第18話

 私は凛ちゃんの帰宅に備えて、夕飯の準備をしていた。

 カレーのルーを溶かして鍋の中をゆっくりかき混ぜていると、凛ちゃんが帰ってきた。

「おかえりー」

 私はチラッと凛ちゃんのほう見ると、すぐさま鍋に視線を戻す。


「幸希、ちょっといいか?」

 凛ちゃんに呼ばれ、私は火を止めて彼の元へ駆け寄る。

「どうしたの?」

 その時、私は凛ちゃんの左手が目に留まった。彼の左手は、包帯でぐるぐる巻きになっている。

「えっ!?凛ちゃん、怪我したの!!?」

「退院したばかりなのに」と思いながら凛ちゃんの左手を両手で持ち上げてよく見ると、私はあることに気づいた。


「あれ?小指……」


 包帯は小指を中心に巻かれており、その小指は極端に短くなっているような気がした。

 

「足洗う時にさせるヤクザなんて、今日日きょうびなかなかいねぇぞ」

 凛ちゃんはため息を吐きながら、そう吐き捨てる。

 足を洗う?

 私が不思議そうに凛ちゃんを見つめていると、彼は「ヤクザ辞めてきた」と、あっけらかんと言った。


 私は一瞬、何のことだか分からなかった。

 そして、少し遅れて言葉の意味を理解して、仰天する。

「えっ!?ヤクザを辞めたって……」

 凛ちゃんはばつが悪そうに襟足を掻くと、右手をジャケットのポケットに突っ込んだ。


「俺のシノギで経営してた飲食店なんだが、反田のシマにあるやつ、いくつか組に取られちまってな。足を洗うんなら、組とは一切の関係を断ち切らなきゃならねぇ決まりなんだよ。つまり、俺は反田のシマに出禁ってわけなんだ。ああ、もちろん、お前の店は手放してねぇから安心しろ。それで、お前の店含めて俺の手元には飲食店が三店舗だけ残った」

 凛ちゃんは何やら言い淀んだ様子だったが、諦めたようにため息を吐く。

 

「まあ、つまり、……前より収入が減るってことだ。飲食店の経営以外の俺のシノギは、全部非合法かグレーなやつばっかりだから、流石にカタギになったら続けられねぇしな」

 凛ちゃんは私の目を真っ直ぐ見ながら、微笑みかける。まるで、憑き物が落ちたかのような表情だ。


「それに、俺がヤクザだった過去は変わらない。これからも後ろ指差されながら生きていくことになると思う。……でも、俺はお前と生きていくために、ケジメをつけてきた。それだけは分かってほしいんだ。もし、お前がこんな俺でもいいって言ってくれるなら――」

 凛ちゃんがポケットから右手を引き抜くと、その手には小さな四角い箱が握られていた。


「俺と結婚してほしい」


 凛ちゃんが箱を開けると、ダイヤがキラリと輝く指輪が現れた。


 私は凛ちゃんの言葉の意味も、目の前の指輪の意味も理解できず、しばらくの間放心状態となった。

 そして、その意味を理解するよりも先に、私は涙を流していた。

 もっと、ずっと先になってしまうと思っていた日が、こんなにも早く訪れるとは思わなかった。


「もちろん、いいに決まってるじゃない。私だって、凛ちゃんと結婚したいって思ってるんだから」


 私の返事を聞くと、凛ちゃんはすぐさま私の左手を取って、薬指に指輪をはめてくれた。指輪のサイズは、私の指にピッタリだ。

「いつ、私の指のサイズ測ったの?」

「寝てる時。お前、全然起きねぇんだもん」

 私は指輪を見つめながら、クスクスと笑う。

 何だか夢の中にいるようで、フワフワとした感覚になる。


 完全に浮かれている私を、凛ちゃんは優しく抱き寄せると、触れるだけの口付けをした。

 唇を離すと、凛ちゃんと目が合った。

 彼は、穏やかで、屈託のない笑みを浮かべている。


 それは、泣き虫だった頃の凛ちゃんと、全く同じ笑顔だった。

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