第15話 緒川登場、ババン!
定期考査の中日である水曜日。
図書室の窓からは、夕焼けの茜色が差し込んでいた。気分を変えようと自宅ではなく図書室で勉強していたら気付けばそろそろ閉館の時間だった。
凝り固まった身体を伸ばしながら室内を何気なしに見渡せば、残っている生徒は俺含め数名もいない状態。
「……結構集中してたんだな」
ひとりごちる。どっと疲れが出たようにして目がしょぼしょぼしてきた。
普段ならグラウンドから野球部の掛け声やブラスバンド部の演奏が絶え間なく聞こえるものだが、テストの時期だけは静けさが一定に保たれている。
集中していると気付かないものだがら、この静寂はやや不気味さがある。
「帰るか」
俺は昔から独り言が他人より多い自覚がある。それは思考を整理するためでもあったし、何より単純な癖だ。
いつから独り言が増え始めたかは定かではないが恐らく日向の影響だ。
一時、日向狙いの女子軍団が無限に沸いたのだ。あれはまさしく害虫のGのように。一匹いたらなんとやら。
とにかく相手がどんな性格で、何年生で、などを暗記する必要があった。
簡単に言えば英語の単語帳だ。
暗記するには書くよりも見ることや話すことが優れているのはまさしくだと思う。記憶の定着化は繰り返した回数に比例する。書くは時間がかかる。
とうに下校時刻を過ぎた夕方の校舎はえらい静寂だった。俺が歩くとローファーの擦れる音が壁に反響する。
──ストーカーの件であるが。
俺なりに色々と調べてはいる。メールの文面から読み取るに同じ高校。
流石に変質者とはいえ他校の生徒が潜り込めるとは思えない。一挙手一投足の監視が可能となれば尚更だ。
そして俊足な女子。陸上部であろうと予想はしているが陸上部に所属している女子に知り合いはゼロであり、足が早いという点だけなら陸上部でなくとも該当する懸念を加味すると、部活から犯人捜しを行うのは途方もない。
そして手紙の文面。丁寧な物言いであり、達筆。誰にでも書けるような字体ではない。これは大きな手掛かり。
かといって、全校中の女子に突撃して「字を見せてくれ!」などと言えるはずもなく。それこそ俺が変人扱いされてしまうので本末転倒である。
「……んあ?」
俺は足を反射的に止める。
靴箱が見えてきたあたりで、派手な金髪が視界に映り混んだ。……あいつこんな時間まで何やってんだ?
「むむむ~」
緒川美海は唸りに似た声を発しながら、じっと廊下の壁を凝視していた。
周囲のひと気がないせいか、彼女の立ち姿がやけに際立って見える。適度に崩された制服が印象的だった。
(どうすっかな)
彼女の隣は通らねば靴箱に辿り着かない位置関係。話しかけるか否か。
しかし、本当に緒川は変わった。
中学生の頃は内気で、日向の後ろをちょこちょこと着いて回るような少女だったと記憶している。彼女が高校デビューを果たした時、その変貌っぷりに誰だかさっぱり分からなかった。
内気な自分との決別か。あるいは日向の好みが「その見た目」なのか。
何にせよ、地味子から派手子へと舵取りをした切っ掛けがあったに違いない。口調までも変える徹底さだ。
「…………あー緒川、こんな時間になにやってんの。しかも靴箱前で」
「あ、丁度いいところに!」
すれ違い様、緒川がポスターの束を抱えていることに気が付いた。自発的か誰かに頼まれたか、作業の真っ最中らしい。ともすれば無視するのは後ろ髪を引かれる。他人ならまだしも知り合い程度の関係値はあるのだから。
俺の姿を認めた緒川の瞳。
その瞳が獲物を発見した肉食動物の如くであった。これは厄介ごとに巻き込まれるなと推測。案の定だった。
「これ、貼って欲しいっす!」
「……うぜぇ。押し付けんな押し付けんな。……なんのポスターだよこれ」
顔面に押し付けられるポスターの束をはねのけ、内容に視線を落とす。
元より手伝うつもりはあったが、余りの強引さに鬱屈が募った。まだまだ俺は帰宅できないのだと悟った。
「体育祭だぁ? まだ先だろ」
「そうですけど体育祭を仕切ってるのがうちの担任でして……。テスト期間中なのに張り切ってるんすよ」
聞けば緒川の所属するクラス担任は体育教師。もっぱらの熱血漢である。
このポスターも教師自作らしい。
定期考査期間にも関わらず既に一ヶ月後の体育祭に思考が至っているらしい。中々に傍迷惑な話であった。
「で、ポスター貼りに抜擢されたと」
「ですです。とりあえずは学校内に貼る予定で、定期考査明けには町内会とかに納品する流れになってます」
学校内といっても各階の廊下や、掲示板、貼る場所はそれなりにある。
「……しっかもあのハゲ、話が長いんですよ? あとなんか汗臭いし」
「話を聞いてて、この時間まで残ってるのは変だと思ったが、さっきまで捕まってたんか。そりゃ御愁傷様」
疲弊により、げんなりとした表情を浮かべる緒川に向け俺は合掌した。
「ま、いいんですけどね。私、体育祭実行委員やるつもりなんで。いまのうちにあのハゲのポイント稼いどけば立ち回りやすくもなるってものです」
ハゲ呼ばわりの体育教師憐れなり。だがまぁ、確かにあの先生は汗臭い。
おっさん臭が結構きついのだ。
それはさておき、緒川は実行委員に立候補するつもりらしい。俺からすれば面倒極まりない役目に感じる。
ただし記憶を遡れば、緒川は体育祭に並々ならぬ想いがあるようだった。
皆まで言わずとも、話題の中心は日向。一ノ瀬ハーレム軍団の一員である緒川の脳内では、確かな謀略が練られているのだろう。日向の恋人というステータスを得られるのは一人だ。
「実行委員ねぇ……聞くだけでダルくなってくる。緒川はよくやるよ」
「あったりまえです。桜木先輩や姫乃先輩より前に出なきゃ。負けられない乙女の戦争ってやつなんですよ!」
むんっとやる気を見せる緒川。乙女だかヴァルキリーだか戦乙女だかは分からないが、とかく熱量は凄まじい。
中学の頃から整っているとは思っていたが、高校生になってから彼女の人気は右肩上がりらしい。まだ新一年生組が入学してから二ヶ月弱という短い時間にも関わらず、時折緒川の名前が耳に届いてくる。──無論、ほとんどは月菜ちゃんではあるのだが。
「ささ、はやく貼り行きましょ! 指定されてる場所がちょっぴり高いんで碓井先輩が来て助かりました!」
そう言い、トテトテと歩き始める緒川。後ろ姿はそこはかとなく小動物。
梨花は平均的、姫乃先輩は高身長ということもあってか、小柄な緒川はある意味目立つ。……仕方ない、後輩のお願いだ。素直に聞くとしようか。
「碓井先輩って変わんないっすね。特にその覇気のない顔立ちとか」
「今すぐに帰っていいか」
途中緒川が軽く微笑みながら話題を投げ掛けてきた。喧嘩かもしれない。
ポスターの束を全部俺に押し付けた挙げ句、この言葉使いである。生意気なハムスターのような女子である。
月菜ちゃんといい、緒川といい、俺の顔はそんなに無気力なのだろうか。
「わー冗談です冗談です! 変わってなくて親しみがあるって話です!」
「本当かよ」
胡乱な視線を緒川に向ける。
すると、緒川は分かりやすくそっぽを向き下手くそな口笛を奏でた。中々に良い性格をしていると逆に感心。
「本当です、この目を見てください」
「嘘つきの目だな。俺にはわかる」
「ひど?! どこに根拠が?!」
大袈裟なリアクション。
話せば話すほど、記憶に存在している彼女との解離が浮き彫りになる。
高校生デビューは元来の性格が祟って無理をすると疲れると聞いたことがある。しかし彼女の場合はその限りではなさそうだった。一応は後輩にあたる緒川。多少は気に掛けてしまう。
やがて第一目的地に到着。ポスターを一枚広げ、四角を画鋲で固定。
「お前が変わりすぎなんだよ。たかだか高校生になったからって、そんなに見た目とか変化するか、普通」
「恋ですね」
緒川は淀みなく呟いた。
彼女の肩越しに見える茜から紫。遠くの空がやや薄暗くなりつつあった。
「好きな人のためなら、なんだって人間出来るんだと思いますよ。私は」
「……そーいうもんかね」
同意に似た何かで場を濁す。
恋人はおろか、恋すら経験をしたことがない俺では理解が及ばない。
「碓井先輩も恋したらどーですか?」
彼女がその言葉を紡いだ時だった。
俺のスマホがバイブした。どうやら何かしらの通知が届いたようだった。
彼女の問いにすぐ答えられなかった俺はこれ幸いとスマホの電源を入れ、
──戦慄した。
差出人。
貴方の恋人。
開く。
【楽しそう。私も真司様とポスター貼りたいですっ。あ、それ以上彼女に近付いたら駄目ですからね。つい殺したくなってしまうので。せめて一メートルは離れてください。あぁ、はやく会いたい、会いたいです真司様】
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