第5話

「……私に指を差し向けるとは、どう言う女だ。この無礼者」

 シルヴァーフォレスト公爵は、突き出した美玲の指をさらりと払い退けた。

 声は冷たいが、態度は乱暴ではない。

 一応紳士なのだろう。

 しかし、紳士かどうかは今、美玲にとって全く問題ではなかった。

「うるさいですわよ! つまり私は、あなたの妙な能力のおかげで、無理くりこんなところに召喚されたってことですね! 十分怒る資格あると思いますけど!?」


 呼ばれて転生? 転移か? どっちにしても絵に描いたようなテンプレ展開じゃないか!

 しかも私、テンプレ嫌いなのに!


 美玲は、本も漫画も映画も好きだが、どちらかというとジャンルに縛られない個性的な作品が好きだ。

 しかし、有名な作品はいくつか読んでいるので、まさしく今、自分が鉄板テンプレート的展開に陥っていることだけは理解できた。

 ──したくはなかったが。


「召喚……とは、高尚な言語を使うな。さすがは勤労少女だ」

「大きなお世話でありやがりますよ! いいから元の世界に戻してください! このままじゃ職を失います。困るんです! さぁ! 今すぐ!」

「……」

「ちょっと……なんでそこで黙るんです!?」

 微妙な顔で視線を逸らした公爵に、美玲は思わずすがりついた。

「能力を制御できないって言っただろう? 発動がいつくるのか、私にもわからない。そもそも発動したのも三年振りだし……」

「ぎゃー! またしてもテンプレ展開! 召喚されたら戻れないキタ——!」

「てんぷれ? それはなんだ?」

「こっちの言葉です。それにどうでもいいですから! でも私、本当に困るんです。それもすごく! なんとかなりませんか?」

「……努力はしよう。してみよう」

 涙目で訴える美玲に、さすがに感じる物があったのか、公爵は美しいまつ毛を伏せた。

「努力……ですか」


 ああ、私はこのまま、職を失ってしまうのかもしれない。

 せっかく資格試験に合格して、自分を養う力を得たのよ!

 そりゃあ、お金持ちのおばさんにねちねち嫌味を言われたり、男尊女卑おじじ様に物凄い見下し発言されたりとか、色々理不尽なことはあるよ。

 でも安定した収入と、親にも誰にも邪魔されない、自分だけの居場所を持つことができたのに!

 異世界転生は、アニメとテンプレ小説だけで十分だっての!


 がっくりと項垂れる美玲を見下ろし、シルヴァーフォレスト公爵、リュストレーもまた困惑していた。


 確かにこれはどうしたことだ?

 三年振りに能力が発動したと思えば、書き出し中の物語の登場人物によく似た女が出現した。

 しかも、この私が他人──しかも女と会話している。

 王家から落籍らくせきし、この屋敷で誰とも会わずに一人で好きな芸術三昧ざんまいで、一生を過ごすつもりだったのに。


 じじじじじ


 燭台のロウソクの火が燃え尽きる音がする。

 元々使いさしのものだったので、尽きるのも早いのだ。

 部屋は再びゆっくり暗くなっていった。

「とりあえず、こちらの状況を説明してくださいませんか? 公爵様、ここはなんと言う世界なんです?」

「申したように、ここは銀獅子国。青の大陸の北にある国だ。さして大きくはないが、貧しくもない。とりあえず今のところ平和な国である」

「はぁ。なんだかウチの国と似ていますね」

「そなたの国はなんという?」

「日本といって、アジアという大陸の東の島国です?」

「ニホン? 知らんな」

「そうでしょうとも! そうだと思ってました」

 美玲は渋面じゅうめんでうなづいた。

「もっとも私はここ三年、国の内外の様子は知らんが。この屋敷は都からも一日の距離がある」

「道理で暗いと思った。公爵様って、都の豪華なお城に住んでるもんだと思ってました」

 貴族のお屋敷なんて美玲は物語以外では知らないが、美玲の好きな漫画やライトノベルでは夜会があったり、召使いが居並ぶ貴賓室があって、夜でも明るく飾られていたイメージが強かった。

 しかし、この部屋の雰囲気は格調は高そうだが、暗くて乱雑だ。高位貴族の執務室というよりは、魔道士の研究室のようだった。

 何より人気がない。部屋はともかく、これだけ騒いでいるのに、召使いも入ってこない。


 いやこれは、私が日本のライトノベルしか知らないからだけども!


「私にも色々事情があってな。ここには誰も来ないし、最低限の召使いしかいない」

 リュストレーは面白くもなさそうに天井を見上げる。

「私は人間が嫌いなのだ」

 唐突に彼は語り出した。

「社交界の人間が、特に女が嫌いだ。話すことも嫌で、ここにいる召使い達は、私の見えないところで仕事をしている」

「……えっとでも、さっきから私たち、めちゃくちゃ喋ってますけど」

「まぁ、それはそなたの出現の仕方がアレだったから、仕方がないかもしれない。なにしろお前は、私の作成していた小説の設定から突然現れたのだから」

「……それは嫌な現れ方ですね。すみません」

 美玲も驚いたが、リュストレーもさぞ驚いただろう。

「しかし、お前とはなぜか気兼ねなく話せる。私が名づけたからかもしれない、ミレ」

「いや、名づけたのは母親ですけど」

 ミレじゃなく、美玲だと訂正するのはもうやめた。

 外国人(?)には発音しにくい音があるのは知っている。それに、学生時代のあだ名もミレだった。別に違和感はない。

「ともかく。ミレ、お前はしばらくここにいるように」

「ここって、このお屋敷にですか?」

「そうだ。執事に言って部屋など準備させるがいい。部屋は私の隣がいいな」

「って! 会ったこともない執事さんに私が、言うんですか? それってすごい不審者じゃないですか! てか、いるんだ執事さん!」

「いるとも。たった一人私の直答を許す使用人だ。彼に私がそう言ったと言えば大丈夫だ。ミレには私の小説の手助けをしてもらう。そのうちに帰り方も見つかるかもしれない」

「……それって、公爵さまだけが得をしていません?」

「リュストレー」

「は?」

「言ったろう? 覚えが悪い女だな。私の名はリュストレー・モーリスだ。そなたには特別に名を呼ぶことを許す。リュストレーとな。そして、私の傍にいるがいい」

 そう言って公爵──リュストレーは、ぐいとその顔を美玲に近づけた。

 輝く銀髪に縁取られた壮絶な美貌。奥行きの深い同色の瞳。薄い唇。


 ああ、この人は──似ているのだわ。

 子どもの頃私が思い描いて憧れた、夢の王子様に。

 長い金髪を翻して、泣いている私を迎えに来てくれる、優しくて素敵な王子様……。


 刹那の妄想に取り憑かれた美玲は、自分がうなずいていることに気がついていなかった。

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