2-1「覚悟」

「ウエストミンスターの鐘」が鳴り、前野まえの工業高校の教室がざわつきに包まれた。佑心は広げられたノートや教科書の上にPGO人事局からもらった紙を引っ張り出した。指導要領と書かれたページをめくると、基本的なPGOの説明が書かれている。組織図、昇級資格などが書かれている中に、「候補生は最低一ヶ月間該当の部から指導を受け、任務に同行すること。試験合格後、正式にPGO各部の所属となる。」との記述がある。佑心は肘をついてそれを眺めた。



(あと一ヶ月もあの人から指導されるのか……結構きついな……俺、なんか嫌われてるし……)



佑心が一条との訓練を想起し、ため息をついた。

PGO本部とは真逆の黒を基調とした簡素な部屋が本部内にはある。その訓練室で一条と佑心は対峙していた。一条はPGOの制服なのに対し、佑心はジャージにPGOのジャンパーを羽織っている。



「PGOの規定に則ると、憑依体はいかなる場合も抹殺対象。その意味が分かる?」


「そのままの意味でしょう?それがPGOの任務だから。」


「はあ。そのうちこの規定のほんとの意味が分かるかもね。とにかく、今日はパージ能力を扱う訓練をするわ。あなたの能力は赤、松本さんの派閥にぴったりよ。彼も赤のパージャーだから。」



一条は部屋を歩き回りながら淡々と進める。



「派閥があるんですか?」


「六つのパージ能力については聞いたと思うけど、その能力によって執行局は派閥に分かれていて、大体派閥ごとに任務をこなしてる。松本さんは赤のリーダーなの。松本さんは赤のパージ能力じゃなくても派閥に歓迎しているけど。」



一条は肩をすくめた。



「それじゃ、一条さんも赤なんですか?」


「厳密に言うと、赤に近い能力よ。私はこの通り色はピンク。」



一条の掌から、あの日路地裏で見たようなピンクの光が立ち昇った。



「私みたいに派生した能力を持つ人も少なからずいる。それじゃ、本番。手を出して、自分が生きていることをよく意識して。」



佑心は分からないなりに、手を出してそこに集中した。



(生きていることを意識……)


「パージ能力は魂と強く繋がりを持つ。自分の魂を知覚して、それに敬意を持つことが大事なの。」


(魂に敬意?)


「ほら、集中!」



佑心が怪訝な顔をしたのを一条は見逃さずに注意した。佑心の手からはなかなか光が出ず、苦戦が続く。みかねた一条が佑心に近づき、佑心の左胸に手を置いた。



「え?」


「あなたの魂は何て言ってる?あなたを形作るのは何?」


「魂の知覚なんて、よく分かりません。」




佑心が手を下ろして、反抗するようにそう言った。それでも一条は佑心から目を離さないでいた。



「質問を変えるわ。新田佑心を新田佑心にするのは何?魂が入れ替われば、それはもうあなたじゃない。今までのあなたの人生を見つめて、『自分』と向き合うの。やってみて。」



佑心はもう一度掌を出して見つめた。



(俺の人生……俺が俺でいるのは……)



目を閉じて、浮かぶのは施設で圭斗とサッカーをする自分、初めて施設に来た時のこと、PGOが家に来た夜。走馬灯のように一瞬一瞬を思い出した。



(俺の人生で一番大事なのは……)



日常を送る、懐かしい母親と姉の優稀の姿。彼の記憶は次第にそのことで広がっていった。その時、佑心の手から一メートル大の赤色の巨大な光が現れた。佑心は驚いて目を見開いた。



「まあまあね。」



一条はにこりともせず腕を組んで見守っている。



「もう少し小さくできる?」



佑心は掌を握って言われたようにコントロールしようとしたが、光は逆に大きくなって二メートル大になってしまう始末だった。



「うわあ!」



佑心は尻もちをついて、途端に光も消えてしまった。



「私たちの赤のパージ能力は光束量が多くてコントロールが難しいと言われてるから、仕方ないわ。早く調整に慣れて。」


(慣れてって、コツも教えてくれないのかよ……)



佑心は床に転がったまま、一条にジト目を向けた。その一条はやなり佑心に目もくれず指示した。



「じゃあ次は的に向かって撃ってみて。」


「えっ、そんなことできるんですか?」


「やってみてから疑いなさいよ。」



佑心は不満ながら、立ち上がって手を壁際に置いてある的に向けた。さっきと同じように集中すると、ぽすっと弱弱しいながらも光が宙に吐き出されてはすぐ消えた。



「もっと長く細く。光線みたいに。」



一条は手早く手本を見せた。光のような素早さで桃色の光線は的に飛んでいき、的はバシッと真っ二つに割れたのだ。力を見せつけられた気分で、佑心は面白くないが、もう一度挑戦した。さっきより長い光の線が出来るが、まだ的には届かない。佑心は大きくため息をついた。



「できるようにならないと、任務に行ったら真っ先に死ぬわよ。」


「脅さなくたって、練習しますよ。」


「……」



的に向かう佑心を背後から見て、一条は視線を外し俯いていた。

そんなことはつゆほども知らない佑心は教室で真剣な顔を浮かべていた。



(まあ、これも全部情報局の保管庫に入るため。それまでの辛抱だよな……)



佑心は紙の上の組織図をなぞった。



(執行局、情報局、事務局、人事局、そして生活局……)



生活局という字面に記憶が呼び起こされる。

「PGO生活局から人を連れてこい!」と叫ぶ声PGOの男。

生活局の隣には説明が書いてある。



「生活局…PGO職員の健康、市民の安全を確保する。

保健部…負傷したパージャーの手当を行う。

福祉部…憑依体の被害者、遺族のケア、社会復帰を支援する。」



(あの事件の後のことはよく覚えてないけど、もしかしたら俺が施設に入る手配をしたのはここかもな……俺が候補生を卒業して所属する予定なのは、ここだな……執行局執行部。)



今度は執行局の説明をながし見た。



「執行局…ゴーストの捜索、憑依体の抹殺を執行する。

執行部…パージャーが所属する。ゴーストを捜索し、現地に赴いてパージする。

技術部…武器の整備開発等を行う。

特殊執行部…随時大規模な事件によるゴーストを集中的に追う。

なるほどな……」


「何ぶつぶつやってんだ?」


「え?」



佑心が驚いて顔を上げると、古田とサッカー部の金髪がいて、ニッシーと笑顔を輝かせていた。



「別になんでもない。さっきの数学やってただけ。」(こいつらにはPGOとかのこと言っちゃだめだもんな……)



佑心はそっとPGOの紙を机の中に隠した。金髪が机を回り込んで佑心と肩を組んだ。



「なあ、お前、最近部活休みすぎじゃね?大丈夫か?」


「最近忙しそうだし、何かあったら言えよな!」



佑心は眉を下げて、二人の優しさに笑顔になった。



「ふっ、大丈夫大丈夫!サンキューな!」


「じゃあちゃんと部活来いよ?うちの最強ディフェンスはお前なんだからな。」


「今日は行けるから。試合も近いしな。」






夕方、佑心は自転車を押しながら、徒歩通学の古田と隣を歩いていた。



「次の試合、俺結構不安なんだよなー。」


「あ?お前にしては弱気だな。どうした?」


「だってさ、先輩が引退してから初めての大きな大会だろ?去年キーパーだった先輩はめちゃ強だったろ?元々私立から声もかかってたらしいし。だから、俺、プレッシャーって訳じゃないけど、なんか……」



古谷はもごもごと言った。



「なーに言ってんだよ!お前はずっと俺らの代でキーパーやってきただろ?先輩に次いで二番目だったし、自信持てよ!」


「お、おう!」


「それでさ、今日担任が言ってたことなんだけど──ん?どうし、た……!」



佑心が自転車を押して前を向いて歩いていたが、古田が着いてこないのを不審に思い足を止めた。後ろを振り向くと、古田が膝をついて胸を苦しそうに押さえていた。



「うっ……ぐあっ……」


「お、おい、古田?どうした?」



佑心は自転車を止めて向かおうとするが、一歩手前で古田が絶叫した。



「ぐわあーーー‼」


「っ!」



古田は突如倍ほどの大きさになって天に向かって吠え、目は見開かれて真っ黒に染まった。髪は青い炎のように燃え盛り、体中から「ゴースト」の燃えるようなオーラが出ている。佑心は後ずさりし、驚嘆した。



(この姿は……)



その姿は佑心に過去の事件を思い出させた。母親が苦しんだ後になり果てた姿を。



「まさか……憑依体‼」



憑依体は吠えると、がっくり俯いて動きを止めた。佑心はおそるおそる憑依体に話しかけた。



「おい、古田、聞こえるか?俺だ、新田だ……」



憑依体はオーラを放ちながら、荒く呼吸をする。佑心が固唾をのんで見ていると、突然憑依体は佑心に向かって口から光を吹き出した。



「うわっ!」



佑心は目をつむり、手で咄嗟にガードしたが、上半身に光が吹きかけられてしまった。佑心はその勢いで後ろ側にこけて苦しそうに胸を掴み、呼吸を荒げた。



(なんだこれ!体が動かない!心臓が、痛い!)



憑依体はまた両手を広げて、吠えた。佑心は憑依体を一瞥し、なんとか立ち上がってよろよろと逃げる。しかし憑依体は地面を叩いてタイルを蹴散らしながら、佑心に向かって走り出した。佑心は背後を見て焦って走ったが、到底速さでは敵わなかった。



(やばいっ!)



横に振られた手で佑心の身体は路地の壁に叩きつけられた。凄まじい土埃が上がり、佑心は頭から血を流した。霞む視界で、まだ近づいてくる憑依体に向かって佑心が震える右手を伸ばした。すると、真っすぐに赤い光が憑依体に向かって走り命中した。憑依体は光があたった瞬間、怯んで苦しみだし後ずさりした。佑心のパージ能力を受けてうずくまって苦しむ憑依体を見て、佑心は悲痛な表情を浮かべた。その瞬間、光は途切れた。



「っ……古田……」



佑心は古田と過ごした日々を思い出してしまったのだ。教室でテストを見せ合ったこと、金髪と一緒に話してくれたこと、サッカーを一緒にしたこと。しかし、目の前の憑依体はまた佑心に向かって大きな腕をふりかざした。もう古田ではないのか。

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