谷崎潤一郎「刺青」に関する雑談

 其れはまだ人々が「おろか」と云う貴い徳を持って居て、世の中が今のように烈しく軋み合わない自分であった。


殿様や若旦那の長閑のどかな顔が曇らぬように、

御殿女中[江戸時代、宮中・将軍家・大名などに仕えた女中]や華魁おいらん[遊女の別称]の笑いの種が尽きぬようにと、

饒舌を売るお茶坊主[江戸城にいてお茶の給仕などをした坊主頭の男]だの幇間ほうかん[太鼓持ち。遊興の盛り上げ役]だのと云う職業が、

立派に存在して行けた程、世間がして居た時分であった。


女定九郎おんなさだくろう[「仮名手本中心蔵かなでほんちゅうしんぐら」の追いはぎ斧定九郎を女仕立てにしたもの]、

女自雷也おんなじらいや[「児雷也豪傑譚話じらいやごうけつものがたりを女仕立てにしたもの]、

女鳴神おんななるかみ[「鳴神」を女形で演ずるもの]、

――当時の芝居でも草双紙でも、すべて美しい者は強者であり、醜い者は弱者であった。


 誰も彼も挙って美しからんと努めた揚句あげくは、天稟てんぴんの体へ絵の具を注ぎ込む迄になった……。


「この『天稟の体へ絵の具を注ぎ込む』というのはですね。

『日本近代文学体系 第30巻 谷崎潤一郎集』(角川書店、一九七一年)という注釈書によるとですねェ――」


 なんだ!

どこからか声が聞こえてくるぞ!

私の「刺青」書き写し作業を邪魔しないでくれ!


「私は解説の者です」


 解説は要らないから帰っとくれ。


「解説もせずに『著作権切れた他人の小説書き写して広告掲載料を貰おう』なんて虫の良い話はありませんよ。


それでこの部分ですが注釈書にはこう書いてありますね。


自然美よりも人工美を好むことは、ボードレールの自然のartificiel(芸術化)、

オスカー・ワイルドの「自然は芸術を模倣する」などのことばにもうかがわれるように耽美主義文学の一特徴である。

潤一郎にもこの傾向が濃厚であったことは、その全作品が示している。


(中略)


 また芳烈ほうれつ絢爛けんらんな刺青の線と色とは、淡彩な日本趣味よりもむしろ中国的・南欧的で、初期の谷崎趣味の赴くところでもあり、

ゴーティエ、ワイルドらの西欧耽美派の文学とも共通するものがある」


……芳烈な、或いは絢爛な、線と色とが其の頃の人々の肌に躍った。


 馬道うまみち[東京都大東区浅草馬道。浅草観音から北へ吉原遊廓への途中にあたる]を通うお客は、

見事な刺青ほりもののある駕籠舁かごかきを選んで乗った。

吉原よしわら辰巳たつみ[深川の遊里。江戸城の辰巳つまり東南にあった]の女も美しい刺青の男に惚れた。

博徒ばくととびもの[町火消に属した人足]はもとより、

町人から稀には侍なども入墨いれずみをした。


時々両国りょうこく[東京都中央区・墨田区の両国橋周辺一帯]で催される刺青会しせいかいでは参会者おのおの肌を叩いて、

互いに奇抜な意匠いしょうを誇り合い、評しあった。


「この両国での刺青会っていうのは本当に幕末にあったんですよ。

谷崎は本作を書くために刺青文化を調査していました。

特に幕末の文化爛熟期に絞って奇談を発掘しています。


谷崎が興味を持っていたのは〈盆の窪[首の後ろ]から肛門にかけて蜘蛛の糸を掘り、肛門のあたりで糸に垂れ下がった蜘蛛(肛門に潜り込もうとしている)の入墨を入れた年増女〉だとか、まあそういうお話です」


 清吉と云う若い刺青師ほりものしの腕ききがあった。

浅草のちゃりぶん、松島町の奴平やっへい

次郎などにも劣らぬ名手であると持て囃されて、何十人の人の肌は、

彼の絵筆の下に絖地ぬめじ[繻子織りの絹布けんぷ絵絹えぎぬとして使われる]となって拡げられた。


「このちゃり文とか、こんこん次郎とかいう人について、

角川の注釈書は『これらの人名は実在したか』と曖昧に書いています。


でもその辺で売っている新潮文庫『刺青・秘密』(新潮社、二◯一一年改版)では

後出こうしゅつ達磨金だるまきん・唐草権太ごんたと共に天保てんぽう嘉永かえいの頃(一八三◯~五◯年頃)に実在した刺青師』と力強く断言されています」


 刺青会で好評をはくす刺青の多くは彼の手になったものであった。

達磨金はりが得意と云われ、唐草権太は朱刺しゅぼり[朱だけで描き彫る手法。最も痛いとされる]の名手と讃えられ、

清吉は又奇警きけいな構図と妖艶な線とで名を知られた。


 もと豊国[初代歌川豊国うたがわとよくに(一七八九年~一八二五年)。寛政・文化期(一七八九年~一八◯四年)に活躍した浮世絵師]国貞[歌川国貞うたがわくにさだ(一七八六~一八六四年)。初代豊国の高弟。のち二代目豊国]の風を慕って、浮世絵師の渡世とせいをして居ただけに、

刺青師に堕落してからの清吉にもさすが画工えかきらしい良心と、

鋭感えいかんとが残って居た。


「刺青は近世中期まで在任に彫って刑罰のしるしとしたが、ファッションとして彫る者が続出し幕府は禁令を出した

――違法な仕事だから浮世絵師と比べて堕落しているのです」


彼の心を惹きつける程の皮膚と骨組みとを持つ人でなければ、

彼の刺青をあがなう訳には行かなかった。


たまたま描いて貰えるとしても、一切の構図と費用とを彼の望むがままにして、其の上こらがたい針先の苦痛を、

一と月も二た月もこらえねばならなかった。


 この若い刺青師の心には、人知らぬ快楽と宿願とが潜んで居た。

彼が人々の肌を貼りで突き刺す時、真紅しんくに血を含んで膨れ上がる肉の疼きに堪えかねて、

大抵の男は苦しき呻き声を発したが、其の呻きごえが激しければ激しい程、彼は不思議に云い難い愉快を感じるのであった。


刺青のうちでも殊に痛いと云われる朱刺、ぼかしぼり、――それを用うる事を彼は殊更ことさら喜んだ。

一日平均五六百本の針に刺されて、色上げを良くする為め湯へつかって出て来る人は、

半死半生はんしはんせいていで清吉の足下あしもとに打ち倒れたまま、暫くは身動きさえも出来なかった。


その無惨な姿をいつも清吉は冷ややかに眺めて、


さぞお痛みでがしょうなあ」

と云いながら、快さそうに笑って居る。


 意気地のない男などが、まるで致死期ちしご[死にぎわ]の苦しみのように口を歪め歯を食いしばり、

ひいひいと悲鳴をあげる事があると、彼は、


「お前さんも江戸えどだ。辛抱しなさい。

――この清吉の針は飛び切りにいてえのだから」


こう云って、涙にうるむ男の顔を横目で見ながら、かまわず刺って行った。

また我慢づよい者がグッと肝を据えて、眉一つしかめずこらえて居ると、


「ふむ、お前さんは見掛けによらねえもの[我慢強い者。突っ張りはものを支える柱や棒。または相撲の手の一つ]だ。

――だが見なさい、今にそろそろ疼き出して、どうにもこうにもたまらないようになろうから」


と、白い歯を見せて笑った。


 彼の年来の宿願は、光輝こうきある美女の肌を得て、それへ己れの魂を刺り込む事であった。

その女の素質と容貌とに就いては、いろいろの注文があった。

ただに美しい顔、美しい肌とのみでは、彼は中々満足する事が出来なかった。


江戸中の色町に名を響かせた女と云う女を調べても、

彼の気分にかなった味わいと調子とは容易に見つからなかった。

まだ見ぬ人の姿かたちを心に描いて、三年四年は空しく憧れながらも、彼はなお願いを捨てずに居た。


 丁度四年目の夏のとあるゆうべ、深川の料理屋平清ひらせいの前を通りかかった時、

彼はふと門口に待って居る駕籠かごの簾のかげから真っ白な女の素足のこのれて居るのに気がついた。


鋭い彼の目には、人間の足はその顔と同じように複雑な表情を持って映った。

その女の足は、彼に取ってはとうとき肉の宝玉であった。


「foot fetishism。

fetishは語源的には魔力の意。

元来魔力ある人物の意だったが、後に魔力のそなわった物体すなわち護符・呪物の意となる。


この用語をフロイトが性的倒錯の概念として流用し『性的フェティシスム』とした、ということらしいです」


親指から起こって小指に終わる繊細な五本の指の整い方、

しま[神奈川県藤沢市片瀬海岸にある小島。江の島]の海辺で穫れるうすべに色の貝にも劣らぬ爪の色合い、たまのようなきびすのまる味、

清冽せいれつな岩間の水が絶えず足下を洗うかと疑われる皮膚の潤沢じゅんたく


 この足こそは、やがて男の生血にふとり、

男のむくろを踏みつける足であった。


この足を持つ女こそは、彼が永年ながねんたずねあぐんだ、

女の中の女であろうと思われた。

清吉は躍りたつ胸をおさえて、

其の人の顔が見たさに駕籠かごの後を追いかけたが、二三町行くと、もう其の影は見えなかった。


 清吉の憧れごこちが、激しき恋に変わって其の年も暮れ、

五年目の春も半ば老い込んだ或る日の朝であった。


彼は深川佐賀町[江東区にあり満州橋と永代橋との間の隅田川に望む一郭。深川の遊里から近い]の寓居で、

房楊枝ふさようじ[端をうち砕いてふさのようにした楊枝]をくわえながら、

錆竹さびたけ[立枯れして表皮に錆が生じたように見える竹または錆竹の色を付けた竹]のえん[雨戸の敷居の外の縁側えんがわ]に万年青おもと[スズラン亜科の常緑多年草]の鉢を眺めて居ると、

庭の裏木戸を訪うけはいがして、

袖垣そでがきのかげから、ついぞ見慣れぬ小娘が這入って来た。


「角川の注釈書には『錆竹の濡れ縁で万年青の鉢をながめるというのは、裏店うらだなのご隠居いんきょ趣味で枯淡こたんなものであるが、

そういう日常生活を送る清吉が、

いったん芸術の世界となると芳烈・絢爛な美にあこがれるというところに、その芸術家意識が対照的に強調される』


なんて書いてますね」


 それは清吉が馴染の辰巳たつみ芸姑はおり[辰巳(=深川)の芸者は文化・文政(一八◯四年~三◯年)のころ羽織を着て宴席に出た]から寄こされた使の者であった。


「姐さんから此の羽織を親方へお手渡しして、

何か裏地へ絵模様を書いて下さるようにお頼み申せって……」


と、娘は鬱金うこん[ウコンの根茎で染めた鮮やかな濃黄色]の風呂敷をほどいて、中から岩井杜若いわいとじゃく[五代目岩井半四郎いわいはんじろう(一七七六年~一八四七年)の俳号。江戸歌舞伎の代表的女形おんながたとして文化・文政期に活躍した]の似顔絵の[畳紙。厚い和紙を折り畳んで衣類などを入れるもの]に包まれた女羽織と、

一通の手紙とを取り出した。


 其の手紙には羽織のことをくれぐれも頼んだ末に、使つかいの娘は近々に私の妹分として御座敷に出る筈故はずゆえ

私の事も忘れずにこの娘も引き立ててやって下さいとしたためてあった。


「どうも見覚えのない顔だと思ったが、

それじゃお前は此の頃此方こっちへ来なすったのか」


 こう云って清吉は、しげしげと娘の姿を見守った。

年頃はようよう十六か七かと思われたが、

その娘の顔は、不思議にも長い月日を色里いろざとに暮らして、

幾十人いくじゅうにんの男の魂を弄んだ年増のように物凄く整って居た。


それは国中の罪とたからとの流れ込む都の中で、何十年の昔から生き代わり死に代わった麗しい多くの男女の、夢の数々から生まれ出ずべき器量であった。


「お前が去年の六月ごろ、平清から駕籠で帰ったことがあろうがな」


こう訊ねながら、

清吉は娘を縁へかけさせて、

備後表びんごおもて[備後つまり広島県の一部から産する斎場の畳表たたみおもて。ここではそれを張った履物]の台に乗った巧緻こうちな素足を仔細しさいに眺めた。


「辰巳芸者は四季とも足袋を用いず素足で座敷へ出る風俗を誇った、とあります」


「ええ、あの時分なら、まだお父さんが生きて居たから、平清へもたびたびまいりましたのさ」


「辰巳芸者は男のようなことば使いをするのを意気とした、と註釈」


と、娘は奇妙な質問に笑って答えた。


「丁度これで足かけ五年、己はお前を待って居た。

顔を見るのは始めてだが、お前の足にはおぼえがある。


――お前に見せてやりたいものがあるから、

上ってゆっくりと遊んで行くがいい」


と、清吉は暇を告げて帰ろうとする娘の手を取って、

大川おおがわ隅田川すみだがわのうち浅草辺から下流を総称して大川と言った]の水に望む二階座敷へ案内した後、

巻物を二本とり出して、先ず其の一つを娘の前に繰り展げた。


 それは古の暴君紂王ちゅうおうの寵姫、末喜ばっきを描いた絵であった。


「紂王の寵を得たのは末喜ではなく妲己だっきで、これは谷崎の誤りだと『決定版 谷崎潤一郎全集第一巻』(中央公論社、二◯一五年)の解題に書かれています。


この『決定版』全集はそれまで中央公論から出ていた〈正字・歴史的仮名遣い〉の全集に対して〈新字・歴史的仮名遣い〉かつ〈ルビだけ現代の仮名遣い〉というシロモノであまり評判が良くない(読んでいて楽しくない)のですが、

解題と校異が付いているのはこの版だけだから価値は高いです。


末喜は夏の傑王けつおうの寵姫で、桀王も紂王も女色に溺れて国を滅ぼしたことから『夏桀殷紂かけついんちゅう』と並べて言います」


瑠璃珊瑚るりさんごを鏤めた金冠の重さに得堪えたえぬなよやかな体を、ぐったり勾欄こうらん[端の反り曲がった欄干らんかん]にもたれて、羅綾らりょう[あや織りの薄絹]の裳裾もすそきざはしの中段にひるがえし、

右手に大杯を傾けながら、今しも庭前ていぜんに刑せられんとする犠牲いけにえの男を眺めて居る妃の前に頭をうなだれ、

眼を閉じた男の顔色と云い、物凄いまでたくみに描かれて居た。


 娘は暫くこの奇怪な絵のおもてを見入って居たが、

知らず識らず其の瞳は輝き其の唇はふるえた。

怪しくも其の顔はだんだんと妃の顔に似通って来た。


「中央公論の『決定版全集』では「妃顔」となっていますから、角川の『近代文学体系』の「妃顔」というのは誤植ですね。

このシリーズは誤植が多いのです」


娘は其処に隠れたる真の「おのれ」を見出した。


「角川の註釈書には『己にカギをつけたところなどから、これはフロイトのいうエゴ(自我)と対立する、無意識の領域にある非個人的な心的原動力のエスのようなものを作者は認識していたのではないかと思われる』とありますね。


「この絵にはお前の心が映って居るぞ」


こう云って、清吉は快げに笑いながら、娘の顔をのぞき込んだ。


「どうしてこんな恐ろしいものを、私にお見せなさるのです」

と、娘は青褪めた額を擡げて云った。


「この絵の女はお前なのだ。

この女の血がお前の体に交って居る筈だ」


と、彼は更に他の一本の画幅を展げた。


 それは「肥料ひりょう」と云う画題がだいであった。

画面の中央に、若い女が桜のみきへ身を寄せて、

足下に累々るいるいたおれて居る多くの男たちの屍骸しがいを見つめて居る。


「註釈に『実在の画幅がふくではなく、作者の想像樹に描かれた絵であろう』とあります。

私もこれが正しかろうと思います」


女の身辺を舞いつつ凱歌かちどきをうたう小鳥の群、

女の瞳に溢れたるおさえ難き誇りと歓びの色。


それは戦いの跡の景色か、花園の春の景色か。

それを見せられた娘は、われとわが心の底に潜んで居た何物かを、探りあてたる心地であった。


「これはお前の未来を絵に現したのだ。

其処に斃れて居る人達は、皆これからお前の為めに命を捨てるのだ」


こう云って、清吉は娘の顔と寸分すんぶんたがわぬ画面の女を指さした。


「後生だから、早く其の絵をしまって下さい」

と、娘は誘惑を避けるが如く、

画面にそむいて畳の上へ突伏したが、やがて再び唇をわななかした。


「親方、白状します。

私はお前さんのお察し通り、其の絵の女のような性分を持って居ますのさ。

――だからもう堪忍かんにんして、其れを引っ込めてお呉んなさい」


「そんな卑怯なことを云わずと、もっとよく此の絵を見るがいい。

それを恐ろしがるのも、まあ今のうちだろうよ」


こう云った清吉の顔には、いつもの意地の悪い笑いが漂って居た。

然し娘のつむりは容易に上がらなかった。

襦袢じゅばんの袖に顔をおおうていつまでも突伏つっぷしたまま、


「親方、どうか私を帰しておくれ。

お前さんの側に居るのは恐ろしいから」


「まあ待ちなさい。

己がお前を立派な器量の女にしてやるから」


と云いながら清吉は何気なく娘の側に近寄った。

彼の懐には嘗て和蘭医オランダいから貰った麻酔剤のびんが忍ばせてあった。


 日はうららかに川面をて、八畳の座敷は燃えるように照った。

水面から反射する光線が、無心に眠る娘の顔や、

障子の神に金色の波紋を描いてふるえて居た。


「『情景は絢爛として明るく、退廃の暗さや悲しさがない。前場面からこの場面への転換は、思い切った省筆を用いて、物語に快テンポのリズム感を与える効果を収めている』とありますが、マア〈場面の転換〉と〈省筆〉がポイントですかね。


重要な場面の転換は既に一回なされていて、『四年目の夏』に女の足を見つけてから『五年目の春』に女と再開する箇所がそれにあたります。


最初の場面転換は〈ざっとした清吉の人となりと時代背景、刺青文化の解説〉という叙述ディエゲーシスから〈清吉と女の関わり〉を文章で緻密に模倣ミメーシスするパートへの転換でもあります。

要するにこの箇所が実質的な物語の〈始まり〉なんですね。


最初の場面転換は〈説明→描写〉という具合に文章の〈濃度〉が変わっていますから特に工夫しなくても分かるのですが、こっちは〈描写→描写〉で文の濃さが変わりませんから厄介です。


そこでわざわざ『日はうららかに川面を射て』なんて取って付けたような情景描写を挟み、視点の移動で場面の変化を際立たせる必要があったんですねェ~」


部屋のしきりを閉て切って刺青の道具を手にした清吉は、しばらくはただ恍惚うっとりとしてすわって居るばかりであった。

彼は今始めて女の妙相みょうそうをしみじみ味わう事が出来た。


その動かぬ顔に相対して、十年百年この一室に静座するともなお飽くことを知るまいと思われた。


古のメンフィス[カイロ南方にあったエジプトの古代都市]の民が、荘厳そうごんなる埃及エジプトの天地を、ピラミッドとスフィンクスとで飾ったように、

清吉は清浄せいじょうな人間の皮膚を、自分の恋で彩ろうとするのであった。


 やがて彼は左手の小指と無名指むめいし[薬指]と拇指おやゆびの間にはさんだ絵筆のを、娘の背にねかせ、その上から右手で針を刺して行った。

若い刺青師のこころは墨汁野中に溶けて、皮膚に滲んだ。


焼酎に交ぜて刺り込む琉球朱[琉球(沖縄)産の朱(赤黄色の顔料・硫化水銀)]の一滴々々いってきいってきは、彼の命のしたたりであった。

彼は其処に我が魂の色を見た。


「『この一滴一滴が清吉の命のしたたりであったという描写は、清吉がこの刺青に全身全霊をうち込んでいる描写で、(中略)清吉は作者潤一郎の分身として、その芸術至上主義的態度を代弁している』とあります。

潤一郎が本当に芸術至上主義的であったかはよくわかりませんが、清吉が一種ストイックに刺青に打ち込んでいるのは事実です。


この時変態性が性欲を離れて崇高な域に達したんですね。

清吉は自己保存を放棄し自己を消費し尽くします。

この仕事を終えた清吉はシナシナになっているでしょうね」


 いつしかひるも過ぎて、のどかな春の日はようやく暮れかかったが、清吉の手は少しも休まず、

女の眠りも破れなかった。

娘の帰りの遅きをあんじて迎いに出た箱屋[芸妓げいぎに従って箱に入れた三味線を持って行く男。芸妓屋の雑役ぞうやくも勤める]までが、


「あのならもううに帰って生きましたよ」


と云われて追い返された。

月が対岸の土州としゅう屋敷[土佐(高知県)藩主山内家の下屋敷で、中央区箱崎町にあった]の上にかかって、

夢のような光が沿岸一体の家々の屋敷に流れ込む頃には、刺青はまだ半分も出来上がらず、

清吉は一心に蝋燭の心を掻き立てて居た。


 一点の色を注ぎ込むのも、彼に取っては容易な業ではなかった。

さす針、ぬく針の度毎に深い吐息をついて、

時分の心が刺されるように感じた。


針の痕は次第々々しだいしだいに巨大な女郎蜘蛛じょろうぐも形象かたちを具え始めて、

再び夜がしらしらと白みめた時分には、

この不思議な魔性の動物は、八本のあしを伸ばしつつ、背一面にわだかまった。


 春の夜は、上り下りの河船かわぶね櫓声ろごえに明け放れて、朝風あさかぜを孕んで下る白帆しらほの頂きから薄らぎ始める霞の中に、

中州なかす箱崎はこざき霊岸島れいがんじま[東京都の隅田川河口の西岸。中央区新川]の家々のいらかがきらめく頃、

清吉を漸く絵筆をいて、娘の背に刺り込まれた蜘蛛のかたちを眺めて居た。


その刺青こそは彼が生命のすべてであった。

その仕事をなし終えた痕の彼の心は空虚うつろであった。


「『刺青に自分のすべてを投げこんでしまった後の感じで、

清吉自身がまっ先に小娘の肥料になったわけである』(肥料はカギカッコ付き)とあります。

これは異議なし」


二つの人影は其のまま稍々やや暫く動かなかった。

そうして、低く、かすれた声が部屋の四壁しへきにふるえて聞こえた。


「己はお前をほんとうの美しい女にする為めに、刺青の中へ己の魂をうち込んだのだ、もう今からは日本国中に、お前にまさる女は居ない。

お前はもう今迄のような臆病な心は持って居ないのだ。

男と云う男は、みんなお前の肥料こやしになるのだ。……」


 其の言葉が通じたが、かすかに、糸のような呻き声が女の唇にのぼった。

娘は次第々々しだいしだいに知覚を恢復かいふくして来た。

重く引き入れては、重く引き出す肩息かたいきに、

蜘蛛の肢はけるが如く蠕動ぜんどう[みみずが動くときのように筋肉が動くこと]した。


「苦しかろう。

体を蜘蛛が抱きしめて居るのだから」


こう云われて娘は細く無意味な眼を開いた。


「無意味な眼とは『まだすっかり意識が恢復していないようすの目つき』としています。

〈眼を開いたところで意味は無く、明瞭に物を認識できない〉といったところでしょうか」


其の瞳は夕月の光を増すように、だんだんと輝いて男の顔に照った。


「親方、早く私にせなかの刺青を見せておくれ、

お前さんの命を貰った代りに、私はさぞ美しくなったろうねえ」


 娘の言葉は夢のようであったが、しかし其の調子には何処か鋭い力がこもって居た。


「まあ、これから湯殿ゆどのへ行って色上げ[色のさめた布などを染めなおして美しくすること。ここでは湯に入って周囲に付着した絵の具を落とすこと]をするのだ。

来るしかろうがちッと我慢をしな」


と、清吉は耳元へ口を寄せて、いたわるように囁いた。


「美しくさえなるのなら、どんなにでも辛抱して見せましょうよ」


と、娘は身内みうちの痛みを抑えて、強いて微笑ほほえんだ。


「ああ、湯が滲みて苦しいこと。

……親方、後生だから私をちゃって、

二階へ行って待って居てお呉れ、私はこんな悲惨みじめざまを男に見られるのが口惜くやしいから」


 娘は湯上がりの体を拭いもあえず、

いたわる清吉の手をつきのけて、

激しい苦痛に流しの板の間へ身を投げたまま、

うなされる如くに呻いた。


気狂きちがいじみた髪が悩ましげに其の頬へ乱れた。

女の背後には鏡台きょうだいが立てかけてあった。

真っ白な足の裏が二つ、その面へ映って居た。


 昨日のは打って変わった女の態度に、

清吉はかたならず驚いたが、

云われるままに独り二階に待って居ると、

おおよそ半時[ひとときの半分。今の一時間]ばかり経って、

女は洗い髪を両肩へすべらせ、

身じまいを整えて上って来た。


そうして苦痛くるしみのかげもとまらぬ晴れやかな眉を張って、

欄干にもたれながらおぼろにかすむ大空を仰いだ。


「この絵は刺青と一緒にお前にやるから、

其れを持ってもう帰るがいい」


こう云って清吉は巻物を女の前にさし置いた。


「親方、私はもう今までのような臆病な心を、さらりと捨ててしまいました。


――お前さんは真先に私の肥料こやしになったんだねえ」


と、女は剣のような瞳を輝かした。

その耳には凱歌の声がひびいて居た。


「はい、ここは初出と決定稿で異同がある箇所ですね。

初出では

『女は剣のような瞳を輝かした。その瞳には肥料ひりょうの画面が映って居た』(肥料に二重カギカッコ)となっています。

この場合女は絵を見ていた訳です」


「帰る前にもう一遍、その刺青を見せてくれ」

清吉はこう云った。


 女は黙って頷いて肌を脱いだ。


折から朝日が刺青の面にさして、女の背中は燦爛さんらんとした。


「この終わり方について註釈は巻末の補註も含めて色々書いています。

簡単に言えば〈デカダン的なのに病的な暗さがなくむしろ谷崎の異質さ〉といったところでしょうか。


変態性が全肯定され完全勝利のうちに終わるのだから暗くなりようがなく、『燦爛』とするのですね」


 本文は前掲の角川書店『近代文学体系』から転載した。その際漢字を新字へ仮名遣いを現代のものへと変更した。

ただし「屢々」や「或る」のような漢字をことは一切していない。

角括弧[]で付けた註釈は底本に由来するものと新しく付け足したものとがある。

また必要に応じてルビを増やしたり減らしたりした。


 谷崎潤一郎の本は基本的に段落の一字下げをしていないのだが、今回は字下げをした。

私はいつもスマートフォンで閲覧しやすいように段落とは別に改行をしたり空行を入れたりするから、その改行と段落変更の改行とを見分けられるようにとの配慮である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る