後日談
凛ちゃんにプロポーズされた一か月後、私たちは役所に婚姻届を提出した。
「なんか、『夫婦になった』っていう実感湧かないね」
「まあ、役所に書類提出しただけだしな」
役所からの帰りの車内で、私たちはそんな会話をしていた。
凛ちゃんにプロポーズされてから今日まで、私は彼と結婚するこの日を楽しみにしていた。しかし、実際に婚姻届を提出してみると、「結婚した」という実感がイマイチ湧かない。
これから徐々に「夫婦になった」と実感していくのだろうか。
ちなみに、私たちの結婚は、凛ちゃんが名前を変えるために、婿入りという形になった。理由は、酒々井凛という名前が反田組の幹部として、過去のネット記事やアウトロー系の雑誌に載っているせいだ。
つまり、彼の名前は「副島凛」になっている。
そうか。凛ちゃんの今のフルネームって、「副島凛」なのか。
改めてそのことを考えると、私の胸が高鳴った。
婚姻届と言えば、一つ衝撃的な出来事があった。――それは証人のことだ。
私は両親が他界しており兄弟もおらず、凛ちゃんは家族と縁が切れている。
話し合った結果、婚姻届の証人は二人の共通の知人にしようということになり、一人目は和住さんに決まった。
しかし、二人目に関してはなかなか良い人が決まらなかった。
――じゃあ、俺が証人になりましょうか?
二人目の証人が決まらないことを舞島くんに何気なく話すと、彼は気合の入った様子で名乗り出てきた。
実は、凛ちゃんがヤクザを辞めた後、同じくヤクザを辞めた舞島くんは、うちの店でアルバイトを始めた。
舞島くんには、主にレジと閉店作業時の掃除をお願いしている。アルバイトを雇ったことで、私は調理場で弁当作りに集中でき、仕事も楽になった。
しかし、舞島くんはまだ十代なので証人になれない。「二十歳以上でないと証人になれない」ことを舞島くんに話すと、彼はしょんぼりと肩を落としていた。
和住さんに署名してもらうために、私たちは久々に彼のタトゥースタジオに向かった。
すると、そこには真っ青な顔をして縮こまっている和住さんと、――満面の笑みを浮かべた浅田さんがいた。
――お二人ともご結婚おめでとうございます!酒々井さんが足を洗われたとは聞いていましたが、まさかお二人がゴールインされるだなんて……!先ほど、和住さんから聞いたのですが、二人目の証人がまだ決まっていないそうじゃないですか。私で良ければ、証人になりますよ!
浅田さんは私たちに拍手を送りながら、早口で
そして、私たちに有無を言わさずに、婚姻届に署名と捺印をして、「お幸せに!」と言い残して帰っていった。
凛ちゃんが鬼の形相で和住さんを睨むと、和住さんは半べそになりながら「ごめんね、後で塩撒いとくから」と言った。
私たちは、二週間前にごく普通の三階建てのマンションに引っ越した。
前に住んでいた高層マンションは、反田組のツテで借りていたものらしく、凛ちゃんが組を抜けた今、あそこに住み続けることはできなかった。
以前のマンションよりも今の住まいは部屋が狭くて、凛ちゃんの収入が減ったことで生活も質素になってしまったが、私は今の生活のほうが気に入っている。
凛ちゃんは以前よりも時間に余裕ができて、私と一緒に過ごす時間が増えた。そのため、最近ではよくドライブデートに連れて行ってくれる。
それに、凛ちゃん自身も以前に比べて顔つきが穏やかになり、言動も丸くなったような気がする。
自宅に着くと私はまず、ズボンのポケットに左手を突っ込んでいる凛ちゃんの姿が目に入った。
「ねぇ、凛ちゃん。私と二人きりの時は、左手隠さなくてもいいんだよ?」
私がそう指摘すると、凛ちゃんはばつが悪そうに口をへの字に曲げる。
あの日以来、凛ちゃんは日頃から左手をポケットに入れて隠すようになっていた。家にいる時もそうだ。
私はいつも「隠さなくていい」と言っているのだが、凛ちゃんは全く改善しようとしない。今だって、左手をポケットに入れたまま出そうとしない。
「あっ!そうだ」
私は良い作戦を思いつく。
「結婚指輪つけようよ」
私は寝室からケースに入った結婚指輪を持ってきた。
「ほら、左手出して」
私が片方の結婚指輪を取って催促すると、凛ちゃんは渋々左手を私の前に出した。
その手には、――第二関節から先を失った小指がある。
何も知らない人がこの欠けてしまった小指を見ると、きっと恐れおののくだろう。
だけど、私には、この小指は「私と共に生きていく」という凛ちゃんの決意に思えて、むしろ愛おしさを感じる。
そんな欠けてしまった小指のすぐ隣の薬指に、私は指輪をはめる。
骨ばった凛ちゃんの指に、プラチナの指輪が光っている。
「俺も、つけてやるよ」
凛ちゃんは私の薬指から婚約指輪を外すと、代わりに結婚指輪をはめてくれた。
「あっ、なんか『夫婦になった』っていう実感湧いてきたかも」
私は、お互いの指にはめられたお揃いの結婚指輪を眺めながら呟く。
「なあ、幸希」
「ん?何?」
私が凛ちゃんを見上げると、彼は何やら企んでいるような表情を浮かべていた。
「明日、店休日だったよな?」
「……それがどうしたの?」
「――俺も、明日休み取ったんだよ」
すると突然、凛ちゃんは私の身体を抱え上げた。
「――へっ!!?」
急にお姫様抱っこをされて、私は素っとん狂な声を上げる。
「夫婦になったんだったら、
私を抱きかかえたまま、凛ちゃんは不敵な笑みを浮かべる。
「へっ?えっ?どういうこと?」
私はまだ状況が呑み込めずに混乱している。
「今日は、一晩中付き合ってもらうからな」
私は凛ちゃんのその言葉で、ようやく彼の言動の意味を理解した。
「ちょ、ちょっと待って!?」
必死の抵抗も空しく、私は凛ちゃんに抱えられたまま、寝室へ連れて行かれてしまった。
続・泣き虫の凛ちゃんがヤクザになっていた2 九十九一二三 @kuri_kuri
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