煙々羅
「煙草をください」
「……ええと、どれですか?」
私は答えに詰まる。
「あ、あの、ええと、その」
若いコンビニ店員は怪訝そうな顔で私と背後にある煙草の棚を見比べた。
「ええと、吸いやすいの……って、在りますか?」
「は、はぁ……」
店員の困惑した表情に僅かな苛立ちが混じるのが分かった。私は言葉を発することが出来ずはくはくと口を動かして、
「え、あ、す、すみません……。ええと、じゃあ、八十八番をお願いします」
煙草の並んだ棚の、パッと目についた番号を口走る。店員は眉根に皺を寄せながら煙草を手に取り、
「これでよろしいでしょうか……?」
とレジの上に載せる。
「はい、大丈夫です」
何が大丈夫なのか分からぬまま、パッケージすらもロクに見ないまま私は握りしめた鮮やかな水色のライターをレジに乗せ、千円札を出す。
「お会計は――」
「これでお願いします。レシート、要らないです」
「……はい、かしこまりました」
ありがとうございましたー、という義務的な挨拶と店のドアが閉まる音を背にして、私は足早にコンビニを後にした。
買ってしまった。
握りしめた小銭をポケットに捻じ込んで、じっとりと湿った手ににぎりしめた「それ」に恐る恐る視線を落とす。
白と赤の簡素なパッケージ。健康に関する注意書きが無粋に思えるほどに大きな字で踊っている。
煙草、買えた。あっさりと買えてしまった。
後悔混じりの感情は、バクバクする心臓と相まって胸の悪くなるような高揚を脳に届ける。
煙草を鞄に突っ込んで、夕暮れの中を私は小走りになりながら家路を辿った。
煙草を吸いたい。
そう思ったのに、特に明確な理由は無かった。
例えば好奇心だとか、せっかく成人したんだしとか、憧れの俳優さんの喫煙シーンがかっこよかったとか、思い浮かぶものはいくつかあるが、そのどれも決定的なものではない。
強いて、本当に強いて、何かを上げるとするならば、自分を虐めたかった。
それだけだ。
別に、被虐趣味持ちというわけではない。
痛いのは嫌いだし、精神的な屈辱を受けるのだって勿論嫌いだ。
ただ、何も出来ず、何も成せず、ただ平坦に過ぎていく自分の時間に嫌気がさして、何かそれに一矢報いたかった。私の足りない言葉を掻き集めて語るなら、精々こんなところ。
授業を話半分に聞き流し、思ってもいないことを白い空欄に書き連ね、バイトに行って、どうでもいいことで笑い合い、そして横になってぼんやりと面白くもない動画を流している内に眠りにつく。そして荒れた部屋で、朝日というには眩しすぎる光の中、寝不足で鈍った頭を無理矢理枕から起こして家を出る。
生きる意味に想いを馳せるほど無垢ではあれず、しかし破滅願望に身を委ねられるほど勇敢でもなく、さりとて誰かに助けを求められるほど健康でもなかった。
だから、ささやかな自傷に救いを求めた。
ベランダに出て、少し寒いくらいに涼やかな夜の空気を肺に吸い込む。カラカラと窓を閉めると、白々と明るい室内と、暗く開放的な夜とが断絶されたように感じた。
悪戦苦闘しながら煙草を一本引き抜いて、口に咥えて火を点ける。
ポッと闇の中に橙と青の鮮やかな炎が灯った。
煙を口内に吸い込み、含む。
苦い、というか煙い。
なんと形容していいか分からないが、とりあえず美味しくないことは確かだ。
たまらず、口の中の煙を吐き出した。途端に、顔面を撫ぜて上っていった煙が思い切り目に染みて涙が出た。
「……っ、た……!」
ぽろぽろと意に反して零れる涙を拭いながらもう一度煙草を咥え、今度は意識的に煙を肺に流し込むよう、深呼吸した。――重ったるい煙が鑢がけしたように喉をザリザリと削って、肺に溜まるのが分かる。思い切り咳き込んで、顔を腕で押さえながら蹲った。
苦いだとか煙いだとかそんな言葉では到底表しきれない。なんでこんな物を吸ってしまったんだろうと後悔が全身を駆け巡る。頭がクラクラと揺れて、目眩がした。涙を流しながら咳き込み続け、暫くしてようやく咳が治まる頃には手に持った煙草は吸い口ギリギリまで燃えてしまっていた。それを灰皿代わりの空き缶に押しつけて、空咳をしながら手すりに身体をもたせかけた。
胸が悪いし、頭はクラクラするし、動いていないはずなのに視界は揺れ続けている。こんな物を美味しいと思うようになったらいよいよ人間として終わりだな、なんてことを思いながらもう一本、煙草を取り出して火を点ける。
今度は噎せないよう、ほんの少し、煙を吸って口内に留める。痺れるような感覚を味わいながら苦い煙を舌で転がし、慎重に嚥下した。
やっぱり噎せたが、さっきに比べれば格段にマシである。涙目になりながら立ち上る煙をぼんやり目で追った。
真っ白な煙が、深い闇に立ち上り、薄れて消えていく。それはまるで薄い薄い、人の手ではとても作れないような精巧な絹のリボンが解けて空に広がっていくようで、煙越しに星が瞬くその光景はぞくりと背筋が震えるほどに美しかった。
残った煙草を噎せながらもなんとか吸い終わり、私は窓を開けてベランダから室内に戻る。服を脱いで纏めて洗濯機に放り込み、そのまま風呂に直行した。
煙草の煙が全身に膜のように纏わり付いているような気がして、いつもより念入りに身体と髪を洗い、歯をいつもの二倍近くの時間をかけて丁寧に洗う。風呂を出て、一応、部屋と自分の匂いを確認して、電気を消して目を閉じた。
胸はむかむかしっぱなしだし、息を吐くと肺の奥底から煙草のイヤな臭いが漂ってくる気がする。
煙草を初めて吸ってみて感じたのは、想像していたような高揚感でも、何かが変わる感覚でも、楽しさでもなく、ただ、やってしまったな、とそんな軽い言葉だけだった。
それでもその日から、風呂に入る前に煙草を吸うのが私の日課となった。
「ねえ」
ベランダの仕切り越しに声をかけられたのは、いつものようにベランダに出て煙草に火を点けた丁度その時だった。
「……」
私はライターから指を離し、首を巡らせる。私の部屋はアパートの三階にある。下から聞こえてきた声にしてはあまりに響きが鮮明な様に思えたし、かといって不意に響いたその声が自分に向けられたものだという確証も得られなかった。
「ねえ、隣の君。君のこと。最近毎日そこで煙草を吸ってるさ」
女性のハスキーボイスにも、高めな男声にも聞こえる、低くかすれた声が滑らかに夜闇に漂った。
「すみ、ません」
このアパートは、ベランダ喫煙は禁止されていたっけか。煙草を持つ指に力が入る。
「もう、吸わないので、ごめ」
「ん? なんのこと」
声は私の言葉を遮り、すぐにああ、と軽く笑い混じりの吐息を漏らした。
「違う違う、そうじゃないんだ。ごめんね。咎める訳じゃなくて」
ぬっと仕切りの裏から白い腕が伸びた。
「火を貸して欲しいんだ」
白く骨張った長い指先に、一本の煙草が挟まれていた。
「ライターのオイルが切れちゃってさ。どうにも困ってたんだ」
「はあ」
私は催促するかの様にちょいちょいと指を動かすその手にライターを乗せる。
「ありがと」
ライターを握った手がすっと仕切りの裏に引っ込み、カチ、という音と、深い深呼吸が聞こえ、少ししてベランダからふわりと白い煙が立ち上った。
「ああ助かった。ありがとう」
仕切りの裏からライターを持った手が伸びてきたので私はそれを受け取ってポケットにしまった。
「ねえ、君。なんの銘柄吸ってるの?」
「さあ……」
いきなり馴れ馴れしさを纏いだしたその声に返事ともつかない曖昧な声を漏らし、私は煙草のパッケージに視線を落とした。
「マルボロ……?」
「もしかして、赤と白のパッケージ?」
「はい」
「へえ。それ、はじめて吸うには少し重すぎない?」
「まあ」
「昨日随分咳き込んでたろ。最初はもう少し軽いのにした方が良いんじゃないの? おすすめの銘柄教えてあげようか」
「あまり、銘柄とかは気にしていないので」
「そっか」
フーッと煙を吐き出す溜息にも似た吐息が聞こえた。
「そのくらいが丁度いいよ。銘柄まで拘り出すほどにハマると、抜け出せなくなるからね」
衣擦れの音。先端に朱く火の灯った煙草を持つ手がスッと虚空に伸びた。
「程々にしときなよ。自傷はクセになる。そうなったら、抜け出すのは思ったよりめんどうだから」
白い手首を横断する幾本もの赤みを帯びた白い傷痕。それらを断ち切るように、一際長く太い赤みがかった線が縦に一本、長く伸びる。
「あんた、何を」
言っているんだ、こいつは。
いきなり確信を突かれて言葉が出なかった。身を乗り出して隣のベランダを覗き込んだが、そこにはもう誰も居ない。明かりの灯らない暗い窓。白く甘い煙の名残がふわりとベランダを満たしていた。
次の日、昨日より少し早い時間にベランダへ出て煙草に火を点けた。大きく息を吸って、吐く。
「やあ、昨日ぶり」
隣から声が聞こえた。
「……」
「今日は昨日より涼しいね。肌寒いくらいだ」
「……」
「風がないのが幸いだな。風が吹いたら多分もっと寒かったろうね」
「……ライター、使いますか?」
「わ、いいの? 悪いね」
差し出したライターを傷だらけの白い腕が受け取り、またスッと仕切りの裏へ消える。騒がしい声が静かになって、煙が立ち上った。
「どうも。今度何かお礼しなくちゃね」
「大丈夫です」
「そうもいかないだろう」
「逆に迷惑です」
「そうかい?」
敢えて冷たく突き放したのを知ってか知らずか、飄々とした声は変わらない。
「君と話がしてみたいんだ。ねえ、何が好き? 教えてよ」
「……」
「好きなもの、無いの?」
煙草の煙を吐き出しながらふいと顔を背けた。しばらくの間沈黙が漂う。
「……じゃあ、もう一個、別の質問」
少し低い声音が隣から響く。
「君、生きてるのイヤなんでしょ?」
睨むように視線を滑らせた瞬間、隣に伸びていた白い腕がふわりと崩れた。
「は?」
白い腕が崩れて揺れて、ふわりと空中に霧散する。
「僕のことが最初から見える人間にはね、共通点があるみたいなんだ。人間だったときの僕と同じような、そういう人」
ベランダのついたてから真っ白な横顔がフッと出て、私の方を向き、ニコリと微笑む。白い肌。白い髪。そしてその半分は揺らぎながら人の顔を形づくり、崩れ、また形を取り戻し揺れ続けている。
「あ、その、顔……!」
「要らないなら、頂戴。そのからだ」
ぶわっと視界が一面白く染まった。煙に包まれたのだ、と理解した瞬間全身が浮遊感に包まれた。
「わ、あああああ!」
悲鳴を上げる。理解が追いつかない。手足をばたつかせた瞬間、ダン、と足が固い地面を蹴り、バランスを崩しそのまま地面に転がった。
「……え?」
喧噪周囲を満たしている。視界の白い煙が晴れるにつれ、段々と黒い闇が私の回りを覆っていく。
いや、ただの闇じゃない。所々を橙の光が通り過ぎていき、視線を上に上げれば一列に並んだ提灯が頼りなく光を放っている。スッと顔の横を草履を履いた足が通り過ぎていった。
「私……」
「暗闇市へようこそ。さ、この提灯を持って」
白く揺らぐ煙の腕が持ち手のついた提灯を差し出す。暗さのせいで判然としないが、辛うじて見える口元は邪気の無い微笑みをたたえていた。
「くらやみ、いち……?」
「そう。人の世と妖かしの世の狭間にある交易場。古今東西からいろんな商人が集まってる」
言われ、身を起こしながら周囲を見渡すとなるほど、祭りの屋台のようなものからゴザを敷いた上に何かをごちゃごちゃと並べたもの、普通の店のようなものが私の今居る道を挟んで両側に所狭しと並び、呼び込みの声やきゃいきゃいと何かを買おうとはしゃぐ声とで賑わっている。
「な、なんで、私」
「僕が連れてきたの。さ、行こう」
手を取られた。煙のように揺らいでいるくせしてその手は妙に生々しい質感を持ち、私の手を掴んで離さない。
「やめて、なんで、ていうかあんた!」
「……だって、生きていたくないんでしょう」
振り向いた顔は暗がりに溶けて表情が分からない。手を振り払おうにも、どうにも身体が上手く動かなかった。
「あ、んた何者なんだよ。いきなりこんなとこに連れてきて……」
「僕は煙々羅……って呼ばれるものみたい。自分でもよく分かってないけれど。生きていたころ、元々は君と同じ人間だった。でも……」
言葉を淀ませ、少し悩む素振りを見せた後、
「色々あって、君と同じようにこの世を呪って、死のうと思った」
私の手を握るその手の手首には、煙になっても消えない赤い横筋と一際濃い赤い縦筋が刻まれている。
「死の間際、要らないなら、寄越せって声が聞こえて、気がついたらこんな身体になっていた。それ以来、ずっとこのまま。でももう嫌だ。だから、僕が見える僕みたいな人を探して身体を貰おうとしていたのさ」
「身体をって、どうやって」
「ここで売ってるのはモノだけじゃない。そういうのを出来る店もあるんだ。だから、大丈夫だよ」
噛み合っているようで噛み合っていない返答を返し、煙々羅と名乗ったそいつは口元に笑みを浮かべる。
「この身体も悪いものじゃない。僕も最初は楽しかった。でも、出来ないことも多い。だから僕も同じように誰かの身体を貰おうと思ったんだ。君は人間として生きていたくない。僕は生きたい。ね、何も問題ない」
問題大ありだよ。という言葉は喉の奥に張り付いて発せなかった。いきなりぶち込まれた非日常。脳味噌は一周回って冷静さを取り戻しつつあった。周囲の店に並ぶものは暗がりでも分かるほど異質で、周りの人々も人ではないシルエットのものも少なくない。
「夢か……?」
夢なら、まあ面白い夢の部類に入るかもしれない。もっと周りをよく見ようと提灯を掲げようとした習慣、すっとそれを抑えられた。
「それは駄目、掟に触れる」
「掟?」
「一つ。一人につき、提灯一つ。それ以上灯りを大きくしてはいけない。明るくなってしまっては、暗闇市は暗闇市たり得ないから。一つ。売られている物を無闇に照らしてはいけない。ここの商品達は灯りに晒されるのを好かぬから。これを守らないものはここに居られない。そういう、決まり」
「……そうなんだ」
大きく息を吐き、身体の力を抜いた。驚きが完全に一周回りきって、半分やけくそも混じっているが、どうせ訳が分からないんだからもういっそこの非日常を満喫してやれ、といった心境になる。どうせこれが夢か現実化すらも定かではないのだし。
「ねえ、ここの店、見てもいい?」
「いいよ。あそこは屋台だね」
きらきらと提灯の明かりを反射する飴細工を並べた店。蛍光色のドリンクボトルの並んだ店。ゴテゴテと豪奢な装飾のアクセサリー。土台部分に水辺の彫り込まれた木彫りの熊は、大きな前脚で木彫りの池から木彫りの鮭を捕らえ、バリバリと頭から貪っている。
「面白い店が一杯だね」
「人の世界には無いものばかりだからね。交易地といっても、今じゃ人は少数派だから」
「へえ」
なんとなく流れであちこちの出店をふらふらと冷やかし、奥へ奥へと進んでいく。
「……この店」
前を歩いていた煙々羅が立ち止まり、指差したそこは小さな黒いテントのような店だった。中は暗く静まりかえり、様子を窺うことは出来ない。
「この中に、身体と魂を入れ替えられる術士がいる。ここの店主も元人間だから安心していいよ」
安心も何もあるか、と言おうとして、足が動かないことに気がついた。まるでここに近づくのを拒否しているかのように。
「……」
「入ろう。さあ」
煙々羅の声が揺れ、悲壮感を帯びる。嫌だ。入りたくない。でも、私はここからの出方も分からない。どうにか、何か、気を逸らすような……。
「か、身体を入れ替えたら、何をするの」
「人として生きたいんだ。もう一度」
間髪入れずに答えが返ってくる。少し間を置き、
「あと、美味しいものを食べたい。本も読みたい。友達を作りたい。働いてみたい。ああ、でも……」
「でも?」
「一番最初にしたいのは、途中だった漫画を読みたい」
「漫画?」
想定外の答えに拍子抜けする。
「一番最初にしたいことが漫画を読むことなの?」
「うん。死ぬ前に最初の五巻だけ読んだ漫画の続きを読みたくてたまらない。映画は映画館に潜り込めるけど、本とか漫画とかは出来て読んでる人の後ろに張り付くことくらいしか出来なかったから。自分で続きを読みたい。いよいよ完結が近づいて今佳境なんだって」
「いや、漫画って」
「だってずっと続きを読みたくて読みたくて仕方なかったんだ。この前百巻が出たのは知ってる。身体を貰ったらあれが完結するまで死なない。というか、死ねない」
「完結するまで、死ねない、って。死ねない……。ふ、あはは……!」
身体を取り替えて人間になってまでしたいことが、漫画の続きを読む事だと熱弁する煙々羅に、自分でも訳が分からないまま思わず笑いがこみ上げた。
「漫画を読むために人に戻りたいの?」
「それだけじゃないけどさ……」
拗ねたような声音で言い、
「お願い、駄目?」
と手首を掴んで揺らした。 ふっと、唐突に一つの提案が思い浮かんだ。
「ごめん、やっぱり、だめ。私もその漫画知ってるし、完結まで追い切りたい。読み切る前に死んだら、きっと後悔する」
「……そっか」
悲しそうな声と共に手首を取り巻いていた煙が離れていく。
「ごめんね。やっぱり、そうだよね。みんな最後はそう言うんだ。……僕だって、後悔しているし。そうだよね……嫌だよね」
「待って! 違う」
遠ざかる声に慌てて叫んだ。腕を掴もうとしたが、煙は掴めず掌は空をきる。
「身体はあげれないけどでも、でも一緒に読もうよ。漫画は貸せる」
暗闇に今にも溶けてしまいそうだったもやが動きを止めた。
「私も丁度読み返したかったとこなんだ。どうせなら全部最初から買って読み直したいし、一緒に読まない?」
完結するまでは死ねない、と言う言葉が妙におかしく、けれど何故か胸に刺さった。そんなことが生きる理由になるのか。そんなことが生きる理由でいいのか。
もし、それが本当に死なない理由になるのなら、生きていく理由になるというのなら、私は、寂しそうな声をしていた煙々羅とそれを共有してみたいと思った。
「一緒に?」
問い掛けに、頷いて笑う。
「煙草吸ってた時みたいに、ベランダでさ。一緒に読んで話しようよ」
「いいの……?」
煙がゆるゆると集まり、人の形を成していく。
「好きな漫画の話とか人とするの久しぶりだなぁ」
「それは……」
乏しい明かりの中でも煙々羅が笑みを浮かべているのが分かる。
「それは、凄い楽しそう」
「じゃあ、明日まず五巻まで買うからさ、ベランダで会って一緒に読み返そう。私の部屋に来てもいいから」
「五巻まで? 全巻じゃなくて?」
「百巻越えの漫画大人買いは無理だよ。五巻までだって結構な出費なのに。そうだなぁ、それ以降は週一で一巻ずつ買って、それで最新刊まで追いかけよう。時間はかかるけど、その方が楽しみが長続きするでしょ」
「そうだね。うん。楽しそう」
「つっても電子書籍だけどね。それでもいい?」
「電子書籍は初めて」
「慣れて」
くすくすと顔を見合わせて笑い、
「……それじゃ今日は帰ろうか。明日の夜、またベランダでいい?」
「昼からでもいいけど」
「僕は夜に短時間じゃないと形を保てないから……」
「そっか。じゃあ明日の夜、また」
「うん」
視界が最初と同じように煙で覆われる。一瞬、私の提灯に照らされた煙々羅の顔は心底楽しそうに微笑んでいて――。
行きと同じように、ふと気がつくと足の下に地面があった。煙が晴れるにつれてそこが元のベランダであると理解する。
「……帰ってきた?」
隣のベランダを覗き込むが、そこには微かに煙の名残があるだけで煙々羅の気配は感じられない。そういえば、隣室は空き部屋だったよなと今更ながら思い出す。
「……漫画……」
ポケットに入れていたスマホを取り出し、適当な漫画アプリで五巻までを購入する。
「ほんとに明日来るのかな」
呟いて、来て欲しいと願っている自分に気がつきくすりと笑いを零した。
「久しぶりに読むな、この漫画。高校卒業してから追ってなかったんだっけ……」
待ってるよ、と虚空に零し、吸い殻を空き缶に入れて部屋の中に入る。ポケットを漁ると残りが三本ほどになった煙草の箱が指に触った。
「新しいのを……」
いや、と手の中で煙草の箱を握りつぶす。煙草が無くてもベランダに出る理由が出来ちゃったしな。気が向いたら買おう。……気が向いたら。
独りごち、手に持ったそれをゴミ箱に投げ入れて風呂場に向かった。
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