第二章 第四話

 楽しんで食事をしていたはずが、今となってはどことなく気まずい雰囲気になってしまっていた。


 蜂蜜の甘い匂いは未だに食堂を満たしているが、その香りを以てしても食欲がそそられない。


 フアナが食べる手を止めてしまった中、いきなりアデライーダがあらぬ方向へと振り向いた。


「ど、どうしたんですか?」


「敵」


「えっ!」


 驚くフアナをよそに、アデライーダは遠くを見ている。食堂にも窓はあるが、アデライーダはそちらを向いていない。明らかに壁を通して、外にいるらしい何かを感知していた。


「どこかに隠れてなさい」


「え、あ、えっと、」


 フアナが詳しく聞こうとする暇などまるでなく、アデライーダは食堂を飛び出していった。やはり目にも止まらぬ速さであったが、鍵を開けた時と同じく屋内が荒れた様子はない。石床を走り抜けていると言うのに、足音ひとつ響かない。


 転移と見間違うような調子で商館の屋根に登ったアデライーダは、こちらへ近づいてくる敵を見た。馬車を使っている。その上で宝石と共にふんぞり返っているのは、ゴブリン。そしてゴブリンと共に馬車と乗っているのは……


「……人間?」




 このゴブリンは、弱者として生まれてきた。


 ゴブリンにとって、敵は人間だけではない。オークやトロールを始めとして、単純な力を尊ぶ魔物は多数存在するからである。そういった魔物たちにとっては矮躯で力の弱いゴブリンは見苦しい存在で、単に見下されるだけならまだマシ、往々にして暴力を振るわれ負傷、あるいは殺されるのが日常。


 それでも魔法の才能を持って生まれ落ちることができれば、そういった種族に対抗する目もある。けれどもそんなゴブリンはごく僅か。このゴブリンもまた、魔法の才などは持ち合わせずに生まれた。そんな彼が、魔物の群れの中でろくな扱いをされるはずもなく……他のゴブリンと同じく、下等な魔物として扱われ、あっさりと死んでいく。そのはずであった。


 だがこのゴブリンがいた魔物の群れが黄金竜の配下として組み込まれることになって、運命は変わった。たまたま黄金竜の到来を一足早く知った彼は、かつて群れが人間から奪った宝石を盗み出すと黄金竜の配下に献上した。その働きを評価され、群れの誰よりも高い役割を任されたのだ。


 彼が任された役割の一つは、査察。記録などに不自然なところがある地域へ向かい、不正を見つけ出す。本来ならばゴブリンより遥かに優れた魔物が、ゴブリンの手により破滅する……そのことは彼を大いに満足させた。


『よく働いておりますね。お前はこれよりイリダールと名乗りなさい』


 このゴブリンの名はイリダール。黄金竜直々に与えられた、栄誉ある名である。


「そろそろ敵前逃亡した連中の商館ダ。備えナ」


「へ、へい」


 馬車の上で、イリダールは命令を下した。共にいるのは御者も含めて全員が人間だ。彼らの顔にあるのは、ゴブリンにへつらうための愛想笑い。


 イリダールは査察を担当している身だ、黄金竜配下の魔物たちからは蛇蝎のごとく嫌われている。故に、直属の部下として人間を選ぶことにした。いくら黄金竜の加護があるとは言っても、元はただのゴブリン。力任せに加護を突破されて寝首を掻かれないとも限らない。


 その点において人間は安全だ。黄金竜から高い地位を与えられたイリダールに逆らうことはできないからである。


 今日もまた査察に出向くところであったところ……ちょうど商館から逃げ出した魔物と遭遇。事態を把握したイリダールは、商館を襲撃した何者かの対処へと目的を変更したところである。彼が任されている役割のもう一つは、各地で解決できない問題が発生した場合の援護だ。


「イリダール様、前方に誰かが」


「ム」


 御者の報告を受けて、イリダールもまたその存在を見つけた。


 商館の屋根から飛び降りてきた、一人の少女。夜闇の中で、聖剣を輝かせている存在。彼女こそは大魔王アデライーダ。とは言え、聖剣の力に魔王としての気配が覆い隠されているためイリダールには気付きようがない。気付いたことは、彼女が黄金竜の呪詛から逃れていることのみ。


「商館を襲ったのはあいつか……お前ら、展開しロ」


「はっ」


 もっとも、黄金竜に敵対した存在であると見定めるには十分な情報だ。


 御者を含めた人間たちは積んでいた宝石をありったけ掴むと、地面に降りて左手を突き出した。すると半透明の壁が宝石から生み出され、イリダールたちの前方へと広がっていった。


「魔力壁、よし!」


「よし!!」


 人間たちの言葉にうむ、とイリダールは頷いた。この宝石は魔力が込められた魔石で、所持者が素人であっても魔法を扱うことができる代物だ。


 使い捨ての形であるためコストパフォーマンスは最悪だが……いざという場合は湯水の如く使っても構いないと、黄金竜からのお墨付きを貰っている。


「撃テ」


 イリダールの合図と共に、人間たちは右手を掲げた。こちらの手には、左手とは別の宝石。右手の宝石から放たれた光は雷となり、稲妻をアデライーダへと伸ばして……放った電光の全てが、聖剣によって切り払われた。


 聖剣に雷の残滓を纏わせながら、無傷で佇む少女。その様子にざわめく人間たちに対し、イリダールは呼びかける。


「慌てんナ。こっちには魔力壁があることを忘れたか、宝石もまだまだあル」


 依然として馬車に腰掛けたまま、イリダールの余裕は消えない。


 査定に逆上して魔物が襲ってきた経験はあるし、その際に初撃を耐えられたこともある。だが、反撃を受けたことはない。複数人に展開させた魔力壁によって凌ぎ、同時に魔力光を放ち続ける。


 限界を迎えるのはいつだって、イリダールに敵対する相手が先だ。大量に用意してある宝石……魔石。それを使い切ることなどありえない。財力と権力、それこそがイリダールの武器である。


「あなたたち、人間でしょ。なんでゴブリンに従っているの?」


 アデライーダが問いかけてきたのは、そんな状態でのことだった。


 同族意識か、と内心でイリダールは嘲笑う。実際には彼女は人間ではなく、単なる疑問から聞いているのだが、それに気付くことはない。そして、嘲笑ったのはイリダールが率いる人間たちも同じである。ただしこちらは内心どころか、堂々と声に出した。


「俺たちはこれでも黄金竜様の手下ってことになってるんだぜ?

 奪われるだけの立場よりは、奪うこともできる立場になったほうが楽に決まってるだろ」


 人間の男の言葉に、魔物に従う屈辱や申し訳無さは欠片もなかった。


 彼らはイリダールの配下として黄金竜に認められたことで、イリダールほど強いものではないが加護を与えられている。他の人間や低位の魔物に対して、一方的に振る舞うことが可能だ。イリダールに従う人間たちもまた権力と財力を存分に振るっていることは、その華美な身なりが何よりも明確に語っていた。


 人間に対する裏切り行為……しかし、アデライーダが気にする点はそこではない。


「私との戦いの場に出ることになるような立場が、楽?」

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