第18話 デート2

 薄暗い館内。見渡せば人の渦。

 購入したチケットを受付ゲートで認証し、カーペットが敷かれた廊下へ。


 一定間隔に取り付けられた淡い蛍光灯。流行映画のポスターが貼られており、そのどれもが魅力的に映った。

 

 映画館という存在は不思議だ。

 モール内は賑やかさで満ちているというのに、突然厳かな空気が流れる。


 隣を見やればポップコーンとドリンクをトレーに載せた月菜ちゃんの姿。

 そわそわと落ち着かないが、それもそのはず。俺は詳しくないけれど、追いかけてきたお気に入りの恋愛作品が待望の映像化を果たしたのだから。


「……恋愛映画、ねぇ」

「む、なにか不服でもあるの?」

「そういうわけじゃない。ただ見慣れてないから胸キュンとか分からん」


 俺は至極当然ながら、恋愛映画には明るくない。キュンとか知らんし。

 月菜ちゃん曰く「最高のドキドキをプレゼント」というキャッチコピーらしいが、俺にとってのドキドキは恋愛というより恐怖である。ストーカーから与えられるドキドキ感半端ない。


「分かってたら困るっての」


 ぼそっと呟いた月菜ちゃん。

 むすっとした表情。彼女の言葉の意味を理解できず俺は首を傾げた。


「なんかワクワクするよな、映画館って。ちょっと非日常感っていうか」

「なによそれ。でも、あるかも」

 

 たわいない会話を経てシアターへ。

 今回の名目は、恋人が出来た時に狼狽えないようにする、である。映画館は中々にぴったりな場所だと思う。


 恋愛映画には疎いが元々映像作品に時間を費やすのは苦ではない質だ。

 人並みに映画は好きである。


「えーっと、席は……あそこね」

 

 中はより静寂が保たれていた。

 視界に収まりきらない巨大液晶から流れる広告や他作品の紹介音声。本当はつまらない作品でも魅力的に見えてしまうのは俺だけではないと思う。


 時折観客から聞こえる吐息混じりの声。確保した席は中心やや後ろ。


 休日の映画館。しかも事前予約なしにしては上出来すぎる席であった。

 俺と月菜ちゃんは既に腰掛けていたお客の前を軽く会釈しながら横切り、トレーを設置してから、着席。


 荷物を座席の下に仕舞い込んでいると、月菜ちゃんが肩を叩いてきた。

 控え目の意識した声量だった。


「はいこれ。限定パンフレット」

 

 渡されたのは一冊の小冊子。

 表紙の配色はやけにピンク色や黄色といった派手な色が多く使われていた。俺はパラパラとページを捲る。


 映像化を行うにあたり原作を知らずとも見れる内容になっているらしい。

 しかし最低限の予備知識は必要なのだろう。登場人物と、その相関図。登場人物は普通なのだが、相関図に至っては矢印ハートマークが大量に敷き詰められている。……流石恋愛作品。


「ね、ちょー面白そうじゃない?」

「俺にはハードルが高いことだけはわかった。矢印とハートマークが飛び交いすぎて波状攻撃にしか見えない」

「……うわぁ、さいてー」


 恋愛経験が乏しい俺には些かレベルの高い映画である。視聴することに抵抗はないものの楽しめるかは不安だ。


 それに、なによりだ。

 俺は小冊子で顔を少し隠しながら場内をぐるりと覗き見た。やはりだ。


──圧倒的カップル率。


 いちゃいちゃいちゃいちゃ、漂う異様な空気感に俺を気圧されていた。

 

 休日の映画館、しかも恋愛映画ともなれば、現れるはカップル集団。

 かくいう俺と月菜ちゃんも、端から見ればカップルに……見えるわけないか。良いとこ付き添いの男だろう。


 あまりにも俺と月菜ちゃんとではつり合ってない。無論俺が下である。


「──ひゃっ」


 その時、場内に一際鋭い効果音が爆音で響いた。反射的に見れば、怪獣と怪獣が戦うB級っぽい映画の告知。まさに化け物には化け物をぶつけるんだよぉ、とばかりのド派手な演出だ。


「大丈夫か。急でびっくりしたよな」

「し、してないから。全然してない」

「……いやでも。ひゃって──」


 俺が苦笑しながら言いかけると、シアターに照らされた彼女の顔がうっすらと朱色であることに気がついた。

 

 普段はからかい上手な月菜ちゃんであるが、今ばかりは違うらしい。

 やや唇を尖らせて、


「子供扱いしないでっ」


 周囲に配慮しつつも声を荒げた月菜ちゃんが、肘掛けに置いていた俺の手の甲を抓った。確りとした痛み。

 

 子供扱いをしたつもりはないが、思い返せば月菜ちゃんは大きな音が苦手だった。雷雨などはもっての他だ。


「てて、悪かったって。……昔から大きな音苦手だよな。……睨むなよ」

「意地悪する真にいが悪い」


 彼女は弄られることに対する耐性は持ち合わせていない。そこがどこか可愛らしいと思うが、口には出せば余計に怒らせること請合いなので黙秘。


「お、そろそろ始まるみたいだぞ」

「……ふん」


 尚睨んでくる月菜ちゃんに微笑混じりに告げた。白色の照明が暗転。

 もう少しすれば本編がスタートするのだろう。……問題といえば、痛みこそないが抓られ続けている手の甲。


「月菜ちゃん。そろそろ抓るのを」

「無理。大きな音がしたらつねってあげる。映画終わるまで反省してて」

「……俺への罰重すぎないか?」

 

 これはテコでも動かないと確信。

 映画が終わる頃には手の甲は真っ赤になり感覚も消えているのだろう。


 やがて完全に暗転。某映画泥棒がアクロバティックに逃げ始めた頃合。

 視聴に伴う注意喚起を経て、


──あれは、運命だった。


 そんな語りと共に、淡い恋愛映画が始まる。幕が、上がったのである。


(……お、おぉ。顎クイだ)


 冒頭五分。舞台は学校。

 場面は最初の盛り上がり。

 

 さりげなく隣を見れば、照らされた月菜ちゃんの恥ずかしそうな横顔。展開に胸踊らせているようだった。


 正直出演者よりも整っている容姿。彼女とデート(仮)に出ているなど冷静に考えれば、夢のようである。


「きゃーっ! うわわ」


 次の瞬間。周囲がざわついた。

 月菜ちゃんもそのひとりのようで、無意識に抓っている指に力が籠った。


(うわ……きまずぅ)


 顎クイからのキスシーン。

 恋愛を取り扱った作品では王道展開なのだろうが、どんな心境で受け止めていいのかさっぱりわからない。


 直視してられないとばかりに、月菜ちゃんは俺の方をぎゅんっと向いた。

 目が。彼女の目が潤んでいた。


「や、やばいかも。やばいやばいっ」

「……やばいのはわかったから落ち着け。手の皮が剥がれそうだから」

「こんな過激なの?!」


 俺の突っ込みは華麗に無視して、ひとり暴走を続けている月菜ちゃん。

 性格は強かなのに、照れ屋で恥ずかしがりやなのが微笑ましい。彼女の見たい映画である点も見逃せない。


 ……もし俺が恋愛をしたら、どういう付き合い方をするのだろうか。

 

 先日緒川に問われた「恋をしたらどうか」という質問をはぐらかした俺。

 日向の仲介をし続けてきた俺にとって恋愛は未知数だ。誤ラブレター事件の相手も結局日向狙いだった訳で。


 付き合ってから好きになるのか。

 好きになってから付き合うのか。


 形はそれぞれあるのだろうが、考えれば考えるほど思考の渦に嵌まる。


 今日はデートの練習だ。

 月菜ちゃんとショッピングをし、食事を摂り、映画館へ。これでもかというほどのデートプランを詰め込んだ。


 だが楽しさはあれど、これが恋愛感情に結び付くとは思えずにいた。


 相手が気心の知れた月菜ちゃんであるからして恋心より親愛が先に芽生えてしまうのも原因かもしれない。


 初めてふたりで出掛けている。何かの手札になればと思ったが──ん?


「……いいでしょ、別に」


 するりと、指の間に入り込む感覚。

 しなやかで細い指が、俺の武骨な男らしい手と繋がる。恋人繋ぎだった。


「あー、まぁ。……だが練習でここまでやらなくてもいいじゃないか?」

「本番で失敗したくない」

 

 きゅっと繋がれた手。伝わる熱。

 ややもすれば離してくれない雰囲気があった。映画の内容に触発されているのか、どこか艶っぽい声色だ。


「……そうか」

「うん」 

 

 俺もなぜ断らなかったのだろう。

 月菜ちゃんと手を繋ぐなんて幼い頃以来だ。現在はお互い立派な高校生。


「好きな人、できたらさ。付き合いたいって思うから。真にいは違う?」

「そう、だな。俺もそうだ」


 距離感の近さが面映ゆく、むず痒い。だが中々にどうしてか、振りほどく気持ちにもなれなかった。


 俺も映画に充てられている。

 そう思った。


「……練習だけど、練習じゃないの。本番だと思って、私はここにいる」


 ここにストーカーがいると仮定したら。これも彼女の策なのだろうか。

 にしては、真剣な眼差し。


 握られた手は、やはり熱い。

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