第14話 最悪な一週間

 週明け、俺は黙々と答案用紙にシャーペンを滑らせていた。

 悩み、分からない問題はすぐさま飛ばし、簡単な箇所は確実に解く。ひたすらにその繰り返し。体感速度、長針の進みがやけに早い。何かのバグかと思う。

 俺は叩き込んだ知識を必死に脳みそから絞り出し続けていた。


 結果から述べると。俺は月菜ちゃんに語らなかった。

 猛追を掻い潜り、俺に降りかかっている事情を伝えなかった。


 それは彼女に被害が行かないようにするためでもあったし、何より不確定な要素が多すぎる状態であったからだ。自宅を既に特定されている、ともすれば一ノ瀬家も知られているだろう。あの逃走経路の選び方からして、ただものではない。


 ……恐らく家に現れたのは前回が初ではないはずだ。

 逃げ方が地図を頭に叩き込んでいる人間にしかできないルート選びだったから。この街出身の俺が最終的には分からない場所にて巻かれてしまうほどの逃げ足。

 警戒はしていたつもりだが俺の認識が甘かった。


(……言えないよなぁ)


 擦り減ったシャーペンの芯を出しながら、先日の電話を思い出す。

 俺の焦りと怒りが綯い交ぜになった声を聞いた月菜ちゃんは、帰宅後すぐさま事情を問うてきた。表情には『心配』の二文字がくっきり貼り付けられていた程。


 もう誤魔化すのは限界だと正直思った。話すべき時が来たのだと。

 だが月菜ちゃんの顔を見た俺は、喉元まで出掛かっていた『ストーカー』の単語を無理矢理飲み下した。相手――たぶん女子は、夜更けに自宅を訪問するほどの行動力と異様性を兼ね備えた危険人物。こちらの常識は通用しないであろう。


『私、力になるから』


 彼女の言葉が脳裏に浮かぶ。決意の炎が瞳の奥で揺れていた。

 言えば。素直に白状すれば、彼女は言葉通り行動に移すことだろう。

 しかしこれは俺の問題。月菜ちゃんに負担は強いられない。

 

(月菜ちゃんが怪我なんか負えば……うぅむ)


 かつかつ、と答案用紙に文字を記入する渇いた音がクラスに響いた。壁掛け時計に視線を送ればあと数分、俺は解くスピードを上げ、見直しも並行して行う。

 

 赤点を取れば補修となり、放課後居残りか休日登校になる。

 もし休日登校を指示されれば、月菜ちゃんと約束した映画館に行けない可能性がある。せっかく楽しみにしているのだから、落胆はさせたくなかった。

 ただし、俺達をつける不審人物がいれば締め上げてやる。




「今日はっと、焼きそばパンか」


 昼休みの購買部、ないし食堂は毎日戦争であると思っている。

 とりわけ俺が通う高校は他校より食堂が充実しているだけあって、一年生から三年生、果てには教師まで参加して、空間がごった返すことが日常であった。高校でありながら、食堂でラーメン等が提供されているのも珍しい光景だろうか。


 購買部の人気商品は総菜パン。日によって商品在庫は変動する。

 遠目から見ると焼きそばパンに人だかりができていた。俺は幸いなことに好き嫌いがないので不人気商品をささっと購入し、時短を図ることがいつもの流れだ。

 現在は定期考査期間、予習もしたいので尚更時短術が重要。

 

 先週は月菜ちゃんが弁当を作ってくれていたが、今週は定期考査のせわしなさも相まって、俺は栄養バランスが偏った食事に戻っていた。というよりも、元々弁当を頂けていた方が贅沢なのだから、これが平常運転といえばその通りである。


 母親から支給されている食事代が凡そ数日分浮いている。

 月菜ちゃんのことだから俺の母に連絡はしているだろうが、その母から「小遣い返せ」の指令がない以上、ありがたく頂戴する。……バイトでも始めようか。


「月菜はどー? ぶっちゃけ余裕でしょ?」

「まーね。予習復習しっかりしとけば問題ないって」

「さっすが一ノ瀬家の人間。はは~ッ」


 総菜パンを二個手に取り、会計待ち中、聞き慣れた声が凛と響いた。彼女は、説明こそ難しいが良い声をしていた。喧騒に満ちていてもお構いなしに通る。

 横目で見てみれば数人の女子グループ。中心は無論月菜ちゃんだ。


「家は関係ないって。あ、真にい~!」


 名指しであった。俺の頬が引き攣る。

 月菜ちゃんはメンタルが鬼強い。恐らくどこでだって生きていける。兎にも角にも無視は罰が悪いと、俺は半身で振り返り――小さく会釈。向こうは女子団体様、俺はひとりで購買。彼女らの会話に参加する胆力は持ち合わせていない。


 これで日向が隣に居れば月菜ちゃん以外全員押し付けたのだが、アイツはアイツで人気者だ。何よりここ最近ハーレム軍団の熱量が凄まじい。勘違いではない。

 取り合いというか、恋人戦争というか。とにかく空気感が違う。

 ややもすれば、ついに日向に恋人ができるかもしれない。


 それはそれで波紋も生むだろうし確実に俺にまで飛び火する。仲介を頼んだのにどういうこと!? と。理不尽な物言いは慣れているとはいえ勘弁願いたい。


「うわぁー、やっぱり。私がお弁当作らないとすぐパン生活に戻ってる」

「なんで来たし。いいのか友達は、ほらすっげー見られてっから」


 会釈という動きでもって挨拶を終わらせたつもりの俺。

 しかし月菜ちゃんには通用せず、かつかつと駆け寄ってきた。耳に響くはあのひと誰とか、日向さんの友達で、とか。個人情報駄々洩れ状態だった。


「いいって。私が話したい人と話す。それの何が悪いの」

「……ぐうの音も出ない。んで、なんの用だよ?」


 俺の会計順が回ってきた。レジのスタッフに現金を渡す。

 お釣りを待ち、列から外れると月菜ちゃんの返答が横から耳朶に届いた。


「土曜日のこと、まだ流したわけじゃないから。力になる気だし、私なりに支えるつもりよ。真にいって何か悩んでる時、すっごく分かりやすい」

「…………まあ、何かあればな。言うさ。月菜ちゃんに」


 たっぷり数秒は溜めて、俺は首肯した。

 いけないな、心配させている。年上として情けなく思う。まずは正体を探り、安全な場所で接触。ストーカーの動機と経緯を暴かなければならない。


 先週、屋上で辛気臭い顔などと詰められた時よりも神妙な雰囲気だ。

 短いスパンで二度もわっかりやすく隠され、はぐらかされたのだから当然とも言える。


「せんぱーい、私月菜の友達やってて――」


 微妙な空気が張り詰めた時、のほほんとした声が場を裂いた。

 俺と月菜ちゃん二人して振り返れば、女子グループのひとりである。聞けば日向に会いたいのだという。明らかに月菜ちゃんの表情に苛立ちが募っていた。

 誰かを出汁にする。自分で行動しない人間が彼女は嫌いだから。


「真にいさっさとアイツの連絡先教えちゃって。めんどい。アイツの何がいいのかさっぱり分かんない。真にいの方が百倍、いや百万倍はいいでしょ」

「その言葉は嬉しいけど友達だろ。んなテキトーでいいのか?」


 自己アピールに夢中になっている女子をよそに、吐息混じりに囁かれる。その声と言葉が少しだけ擽ったい。俺は頬を掻きながら、眉を吊り上げた。


「友達? 付き合いよ付き合い」


 あっけらかんと言い放つ月菜ちゃん。所属グループだの派閥だの女子は大変らしい。何にせよ、俺も面倒になりつつあったので日向の連絡先を渡した。

 きゃっきゃと人目も憚らず喜ぶ女子生徒。

 その子が離れていくのを確認してから、


「俺のどこがいいんだ? ちょっと聞かせてみ?」


 特に深い意味はないが、聞いてみた。月菜ちゃんに懐かれているのは自覚しているが、その理由までは尋ねたことがない。興味本位からの質問であった。


「え、顏。声。性格。他全部」

「……そこまで言い切られると嘘くせぇ」

「は、嘘じゃないんだけど」


 当たり前のことを聞いてこないでとばかりと言い切った。

 どうにも冗談を言っているようには思えない様子だ。


「じゃあ、私のいいところ言ってみてよ」

「顏。声。性格。他全部、あと髪」

「……髪褒めるのはキモイ」

「なんでだよ!?」


 何が「じゃあ」なのか不明だが、意趣返しとして答えてやれば罵倒されてしまった。俺の大声に反応した生徒からの視線が突き刺さった。慌てて肩を竦ませて気配を絶つことに努める。

 幼馴染ならではの軽口と絶妙な距離感が心地よい。


 こんな関係が続いていくことを願う。

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