちの子が心配だ」「うちの子とクラスを分けてくれ」「退学させてくれ」…、そんな無理難題を抱いた我が子可愛い親たちが、入学前から学校に押し寄せた。

 幸い、校長は理解のある人で、彼らを諭してくれた。「彼はきっと、そんな子供ではありません」って。

 これで終わればよかった。でも、あいつらは、これで納得するような連中ではなかった。

 校長に話が通じないと分かると、あいつらは、里親の静江さんを攻撃するようになった。参観日になると、僕の様子を見に来た彼女を、厭味ったらしく糾弾した。

 どれだけ酷いことを言われても、静江さんは意に介さなかった。にこにこと笑って「可愛い私の子供です」と返していた。でも、家では泣いていた。

 子育て歴七年にも満たない馬鹿親どもの攻撃は続いた。

 次第にエスカレートしていき、家の塀に張り紙をされ、生卵を投げつけられ、そして、ついに家の扉を叩くまでになった。

 彼らは静江さんに訴えた。「殺人鬼と同じ学校に行かせるなんて怖い」「うちの子の勉強を邪魔している」「あなたがこの町を出て行けば、すべて丸く収まる」と。

 静江さんは気丈に対応した。凛とした声だった。

「青葉くんは殺人鬼ではありません。彼が今まで、あなた達の子供に攻撃をしたことがありますか? 無いでしょう?」

 その時、ある親が「殺人鬼に生きる場所なんて無いでしょ!」と、声をあげた。そして、静江さんを突き飛ばしたんだ。僕の養育費を稼ぐための激務で弱っていた彼女は、床に倒れ込んだ。凄く嫌な音がしたんだ。

 それを見て、僕は怒ってしまった。「何するんだよ!」と叫び、静江さんの制止も聞かず、小学一年生の小さな身体で、十人はいる親たちに襲い掛かっていた。親たちは、蜘蛛の子を散らすみたいに帰っていった。

 後は想像通りだ。「彼はやはり、殺人鬼だった」という噂が町に出回り、僕たちは引っ越しを余儀なくされた。

 移動のバスの中で、静江さんは泣きながら、僕に言った。

「いい? もう一度言うよ? どれだけ馬鹿にされても、殺人鬼って呼ばれても、暴力を振るっちゃダメだよ。暴力は、殺人鬼の証明になっちゃうからね」

 僕を、抱きしめてくれた。

「君の名前は、篠宮青葉。私の大切な子供」

 この約束だけは、必死になって守っていた。

 守っていたつもり、だったんだけどな。

 ごめん…、静江さん…。もう無理だ。もう我慢ならない…。

「…ああ、もう」

 昔のことを思い出した僕は、息を吸い込んで言った。

「お前たちの気持ちはよく分かった」

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