間章 勇者と王女

間話 勇者カイとソフィア

 ルラルド王国の王城から少し歩いた先にあるのは、騎士団の本部だ。

 ここには数多くの王国騎士が駐屯し、日々鍛錬に励んでいる。

 王城から見渡せる外付けの訓練場には土まみれになりながら騎士たち剣術に勤しんでいた。


 勇者カイも例外ではない。

 彼は同じく勇者ノゾミ、そして英雄のシンとともにこちらの世界へ召喚された人間だ。

 

「……ふっ!!」

「良い剣捌きだ」


 一際激しい剣戟を繰り広げているのは、今日も今日とて、団長であるアステル・グラブリアと勇者カイだ。


 彼の心は平静だ。そして、無心である。

 剣術において最も重要なことは感情に左右されないということを、すでに彼は悟っていた。

 日本では剣道や、その他武道を嗜んではいなかった。

 しかし、運動神経は群を抜くものがあり、剣術でも彼はそれなりに上達している。

 魔力制御も得意で、もはや普通の騎士よりもその腕は抜群である。


 彼の中、その心の中には常に意識している人物がいた。

 その名前はシン。英雄候補として召喚されたおそらくこの世界で最も魔術の才能がある者だ。


 カイはあの日、シンが自分の師匠であるアステルを倒してから、ずっとシンの背中を追い続けていた。

 どうすれば追いつける。どうすれば勝てる。


 アステルは基本的に基礎となるルラルド流剣術に忠実で、隙はほとんどない。

 だが、ほんの少しだけ動きに癖があることをカイは見抜いていた。

 上段振り下ろしから、次の攻撃に身体を移行させる瞬間、脇腹に隙が生じる。

 それをカイは突いた。

 フェイントと上下の攻撃を組み合わせ、なるべく相手に悟られないようにその隙をつく。

 カイは確信した。これなら一本入れられる、と。


「隙ありだ!」

「かかったな」


 だが、待ってましたと言わんばかりにアステルは不敵に笑みを浮かべ、その動きを変えた。

 変則的な剣の軌道。

 間合いが変化して、カイは逆に大きく隙を見せることとなった。

 刹那、腹部へ強い衝撃。

 カイはその場にうずくまり、胃液を地面にばら撒けた。


「良い動きだ、カイ」

「くっそ……」


 未だ感じる鈍痛に耐え、すぐに自分の悪かった点を分析する。

 隙は囮。アステルがわざと見せたエサだった。

 虚実の隙を見せることで、それを逆手に相手に隙を作らせる、アステルの得意技だ。


「お前は良くも悪くも素直すぎる。真っ直ぐすぎる。まあ、それがお前の良いところでもあるがな」

「精進します」


 バン、と背中を叩かれて、勇者カイは自身の実力と師匠であるアステルの実力には未だ埋め合わせることのできない差があることを理解する。

 

 どうすれば追いつける。どうすれば勝てる。

 どうすれば……この世界で生き残れる。


 意識を剣から別のところへ移行させると、再びその命題に直面した。

 この世界には強い人間が沢山いる。

 死は隣り合わせで、努力しても埋め合わせることのできない差がある。

 そんな中で自分が、勇者として、そして一人の人間としてこの世界で生きていくには何をしたら良いのか。


「英雄候補のシンは、強き人物だ。あれはおぞましい程の力で満ち溢れている」


 アステルは木剣を片付けながらそう呟いた。

 実際に手を合わせ、この世界に来たばかりのシンに痛い目に遭わされた彼は、身に染みるほど彼の強さを理解している様子だ。


 あの団長にここまで言わせるシンの実力。

 溢れる才能。

 発展途上の剣術でありながら、常に闘いの中で最善の行動を分析し、強力な魔術を操り、時には感情を排して敵を追い詰める。

 まるで猟犬。狂犬だ。


「……俺は、この世界で勇者としてやっていけるのか、たまにそう思う時があります」


「……」


「ノゾミはこの世界が好きだと言ってました。シンもあれほどの強さを持っている。二人は、この世界に自分がいることの意義を感じています。俺は、それがどうにも……」


「はっは!」


 バン、と、また背中を叩かれた。

 アステルは高らかに笑って、拳を宙に突きつける。


「この世界にいる意義だと? そんなもん、クソ喰らえだ。お前は考えなくて良い。お前がお前としてこの世界でいることの意義は、お前ではなく民が決めることだ」


「勇者カイは、この世界で生きていていて欲しい。民を災いから守って欲しい。そう俺たちが願ったから召喚された。意義はある」


「しかし、俺は」


 役に立てるだろうか。

 本心を言えば、まだ元の世界に帰りたいと想っている自分がいる。

 家族に会いたいと思っている自分がいる。

 シンのように強くなれないのではないか。足を引っ張るのではないか。

 

「お前は強い。そしてこれからもっと強くなれる。まずは何かこの世界で守りたいと思えるものを見つけることだ」


「分かりました」


 カイとアステルは向き合い、そして少し距離を取り、お辞儀をした。

 戦いの後はこうして相手に敬意を示すのがルラルド剣術の教えである。

 日本の武道に近しいものがある。


「カイ様ー! 休憩はぜひ、私とぜひお茶をしませんか?」


 その時、ふと後ろから声がした。

 目の前のアステルを見ると、ギョッとした顔をして慌てている。


「ソフィア様! ここは危険だとあれほど言っているではありませんか」


 カイが振り向くと、全体的に青の、それでいてそれなりに動きやすそうな簡易な気品のあるドレスに身を包んでいる少女が走ってきているのが見えた。

 ソフィア・ルラルド。

 この国王女様である。

 美しい金髪に、氷細工のような顔。

 どちらかと言えば美人よりの顔つきだが、笑えばたちまち童顔になり、あどけなさが可愛らしい。


 おまけに宰相顔向の政治力と知識、軍師としても才能があり、王国の希望の星だ。


「良いではありませんか、アステル。カイ様、修行お疲れ様です。拝見しておりました」


「ありがとうございます。見苦しい姿をお見せしてしまい、申し訳ない」


 カイは深々とお辞儀をして、改めてソフィアを見た。

 本当に美しい少女だ。

 少女とは言え、18歳とカイと年齢は近い。

 こんな大人びていて、気品があり、落ち着いている女の子はこれまで見たことがなかった。

 かれこれこうして話すのは何度目かになるが、やはり背筋を伸ばしてしまう。


「そんな、見苦しくなどありませんよ。むしろ、あなたのひたむきな姿を見ていると、私も背中を押されます」


「光栄です」


 ふふっと、ソフィアは微笑んだ。

 頬は桜色で唇は薄く、妙に艶かしい。


 そのように話していると、遠くから「危ない!」という叫び声が聞こえてきた。

 

 ソフィアのちょうど後ろから彼女に向かって木剣がかなりのスピードで飛んでくる。


「あぶねぇっ!!」

「きゃっ」


 カイは思わずソフィアの両肩を掴んで飛んでくる木剣から彼女を外し、自らの剣を抜いた。


 カキン、と弾き、飛んできた木剣を片手で掴む。


「だ、大丈夫ですかソフィア様っ!!」

「ええ、カイ様が守ってくれましたから」


 脂汗を流しながらアステルが慌てるが、ソフィアは舌を出しておどけている。

 普段はキリッとした表情をさせているが、こういう時にふざけることもできるのだから人気が出るのにも頷ける。


「あれほど危ないと言っているのに」

「まあ、良いではありませんか。ね、カイ様?」

「ソフィア様に何かあれば、俺が盾となりますので、ご安心を」


 カイは考える。

 とはいえ、こんなところで立ち話も良くないだろう。


「午後はソフィア様にお付き合いします」

「本当? 嬉しいです。ぜひ、私の茶会へ来てください」


 カイはその後寮へ戻って風呂で汗を流し、泥を流し、精神を統一させた。

 水圧をいくら強くしても、頭の中にあるこの先の未来への不安は取れそうもない。


 新品の服に着替え、服の皺を確認し、髪を整え、外に出る。

 いまは考えるのはよそう。

 ソフィア様に暗い顔を見せるわけにはいかないだろうから。


◇◆◇


 王城の中に入るのはまだ数回しかない。

 これが数回目のうちの何度かに当たるが、やはり緊張する。

 荘厳な雰囲気に、現実離れした城の大きさはカイの動揺を誘ってくる。


 彼の腰にさされた剣だけは、この雰囲気によく馴染んでいた。

 傷一つ無く、よく手入れされた剣である。

 師匠であるアステルから授けられたこの剣は、常に誰か守るべき存在を探している。


 カイはまだその存在に出会えていない。

 出会えているが、自覚していない可能性もあるのだが。


「勇者カイ様。ソフィア様はこちらです」

「ありがとう」


 少し歩くと、ソフィアのメイドが佇んでいた。

 茶会の会場は中庭にあるらしく、メイドが慣れた手つきで手招きをする。

 カイは少しお辞儀して、その横を通り過ぎた。


 よく晴れた天気だ。

 修行中はそんなこと考えてもいなかったが、こうして風呂で汗を流し、雑念なく、すっきりとした心地で改めて空を見ると、違った何かを感じる。

 空気が澄んでいる。

 中庭でありながらじめっとした空気はなく、花が咲き誇り、蝶が漂っていた。


 その中央に、彼女はいた。

 目を瞑り、湯気ただよう紅茶を容易く操って口に運んでいる所作は、言い難い美しさがある。

 白を基調とした、ラフな格好に着替えており、同じく白いテーブルと日差しを遮る屋根は、その中庭の雰囲気にマッチしていた。


「待たせて申し訳ありません」

「カイ様。どうぞこちらへ」


 腰掛けると、ソフィアは嬉しそうに上体を左右に振って笑顔を浮かべた。


「先ほどから思っていましたが、その指輪、綺麗ですね」

「綺麗でしょう? 私にはなくてはならないものです」


 カイはソフィアの指にはめられている青の指輪に目をやった。

 ただの装飾品とは思えないほど、何か力が秘められているような気がする。


「カイ様。お願いがあるのですが」

「なんでしょう?」

「敬語はどうかお辞めください。私はカイ様にフランクに接して欲しいのです」

「しかし……いえ。分かった。そうしようソフィア」

「あら、なんか変感じ」

「フランクにと言ったのはソフィアじゃないか」

「いえ、なんと言うか、嬉しくて」


 恥ずかしげに頬をかき、ソフィアは佇まいを直した。

 カイは女性との会話にそれほど緊張することはなく、それなりに慣れているのだが、どうにもソフィアと話すと緊張した。

 ソフィアが美しいと、自分がそう思っている他あるまい。

 

「ところで、なぜ俺を茶会に? 他にも誘う人はいるだろう」

「こう見えて私はそれほど仲の良い人物はいないのですよ?」

「そうなのか?」

「ええ。いつも顔を合わせているメイドと茶会をするのも変でしょう?」

「まあ、確かにな」

「それに、カイ様とお話がしたかったから」


 迷いなくソフィアが答える。

 話したいこと。自分と話したいことなど、何かあるのだろうか。

 ああ、向こうの世界のことが気になるのかもしれない。

 この世界にはない文化や常識、政治や歴史などに興味があるのかも。

 彼女は優秀だから、話を聞いて何か学びたいのだろう。


 とはいえ、彼女に何か教えられることなどあるのだろうか。

 この世界はこの世界にあるべきものが存在していて、日本とは大きく違う。


「ほう。そうだな。教えられることは沢山あるぞ? とはいえ、日本のことがこの世界で通用するかは別だが……」


「ふふっ。真面目ですね。私がお話ししたいのはそれじゃないです。まあ、少し気になりますけど」

「む、違ったか」

「ええ、違います」

「じゃあ、何を?」

「ぜひ、カイ様には私の守護騎士になって欲しいです」

「守護騎士……」


 守護騎士とは、王族専属の騎士である。

 四六時中そばにいて、彼女を守護し、危機から守る存在のことだ。

 確か彼女の守護騎士は高齢により引退、現在は雇っていなかったか。

 とはいえはまた何故自分に? とカイは思った。

 自分が良いか悪いかはさておき。

 勇者として召喚された以上、そんなことが実際許されるのだろうか。


「俺は一応、勇者だからな。その期待に応えられない」

「そう言うと思いました。そういう真面目なところが、私は好きなのですが」


 少し残念そうにしながら、ソフィアは続ける。


「カイ様は、何かに怯えているように私には見えます」

「やはり、そう見えるか? なんでもお見通しだな」

「聞かせてもらっても良いですか」

「つまらない話になるかもしれない」

「それでも構いませんよ」


 

 カイは少し躊躇ったが、心のうちを目の前の彼女に話してみることにした。

 特に何かを期待していたわけでもない。

 解決するとも思えないが、やはり誰かに頼りたかったのかもしれない。

 

 まずはこの世界に来てから決して薄まることのない不安を吐露した。

 きつい修行をすることでなんとか自らに自信を持つように心がけ、しがみつき、迫る不安から逃れてきたこと。


 相方であるノゾミはこの世界への希望に満ち、楽しみ、環境に馴染んでいる。

 シンは魔術の才能に溢れ、直向きに努力し、仲間を増やして逆境に耐え抜く精神力を持っている。


 自分にはそれがない。

 帰りたいと思っている自分がいる。

 多くの人間を導き、守り、戦場で先頭に立てるほどの技量を持ち合わせてはいない。


 死ぬことが怖いこと。

 振るわれる刃への恐怖心がまだあること。

 強くなれる自信がない。

 自分は強さを極められない。


「そう……。辛かったのですね」


 気付けばカイは言葉が絶えることなく全てを話してしまっていた。

 ソフィアが真剣に聞いてくれたからかもしれない。

 ふと、自らの手に、彼女の手が置かれた。

 震える手を包まれて、少し恥ずかしくなる。


「あなたはとても責任感が強い。誰よりも真面目で不器用なところも、あなたの魅力の一つです」


「ご自身を、あまり追い詰めないでください。追い詰めるのはいずれ他の誰かがやってくれる。だから私の前でくらいは気を抜いても大丈夫なんですよ」


 責任感が強い。真面目。

 確かに、そう言われるとどうにも反論の余地がない。

 しかし、追い詰めなくては、現状維持では、シンには追いつけない。

 彼は常に自分を追い詰め、鍛え抜き、強さを手にしている。


「シン様と比較なさっているのでしょう?」


 ソフィアがはにかみ、まっすぐとした視線をカイに向ける。


「何故分かった」

「分かります。私は誰よりもあなたを見ていますから」

 

 カイはその日交わした彼女の言葉と、彼女と絡めた指の感触が忘れられなかった。


 細くて柔らかく、そして白い彼女の手は、とても安心する何かを秘めていた。

 視線は誰よりも真っ直ぐで、誰よりも自分のことを見て、知ろうとしてくれることが伝わってきた。

 おかしな感情だ。

 カイはただその日のことが頭に残って離れなかった。

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