(四)-2

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 佐幕開国であった井伊直弼が暗殺され、世の中は尊王攘夷一辺倒になった。敵の敵は味方という扱いで、開国派であった旧一橋派も赦免の恩恵を受けたのだ。しかし土佐には簡単には戻れない。

 土佐藩は武市に牛耳られ、若い藩主も取り込まれた。八月には土佐藩は藩主を押し立てて上京した。

 武市と土佐勤王党員らも当然のように随行し、京都の地で長州の過激派と組んで、反攘夷反勤王とみなした者たちの暗殺を繰り返した。

 狭い過激派の中では褒め合えても、世間の中では土佐の名前は殺人集団と同義と化した。それだけではない。

 東洋暗殺の下手人を追っていた土佐の下横目(捜査員)が二名、それぞれ八月と年末に上方で殺されている。土佐勤王党はもはや盗賊かなにかと変わらない。

 それでも彼らは、公的には栄えある尊王攘夷の党だった。

 秋には勅使を押し立て、幕府に攘夷督促のために行列を組んで江戸にやってきた。武市への怒りはあるにしても、容堂も幕政改革や尊王のために尽力するのはやぶさかではない。

 この時、容堂は藩邸で初めて武市半平太と対面した。

 東洋の横死を聞いて以来憎しみにかられ、頭の中で武市の姿が奇怪な魔物のように膨れ上がっていたのだが、実際の武市は折り目正しく晴れやかな美男であった。

 人を惹きつける魅力があるのは確かだ。身分の低い者に限らず、若い藩主や容堂の実弟に至るまでが今や武市のとりこのようになっている。見た目の良さだけでなく話す内容も明晰で、真摯な人柄が伝わってくる。

 その後も幾度か対話の機会を持ち、純粋、無私無欲という印象を持ったことは否定できない。

 攘夷論に加え、将軍家も諸大名の列に下るべきという論には折り合える気はしなかったが、もしまともな形で出会えていれば一人の論客として尊重できたかもしれない。人さえ殺していなければ。

 人間に対する最も残酷な仕打ちは夢を殺すこと。

 自分の夢は、東洋が絶命した瞬間に死滅してしまった。

 今後同じくらい優れた頭脳と雄大な構想を持つ人間が現れたところで、意味がない。東洋とともに叶えるのでなくてはどんな美しい夢も意味がない。

 だから私はお前を殺す。人間の夢を殺す罪深さを、その身でもって思い知るがいい。

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