第17話 デート1

 定期考査を乗りきった土日。

 週明けからテスト返却がなされるはず。想像するだけで憂鬱だ。

 さりとて、来るべき時は来る。洗面台で揺蕩う水面には、無愛想かつ無気力な男子が映り込んでいる。頬から落ちる水滴を乱暴にタオルで拭き取った。


「……ふぅ」


 時刻は短針が十を回った辺り。外は微妙な曇り空。

 俺は溜めていた水を排水した。リビングから漏れ出ているニュースは、梅雨前の生ぬるい気温を告げている。個人的に湿気が多い季節は特に嫌いだ。


 生来出不精であることを自覚している俺。あのジメっとした空気感を想像するだけで身体が怠く、重い。不快指数って言葉を生み出した人間は天才だと思う。

 俺は取り留めのないことを思案しながら数秒瞑目。溜息。


「言わないとな」


 本来なら待ちに待ったデート当日。しかも相手はあの月菜ちゃんだ。

 予行練習という建前のもと、発案された今日というイベントだが、ふたりっきりで出掛けるのには変わりない。男子からすれば羨ましいことこの上ないだろう。

 幼馴染という立場でなければ、ありえなかった。絶対に。


 目立ちたくない、そんな俺の考えは捨て置かれ状態。

 月菜ちゃんには敵わないなと実感していた。登下校はほぼ一緒となり、昼休みも同様。定期考査という期間によって落ち着きはしていたが、この休日が空ければまた月菜ちゃんとの行動が増えるだろう。――しかし、それではダメだ。

 

 俺が目立つのは最悪我慢できる。日向と比較されるのも慣れている。俺ひとりの平穏な学生生活が崩壊するだけなら何とでもなる。そんなのは昔からのこと。

 ただ今は月菜ちゃんがいる。俺と最も深い関係の異性だ。


 と、まあ色々無駄に思考を巡らせた俺に対して、


――やっぱりね、と彼女は言ったのだ。




「……は、いまなんて?」

「やっぱりねって。聞こえなかった?」

「は、え? やっぱりってストーカーのことだ、ろ?」


 場所は飛んで。ショッピングモール。

 隣家であるからして「待った?」「うぅん、いまきたとこ」なんて定番なやり取りが起きる筈もなく。普通に集合し、電車に揺られ、今に至る。


 どこで伝えようか悩み、結論としては人の往来が激しいフードコートを選択。恐らく、というか確実にストーカーも付近に潜伏しているだろうから人目は多ければ多いほど良い。ただし肝心の月菜ちゃんの返答がまるっきり予想とは真反対だった。

 動揺を帯びた俺の声はモール内の喧騒に搔き消されそうになる。

 月菜ちゃんはジュースをちゅるちゅる啜ると、頷いた。


「そうだって言ってるでしょ。ヤバい子もいたものね」

「……いやいや。いやいやいや、どこでだよ!?」

「どこでって、どうやって知ったかってこと?」


 俺は月菜ちゃんの言葉に首肯する。驚きを超えて理解が追い付かない。

 あまりにも自然に受け答えするものだから、もはや俺の方が変なのではないかと錯覚してしまうほどだ。持ってきたジュースの味がこれっぽっちもしなかった。


「最初に言うと、相手はわからない。誰が真にいに執着しているのか掴めてないわ。もし分かってるなら既に真にいに報告してるし」

「……まあ、確かに。……んで?」

 

 月菜ちゃんは茶髪の毛先を指で弄びながら続けた。

 どこかその姿が不機嫌そうに見えたのは俺の気のせいか。

 

「真にいが「なにか」に悩まされてるのを決定的に知ったのは、あの夜。コンビニで買い物した後のこと。どうにも気になって、夜あまり寝付けなかったの」

「そう、だったのか。悪い、余計な心労を与えたみたいで」

「いい、そのことは。……問題は夜中」


 やや神妙な表情を作り、月菜ちゃんは一拍溜めた。

 

「真にいの家をじっと見つめている誰かが見えたわ。シルエット的に女。真にいからストーカーの話を今日聞いて確信した。線と線が繋がったの。……あの子がそうか、ってね」


 あの子がそうか。そう呟いた時、殊更に含みがある気がした。


「は、本当かその話!? ……アイツ戻ってきてたのか」

「犯人は現場に戻るってよく言うけどマジだったわ」


 月菜ちゃんの言葉が真実なら、その行動力に恐怖さえ覚える。

 あれだけの追走劇を繰り広げた後に、わざわざ俺の家に戻ってくるなんて普通ではない。そもストーカーってだけで普通ではないのだが。まるで底の見えない深淵に踏み込んでいるようだった。果たして、何故俺にそこまで固執するのだろう。


「おい、なら後日伝えてくれてもよかったろ」

「言ってもよかったけど、なんかね。真にいが柄にもなく必死だったから。バレバレな嘘で誤魔化そうとしてて。これは流されて上げた方がいいかなって」

 

 素直に教えてくれれば――いや。

 仮に教えて貰ったとしても、終着点は月菜ちゃんに被害を及ばせない為に距離を置こうという判断になったと思う。血は繋がっていないが、家族同然の相手だから。


「……はいはい、どーせ俺は嘘をつくのが下手ですよ」


 俺はぶっきらぼうに答える。


「ま、真にいのことだから言葉遣いと表情から私を巻き込まないようにしてるんだろうなってのも分かった。力になるって『言い訳』作ってあげたのに。ばか」

「ぐ……だとしてもだ。俺はお前を巻き込む方が嫌だった。わかれよ」

「それも察してたから、しつこくは聞かないことにしたの」


 言葉は無愛想。だがどこか嬉しそうに月菜ちゃんは微笑んだ。

 月菜ちゃんは真の通った性格で強かだ。が、中々どうして照れ屋な側面がある。決して表に出すことは少ない。ただ昔はもっと素直だったと記憶していると回顧。


「でも、こうして自ら打ち明けたってことは状況が変わった」


 月菜ちゃんは緩んでいた頬をきゅっと締め、人差し指を立てた。その大袈裟な動きが、ミステリー小説のワンシーンのようで不思議と様になっていた。


「看過できない実害があった。あるいは起きそう、とか」


 そして推理は正鵠を射ている。

 彼女は勘が鋭い。あるいは思考の回転が速い。肌感覚で情報の整理と取捨選択が行えているようだ。俺は数秒逡巡し、両手を小さく上げた。


「……あぁ、大当たり。正解だ。大正解」

「ね、もう白状してよくない? 隠してる意味ないでしょ」

 

 ストーカーが存在していることを知られている。

 危害が及ぶことも把握している。経緯を話す方が良いか。

 俺は頭を掻き毟った後、目尻を強く指で押した。


「ったく。わーったよ、全部話す。……実は――」

 

 脅迫状を貰ったこと。奇妙なメールが届くこと。

 一挙手一投足常に監視されていること。俺が最近体験していることを滔々と話す。月菜ちゃんは黙って俺の言葉に耳を傾け、時折相槌を打っていた。


「だから、これから解決するまで一緒にいる時間を」

「……ふ~ん、なら。この提案はどう?」


 結びの内容として、距離感を改めることを提案しようとすると言葉を被せてきた。面食らった俺が訝し気に眉を吊り上げると、珍妙なことを口走った。


「私と偽装カップルを演じて、ストーカーの嫉妬心を煽る!」

「お前は何を言ってるんだ。相手は異常者、火に油を注ぐ結果になりかねん」

「大丈夫だって! 何かあれば真にいが守ってくれる!」

「……それを世間では無計画と呼ぶんだ。分かるか?」


 意味不明。理解不能だった。どこをどう判断したらそうなるのか。


「でも、ぶっちゃけこれが一番手っ取り早いと思うんだよね。誘きおびき出す。感情を大きく揺さぶれば、何かしらのアクションや反応を起こすはずよっ」

「いや、だけどそれは。……俺は反対だ、危なすぎる」

「――あぁ~もうまどろっこしいわね!」


 月菜ちゃんは不意に立ち上がり、俺の腕を取った。奇しくもあの屋上で弁当を貰った時の光景と似ていた。そういえば、あの時彼女は何を呟いたのだろうか。


「映画行こ! ずっと映像化されるの期待してたからちょー楽しみ!」

「急にくっつくんじゃねぇよ!? 言ったろ、監視されてるって!」


 離れようとすると、更に力を込められて腕が抜けなくなる。

 腕を絡められ、まるで傍から見れば本物の恋人のような位置関係だった。

 強引なやり口に苦言を呈そうとする俺の耳にこしょこしょと囁かれる。


「あえてよあえて。逆上して現れれば捕まえてやればいいんだから」

「俺はまだこの案に賛成じゃない。何がどう転ぶか分からないんだぞ?」

「……ま、大丈夫よ。本当は私にも考えがあるから」


 視線でどういう意味だと問うと、


「自由に泳がすの。わざと。さっきも言ったでしょ、反応を窺うって」

「だから、それが危険を伴うって俺も言ってるだろうが……ッ」

「いいからいいから。任せなさいって」


 彼女はそう言った。

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