第13話 夜のコンビニ

 土曜日、俺は街灯が照らす暗い路地をひとりでぶらついていた。


 週明けから定期考査が始まる。

 本日も嫌々机に向かい合っていた俺だが、小休止を挟もうと思い至りコンビニに向かっているところである。


 夏の香りがする時期とはいえ、五月の夜はまだ肌寒さを感じる。月明かりが照らす街は静寂を保っていた。


 月菜ちゃんと約束したデート(仮)は来週の土日のどちらかになる運び。


 さすがに定期考査直前にぶらぶらと遊び呆けている訳にはいかない。明日からの鬱屈とした日々を想像すると意識せずとも、肩を落としてしまう。


「……しゃっせー」


 ストーカーやら定期考査やら考えごとをしている内に到着していた。


 店員の覇気のかけた挨拶が響いた。家からコンビニまで徒歩五分。路地を抜ければすぐの場所に位置している。


 夜、ひとりで行動するのは迂闊かとも思ったが、家から近いコンビニだ。

 それに場所は住宅街。相手が俺の自宅や行動範囲を熟知していたとはいえ接触はしてこないだろうと踏んだ。


 何よりメールの内容から、相手は狡猾な性格であると予想できる。夜道接触してくるなど俺の警戒心をより高めるだけの無意味な行動だ。つーか、コンビニくらい自由に行かせてくれ。


「どうしよっかな~」


 俺は本日の夜食を物色しようと陳列棚に視線を向けていた。

 デザート、惣菜、菓子パン、そして王道のカップラーメン。どうして夜食ってこうも魅力的なんだろうな。


 カロリーを気にしては夜食の意味がない。夜食ってのはカロリーが高ければ高いほど良いのだ。などと益体ないことをボケッと思案していると、


「なーに買うの? 真にい」

「……こんな時間にどーしたんだよ」


 自分の名前、とりわけこの呼び方は彼女専用だ。驚きを胸に振り返ってみれば、案の定、月菜ちゃんであった。


 黒を基調とした、動きやすそうなスウェット。ただし俺が着ている武骨な物より幾らかお洒落であった。


 茶髪は前髪が上げられており、ヘアピンで留められている。風呂上がりかやや顔が上気しているように見えた。


「たぶん真にいと一緒。夜食の買い出し、明日からテストだしね」


 なんだか余裕そうな態度である。

 ……まぁ実際余裕なのであろう。


「頼んでくれりゃ俺ついでに買ったのに。時間も二十二時越えるとこだし」

 

 月菜ちゃんは中学生の頃から学年トップ常連であった。なんでもひたむきに一所懸命努力する人物である。妥協は許さない、後悔はやりきってから。


 月菜ちゃんの性格に。真面目で誠実な性格に。何事にも全力を発揮し取り組める性質に、素直に憧れている。


 だが、どんなに立派な志しであっても女子は女子。夜の徘徊は危険だ。

 近所のコンビニであっても、付近は街灯がまばらに点在する住宅街。やや入り組み、細路地も少なくない。


「こんな遅い時間に不審者に会ったらどうするつもりなんだ。危ないだろ」

「はいはい、気を付けますよーだ」


 俺の注意など、相変わらずどこ吹く風。なんともお気楽なものである。


 俺が心配しすぎなのだろうか。

 彼女に対するの心配とうざがられないかの不安が胸中で拮抗していた。


「ほんとは真にいが外に出てくの偶然見えたから、追っかけたんだけど」

「……なんだよ、そういうことか」


 俺はほっと胸を撫で下ろした。


「夜風浴びようって思ったら出ていくの見えたから。夜に徘徊する危険性なんてわかってるって。私美少女だし」


 聞けば、窓から家を出ていく俺の姿を目撃したという。家が隣同士、幼馴染ならではの発見方法であった。


 それにしたって、買い物依頼してもらえればあわせて購入した。

 わざわざついてこなくとも……といった言葉が脳内に浮かんだが、月菜ちゃんに懐かれるのは喜ばしい事だ。


「ま、ほんと気を付けろよ。つーか月菜ちゃんって夜食とか食べるんだな」

「夜食の魅力に抗えない日だってあります。自分で作るより楽だし」


 と、鼻歌混じりにカップ麺を手に取る月菜ちゃん。

 言われて納得。

 彼女だってひとりの人間で、勉強のお供に夜食くらい取るだろう。何より自炊と違って、手軽さは異次元だ。


 カップ麺を産んだ偉人には感謝。


「誰かに食べてもらうのは好きだけど、ひとり分……それも自分用に作るのはこの時間からはちょっち面倒」


 あくびを小さく噛み締めながら、月菜ちゃんは目頭を数度指で押した。

 

「あ、定期考査終わったらデートだから。真にい忘れてないよね?」

「そりゃな。映画だろ?」

「そう! いま見たい映画多すぎて困るんだよね~。あとあと買いたい物もあるから荷物持ちお願いしますっ」


 ぱんっと小気味良い音を立てながら手を合わせた月菜ちゃん。

 古今東西津々浦々男は荷物持ち。って訳ではないのかもしれないが、こと俺に至っては荷物持ち確定である。


「へいへい。わーったよ」

「ありがと! ……ここの会計は?」

「……あいよ。弁当も作ってもらってるし、このくらい出しますとも」

「ふふーん、さすが真にい」


 普段から弁当やら夕飯やらで世話になりっぱなしだ。異論は委細ない。

 それに、たかが数百円の会計でここまで喜んで貰えると出してよかったとさえ思えるのだから、彼女はずるい。




 月菜ちゃんを家まで見送る。

 とはいえ隣家。玄関先で数度の会話を経て、彼女は中に入っていった。


「……よし、勉強頑張るか」


 夜食も用意した。俺は自分を鼓舞しながら、机と向き合うことを決意。


 月菜ちゃんは無論、日向ら幼馴染み集団、姫乃先輩、緒川、俺の周囲の人間はみな優秀者ばかりだ。容姿はこの際仕方ないとして、勉強くらいは最低限の結果を叩き出しておきたい。


 勉学が苦手であることは自負しているが、サボれば余計惨めになる。


「──」


 振り返り、自宅の玄関に視線を向け、歩き出した俺の足が固まる。縫い付けられたかのように動かない。


 その人物は玄関から数メートル離れた位置で──じっと、立っていた。


 我が家は玄関照明がない一般家屋。光源は月明かりと街灯のふたつ。

 仄暗さに紛れて、誰かがいる。確かにいる。いるのだ。月菜ちゃんではない、さっき別れたばかりだから。


 母親か父親か、いや違う。母は夜勤で父親は既に家で爆睡を決めている。


 額にじとっとした汗が滲んだ。

 顔は見えないが、うっすらと見えるシルエットは女子。身長はこの距離では、暗さも相まってよくわからない。


「──っ」

「お、おい! 待てッ!」


 俺の気配に勘づいた相手が逃げるようにして駆け出した。慌てて追いかけるが、手提げ荷物のせいで上手く走れない。──その場に投げ捨てる。


 油断した。相手は安易な行動をしないと勝手に決めつけていた。

 油断した。油断した。


 まさか玄関に張り込むなんて。

 いつからいたんだ。俺が家を出てからか、あるいは──もっと前から?

 相手は普通の思考回路ではない変質者。ストーカー。捕まえなければ。俺を狙う理由を聞き出さなければ。


「っち、はぇえなおい?!」


 だが、相手が予想以上に速い。何より街路を熟知しているのか、細路地をすいすいと淀みなく駆け抜ける。


 この迷いのない走り、闇雲に駆けている様子ではない。つまり俺の家周辺の地図を頭に叩き込んでいる。


 突如として始まった深夜のおいかけっこ。汗を吸った肌着が気持ち悪い。


「はぁっ、はっ。っ」


 かろうじて耳元に届く相手の吐息は恐らく女子のソレ。……しかし特定に至れるほどのものではない。話し声さえ分かれば大きな手がかりなのに。


 五分弱の追走劇。遠ざかるシルエット。闇夜に紛れて完全に消滅。


 俺は電柱に背中を預けて、捕まえられなかったことを全力で悔やんだ。


「──クソ、クソがッ」


 俺は呼吸を落ち着かせながら、地面に向けて悪態を吐き捨てた。

 逃げられた。あの慌てよう、全力の逃走具合。確実にアイツだ、アイツは俺のストーカーで間違いない。


 だが誰かは分からなかった。

 分かったのは俊足かつ道に詳しい女子であるということだけ。

 

 しかし女子であろうとは予想していたから重要な点ではない。成果の得られなかった五分弱だった。帰宅部であることを恨んだのは今日が初めてだ。


「あ~、しんど。まじで」


 渇いた口内。荒い呼吸を繰り返す。

 テスト勉強どころではない状態。しかも、ここがどこかまるっきり不明。

 

 かなり走ってきたみたいだった。

 現在地を確認しようとポケットに突っ込んでいたスマホを取り出してみれば──月菜ちゃんから何度も着信とトークが入っていた。


 どうやら俺が叫んだのを聞かれていたみたいだ。……どうすっかなぁ。


 事情を話せば、確実に彼女を巻き込むことになる。そうなれば、ストーカーを探ろうとするだろう。だが相手は異常者。己の正体を探ろうとする人間を攻撃する可能性も充分ありえる。

 

「あー、もしもし?」

『真にい大丈夫?! 外から真にいの怒声が聞こえてきたんだけど?!』


 かけた電話。電子的コール音を待たずして、月菜ちゃんは電話に出た。

 

 焦っている彼女の声は夜の静寂にいたく響いた。俺はどこまで伝えるべきか、思考を巡らせた。

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