第21話 目論見

~族長執務室~

10月のある日、芙蓉は夫に連れられて夫の執務室に来た。


今日は何やら龍緑の相談事らしい。


部屋に入ると、龍緑と、父親の龍海もいる。

「奥様、お呼びだてして申し訳ございません。」

芙蓉が夫の隣に座ると龍緑はそう言って頭を下げる。

「いえ、私に何かできることがあれば。三輪のことですか?」

「あ、いえ。今日は妻ではなく、その、私が担当しております解放軍の獣人についてのご相談なのですが、よろしいでしょうか?」

「え?」

芙蓉は驚いて隣の夫を見る。

年明けの誘拐事件以来、夫からも解放軍の話題が出たことはなかった。

「芙蓉が嫌なら断わろう。」

夫はそう言うが、芙蓉は気になる。

「いえ、お役にたてるかは分かりませんが、お話をお伺いしますわ。」

「ありがとうございます、奥様。」

龍緑はほっとした顔になって話し始めた。


「実は、解放軍に参加しているマムシの獣人を龍景が捕まえてきまして、私が話を聞いているのですが、そのマムシは龍灯様の元妻なのです。」

「え?マーメイ?」

芙蓉は驚いた。

「覚えておられましたか。奥様は蛇がお嫌いですのに申し訳ございません。はい、そのマーメイです。」

「あ、いえ、マーメイには何もされていませんから・・・平気です。どうぞ、続けて下さいませ。」

芙蓉は笑顔を作る。

「恐れ入ります。そのマーメイは離婚後に解放軍に参加したそうなのですが、その理由が、紫竜への恨みではなく、自分の家族とマムシ族への復讐のためだと言うのです。しかし、その、なんと申しますか、なぜそんな理由で解放軍に協力するのか、私には理解できませんで・・・その」

何やら龍緑はしどろもどろになってきて、芙蓉には質問の意図が分からない。


「落ち着いて下さいませ。情報を整理してもよろしいですか?」

「は、はい。お願いいたします。」

「マーメイはなぜ自分の家族とマムシ族を恨んでいるのですか?」

「龍灯様との縁談と、その離婚後にマムシ族に戻るなり、龍灯様から渡された手切れ金や宝飾品をマムシ族長に取り上げられたことに対する恨みのようです。」

「まあ・・・」

芙蓉は言葉に詰まった。


龍算の元妻ワシのケープとは随分と扱いが違う。


「あの・・・記憶違いでなければ、マーメイは族長一家の出身ではなかったですか?」

「はい。マムシ族長の孫娘です。」

「では祖父である族長がマーメイからお金や宝飾品を取り上げたのですか?なぜ?」

「はい。それは事実のようです。ただ、マムシ族長はすでに死んでおりまして、理由までは・・・」

「マーメイは、離婚してマムシ族に戻ってすぐに解放軍に?」

「いえ、何年も後になって解放軍から接触してきたそうです。それまでは解放軍の存在すら知らなかったと。」

「ではそれまでは何をされていたのですか?」

「マーメイはマムシ領の僻地に隠居させられていたそうです。龍灯様との離婚でマムシ族長の怒りを買って。」

「・・・」


芙蓉はいたたまれなくなってしまった。

龍灯とマーメイの離婚も夫が命じたことらしい。


「それなら確かに家族やマムシ族への恨みは凄そうですね。解放軍がマーメイに接触したのはマムシの獣人に捕らえられている人の奴隷の解放のためですか?」

「やはりそうですかね。」

龍緑は頷いている。


分かりやすい話だ。

なのに龍緑は何を悩んでいるのだろう?


「それで、あの、龍緑様が悩まれておられるのは?」

「え?あっと、その、他にも離婚し実家に戻った妻がおりますので、どこまで警戒したらいいかといいますか、その・・・」

「もしや他にも解放軍に参加している元妻獣人が?」

「あ、いえ、確認できているのはマーメイだけですが、今後増える危険もありまして、それを防げないかと・・・」


『なるほどね。』


芙蓉はようやく理解できた。

そんな防止策を芙蓉が知るわけない。龍緑だって分かって質問している。

質問の意図は別にあるのだ。

おそらく・・・ 夫は芙蓉が解放軍に取り込まれてないか、今後解放軍に入りたいと思わないかと心配しているのだろう。

芙蓉は夫と別れて解放軍に入りたいとは思ってないけど、巴衛とユリには死んでほしくない。

解放軍が奴隷や遊女を自由にしているなら、その活動は続けてほしい。

だけど、夫たち紫竜一族の目的は解放軍を根絶やしにすることに違いない。

「マーメイの問題は明らかにマムシ家族が原因ですから、他の妻のことは心配いらないと思いますわ。」

芙蓉は早くこの会話を切り上げたい。

「仰る通りなのですが、自分の家族を恨んでいる紫竜の妻は多いのです・・・」

まあ、龍緑は簡単には諦めてくれない。

「ですが、それは妻の家族の問題であって、その、紫竜一族でどうにかできることではないかと。」

「え?あ、まあ、その・・・」

龍緑は困った顔で龍海に視線を送っている。


「なあ、芙蓉」


ふいに夫が話しかけてきた。

「は、はい?」

「前に、竜湖と竜紗が言ってたんだが、俺と結婚した後、芙蓉の家族が芙蓉の戸籍を消したって本当か?」

「え?」

芙蓉は驚いた。

「え?戸籍?あなたとの結婚を家族は知らないはずですよ。」

芙蓉は何のことか分からない。

「だよなあ。でも竜湖たちは芙蓉からそう聞いたって言うんだ。だけど、芙蓉はやっぱり嘘は言ってないんだよな。」

夫の言葉に龍緑も頷いている。

「あ!」


芙蓉は思い出した。

まだ龍陽がお腹にいた頃、戸籍について竜湖に尋ねられ、竜湖の勘違いを放置したことを。


「芙蓉、どうした?」

夫と龍緑が不思議そうに芙蓉を見ている。

「あ、いえ。そういえば、昔、竜紗様たちと戸籍の話を致しましたね。ただ、私は結婚により戸籍が消されたとは言っておりませんよ。なにか竜紗様たちは聞き間違いか勘違いをなさったのでしょう。」

芙蓉は必死で頭を働かせながら嘘をつかないように言葉を選んだ。

「やっぱりか。俺もそんな話聞いた記憶がねぇんだよ。芙蓉のことなら忘れないのに。」

夫がそう言って同意したので、芙蓉はほっとした。


人身売買を隠すために兄が芙蓉の死亡届を出したであろうことを知られるわけにはいかない。


「奥様、口を挟むご無礼をお許し下さい。」

龍海が初めて喋った。

「は、はい。何でございますか?」


「奥様のご家族は、族長との結婚前に、奥様の戸籍を消したのですか?」


「・・・」

芙蓉は絶望した。


なんと空気の読めないおじさんなのだろう。


「もし、ご無理がなければ、その理由を教えて頂けませんか?」

芙蓉の反応で龍海は確信したようだ。

「・・・私は聞いていません。」

芙蓉はこう答えるしかない。

「左様ですか。」

龍海はこれ以上きいてこなかった。

「なあ、芙蓉。もしも妻たちが復讐を望んでいるとして、そいつらが解放軍に参加しないようにするためにはどうしたらいいと思う? 代わりに家族に復讐してやればいいのか?」

今度は夫の質問に困った。

「え?どうでしょう?自分の手で復讐したい人もいるのではないでしょうか? それに・・・」

芙蓉は言葉をつまらせる。

「それに、なんだ?」

夫も龍緑も身を乗り出している。


芙蓉はまた言葉に困った。

解放軍に協力するのは復讐だけじゃない。

家族から離れたい、実家とは別の場所で暮らしたいとの望みのために解放軍に入った人もいるとユリは言っていた。

芙蓉にはよく分かる。


「実家に帰りたくなくて、解放軍に参加する人もいるかと。1人では生きていけませんから。復讐だけではないと思います。」


夫と龍緑は顔を見合わせている。

きっと紫竜には理解できない考えなのだろう。


自分の家族に虐げられる苦しみや悲しみ、泣くしかない無力感、何年たっても自分を苦しめる負の記憶・・・それは家族を殺したって無くなりはしないと思う。

解放軍のユリも芙蓉に尋ねてきた。

自分を売った家族に復讐したいか?

と・・・芙蓉はまだ答えが見つからない。


『ああ、やっぱり夫は獣人よりも遠い存在なのね・・・』


芙蓉は久々に実感した。

「ちなみに、芙蓉だったら、その・・・」

夫が遠慮がちに尋ねてきたが、 最初に龍緑を使って聞き出そうとしたことを忘れたのか、我慢できなくなったのか・・・ まあ芙蓉はそれは気にしてない。

むしろこんな話なら龍海と龍緑を同席させないでほしかった。

「私は家族を殺してほしいとは思わないです。今はまだ、なんとも・・・」

芙蓉は素直に答えるしかなかった。



「何をやってるんですか!」

奥様をリュウカの部屋に送って一人で戻ってきた族長に、龍緑はキレていた。


何のために龍緑が相談するという体をとったのやら?


結局、肝心なところを族長が直接きいてしまった。

「うう、妻にも怒られた。龍緑たちを利用せず自分からきいてこいって。」

族長は落ち込んでいる。


族長の奥様には目論みも全部ばれたようだ。


「父上もですよ!奥様をフォローする役割のはずなのに、一番嫌な顔されてたじゃないですか!」

いつも作り笑顔の奥様が一瞬とはいえ絶望したような顔になっていた。

「ああ、すまん。だが、あのタイミングを逃すわけにはいかんと思ってな。 いやはや、恐ろしい奥様だ。嘘をつかない言葉選びが巧みすぎる。」

父は珍しく疲れた顔をしている。

「あーそうだ。芙蓉はなんであんな顔してたんだ?」

「なんで分からないんですか?」

龍緑はまだ族長にイライラしている。


「人族にとって、戸籍を消されるというのは死を意味するに等しいそうですよ。」


父上の説明に族長は驚いた顔になる。

「は?死?なんで?」

「黄虎の件で気になったので息子と調べたのです。 人族にとって戸籍とは、人族の世界で生きていく上で欠かせない重要なものらしいです。それを消されると人族の町で生きていくことができなくなるほどに。」

「よく分からん。芙蓉には俺がいるんだから、そんなものなくても困らないだろ?」

「ええ。ですが、あなた様との結婚とは無関係に家族は奥様の戸籍を消したとなると話は別です。」

父の言葉に龍緑も頷いた。

「どういうことだ?」

族長はまだ分かっていない。


「族長と結婚される前から、奥様は家族に戸籍を消されて、人族の町では生きていけない状態に置かれていたということです。」


「は?何言ってんだ?芙蓉は人族町で働いて生きてたぞ。」

「人族は仕事を貰うにも戸籍が必要と聞きました。奥様は、その、働いていた薬屋でまともな扱いを受けておられましたか?」

父の質問に族長は険しい顔になる。


どうやらやっと理解したらしい。


「芙蓉が勤め先で苦労してたのはその戸籍が消されたせいだってことか?」

「おそらくは。仕事だけではありません。もし奥様が族長と出会うことがなく、人族の雄と結婚しようとしても戸籍がないとできないそうです。人族のルールでそうなっていると。」

「なんで芙蓉の家族はそんなことをしたんだ?」

「分かりませんが、奥様には思い当たる理由があるようでしたね。教えては下さいませんでしたが。」

「え?なんでそんなこと分かるんだ?」


「私が理由を尋ねた時に、分かりませんではなく、家族から聞いていない、と誤魔化されましたから。」


「あ・・・」

族長はこのことにも気づいていなかったようだ。

龍緑はまた呆れた。

「でも、家族を殺してほしくないって言葉に悪意は感じなかったぞ。」

「はい。それが不思議ですな。」

父は首をかしげているが、龍緑も同じ気持ちだ。


自分を虐げて、今も憎んでいる家族に復讐する絶好の機会なのに。

なんで?

族長は奥様のお願いなら、どんな復讐だってするだろう。

反族長派の竜色たちは文句を言うだろうけど、今は奥様のご機嫌取りの方が大切だ。

なにせ黄虎の前例があるのだ。 奥様が今度は解放軍に頼るなんてことは絶対に防がなければならない。

別に龍緑の個人的な思いで奥様の復讐に手を貸したいわけじゃない・・・


「俺はどうしたらいいんだ?」

族長の質問に父も龍緑も何も答えられなかった。

「ん?」

族長が顔をあげると同時に龍緑も近づいてくる匂いに気づいた。

「族長!」

龍灯が駆け込んできた。 こんなに慌てている姿は珍しい。

「なんだ?どした?」

「お、黄虎族長が明日、こちらに来ると連絡が!」

「はあ!?来んな!あいつらは二度と芙蓉に近づけ・・・」


「龍兎のマムシ妻を捕まえたと!」


「は、はあ!?」

驚きのあまり立ち上がったのは族長だけじゃない。

「は?なんで黄虎が?」

「分かりません。ただ、マムシ妻を売ってほしいなら、明日、族長と、り、龍緑を取引の場に出せと!」

「え?俺?」

龍緑は面食らった。

龍緑は黄虎の取引担当ではないし、黄虎の谷への遠征に同行したこともない。

「は?なんで龍緑?」

「分かりません。い、いかがされますか?」

「龍緑、いいな。」

「はい。同席致します。」

龍緑はそう返事するしかない。

「龍灯も同席しろ。それからすぐに龍賢と龍算、龍景を呼んでこい!」

「すでに連絡させました。」

さすがは龍灯だ。


1時間ほどで3人がやってきた。

龍灯の報告に皆、声をあげて驚いている。

「どうやって龍兎のマムシ妻を?」

「解放軍から拐ったんですか? あ!ま、まさかマムシ妻が黄虎の間者だったとか?」

「落ち着け、龍景。それはない。間者ならそのまま龍兎に嫁がせておくはずだ。」

「あ!すみません・・・」

「それは明日黄虎に問いただすしかないとして、なぜ龍緑を?」


「分からんが、たぶん芙蓉絡み・・・だよな?」


「その可能性が高いですな。龍緑の妻が元は奥様の侍女だったことまで黄虎は把握しているかもしれません。」

「俺の妻にも何かする気ですか?」

「あくまで可能性だが、龍緑も力が強い上、娘も生まれたからな。黄虎が興味を持っても不思議じゃない。」

「そんな・・・」

龍緑は途方にくれた。

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