2-2「覚悟」

佑心は死を覚悟して目をつむったが、ドーンと大きな音がしただけで痛みはこなかった。おそるおそる目を開けると、すぐ目の前で一条が憑依体の腕を両腕で受け止めていた。その両手はピンクの光に包まれていた。



「い、一条さん‼」



一条は唇をかみ、必死にガードした。そしてぎゅっと拳を握り直すと、一気に光が炸裂し、憑依体は後方に吹っ飛んでしまった。



「何やってる⁉早く手伝って!」


「え?で、でもそいつは俺の……!」



既に身も心もボロボロの佑心は一条の後ろでそうどもった。



「これは憑依体よ‼」


「っ!」



立ち上がった憑依体に向かって、一条は両手を構え、行きたく間も無く光線を浴びせた。ピンクの光に辺りはぱっと照らされていた。



「忘れたの⁉憑依体は抹殺対象だって、言ったでしょ!」



佑心ははっとして、訓練の時の一条の言葉を思い出した。この時、彼は一条の言葉の真意を知った。「PGOの規定に則ると、憑依体はいかなる場合も抹殺対象。」「はあ。そのうちこの規定のほんとの意味が分かるかもね。」訓練の時の一条のそのセリフが脳内でこだまする。

一方、一条の光線から抜け出した憑依体は壁を走って移動し、一条と距離を取った。一条は素早く憑依体に向かって走り出し、手に光をまとわせながら憑依体の上空に舞い上がった。憑依体は真上の一条を目で追い、空中に光を吐き出した。一条はまた両手でガードし、体全体をピンクに包み、憑依体の向こう側に着地を決めた。ここで、一条と佑心が憑依体挟む形になったことで、憑依体は素早く振り返り佑心の方に向かってきた。



「しまった!」



一条は両手を重ね、憑依体の背後に向かってパージの姿勢を取った。佑心に危害を加える前にパージしてしまわなければならない。憑依体の向かう先、佑心は道の真ん中に直立して俯いていた。このまま憑依体に突進されると思われたが、佑心はゆっくり前を向いて両手を前に突き出した。



「ごめん、古田……」



小さく佑心が呟き、そこから赤色の光が炸裂する。憑依体の姿も見えなくなるほどの光束量で、一条は手をかざして目を細めた。あたりが真昼かのように照らされ、憑依体は叫びながら小さな影になっていく。ようやっと人間大になった時、憑依体の口角がくいと上がった。



「ありがとな、新田……」


「はっ……」



囁くようにそう言ったのが聞こえて、佑心の目から涙が流れた。赤の光が徐々に消えていくのを一条はただ見ていた。光が完全に消えると、再び夕暮れが戻りそこには倒れた佑心だけがいた。一条は焦って駆け寄り、佑心の身体を仰向けに起こした。首に手を当てるとちゃんと脈があり、心から安堵のため息をついた。



「良かった、生きてる……」



一条はおもむろに電話をかけ始めた。



「執行部一条です。負傷者一名、保健部をお願いします。」



閑静な場所に一条の電話する声だけが残る。二人の上には星が昇り、ある一つの小さな星がきらりと光っていた。






快晴の昼、守霊教教会の隣に位置する二階建て建築には、そよ風が流れ込む。そのベッドの一つに新田佑心が眠り、一条希和は窓際に肘をついて物思いに耽っていた。窓の光が佑心に降り注ぎ、その手に温もりを与えた。そうしてぴくりと手指が動き、ぱちぱちと目が瞬かれた。



「ん……?」



佑心がふとそばの一条を見ると、一条も気がついた。



「あ、起きた……」



「ここ、どこですか?」



佑心は眩しそうに目を細めながら、上半身を起こした。



「PGO生活局保健部。佑心は光束量を増やし過ぎて倒れたの。」



その時ちょうど、ゆるりとカールされた髪の裾を緑色に染めた女性が他の怪我人に昼食を運んできていた。途中で佑心に気づき、穏やかな笑みを浮かべた。



「あら、お目覚めになって何よりですわ。」



そう言って水を汲んでテーブルに乗せてくれると、一条が代わりに礼を言った。



「ありがとうございます。」


「あなたが来たときは相当消耗していて、魂の補完が大変でしたのよ。赤のパージ能力なのですから、気をつけないと寿命を削ることになりますわよ。」


「は、はい……」



女性は佑心の目の前に乗り出してそう言うので、佑心は圧に押されて身体を引いた。女性はにこっと笑って、保健部を出ていった。



「あの人は?」


癒波ゆなみかなえさん。保健部と執行部を兼任されてる、緑の派閥のリーダーよ。あの後、佑心を治療してくれた。」



佑心はやっと自分が倒れた時のことを思い出した。古田のことを思い出すと、拳を握る力が強まった。



「一条さん、俺、一条さんの言ってたことの意味、やっと分かった気がします。」



一条が佑心に視線を向けると、佑心は俯いていた。



「パージには責任と覚悟が伴う。俺は憑依体になった古田すら助けてやれないところでした。憑依体になる前にゴーストを見つけられれば、古田みたいな悲しみは生まれない。」



古田をパージした時のことを鮮明に思い出していた。一条は真剣な面持ちで佑心を見つめた。



「俺はPGOで必ず、母さんと優稀に何があったのか明らかにします。でも、パージャーとしても自分の責任を果たすつもりです。パージ能力がある自分には、その義務があると思うから。」



佑心の目には夏の光が宿り、瞳は確固たる信念を秘めて前を向いていた。一条は一瞬目を見開くが、すぐに頬を緩めた。それが佑心の見る一条の初めての笑顔だった。そして彼女は立ち上がって、伸びをした。



「私、余計な上下関係嫌いだから、タメでよろしく、佑心。」



ちゃんと佑心の目を見て清々しい表情でその名を呼んだ。佑心は初めて見る一条の雰囲気にまごついた。



「ああ……」



「ゆうしーーん!」



明朗な声が聞こえて振り向くと、心が真っすぐこちらに向かって走って来ていた。



「舜?」


「舜、ここどこだと思ってんの?静かにしなって。」


「だって、佑心が目覚ましたって聞いたから。」



一条はジト目で腕を組んで諭した。心は気にせず心配そうにベッドの向かいから乗り出した。



「佑心、大丈夫なの?」


「おう、全然何ともない。サンキュー。」



心は安堵して肩の力を抜いた。



「じゃあ私は本部に戻るから。舜はまだ佑心といるでしょ?」


「うん。じゃあね。」



一条は背を向けてひらひらと手を振った。佑心はその背中にふっと笑顔を向けたのだった。






PGO本部。一条が「執行局 執行部赤」の部屋に入るなり、松本が気づいて話しかけてきた。



「おー、お帰りー!」


「松本さん、佑心の意識が戻りましたよ。癒波さんのおかげでもう元気ピンピンみたいです。」


「おお、そうか!良かった良かった!」



一条は自分のデスクにどさっと座って、くるくると椅子ごと何回転か回った。一条は訳もなく天井を見上げた。



「希和……」



松本の真剣なトーンの呼びかけ一条は動きを止めて、松本の方を不思議そうに見た。



「お前から見て、佑心はやっていけそうか?」



松本の口調は不安げでいつもの凛々しい眉は下がっていた。一条は保健部で佑心が言った「パージ能力がある自分には、その義務があると思うから。」という文言を反芻し、目を閉じて、笑みを浮かべた。そして、真っすぐ松本を見つめて。


「はい!佑心なら大丈夫です。」



それを聞いて松本も不安がいっさい消えて、凛々しい笑顔に戻った。






真っ暗で荒らされた様子の部屋で、痩せこけた長身の男が立ち尽くしている。その足元には腹部が血まみれで倒れている女性がいた。男の手には血に塗れた包丁が握られている。男は不気味な笑みを浮かべていた。部屋の片隅で何かに照らされているかと思えば、テレビがついていて、ニュース番組が流れている。男はそのニュースに視線を移した。画面の左上には「都内の連続殺人事件 未だ犯人逮捕に至らず」と出ている。凄惨な現場には、普通のお茶の間に流れるのと同じ声が流れている。



「連日発生している殺人事件は未だ犯人逮捕に至っていません。近隣の小学校では保護者同伴のもと、集団登校が検討されています。」



男はおもむろにテレビに近づくと、静かにテレビの前にあったリモコンで電源を落とした。女性アナの声は途中でぱったりと消えてしまった。

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