第二章 第六話

 戸棚の裏に隠れていたフアナにも響くほどの轟音が止んだ。代わりに耳に届いたのは、馬車が遠ざかっていくような音。終わったのかな、と思ったフアナは、少し様子を見てから外へ出た。


 三度の戦闘で、フアナは既にアデライーダの強さを存分に見せつけられている。武器を向けられれば素手で弾き、石を投げられれば目線だけで砕く。だから突拍子もない理由で帰還が遅れることはあっても、傷付けられていたりはしないのだろう……そう、無意識のうちに思い始めていた。


 果たして、戻ってきたアデライーダに傷はなかった。なかったが……庭で聖剣を放り出して寝転んでいる。


 土の上だろうと構わずに横たわっている様子は、倒れていると受け取るには十分だった。


「だ、大丈夫ですか!?」


「平気よ。ちょっと疲れただけ……」


 慌てて駆け寄ったフアナに、アデライーダはそのままの姿勢で腕を振った。


 近くまで来て、アデライーダにはやはり衣装まで含めても傷一つないことをフアナは確認したが……同時に、その衣装が土で汚れていることにも気付いた。


 今までどんなことがあっても汚れ一つなかったアデライーダが、土の上で寝転んだだけで土埃の付着を許している。それが彼女にとっての消耗の表れなのだと、理解してしまった。


「しょ、商館まで運びます。ここならふかふかのベッドだってあるはずです」


「……それはだめ」


 アデライーダへと伸ばした手は、しかしアデライーダ自身に拒否された。


「な、なんで……?」


「あなたが食べてる時に、断食する理由と一緒に言ったでしょ。

 今日は眠る時、土の上で眠らないといけないって。

 もしうっかり寝たら、破ることになっちゃう」


 困惑するフアナに対し、横たわったまま……起き上がる様子を見せずにアデライーダは言う。この説明はしかし、フアナを余計に困惑させた。


 疲れ切った相手を助けるなと言われても、納得がいくものではない。そんなフアナの考えを顔から読み取ったらしく、はぁ、とアデライーダはため息をつくと聖剣を指さした。


「じゃあ、この子をしばらく預かってもうちょっと遠くにいて。

 ……この子と喧嘩してる時に、敵の攻撃を受けちゃってね。

 この子の影響がなければ、すぐ疲れが取れるから。

 敵が来た時に困るし、あまり離れても嫌だけど」


「は、はい」


 アデライーダの言葉に、フアナは放り出されていた聖剣を拾って数歩下がった。聖剣は一瞬、フアナに抱きしめられて安心したように光を消したが、その後はやはりアデライーダへ向けて輝きを放つことを再開した。


 聖剣は魔を憎み、人を守護する。例えどんな状況であろうとも。本来のアデライーダであれば、あの程度の魔力光は無防備な状態で何発受けようと消耗すらしない。今の状態になった理由は、聖剣による弱体化と聖剣をねじ伏せるための疲労が大きかった。馬車が遠ざかっていく音も、聖剣の影響下では見逃すしかなかった人間たちがここから無事に離脱した結果である。


 フアナが座り込むと、会話が途切れた。やはり聖剣はアデライーダと相性が悪いという事に対する決まりの悪さと、土の上で眠ることに拘るアデライーダへの戸惑い。この二つが原因となって、何を話せばいいのかフアナは分からない。


 挙動不審に俯いては顔を上げ直すことを繰り返すフアナを見て、何を思ったのか。アデライーダは何の前触れもなく聞いた。


「やっぱり、私って変だと思う?」


「え、え?」


「別に、正直に言っていいわよ。

 今の時代、魔物から見ても私は変なやつになっちゃったんだろうし」


「す…………素直に、ベッドで寝た方がいいと思います。

 戦いを邪魔しちゃだめだ、って言った人……えっと、人じゃないけど、いるなら……辛い時はやめてもいいんじゃない、でしょうか。

 私たちだって、寝る時は藁くらい敷きますし……土の上だなんて」


「そうかもね。

 でも、楽なように簡単にした結果が眠る時は土の上でってやり方なんだから、これ以上楽にしていったらいつか何も残らなくなる。

 私はそう思うの」


 アデライーダの言葉に、フアナはやはり納得できなかった。せっかく物資や設備が近くにあるのに、それに頼らずわざわざ貧しい真似をする。おいしい食事、安眠できる寝床。人間はもちろん、魔物でも飛びつく者は多いだろう。


 またしばらく、沈黙が二人の間に流れてから……ぽつぽつとアデライーダは話を再開した。フアナの方へと振り向かず、空を向いて……どこか遠くを見ながら。


「この世界から消え去った後……大雑把に言ってしまえば死んだ後は混沌っていうところに還るっていうのが私たちの教え。

 あなたたちの信仰みたいに善行とか悪行とかは関係なくて、みんな混沌行き。

 死後の違いを生むとすれば、強さ」


 そこまで喋ったところで、アデライーダは一息ついた。


 その仕草からは疲労が明らかで、本当に聖剣との相性が最悪なのだと示していた。


「強い力、強い意志、強い魂……とにかく強く在った者は混沌に還っても自らの存在を保ち、私たちの世界に影響を及ぼすって説があってね。

 混沌があるって確かな証拠はない。

 でも、どこか知らないところから力を引き出したり借りたりする術はある。

 その『どこか』が、混沌なんだって私は信じてる」


 またもアデライーダの口から漏れるため息。


 けれど今度のそれは、先程のものとは違う熱を帯びていた。


「もし彼らの意志が今も混沌に残っていて、私たちの世界を見ることができたのなら……

 彼らのことを忘れ去って、疎かにしている姿を見せてしまうのはきっと残酷なことよ」


 大魔王は憂いている。今の魔物たちは、この世界から去った者について忘れ始めていることを。


 人間にはもちろん、魔物にとっても気が遠くなるほど古い歴史。


 時の流れの中で捨て去られていく過去を、アデライーダは未だに抱え続けている。


「だから私は、遠い昔からの伝統や古式を守り続けたい。

 立派な伝説を遺した方々に、今もあなたたちの生きた証を大切にしてるんですって示したいから」


 混沌の存在も、ましてや混沌の中で残る存在も確かなものではないのに、過去は消えず今も残っているのだとアデライーダは信じている。


 あまりにも頑迷、あまりにも愚直。大魔王の考えは、お世辞にも現実的なものとは言えない。


 あらゆる祭祀をどのような状況だろうとも続けた結果、宝石などを始めとする出費は黄金竜に付け入る隙を与えた。アデライーダの生き方は、今の時代には全くそぐわないものだ。魔物ですら大魔王の元から離れ、あるいは敵対し、あるいは忘れ去った者さえいるのが、何よりもそれを証明している。


 けれども、フアナは反論しそうになった口をつぐんだ。言葉を止めた要因は、他ならぬ聖剣だった。フアナにとっては、父母が生きていた証。魔物たちから隠し続けて、奪おうとした村人たちに絶望さえするくらい大切にしていたもの。


 立派だった誰かが遺したものを守りたいという気持ちはフアナも同じで……だからこそ、思わずフアナは自問していた。大魔王に聖剣を委ねた挙げ句、何もかも任せているだけの今の自分は、父母に胸を張れる存在なのか、と。



 一時的にフアナの手に戻った聖剣は、今もアデライーダに対して敵意を示し続けている。

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