第16話 露呈

「――え、それなんですか……?」


 いつの間にか、俺のスマホをじっと覗き込んでいた彼女の困惑した声に、はたと意識が戻った。綴られた文章に、思いの外集中していたらしい。

 傍に立つ緒川に微塵たりとも気が付けなかった。


 月菜ちゃんに相談するよりも先、緒川に知られてしまった。

 そりゃあ、急にスマホを見て固まり深刻な顔を浮かべれば誰だって気になる。俺だって気になる。


 ここで誰かの悪戯だと流すこともできた。が、それはしなかった。

 くだんのストーカーは付近に潜んでいる。近くに、いる。


「わりぃ緒川! これ持ってろ!」

「わぷ、え、ちょ、急に危ないじゃないっすか!」

「こっちも緊急事態なんだ! マジすまんッ!」


 俺はポスターの束を容赦なく緒川に押し付け、謝罪を口にした。元々手伝っている側なのだから謝罪は必要ないのではとも思ったが、それはご愛嬌。

 預けたポスターの隙間から顔を覗かせる緒川。

 その顔には吃驚と呆然が滲んでいた。


「あとで戻る! 戻らなかったらポスターひとりで貼っとけ!」

「え、え、ちょ、仕事放棄っすか! 詳しく事情を説明してくださいよ!?」

「そんな時間はねぇ! あとでな! あとで!」


 言いながら俺は全速力で駆けだした。今日ばかりは廊下は走る為にある。

 現在地は一階廊下。今の俺を監視できるとすれば廊下の突き当りか、各教室に忍ぶか。ポスター貼りの現場を覗き見していたということは恐らく俺が図書館で勉強に励んでいた姿も見られていたのだろう。この機会、逃してなるものか。リベンジだ。

 

 前回は逃げられた。今回こそ捕まえてみせる。俺は太腿に力を込めた。

 気分はカマキリ。視線を左右に絶え間なく送り教室の全貌を確認する。が、残っている生徒はおらず無機質な机と椅子の並びが続くだけ。どこにいる。どこに隠れた。

 ロッカーや教卓下に隠れている線もあるが、悠長に調べてはいられない。


 俺は埃一つ見逃さない覚悟でストーカーを探す。――突き当りだ。

 ここを曲がると、二階へと続く階段に出る。走っている最中、俺以外の足音はしなかった。つまり、相手は逃げていないことになる。……本当か?


(……待て。待て待て俺)


 遠回り遠回り、ねちっこく俺をストーカーする奴だぞ。


 追いかけられて逃げないなんてことがあるか?

 というか、そもそも追いかけられるような展開を作るか?

 考えられるとすれば、相手は教室内に潜伏しており、俺が去った後に悠々とその場を離れる。間抜けな俺を傍観出来て、さぞ楽しいことだろうよ。

 

 もしくは俺がメールを読んでいる時に既に逃げているか。

 しかし、逃げれば足音が反響する。部活動の騒々しさもない期間だ。反響具合は殊更であろう。忍者でもあるまいし、完全に気配を断てるとは思えない。


「――やっぱ、いねぇか」

 

 廊下の突き当りを曲がると、そこには階段が続くだけ。

 誰か隠れてはいなかった。とすれば、自ずと検討は絞られる。

 俺は「あえて階段を上らず」に踵を返した。各教室を探し回ってやる。これで、もぬけの殻であれば、流石にお手上げ。どうやって姿を消したかさっぱりだ。


 俺は一度大きく息を吸って、歩き始めた。


 が、


「おい廊下を走ってる奴誰だー。音が響いてるぞ」


 無念。俺の捜索はここで打ち切られることになる。

 振り返れば、階段から降りてくる教師の姿。踊り場に入り込む茜が反射。

 禿げだ。つるっぱげだ。まさか見回りをしていると思わなかった。


「こんな時間まで何やってんだ碓井。ちょっとこっち来いッ」

「あ、いやそのこれは誤解っつーか。先生! 誰かと会ってないっすか!」

「はぁ? 会ってないぞ。お前が初めてだ、はやく来い」


 令和の時代に似合わない熱血漢。根性論。

 俺は腕を引っ張られ、連行されてしまいそうになる。

 しかし意地で首だけ振り返り廊下を睨む。


(教室のどっかに隠れてる可能性が高いってのに……っ!)


 視線の奥でポスター貼りを頑張っていた緒川の耳に、俺と禿げ体育教師のやり取りが届いたらしく、小走りでこちらに駆け寄ってくるのが見えた。




「……ストーカー、ですか?」

「あぁ。ちょっと前から監視されてるっぽい。家にまで来た」

「い!? 家!? ……そのぉ、それはそれは」


 体育教師に連行されて事情聴取を受けていた俺は、緒川のフォローもありすぐ解放された。それどころか体育祭実行委員に誘われてしまった。やらんけど。

 俺は自動販売機で買った水を一口飲み下してから、苦笑した。


 職員室前にて、俺と緒川は抑え目の声量で会話を繰り広げていた。外は既に薄暗く、禿げの意向で体育祭のポスター貼りは明日以降に延期となった。


「誰にも話すつもりはなかったんだ。危害が及ぶかと思ってな」

「……そう、っすね。言わなくて正解だと思います。異様な執着っぽいですし」

「ただこれでハッキリした。俺との関係性に関わらず女子は皆敵らしい」


 知り合い程度の緒川に嫉妬し、病みメールを寄越した。ともすれば俺と最も距離感の近い月菜ちゃんには、近々もっと危険な思想が向けられるだろう。


「ポスター貼りは、手伝えないかもしれん。中途半端だけど」

「仕方ないです。元はといえば私が無理にお願いした仕事だったんで」

「あの禿げ教師にも上手く言っといてくれ」

 

 ……こうなれば月菜ちゃんにも話すべきだろうか。

 置かれている事情を説明し、解決するまで距離を置く。確実、絶対、とことん嫌がるだろうが何かあってからでは遅い。納得してもらうしか他ないのだ。


「……つーことで緒川、悪い。このことは他言無用で頼む」

「そりゃ勿論っすよ。私だって、これ以上標的にされたくないんで」


 言いながら怯えたように自分の身体を腕できゅっと抱く緒川。

 容姿は派手になったが、どうも怖がりなところは据え置きらしい。

 

「あ、でもトークとかで相談には乗れるんで。なにかあれば」

「……そーいや昔交換したっけな。日向先輩のついでーって感じに」

「です。……ま、最悪骨は拾ってあげますよ」

 

 憐みの視線で射貫かれ、俺は勘弁しろとばかりに溜息を零した。

 

「しっかし、そこまで粘着するって、碓井先輩なにやらかしたんすか。尋常じゃないですって。常に監視するわ家にまで来るわ、拗らせてますよその人」

「……身に覚えがないから困ってんだよ」


 やらかした記憶があるなら、もっと早く解決している。

 俺が言うと、緒川は重い空気を終わらすようにして軽く笑った。

 声につられて顔を上げれば、頬を掻いている緒川の姿。


「すみません。不謹慎ですけど、なんか面白くて」

「さっきまで怖がってた奴の台詞とは思えないな」

「怖いは怖いっすよ。ただまあ碓井先輩の事情であって、私が直接絡んでる訳ではないっすから。――あ、これ見てくださいよ。ぴったりじゃないですか?」


 不意に緒川がスマホの液晶を見せつけてきた。

 記事には【メンヘラ&ヤンデレの特徴!】という頭の悪そうなタイトルがつけられていた。どうせフィクションを混ぜたゴシップ的な内容だろうと鼻で笑う。

 ただ興味はあった。上から下にささっと流す。


「なんか相手の私物を盗むんですって。取られた経験は?」

「………………ある、かもしれない。…………いや、あるわ。ある」

「……マジっすか。場を和ますジョークだったんすけど」

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