第28話

 どれだけ嫌なことがあっても、学校には行かなければならない。それが、静江さんとの約束で、僕の目標だった。

 寝不足の身体を引きずって学校に向かうと、クラスメイトの視線が変だった。

「よお! 幸田!」

 教室に入るや否や、三宅大河がにこやかに駆け寄ってきた。

 嫌な予感がしたので、僕は彼から目を逸らした。机の横に鞄を引っかけ、中から単語帳を取り出す。なるべく平静を装い、椅子に腰を掛ける。

「おい、無視すんなよ、殺人鬼」

 ぺちっと、痛くない力で頬を叩かれる。思わず、三宅大河の方を振り返っていた。

 彼は笑いながら「これ見ろよ」と、僕に古い雑誌を渡した。

「すげーじゃん、お前有名人だな」

 見ると、それは週刊誌だった。発行されたのは、なんと二十年前。表紙には、時代を感じさせるフォントで、「大量殺人鬼に迫る! 特集八ページ!」とあった。

 開かなくても内容を察した僕は、投げつけるようにして週刊誌を返した。

「何処で手に入れた?」

「今の時代、ネットを探せばいくらでも見つかるんだよ」

 三宅大河はページをパラパラとめくると、特集ページを広げて僕に見せた。

「ほら、ここにお前が載っているぜ?」

 古い紙の匂いが鼻を突く。思わず身を引いたときに見てしまった。長ったらしく書かれた記事の合間に差し込まれた、幸田宗也の顔写真を。

 僕とそっくりな、殺人鬼の顔。

「いやあ、お前凄いなあ! 二十六人も殺したんだろ? なんでここにいるの?」

「安い挑発だな」

 週刊誌を押し返す。

「そこまでして、僕を陥れたいか?」

「いや、事実じゃん」

 彼は悪意を含んだ笑みを浮かべた。

「ここに写っているのは、お前だよ。二十六人を殺した幸田宗也だよ」

「だから…」

「だから、『自分は篠宮青葉だ』ってか? お前と同じ遺伝情報、お前と同じ顔と身体してんのに、別人って言えんのか? 肉体変わったって、罪は消えんよ」

「だから…、くそ、もういい」

 今すぐ殴りたい気持ちを抑えて、立ち上がる。その動作に何を思ったのか、三宅大河はファイティングポーズをとった。

「お! やんのか? 返り討ちにしてやるよ、殺人鬼」

「いや…いい。そんな気はない」

 彼の肩を押しのけると、扉へと歩いていく。周りにいた者たちが、化け物を見たような顔をして道を開けた。通りやすくなったはずなのに、泥が絡みついているかのように歩きにくかった。

 無視だ。無視に限る。

 三宅大河は、僕のことを良く思っていない。それは、「殺人鬼を野放しにしておくわけにはいかない」という正義心などではなく、ただ単に、うっぷん晴らしをしたいだけなんだ。

 手を出したら負けだ。手を出さなければ、僕の勝ちだ。僕は「篠宮青葉」でいられる…。

 それなのに…。

 それなのに三宅大河らは、しつこく僕に付きまとった。

 昼休み、トイレに行くために廊下を歩いていると、柱の傍で三人の女子が話しているのが見えた。彼女たちは、A4ほどの紙を眺めて、「やばいね」「やばいよね」と、楽しそうにしている。それなのに、僕が近づいた途端、顔を引きつらせて、さっとその紙を隠してしまった。

 その時に、見えてしまった。それは、三宅大河が持ってきた週刊誌のコピーだった。

「おい」

 思わず、女子の手首を掴む。

 ぐっと引き寄せ、その手に握られていた紙を見た。案の定、週刊誌のコピーだった。

「これ、何処で手に入れたんだ?」

 普通に聞いたはずだったのに、女子たちは酸欠の金魚みたいに口をぱくつかせた。

「え、あの、それは」

 その歯切れの悪い態度に、イラっとする。

「おい、言えよ。誰にもらった。まあ、どうせ、三宅だろうけど」

「あ、その…」

「返事しろよ。三宅なのか? 三宅じゃないのか?」

 女子たちはカラスが鳴く時みたいに、頭を上下させた。

「それで、お前らは、この紙を見て、楽しそうにしていたわけだ。何が楽しかった? 僕とこの記事のコピーに写っている男が似ているのが、そんなに面白かったか?」

「あ…」

「言えよ。頷くくらいできるだろ」

 そう詰め寄ると、ついに一人の女子が泣き始めてしまった。まるで被害者のように。

 舌打ちをする。

「なんだよ、泣くなよ。聞いただけだろ? お前らって、殺人事件のニュース見て、犯人を糾弾する癖に、いざ本人と対峙したら怖くて何もできなさそうだな。口だけだよな。まあ、そりゃそうか言うだけなら簡単だもんな」

 悪かった。

 そう言って女子を解放した僕は、彼女らが持っていた週刊誌のコピーを握りつぶした。そして、教室に戻った。

 教室に入ると、僕の机に、ペンで「幸田宗也」と書かれていた。

 顔を上げると、端の席に三宅大河が座っていて、その周りを多くの男子が取り囲んでいた。彼らは、あの週刊誌を回し読みして、「おお! すごいな!」とか、「まじで似てるんだな」と言い合っていた。

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