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 文久三年三月、容堂はついに土佐帰国を果たした。三十一歳の青年藩主は今や三十七歳の老公と呼ばれる隠居となっている。

 藩主の座を失い、家族を失い、師にして最愛の股肱である男も失った。藩内政治も混乱と荒廃の極みにある。とにかく保守派も勤王党も排除して、旧東洋派を復権させねばならない。

 自分が私怨に走りすぎて正気を失いかけているのではないかと恐ろしくなる時もあったが、それに反する材料を、勤王党の方から与えてくれるのだ。

 六月、容堂は土佐勤王党の主だった者三名を、親王に令旨発出を強要した罪で切腹させた。尊王は正義、皇室は偉大。なればこそ、常人が触れえない高みに据えておかねばならない。

 欲望を持ったものが皇室に強要し、あるいは取り込めば何でもできてしまう。暗殺の横行で政治家も役人も震え上がり、攘夷派の顔色を窺うしかない有様になっているのと理屈は同じだ。

 狂った世界を正すのだ。自分のやっていることは正義に違いない。

 しかしそれは、自分を奮起させる材料としてはやはり限りがある。

 武市はむろんのこと抗議しにきて、処罰の撤回を求めた。それに相槌を打ちながら、容堂は奇妙な心境になっていた。

 冷え切った殺意を根底に湛えながらも相手に情を抱くということがあるのか。いずれ必ず殺すということを前提にしながらも、自分は心のどこかでこの男が好きで、会うのが楽しみなのだ。

 それは単に見た目の良さや凛とした立ち居振る舞いのせいかもしれなかったし、本気で尊皇と攘夷を信じ込む純粋さのせいかもしれないし、何であれ自分を熱烈に尊敬してくれることへの返礼かもしれなかった。

 あるいは殺意が動かないからこそ、気持ちをわずかなりとも「好き」に振り向けられるのか。

 どちらにしても、過激派の首魁を討って世の中を平穏にするというより、自分の最愛の股肱を殺された復讐をするというほうがはるかに気合が入るのだ。

 先の七月二十九日と本日八月六日、容堂は武市を召喚してかなり長い面談をした。

特に今日の面談では容堂は聞き役に徹した。

 尊敬する容堂に理解されていると思って嬉しかったのか、同志を処刑された落ち込みも脱して武市は、京都でおこなった天誅のことまで包まず話した。

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