第30話 遊郭の夜

「俺が芙蓉と会ったのは黄虎本家の帰りに飲みに行った人族町だよ。当時、俺はよく人族のふりして人族の飲み屋に行ってたんだ。」


「へ?人族のふり?」


龍景は驚いている。

「ああ、つってもお前も経験してる通り、なぜか向こうが勝手に勘違いしてくれるからな。俺がしてたのは、髪を黒くして、使用人が着るみたいな着物きてたくらいだ。髪の色と着物の質で怪しまれたり、やたらと人族に襲われることがあったから。」

「ああ、俺もオイハギとかいう人族に襲われました。」


「俺も一度、飲み屋の中で絡まれた時は大変だったぜ。人族は軽く殴っただけでも死ぬからな。でもそれがなけりゃ、気楽だったんだ。

獣人の宿でも町でも俺の匂いに気づいて店の雰囲気は悪くなるし、次の日には俺が飲み歩いてたことが父とか龍賢の耳まで届いてて説教されるしで。 なのに人族町だと一度もなかった。」


「あ~確かいつのころからか、龍希様が飲み歩かなくなったって父が喜んでたような・・・」

「ああ、俺が人族町で飲み歩いてたのは俺の使用人しか知らねぇ。 黄虎の帰りも夜に1人で宿から抜け出して人族の飲み屋に入ったんだ。今までで一番でかい町で、入った店は酒の種類も多くて質も悪くなかった。

人族から話を聞くこともあった。酒を奢ると人族は機嫌よく人族のことを教えてくれるんだよな。 その飲み屋で初めて人族の遊郭って店のことを聞いたんだ。」


もう何年も前のことなのに、妻と出会うきっかけになった人族の飲み屋でのことははっきりと覚えている。

今はもうその店はない。

ワニ族との戦争でその人族町は跡形もなくなったと聞いた。


「安酒の臭いがする雄の人族が話しかけてきたんだよ。遊郭目当てで来たのかって。 俺は何のことか分かんなかったから、酒を奢ってきいたんだ。その人族は俺のことを世間知らずの田舎者だなとか笑いながら教えてくれた。 遊女と一晩遊ぶとこだから、金があるなら遊んでこい、男なら一度は行くべき場所だってな。」

「ユウジョってなんですか?遊ぶって?え?だって遊郭って・・・」


「意味わかんねぇだろ。でもその人族も周りで呑んでた人族もそれ以上は教えてくれなかったんだ。自分の目で見てこいってな。 まあ、まだ深夜前だったし、その店のめぼしい酒は呑んだから俺はその遊郭が並んでるって場所に行ってみたんだ。

やたらと赤い提灯が吊るされた店が並んでてな。

雄の人族が呼び込みしてたんだが、人族の身分証がないと店には入れないって言われたから、往来をブラブラ歩くことにしたんだ。

そしたら、店の中から聞こえてくる人族の声と匂いで子作りしてる店だと察しがついた。だから人族の身分証が必要だったんだ。人族が異種族嫌いなことは知ってたからな。」

「え?じゃあどうやって入ったんですか?」


「ああ、最後に話しかけてきた人族に、人族の身分証がないって答えたら、うちの店は要らないって言われたんだ。もうどこも店じまいの時間だから今入らないとどこにも入れないぞってな。 遊郭を見学できる最初で最後の機会だし、大した金額じゃなかったから入ってみることにした。」


「ええ・・・いや、だって・・・手をつけたら終わり、じゃないですか?」

「当時は信じてなかったんだよ。だって結婚して自分の巣に妻を迎えても執着するまで数ヶ月かかるじゃねえか。なら巣の外で一回くらいなら大丈夫じゃねって思ったんだよ。」

「・・・。大丈夫だったんですか?」


「いや、もう芙蓉を連れて帰ることしか頭になかった。」


「龍希様って本当にバカなんですね。」

龍景は呆れている。


「うるせえよ!おかげで妻と一緒になれたんだから結果オーライだよ。」


「えー。でもそこからどうやって奥様を拐ったんですか?」

「拐ってねぇ。翌朝、芙蓉の身の上話聞いてたら、兄の借金返すまでは店を出られないけど、それがなくなったら俺と結婚したいって言ってくれたんだ。 だけど、客が店に身請金を払えば遊女を連れて帰れるって話を隣の客たちがしてたから、店に金を払って芙蓉を連れて帰ったんだよ。」

「え?兄の借金をなんで奥様が?」

「人族の考えはわかんねぇ。」

龍希は肩をすくめる。


「あーでも、龍兎の最初の妻も、結納金を家族が使ってしまって妻に侍女つける金がなかったって聞きました。獣人にはよくあることなんですかね?」


「龍兎の妻に限らず、妻の実家は結納金目あてに娘を売るんだって竜湖が言ってたな。それと似たようなもんなんだろ。」

「なるほど・・・あれ?でも、奥様の父親は取引先と奥様との縁談を組んでたらしいですけど、なんで遊郭に?」

「芙蓉から縁談の話は聞いたことねぇけど、この間、ハクトウワシが言ってたじゃねえか。人族の結納金よりも遊郭に売る方が金になるらしいって。 父親が死んだ後、芙蓉の兄が婚約破棄して遊郭に売ったんじゃないか?」


「あ~そういえば。でも、借金返せば店を出られて、結婚もできるなら奴隷とは違いますよね?」


「ああ、俺は人族からも芙蓉からも遊女が奴隷とは聞いてねえ。芙蓉が遊郭にいた時だって、鎖には繋がれてなかったし、その気になれば簡単に店から逃げられる感じだったからな。」

「へ~なら、遊女は奴隷じゃなくて店の従業員ってことですか?なのに、なんで解放軍は遊女も解放してるんですかね?」

「さあな。人族の考えは分からん。」

「なんにせよ、婚約者のいる娘を強引に拐ったんじゃないなら良かったです。 でも、なんで奥様は龍希様と結婚したいっていったんですか?」


「え?そりゃ、俺のことを人族と勘違いしてたからだろ?」


「え?でも、人族の雄なら他にも客として来てたんじゃないんですか?」

龍景の疑問に龍希ははっとなった。

「あ~確かにな。初めて会った時には芙蓉に人族の雄の臭いがついてたし・・・ あ!いや、そうだ。若くて甲斐性があるからって!」

龍希は思い出した。

「え?龍希様は自分が一族の稼ぎ頭だって言ったんですか?」

「ん?言ってねぇな。俺は自分のことは話してねぇ。人族じゃないって気づかれるとマズイと思って。」


「・・・結局、奥様にいつ人族じゃないってばらしたんですか?」


「すぐだよ。芙蓉を遊郭から連れ出して宿に戻る途中で疾風が迎えにきたんだ。その時に芙蓉は気づいたみたいだけど、嫌がることも逃げ出すこともなく、そのまま付いてきてくれたんだ。」

「・・・え?自分で白状した訳じゃないんですか?」

「ん?ああ、まぁ・・・」

「疾風には言ったんですか?龍希様が奥様騙して結婚したこと。」

「いや、騙したとは言ってない。それに、あいつはなぜか芙蓉を雛だと勘違いしてたし。」

「は?雛とは結婚できないでしょう?」

「ああ。俺の言葉が足んなくて新しい使用人を連れてきたんだと思ったって後から怒られた。」


「・・・そりゃ、嫌われますよ。奥様が気の毒です。」


龍景はなぜかドン引きしている。

「は?嫌われてねえよ!なんだ急に?」

「いやいや、騙されて人族の店から連れ出されて、龍希様と何も知らない疾風を前にして、奥様がやっぱり結婚やめるなんて言える訳がないですよ! 逃げようにも奥様には空飛ぶ羽もなければ、疾風より早い足もないんですよ! 絶対に怖くて逆らえなかっただけですって!」

「え?」

龍希は驚いた。


そんなこと考えたこともなかった。


「いや、怖いって・・・俺は妻を怖がらせるようなことはしてないぞ。」

「龍希様を前にして怯えない獣人なんていないですよ!俺らだって怖いのに!」

「ええ!?いや、でも芙蓉から俺に対する悪意は感じなかったぞ。」


「当然ですよ!怯えてる獣人は悪意を出しません! 龍希様を夫扱いせずによそよそしく呼ぶのが奥様のせめてもの抵抗だったんじゃないんですか?」


「え・・・」

龍希は呆気にとられていた。

「いや、そんなこと・・・芙蓉は俺に怯えた素振りなんてしなかったぞ。俺の巣に来てからも毎晩、俺の寝室に来てくれたし・・・

あ!そうだ。香流渓に行ったときには、人族のとこに行ったのに、俺のところに戻ってきてくれたんだ。」

「はい?コウリュウケイ?なんですか?」


龍希は、かつて妻を連れて紅葉を観に行ったこと、そこで龍希が鳳雁と話している間に、妻が近くに来た人族のそばに行ったものの、自ら龍希の元に戻ってきてくれた出来事を龍景に話したのだが・・・

龍景はまた呆れている。


「なんだよ?その顔は?」

「奥様に聞きましたか?龍希様の元に戻ってきた理由を。」

「え?理由?聞いてないけど、人族よりも俺を選んでくれたってことだろ?」


「・・・まあ、人族じゃ朱鳳に太刀打ちできませんからね。」


「へ?どういうことだ?」

「あのねぇ。龍希様の匂いがついた人族の雌を朱鳳が見逃すと思います? 賢い奥様なんですから、朱鳳の巣の近くで龍希様と別れて人族の元に逃げても、朱鳳に拐われるって思いますよ。」

「え?」

龍希はまた驚いていた。

「いや、芙蓉はそんなこと一言も・・・」

「でも奥様は龍希様のそばに寄ってきた朱鳳を見てたんでしょう?」

「あ、ああ。」

「それに龍希様は奥様のそばを離れたんですか?朱鳳がそばにいるのに。」

「いや・・・無理だった。」


「ほら!そばに朱鳳と龍希様が居たら、奥様は龍希様の元に戻るしかないですよ!」


「・・・」

龍希はもう言葉が出ない。

「まったくもう!こんな話絶対に公言できませんよ! 何してるんすか!?」

龍景は見たこともないほど激怒している。


「ええ・・・芙蓉はやっぱり俺のこと嫌ってんのかな?いまだに怯えてんのかな?」


「分かりませんけど、竜琴様が転変された後からは奥様は龍希様を夫扱いするようになりましたし、奥様は龍希様にも一族にも悪さをされたことがない。

むしろ一族の問題解決のために知恵を出して下さったり、若様たちが鱗の生え代わりを迎えた後でも子育てを続けてくださったりと他の妻とは比べ物にならないほどの貢献をして下さっていますからね。 今じゃ、父の派閥の奴らでさえ龍希様の離婚は望んでなさそうですよ。父だけは別ですけど。」


「龍賢はなんで芙蓉を嫌ってんだ?あいつは一族の中でも離婚反対派だろ?」


龍希がずっと抱いている疑問だ。

龍賢は、後継候補が不妊を理由に離婚することすら反対しているのに。


「父は奥様を嫌っているんじゃなくて、憐れんでるんですよ。竜染の両親と同じことにならないか、と心配してましたし。」

「竜染の?あいつの親は確か・・・」

「父親の名前はもう忘れましたけど、本家の使用人に手をつけて強引に妻にしたそうですよ。でも妻の方はそれを恨んで、出産したばかりの竜染を殺そうとして、当時の守番に殺されています。

その上、その守番は妻の死に激怒した竜染の父竜に殺されて・・・竜染は胎生なのに生まれてすぐ母親と守番を失って死にかけたらしいです。」

「あ~そんな話を竜湖から聞いたなあ。竜染の父竜はその後処刑されたんだったか? でも芙蓉は子どもたちを大切にしてるだろ?」


「はい。さすがにもう父だってそんな心配はしてないと思いますけど・・・奥様を憐れむ気持ちは変わらないのでは? 竜湖の件でも激怒してましたもん。龍希様は奥様を粗末にしすぎだって。」


「あ~あれは俺が悪かったから何も言えねえ。

う~妻が一番大事なのに妻を悲しませてばっかりで・・・」

龍希はまた落ち込んだ。

「奥様に愛想つかされてないのが不思議ですよ。 騙して結婚したことをどうやって許してもらったんですか?」

「え?さあ・・・」


「はあ?そのことを許してもらったから竜琴様の転変以降、奥様の態度が変わったんじゃないんですか?」


龍景は驚いているが、龍希も驚いた。

「え?そうなの?」

「え?違うんですか?じゃあなんで奥様の態度が軟化したんです?」

「え・・・聞いてない。」


「ええ!?ろくに会話もしてないんですか?」


「いや、そういう訳じゃないけど、その、芙蓉は自分のことを話したがらないから・・・最近になってようやく話してくれるようになってきたけど、昔のことは・・・」


「すぐにきいてきてください! じゃないと俺、奥様が気の毒すぎて父寄りになりそうです!」


「はあ!?いやいや!龍賢だけは困る! 分かった!きいてくるから!」

龍景の剣幕におされて龍希は慌ててリュウカの部屋に向かった。

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