第二章 第五話

 アデライーダの言葉に、イリダールも人間たちを首を傾げた。


 彼女にとっては、戦う者に権力や財力が与えられるのは別に構わない。むしろ、そういったものは栄誉を与える一つの形であるとは思う。大魔王が問題視することはただ一点。人間たちが戦いの場に出ることに、何のリスクも感じていないことだ。生命を失う恐怖を乗り越えた上で戦場に出るような、いわゆる勇気とは全く違う。まるで遊興の場に出てきているかのような振る舞い。


「ずいぶん自信がお有りじゃねえの、お嬢ちゃん」


「黄金の魔王様から頂いたこの魔石に敵うものかよ!」


 得意げに罵倒する人間たちには、自分たちが殺されるかもしれないという恐怖など全くない。


 イリダールに従う人間たちにとって、戦いの場に出ることなどリスクではない。同じ人間を、あるいは支配者である魔物を、更に強く権力のある者から借り受けた力で攻撃できる機会……鬱憤晴らしのいい機会なのだ。


「そう」


 笑い続ける人間たちとは対象的に、アデライーダの顔からは表情が消え。


「ハ…………?」


 思わず、イリダールは呆けた。


 駆け寄って聖剣を振り下ろす――アデライーダがやったことはただそれだけだったが、目にも止まらぬ速さで行われたそれを誰一人として迎撃できなかった。


 繰り出された一撃は、複数人で展開していた魔力壁を容易く崩壊させた。石よりも硬く厚いはずの壁は藁よりも脆く崩れ、それどころか魔力の元である宝石をも粉々にする。次の宝石に持ち変えるまで、魔力壁の再展開は不可能となった。


 そして声を出す程度に反応する事でさえ、可能だったのはイリダールのみ。人間たちは目の前にアデライーダが現れたことも、魔力壁を破壊されたことも未だに理解できず。棒立ちである人間たちのうちの一人へ向けて、次の一撃が容赦なく胴へと振り抜かれ――


「い、いでええええええええええ!?」


「え?」


 剣で斬られたにしては鈍い……を通り越して優しい打撃音が響いて、思わずアデライーダは間抜けな声を上げた。


 斬られた、もとい叩かれた人間が間抜けな悲鳴と共に転げ回っている。その胴体は両断されるどころか出血すらしていない。骨も無事なら肌が内出血で変色もしていない、ほんとうに軽い打撲で済んでいた。もしこの人間が訓練を受けた戦士であれば、悲鳴も上げず痛みを堪えてそのまま戦闘を続行できていただろう。


 例えゴブリンであるイリダールに従っていようとも、大魔王が刃を向けた相手が人間であることには違いない。故に聖剣は人間を護るため、全力で斬撃を止めようとした。黄金竜の呪詛の無効化に回す力まで使って、である。


 結果、聖剣の妨害と僅かながら再起動した黄金竜の呪詛によって、アデライーダの一撃は貧弱極まりないものと化してしまったのだ。


 そしてそれほどまでに鈍くなったアデライーダを見逃すほど、イリダールは間抜けではない。


「今だ、撃テ!」


 命令に他の人間たちが宝石を掲げ、魔力光を放った。


 強制的な脱力から立ち直れていなかったアデライーダの身体へ、次々に光が直撃する。馬に轢かれたかのような勢いで遠方へと吹き飛ばされるアデライーダの様子を見て、人間たちは余裕を取り戻し……


「間抜けが、魔力壁を展開し直セ!」


 イリダールの叱咤に、慌てて次の宝石を取り出した。


 魔力壁が再展開した瞬間、跳ね飛ぶような勢いで再接近したアデライーダがまたも魔力壁を粉砕。そのまま人間たちへと聖剣を振りかざし……諦めたように剣を止め、剣を持っていない方の手で平手打ちをした。素人にも目で追えるほどゆっくりとした手の威力は、常人を一撃でノックアウトする程度の絶妙な威力に弱まった。


 そしてそれだけゆっくりと、手加減を強いられた一撃を放つ姿はやはり隙だらけだ。またも人間たちが放った魔力光がアデライーダの身体に突き刺さる。だが今度こそ大魔王はその場に踏み止まり、魔力壁の再展開を許さないまま一撃を加えていった。限界まで手加減した、手ぬるいにも程がある一撃を。


「ぐ、ぬヌ……」


 次々に配下の人間が倒されていく中、イリダールは撤退を考え始めていた。


 何らかの理由でアデライーダの攻撃が緩んでいるのは見れば分かる。だがそれを抜きにしても魔力壁を一撃で破壊する力、黄金竜の加護を以てしても目にも止まらぬ速さ。まともに戦いが成立するとは思えない。


 イリダールは身長の関係で馬を操れない、馬車から降りようとして……じゃり、という音がした。馬車に予備の魔石として積まれている、宝石が足に触れた音だった。


 思わず、イリダールは馬車を見回していた。黄金竜から下賜された大量の宝石。美しく、富の証でありながら、武器を兼ねるもの。イリダールという名と共に、彼にとっての誇り。それを捨てることへの躊躇いが足を鈍らせた。


「うげぇえっ!」


 情けない悲鳴で我に返る。


 迷いに囚われている間に、配下の人間は全て倒されていた。誰一人として殺されていないどころか、気絶もせず痛みに悶え苦しんでいるだけだ。しかし魔石に頼る以外の戦い方を知らない彼らが、痛みに耐える精神力など持ち合わせているはずもない。


 一方で、アデライーダには傷一つない。身体どころか、衣服にすら。戦意が萎えかけたイリダールは、しかしアデライーダが息を荒くしているのを確かに聞いて……ありったけの宝石を掴み取った。効いていないわけではないのだ。ならば魔石の物量で押せば倒せる。イリダールはそう考えた。


 だが、イリダールには致命的な見落としがあった。彼は、アデライーダが攻撃する際に動きが鈍るのは黄金竜の呪詛によるものだろうと推測している。しかし実際には、聖剣が人を傷付けることを許さないのが原因だ。


 そして……イリダールは人間ではなく、魔物だった。


 イリダールが残りの魔石を全て注ぎ込んで展開した魔力壁も、やはり瞬時に砕かれた。それはイリダールも構わない、想定内。ここで動きが鈍るはず、と判断して放たれた魔力光は……全て、明後日の方向へと飛んだ。


「エ?」


 イリダールは、魔力光を撒き散らしながら宙を舞う宝石を見た。血を撒き散らしながら宝石と共に回転している、彼自身の腕も。


 黄金竜の加護など何の意味もない。聖剣に制止されなかったアデライーダの一撃は、容易くイリダールの両腕を切り飛ばし……


「ア……」


 返す一撃が、イリダールの胸に突き刺さった。


 紛れもない致命傷に、膝が折れる。意識が薄れていく中で、イリダールは馬車の床に転がる宝石を見ていた。彼が栄達することができたきっかけ。今の彼の武器。彼がただのゴブリンとは違う証。


「俺の……オレ、ノ……」


 肘から先がない腕を、宝石へ伸ばす。


 それが、イリダールの最期であった。

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