12-1「後門の狼」

松本は茶のコートを羽織り、革靴に靴ベラを差し込んだ。



「あなた!お弁当忘れてる!」



家の奥から聞こえた高い声に、松本は靴ベラを置いて振り返った。お弁当の包みを片手にエプロンの女性、松本まつもと公恵きみえが廊下を小走りで駆けてくる。



「はい。行ってらっしゃい。」



公恵は弁当を両手で丁寧に手渡した。



「おお!すまんすまん!行ってきます!」



松本がドアに手をかけると、廊下に面する部屋の扉が開かれ、目をこするパジャマ姿の少年がよろよろと姿を見せた。



「んー……パパ……?」


「ふふ。」


「ハッハハ!」



愛息のかけるの様子に公恵と生壱しょういちは微笑んだ。



「じゃあ、翔、パパ言ってくるぞ!」






松本は出勤用のバッグを持って住宅街を歩く。まるで普通の会社員のように見える。しかしその胸中は平穏とは程遠い。



(この世界には命をかけなきゃならない仕事ってのがまあまあある。危険な場所、危険な状況、危険な相手。何に命を取られるかはそれぞれ。


俺がかれこれ十年以上所属するPGOも例に漏れない。同僚も先輩も後輩も、居なくなった人は数知れないし、俺も死なないとは約束できない。たとえ守るべき家族がいたとしても。


そんな不確定要素ばかりのパージャーなのに、俺はこんなに幸せな普通の生活を手にしている。毎日思う。自分はとんだ幸せ者だ、と。時にそれが苦しくなるくらいに……



どうして年端もいかないあいつらが苦労しなければならないんだろうな。不条理、不平等、理不尽。

だからこそ、上司として、一人の大人として、俺くらいはあいつらを世界から守れればと願ってしまうな……)



毎朝そんなことを考えながら、松本は「執行局執行部赤 責任者:松本生壱」と書かれた部屋のドアノブに手をかけた。






時計の針がとっくに十二時を回った頃、松本の弁当の箱が開けられた。白ご飯の隣に彩りよく並べられたおかずがお目見えした。日根野ひねのが松本のデスク越しに目をキラキラさせてた。



「わあ!今日も愛妻弁当ですね!美味しそう!」


「本当ですね!うわ、しかもステーキ入り!」



心もデスク越しに話しかけた。



「そういや公恵のやつ、今日はいつもより豪華に作ったとか言ってたな……」



松本が考えるように顎に手をやると、日根野はパンッと手を叩いた。



「あ、それって夫婦の日だからですか?」


「夫婦の日?」



心はぽかんとした。佑心は一連の会話をデスクで仕事しながら、聞き耳を立てた。



「ほら、今日って二月二日だから!ふうふ、ってね!」



日根野は楽しそうに言葉を弾ませたが、佑心には何かが引っかかっていた。






高層ビルの屋上から足をぷらんと垂らし、近未来な白いマスクで顔を覆ったモモの髪が風に揺られている。その後ろには同じくマスク姿のガンが手を後ろに組んでボディーガードよろしく立っている。



「モルから連絡が来ました。神戸でのテロへの世間の関心も薄れ、PGOの特殊執行部は年明けには捜査の手を緩めた、と。」



モモの口角がぐっと上がった。



「イッハッハッハ!ならもうあっちも何も言ってこないだろ?」



モモは片手に持っていたスマホを耳元に持ってきて、楽しそうに舌なめずりした。



「GO……」






裏路地、半月のような文様のマスクをつけたモルは携帯を持つ手を下ろした。そして、左手に持っていた透明な円筒状のカプセルを見つめる。中には青白いゴーストが一体揺らいでいる。

その場でモルはカプセルを地面に落として割った。中のゴーストはゆらゆらと飛び出し、モルはふうっと息を吹きかけた。

すると、ゴーストはゆらゆらと人が多く行き交う表通りにゆっくりと出ていった。






PGO諜報部内に警報が鳴り響き、職員がせわしなく動き回る。



「はい、諜報部です!」



諜報部職員は電話を取って焦った表情を浮かべた。



「憑依体ですか⁉了解しました!」



勢いよく受話器を置いて職員全体に叫んだ。



「相模原署から憑依体出現の報告あり!すぐにパージャーの要請を!」



すると、他のデスクからも声が上がる。



「川口署から憑依体出現の報告あり!」


「え⁉」



また他のデスクが騒ぎ出した。



「千葉署からも報告あり!」


「何っ⁉」


「急いでパージャーを派遣しろ!」



しかし騒ぎはそこでやまなかった。



「何⁉ほぼ同時に各地で廃ビルの爆破騒ぎだと⁉」


「どれも使われていない建造物で、被害者は少ないと思われますが……」


「しかしそれは警察に任せておけば――」


「ダメだ!憑依体出現と同時というのが気にかかる!避難誘導のためにも、PGOから人を出せ!」


「は、はい!」



PGO本部全体にけたたましいサイレンが鳴り響き、一階メインホールには大勢のパージャーが集まりって次々と地上へ上がっていった。エレベーターで上がっていくものもいるが、多くは地上まで続く大きな出口からパージ能力によって上昇していった。

ちょうど訓練中であった佑心、一条、心も急いで階段を下りていく。心がジャケットを羽織りながら、言った。



「赤の派閥は川口市に応援に行くらしいよ!」


「松本さんたちは他のパージャーともう向かってるって!私たちは向こうに着き次第、避難誘導!」


「避難誘導?憑依体はいいのか⁉」



佑心はちょっと驚いて聞いた。



「憑依体は上の階級のパージャーが対処する!幸い爆発による死傷者は確認されてないけど、憑依体との戦闘に巻き込まないためにも周辺の人間を非難させないと……」


「えっ、ちょっと待って!民間人を巻き込んだ爆発じゃないのか⁉」


「うん!狙われたのはどれも廃ビルとか廃校舎だったらしい!」



今度は心が答えた。



「えっ?」



三人は階段を下りきって、メインホールに出たところだったが、佑心は急ぎつつも驚きを隠せなかった。



「本当に被害者はいないのか?」



再び尋ねた佑心に、一条は足を止めてイラついたように振り返った。佑心の胸に指を突き立てて言う。



「だからさっきからそう言ってるでしょ!憑依体が三体同時に出てほとんどのパージャーが駆り出されてるんだから、ごちゃごちゃ言ってないで行くわよ!」



一条は踵を返して人の波に乗ろうとするが、パシッと腕が掴まれた。



「待って!これは囮だ!」


「はあ⁉何の囮だっての?」


「本当のターゲットは別の場所なはず……」



佑心は思案した。



「本当のターゲット……?」



心は心配そうに呟き、気が立っていた一条も困惑した。



「それが朝から何か引っかかってて……」



佑心は思い出せない歯がゆさに唇を噛んだ。そして、日根野と松本の会話がぼんやりと浮かび上がって来た。



「夫婦の日だから!」



なぜか日根野の声がこだまする。そして記憶の底から現れたのは、あの日崇氏の部屋で見つけたチラシ。三人で守霊教の施設に忍び込んだ日。「守霊教被害者家族の会主催 守霊教の不当な勧誘に反対するデモ 二月二日前野駅前」と書かれたチラシ。

佑心はそこではっとした。



「二月二日だ!」


「は⁉それがなんなの⁉」


「前野駅だ!」



佑心はそれだけ言うと、人の流れに逆らって走り出した。



「あ、ちょっ!」


「佑心!」



一条と心の呼び止める声は群衆にかき消された。

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