3-1「青の派閥」

佑心が飲みかけのスポーツドリンクを床に置いた。ペットボトルの表面は汗をかいていて、つーっと垂れていく。佑心と一条はPGO本部のジムで特訓室であった。



「光束量の調整はそれなりにできるようになったわね。次は戦闘になった時に力負けしないようにしないと。」


「まさか、筋トレってこと?俺、持久力ならいけるけど筋力はなー……」



佑心はTシャツの上から自分の細い腕を掴んでふにふに触ってみせると、一条はそれを見て目を細めた。



(ヒョロヒョロ……)「ま、まあ、筋トレもするにこしたことはないけど、もっと効率的な方法が私たちにはあるわ。パージ能力による身体能力の向上よ。」


「?」



佑心は首をかしげた。



「前にもいったように、パージ能力は魂と強い繋がりを持つ。その繋がりを上手く使えば、人間離れした馬力が出せる!」



一条が古田の憑依体の攻撃をガードした時、憑依体に向かって走り出し跳躍した時、佑心にはいくつか思い当たる節があった。一条は手を叩いた。



「早速練習するわよ!」



候補生期間は最低一ヶ月。その間、一条による過酷な稽古は続いた。一条が鬼の形相で筋トレする佑心にスパルタ指導したり。疲れて大の字に寝る佑心に心がちょっかいを出したり。その心の頭をべしっと叩く一条を見て佑心が笑ったり。佑心にとっては、部活の練習の光景と何ら変わりない平和なものだった。






九月上旬、執行部赤のオフィスで、佑心が一枚の紙を持って嬉々としていた。



「おーー、合格だ!」


「やったね!おめでとう!」


「筆記の方も心配なかったわね!」



心と一条が隣から覗き込んで一緒に喜んだ。



「筆記なんだが、聞いてびっくり!史上最高点に迫る勢いだったぞ!今日から佑心は正式にPGO執行局執行部 赤の派閥所属のパージャーだ!」


「すご!」



デスクに座っている松本がニコニコしながら言うと、舜が史上最高点という言葉に目をキラキラさせた。



「ずっと思ってたけど、佑心って結構賢いわよね。」


「そう?」



そう聞いた一条に佑心は無関心そうに答えた。佑心は思い出したように松本の前に一歩出た。



「あ、松本さん、ちょっと相談なんですけど……」






佑心に話を聞いた松本が驚いた声を上げた。



「え?PGO寮に入る?じゃあ、高校は?」


「施設も学校も辞めて、PGOの任務に集中したいんです。半端な気持ちじゃ、ここでやっていけないと分かったので……」



佑心の表情は力強く、一条はそれを見て、優しい笑顔を浮かべた。心は不思議そうにしていたが、松本も深く理解して頷いた。



「うん。そういうことなら合点承知だ。これから、よろしくな!」


「はい!」



すると、突然佑心の後ろにいた一条の目が誰かの手にに塞がれた。



「だーれだ?」


晴瑠はるさん、バレバレですよ。」


「えー!ちょっとは驚いてくれてもいいのに!相変わらず希和はクールだね~。」


「晴瑠!遠出の任務、お疲れ様だったな!」



一条の後ろから顔を出したのは、橙よりの茶髪ボブを揺らした可愛らしい女子だった。佑心が独り言のように呟くと、心が後ろから近付いてきた。



「誰……」


日根野晴瑠ひねのはるさん。赤の派閥のパージャーだよ。ここで会うことも多いと思う。」


「へー。俺らより上?だよな?」


「うん。去年一条さんと三人で二十四歳の誕生パーティやった。」


「はは、仲いいんだな。」



佑心も心も苦笑いした。日根野は佑心に気づき、興味津々といった様子を示した。



「お?もしやもしや、希和の初めての彼氏かな?」


「違います!」



一条はちょっと顔を赤くして必死に否定したが、日根野はずっと面白そうに笑っていた。






前野工業高校の校舎がほとんど沈んだ太陽の残光を受けて、艶めいていた。その校舎をリュック片手に一人見上げている影。佑心は直ぐに前を向いて、寂し気に学校から離れていった。もうここに来る用はないのだと、今生の別れのような重い空気が漂っていた。

既に星の出ている夜、前野きらめき園にはもう子どもの声は響いていない。寝静まったこの場所で、唯一物音を立てるのは自室で荷物を片付ける佑心だけである。もう私物はほとんどなくなっていた。佑心は服が詰められたトランクの上に、壁に貼っていた家族写真をそっと置いた。トランクを閉めようとすると、ふと部屋の隣にあるサッカーボールが視界に入り、佑心に施設の人と話したことを想起させた。



「驚いたわ。急に就職して寮生活なんて……」


「黙っててすみません。自分で進めたくて……」


「ううん、いいのよ。私たちはここで育った子たちが立派に旅立っていくのが誇りなんだから。ただ、圭斗くんは佑心くんのことすごく慕ってたから寂しくなると思うわ……」



佑心はそんな職員の言葉に何も返せなかった。もう圭斗と遊ぶこともない。何を言おうと、自分の決めた道に少年はいないのである。ガラガラの部屋のサッカーボールはそんなことも知らずに、そこに有るのが当然のように居座っていた。

施設の細長い廊下に面した一室には「けいと」と丸文字のひらがなで書かれた部屋がある。佑心はそのドアノブにボールを入れたメッシュの袋を提げて、静かにそこを立ち去った。






ドンッと机が叩かれて、PGOの制服を着た怒り心頭の男性は、椅子から立ち上がって叫んだ。会議室にいる残りの八人は特に驚きもしていなかった。



「どうしてこうも犯人逮捕が遅いんだ!警視庁は一体何してる⁉」


「まあまあ落ち着いてください。」



対面して座る松本が宥めた。松本の左斜めのパーティ席に肘をついてかけているのが、杵淵きねふち斐孜ひし執行局局長である。机にはそれぞれの資料が置かれている。



「落ち着いていられるか!連続殺人犯のゴーストが遂に憑依体化してから一ヶ月、捜査には何の進展もない!」


「確かにその後も一人殺害されたにも関わらず、容疑者の一人も挙がっていないというのは由々しき事態ですね。」



松本の右隣りにいる青の派閥リーダー、船津ふなつたかしが静かに答えた。船津の声には知性と落ち着きが感じられる。松本は真剣な表情で船津を見やった。向かい側には男性職員の左隣に紫の派閥リーダー宗崎そうざき京香きょうか、緑の派閥のリーダー癒波叶、無所属職員が一人座っている。



「それで?警察の長期化にしびれを切らして、PGOが動くと?いかにも、体裁ばかりの補佐室らしいやり方じゃのう。」


「何⁉」



教皇派の老人魄はくすうは船津の右隣にいた。もう一人の無所属織委員は船津の隣に座っている。先ほどからいきり立っていた補佐室の男性職員はこめかみに青筋を立てながら、身を乗り出した。



「杵淵局長、どうなさいますか?」


「うむ……」



髪を耳にかけながら、京香は色っぽく言った。京香はダークパークルの髪を後ろで大きな団子に結っている。杵淵は目の前で指を組んで考え込んだ。



「補佐室の要求を呑もう、松本。」


「はい。」



松本が背筋を正した。



「お前のところのパージャーが、該当地区のゴーストにあたっていたはずだ。連続殺人犯の独自調査をそいつにさせろ。船津のところからも、何人か人を寄こす。」


「了解!」

「了解!」



松本と船津は同時に返事をした。






佑心はPGO寮の自室に段ボールを運び込んでいた。新しい自分の部屋に入ろうというところで、向かい側の部屋から心が出てきた。パジャマ姿で眠そうに目をこすっている。



「あ、おはよう。もう荷物運び終わった?」


「おはよう。これで最後だよ。」



眠そうな心を佑心がくすくす笑った。すぐにPGOの制服姿の一条が心の右隣の部屋から出てきた。



「二人とも急ぎなよ。松本さんが今日話あるって言ってたから。」


「うん、分かった。」



あくびしながら答える心。一条はそのまま廊下を進んで、PGO本部に向かっていった。佑心が再び段ボールを持って部屋に行こうとすると、扉に引っかかって中の写真がはらりと廊下に落ちていった。佑心は気づかずにそのまま部屋のベッドに段ボールを置いた。



「ん?」



心が裏返しになったその写真を拾い上げて返した見た。母親らしき人物と少年少女の三人が幸せそうに笑っている。佑心が施設の部屋にも飾っていた写真だった。



「これって……」


「母さんと姉貴だよ。」



佑心の声がして心は驚いて顔を上げた。写真の中で楽しそうに笑う三人を見て、心も優しい笑みを浮かべた。



「二人のこと、ここで分かるといいね。」


「ああ。」



心は写真を佑心に手渡した。






松本のデスクの前に一条、心、佑心が並んで立っていたが、一条は松本の方に乗り出してしかめ面になった。



「合同任務⁉」


「ああ、補佐室からの要求だそうだ。今都内で起きている連続殺人についてだ。」



松本は手元の資料を見ながら言った。



「確かに、犯人が捕まる兆しがありませんね。ネットじゃプロの殺し屋なんじゃないか、なんて言われてますし。」


「あー、それ俺も見た。」



心は縁起でもない噂を持ち出し、佑心は苦笑した。



「ま、無理もないな、警視庁はまだ容疑者の一人も見つけられていないんだから。それをまあ、PGO的観点から捜査してくれってこった。」


「それで、合同って、誰と組むんですか?」



一条がまだしかめ面でそう聞いた。

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