マカブラ・マカブラ!――ある〈殺人事件〉について――

 この写真をご覧になってくださいませ。

これこそがわたくし、その肖像写真でございます。


 姉はずっと二十二歳。

私との歳の差が縮まって――同い年になって――しまいには私のほうが歳上になってしまいました。


 姉はずっと二十二歳の春。

桜の下で椅子に座り眠そうな眼をこちらに向けております。

いつもの袖が広い黒服を着て、髪は肩まで伸びております。


 姉は自裁しました。

実家の窓から転落したのです。

私はその時は隣の部屋で読書しておりました。

心から夢中になっていたものですから肉体が地面に叩きつけられる嫌な音を聞かずに済んだのでございますよ。


 姉のお葬式が終わるまで私は本当に何も考えておりませんでした。


ただ眼の前の用事に意識を向けて、たまに余裕ができようものならば

「姉の遺品の本や宝石をどうしよう。

私が貰って嬉しい気持ちになるような物はいくつあるだろう」

などと考えていたものです。


 イエイエ、本当に。

人が亡くなった直後って案外心が冷たくなるのですね。

私だけでしょうか――姉のお葬式で一滴の涙も流さなかった不道徳な人は。


 けれども私は本気で姉を愛していました。

ハイ本気で。


 だから姉のお部屋に死んだはずの彼女がいるのに気付いた時、私は嬉しさで飛び出しそうになったものでございますよ。


 しかし姉はこう言うのです。


 私に指をさして

「あんたが居なければ私は死ななかった」

と。


 私は宥めるように手のひらを彼女に見せながら

「私はお姉様あねさまに酷いことをしたり、醜い感情を持ったりしたことはありません。

だからお姉様が私のせいで死ぬなんてとんでもないことだと思います。

きっと間違いです。

何かお間違えになっているのです」

と言いました。


「だったらお前が――お前が私を突き落としたのは何だって言うのよ。

私に何の間違いがあるって言うの?」


 私はゾッとしました。

私にはそんな記憶ございません。


 もちろん私が隣の部屋で本を読んでいたことを証明してくれる人なんていませんから証拠立てて無罪潔白を主張することは不可能です。

けれど私はそんな覚えがなく警察も「事件性はナシ」と判断したのですからやはりそんな筈はないのです。


「そんなことありません。

私はそんなことしていません」

と言いました。


 姉は意地悪く笑って

「けれど、どうだって良いわ。そんなこと」

と言いました。


 その口角が怪しく釣り上がった顔を見ると冷や汗が出ます。

私は姉のこうした顔を見たことがあるような気がするのですが、いつどこで見たものやら思い出せませんでした。


「私、幽霊になれて満足しているの。

人を呪いながら永遠の時を存在し続けるって悪くないわよ。

ねえミイちゃん。姉さんが戻ってきて嬉しい?」


 姉は気味の悪い笑いをさらに烈しくしながら私の手を握りました。


「嬉しゅうございます。お姉様とても嬉しゅうございます」


 その時私はなぜだか体が震えて涙が出てきたのです。

きっと嬉し涙に違いありません。


だって姉は言ったのです。

「ああミイちゃん嬉しいねェ。

こんなに泣いちゃって嬉しいねえアハハハ」

と。


 そして姉は私を部屋の奥に引っ張り込みました。

一歩一歩進むごとに内装が変わり、振り返れば直前に居た場所含めてすっかり宮殿のようになっていました。

そこはまるで御所のようなのです。


 ドアは――ああ、私が潜ってきたドアはもうすっかり御簾に変わってしまいました。

それもただのではなくて水晶でできた奢侈な御簾なのです。


 鼻腔をつくのは薫香でございます。

唐の本朝の最も優れた香木を焚いた第一級の香りと思われました。


「私はここを知っている」

そう思われてなりませんでした。


 姉は袿を身に纏い、手招きします。

「こちらへおいで」と。


 私は姉に取り縋るつもりでついて行きます。


 すると再び景気が変わって

ここは――まるでアトリエのようなのです。

そこへ来ると「ああそうか。姉は絵を描くのが好きだったな」などと妙に納得をしたのでございます。


「さあ、そこへお掛け」

と言う彼女はもう既に女官ではありません。


 その椅子へ座ったあとでアッと驚きました。

おかしいのは椅子ではございません。

おかしいのは私自身。

私の服が――ソノ、さっき姉が着ていたのと全く同じ着物になっていたのです。


「さあ描いてあげよう。

お前の姿を全て描いて、描き尽くしてやろう」


 姉が油絵の具をカンバスに塗りつけます。


 最初は大人しくしていた私ですけれど、しばらくしておかしなことに気が付きました。

それと言うのも姉が〈描く〉たびに私の着物が透き通っていくのです。


 アッという間に私の胸から上は裸になってしまいました。

絵は私の半身のみを写しておりましたから、臍から下は着物があるのです。

ですから実に妙な感じがするのでございます。


 それだけではありませんでした。

姉が筆をぐんぐん進めるうちに私の腕に、胸に、首に――覚えのない刺青が現れ始めたのです。

蝶でした。それは青い蝶の図でした。


 私は蝶を好まぬ質でございます。

なぜかと申しますと、蝶は動物の死骸に寄り付いて体液を吸うことがあるのと、またなにより遊離した魂魄の不吉な象徴として扱われることが多いからです。

おぞましい。ああおぞましいことです――私の体を無数の蝶が覆い尽くすだなんて。


 恐ろしいことにその蝶は次第にますます色を鮮やかに浮き立たせ、今にも私の体を割いて四方に散りそうな様子を見せるのでございます。


「この蝶は私。この蝶はお前。

永いあいだ私達は殺し、殺され、殺し、殺され、殺し合って過ごしてきたものだ」


「そんなことはありません。私は殺してなど……」


 言い淀んだのと〈記憶〉が脳に蘇ってくるのは同時でした。


 山桜が咲くあの日に私は〈あなた〉を殺した。

殺した――殺していない。

殺していない。


 私は〈彼女〉を背負って逃げたのだ。

山道をどこまでも逃げたのだ。

〈彼女〉は重たい御衣を脱ぎ捨てて私に一心にしがみついた。


 雨が降ってきた。

私は〈彼女〉を降ろした。


 丁度大きな河の近くまで来ていた頃だ。

雷が恐ろしく轟いて物の怪に襲われそうな夜が来た。

私は魔除けに剣を抜き、自らの着物を裂いて木に結い付けた。

布の切れ端には血文字で歌が記された。

血はいくらでも体中から湧いた。


――つかの間の闇のうつゝもまだ知らぬ夢より夢に迷ひぬるかな


 河の方から声が聞こえた気がしたのは無論気のせいであったに違いない。

けれどもこう聞こえたのだ。


――幻の夢を現にみる人は目もあはせでや夜を明かすらむ、

と。


〈彼女〉は呻いてのたうち回った。

〈彼女〉は徐々に神経を病むようになっていた。

肉体と精神を苛まれた〈彼女〉を私は抱いた。

そして首筋に口を付けてゆっくりと歯を当てた。


――それが〈彼女〉との最後のやり取りだった。

動かなくなった〈彼女〉を私は喰らった。


 私は飢えていた。ただ、ただ飢えていた。

何に飢えていたのかその時は解らなかった。

自分を突き動かす何かを説明できないまま私はただ喰らった。

喰らう度に私は満たされた。


 都に還った私は「鬼」と呼ばれた。

けれども私は不思議だった。

私は魂までも奪ったつもりはない。

私はただ狂気と病に侵され尽くし冷たくなった肉体を喰らっただけだ。

少なくとも私はそう信じていた。


「これは私。それともお前。

どちらでも良い。

私達は入れ替わり入れ替わり、殺し、殺される」


 私は気づいたらこう言っていました。


「私は――確かにあなたを突き落としました。

あなたの首に飛び付いて喰らおうとして、うっかりあなたを落としてしまいました」


「いいえ」


 姉はにっこりと笑いました。


「それは、私。

殺されたのは、お前」


「そうでした。

お姉様。お姉様は私に復讐なさったのですね。

それで私が突き落とされて――」


「お前の〈死〉は、本当に美味かったよ」


 私は椅子から滑り落ちていました。

私の体からは無数の蝶が舞いながら飛び去り、その度私の胸が、腕が、首が裂けます。

息絶えそうなほどの痛みが冷たくあるいは涼しく脳を掻き乱します。


 姉は〈私〉の姿になって私は〈姉〉の姿になって姉は〈私〉の勁い筋張った手を伸ばします。


そして〈姉〉の私の首を拾い上げ、

「ねえ〈お姉様〉。

〈お姉様〉、私は復讐したのですよ。

私を喰らった馬鹿の〈お姉様〉屑の〈お姉様〉。アハハハ」


 私は庭に寝ていました。

離れたところで私の右手が転がっているのが見えます。


……エッ? じゃあどうして私がこうして生きていられているのかって?

アハハハお解りになりませんか。

私が〈生き残った方〉で〈殺した方〉だからですよ。


 私は〈姉〉でしょうか? 〈弟〉でしょうか?

どちらでも構いません。私自身どちらだか解らなくなってしまいました。

アレ、この写真の〈姉〉はいつの間にやら男物の服を着るようになってしまったようですね。

これでは〈弟〉です。


 私は男でしょうか? 女でしょうか?


 ただ一点だけ確かな事実があるようですよ。

それはもちろん

「私が殺した」

ということです。

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