間話2 勇者と王女と護衛と
「ふっ……!! はっ……!!!」
早朝。
まだ朝日が出て間もない時間。霧が辺りに充満し、少し冷たい空気が流れる騎士団の訓練場には、一人の男が木剣を振っていた。
その男の名はカイ。
邪念なく、ただひたすらに自らの剣筋を確かめ、木剣を振るう姿は歴代の剣士のようである。
集中すればするほど、視野が狭くなる。
言葉通りの意味だ。
目の前の物事に意識を向け、神経を研ぎ澄ます。
集中する分だけ、所謂ゾーンの状態に入るが、その代わりに見える視野が狭くなる。死角が多くなる。
どうすればこのゾーンを維持したまま、死角を無くし、意識を周囲に向けることができるか。
「はあ、はあ……。くそッ」
ひとしきり剣を振り終えると、カイはひとしきり水を飲んだ。
思えばこの世界に来てから、体が一気にデカくなった気がする。
なかなか、苦戦している。
日本ではこんなことなかった。大抵のことは上手くこなせたし、努力すればいつも上にいけた。
だが、この世界は違う。
上には上がいるし、その上に限界はない。
才能に大きく左右される世界で、努力では辿り着けない神域が存在する。
聞くところによると、副団長のセレーヌ・ディアベルリアはこの国最強の剣士であるという。
魔法の適性は無いが、一度剣を持たせれば、一個師団を壊滅させられるほどの実力だとか。
そんな彼女が剣聖の称号を持っていないのは驚きである。
剣聖は剣士が目指す最高の領域だ。
はるか遠くに位置する剣大陸。そこに至るまでの道は険しく、剣山を登り、竜の攻撃から身を隠し、極寒の土地を掻い潜って到達できる、死の土地。
そこに到達できた者は例外なく、その土地で剣の修行を受ける権利がもらえるが、それでもそのキツいついていける者は一割ほどなのだとか。
剣の神、アルデバラン・ドーラ。
剣の頂点にして、剣大陸を支配する王。
二つ名は天狼。
シンなら、もしかするとアルデバランに挑めるほどの実力を身につけるかもしれないと、カイは思った。
「やってるね、カイ君」
「なんだ、ノゾミか」
近づく足音に意識を向けると、ノゾミが木剣を携えてこちらへ近づいてきた。
早朝なのにも関わらず、彼女も修行を開始するらしい。
「なんだとはなーんだよー。可愛い同級生がやってきたっていうのに」
「自分で可愛いって言うのがな……」
カイはおもわず苦笑して、ノゾミの太刀筋を眺めた。
丁寧だ。基礎に忠実な剣筋である。
「真面目だな、ノゾミは」
「そうかなぁ? 私から言わせれば、カイ君も大概だよ?」
「ま、一番はシンだな」
「だね」
二人は共通の人物を思い出すと、思わず吹き出した。
シンに負けないために、こうやって朝から剣を振るっているのもある。
どうやらノゾミも同じことを考えていたようだ。
「なあ、ノゾミ」
「なにー?」
「この世界は、楽しいって言ってたけどさ、今でも楽しいか?」
「うん、楽しいよ。少し怖いこともあるけれど、普通に楽しい」
「それじゃあ、強くなりたいって焦ることはあるか?」
「焦ることはあるけどー、でも、努力あるのみ、みたいな? 頑張るしかないと思ってやってるよ」
「そうか」
「どうしたの? 急に。カイ君は?」
「……俺もまあ、似たようなもんかな」
似たようなもの。
似てはいるが同じじゃない。
少なくとも自分には彼女のような向上心は無いし、彼女ほど器は大きく無い。
故に、民などを守れる器では無い。
せいぜい、身近な人間を守れるのが及第点といったところだ。
「二人ともー!!! 緊急です! 王城へ来てください!」
そんなことを考えていると、王城の騎士が血相を変えて走ってくるのが見えた。
「何が起きた?」
カイは訊ねる。すると、返ってきたのは予想外の言葉だった。
「王女誘拐予告が届きました……!」
◇◆◇
「内容は以上です。二人にはそれぞれ分かれて対応してもらいたい」
宰相のエドワードがメガネを掛け直して、説明を終えた。
厄介なことが起きたなと、カイは思った。
まずはセキメタス大森林での、魔物の氾濫。
どうやら、迷宮から溢れ出した魔物が周辺区域で暴れ、すでに死者も出ているという。
そして、二つ目は王女である、ソフィアの元へ届いた誘拐の予告状だ。
騎士団の目を潜り抜けて誘拐の予告状を出したとなると、相手は只者じゃない。
おそらく腕の立つ暗殺者、あるいは別の国のスパイか。
「今回は、勇者ノゾミは迷宮攻略へ。そして、勇者カイはソフィアの護衛に当たってもらいたい」
王がそう告げた。
どうやら日頃、彼女と親交があるカイを護衛にするのが適切だと判断したらしい。
ソフィアはこう見えてかなりの人見知りだからだ。
「「承知しました」」
「既にシン様には、セレーヌと共に準備を進めさせております。ノゾミ様も合流し、準備を進めてください。なお、カイ様は団長のアステルと共にソフィア様の護衛を」
会議が終了すると、ノゾミは一目散に走り出して、シンの所へ向かった。
カイとて、負けてはいられない。
団長のアステルと話し合った結果、交代でソフィアの護衛をすることになった。
片方が護衛をしている間に、片方は犯人の手がかりを探す。
「誘拐予告とはまた、派手なことするなぁ」
カイはつぶやいた。
豪華絢爛、広大な王城内で、その声だけが密かに響く。
しかし、予告したとなれば、敵は国内に潜伏しているだろう。
もしかしたら、王城付近にいるかもしれない。
まさか、身近な人物に……? いやまさか。
「ぐだぐだ考えていても仕方ないか」
カイはパチンと頬を両手で叩いて、扉の前に立った。
大きな扉だ。
まるでここは他よりも高貴な場所だと、暗に意味しているかのようだ。
王女であるソフィアの部屋の扉なのだから、実際のところそうなのだが。
「ふう」
カイは深呼吸して、ノックしようと手を差し出すと。
「あら、カイ様」
「うおわっっ!!」
心臓が飛び出そうになって、声主の方へ振り向くと、そこには目をまん丸と開いたソフィアが立っていた。
「あら、びっくりさせてしまいましたか?」
「い、いや。全くびっくりしてない」
「嘘。すごく大きな声で叫んでいらっしゃったではありませんか」
クスクスと笑われて、カイは余計に顔を赤くさせた。
全く、まさか背後に彼女がいるとは思わなかった。
油断だ。こんな時に。
「今日から君を護衛することになったんだ。俺と団長で交代でな」
とりあえず、カイは今日決まったことを話した。
大体のことは把握しているだろうが、万が一情報の齟齬があったら良くない。
「あら、じゃあカイ様と沢山お話ができるわけですね! さあ、入って入ってっ!」
「お、おい。遊びに来たんじゃないからな」
ソフィアにガシッと腕を拘束されて、カイはなす術なく部屋の中に連行された。
◇◆◇
「それでどうだ。何か不自然なこととかあったか?」
「いえ……。特に何か身に起こったりはしてませんね」
「そうか」
カイは部屋の入り口付近に立ち、ソフィアから事情聴取をしていた。
ソフィアの部屋に初めて入ったが、意外にも可愛らしい部屋だ。
大人びた口調や、行動だから、てっきり部屋もシンプルで質素な内装になっているかと思ったが。
ピンクのベッドに、一目見ただけで分かるほどの高級なぬいぐるみが綺麗に並べられている。
カイは一瞬見てすぐに目線を逸らし、表情を変えることなく職務に就いた。
内心では緊張が渋滞を起こしているが、得意のポーカーフェイスで乗り切る。
「あ、そうそう。これ、例の予告状です」
「おお。見せてくれ」
すっと、出された予告状を手に取り、カイはまじまじと見た。
『ソフィアを頂戴する』
「ふむ。端正な字だ」
「そうですね。読み書きができる人間であることに間違いはなさそうです」
ソフィアは指輪をきらりと輝かせて、佇まいを直した。
他にも文章が書かれていたが、要約するとこの九文字だ。
綺麗な字、となると、かなり候補は絞られる。
それに文法もしっかりしたものだ。
知識もある。
もしかすると誰かに頼んで書いてもらったという可能性もあるかもしれない。
「この字、どこかで見たことがあるな」
「あるんですか?」
「ああ。確か……」
この字、カイは見たことがあった。
見たことがあるというより、街中に貼られていたり、配られているチラシ、もしくは掲示板などで書かれている筆跡とかなり似ているような気がする。
「これは、代行者ギルドで書かれたんじゃないだろうか」
「読み書き代行者ギルドですね。確かにあそこなら字が書けない、読めない人でも簡単に手紙を書いてもらうことができます」
読み書き代行者ギルド。
簡単に言って仕舞えば、読み書きができない冒険者や庶民の代わりに文字を書くところだ。
手紙や、重要書類、その他もろもろの業務を担っている。
誰かがあそこで書くように依頼したか?
しかも、誘拐ではなく、頂戴すると言っている辺り、ギルドの目を気にしてのものだろう。
「俺は明日、ギルドに行ってみるよ」
「どうかお気をつけて」
方針は決まった。大事にならず解決できると良いが。
「ふふ。真剣な顔をなさっているカイ様も、なかなか見応えがありますね」
「あんまり、ジロジロ見るんじゃない」
ソフィアの視線に気づいたカイは恥ずかしそうに一歩後ろに下がる。
「……それにしてもその指輪、ずっと付けてるな。大事なものなのか?」
「ああ、これですね。大事なものです。五年前、この国で起きた魔力暴走の事故を知ってらっしゃいますか?」
「いや、知らないな。そんなことが起きたのか?」
魔力暴走事故。
文字通り体内の魔力が暴走して、周囲に被害を及ぼすことを指す。
最も、魔力が膨大な人間に飲みに起こる、極めて珍しい症例なのだが。
「あれの元凶は、実は私です。八年前、私はふとした出来事で魔力が暴走し、止めに入った騎士を一名、殺してしまいました」
「そんなことがあったのか……。辛かっただろ」
「ええ。とても辛かった。しばらく、人の顔すらまともに見られませんでした」
そのための指輪、か。
おそらく指輪は魔道具で、膨大な魔力を抑えているのだろう。
「あそこに時計台が見えるでしょう?」
「ああ、見えるな」
ソフィアは窓から見える、時計台を指差した。
それは国の中心に聳え立つ、大きな時計台だ。
「あそこから飛び降りようと思い立ち、実際登ったこともありました」
「それは……」
「同時副団長だった人に説得されたおかげで、私は今も笑うことができています」
「そうか」
カイは唇を固く結んだ。
ソフィアにそんな過去があるとは知らなかった。
第一印象とは違って、彼女は案外儚いのかもしれない。
彼女のことを全く理解できていなかった自分を、カイは恥じた。
「それを聞いて、私のことが怖くなったりしませんか?」
「しないな。むしろ、守りたいと思った」
「あら。素敵。それでは、ずっと守ってくださる?」
「それは……できない。勇者だから、民を守らないと」
「あなたはそういうと思いました。それでも良いのです、ソフィアは」
彼女はクスッと微笑んで、視線を下げる。
少し、悲しんでいるようにも見えた。
「今度は私が質問しても宜しいですか?」
「ん? ああ、答えられることなら、なんでも答えよう」
「そうですねぇ、じゃあ、カイ様は意中の人とかいらっしゃるのですか?」
「い、意中の人だとっ!?」
「ええ、言葉を変えると、好きな人、です」
ビクッと、カイは体をこわばらせて、キョロキョロと辺りを見回した。
辺りを見回しても答えなど書かれていないのだが。
そもそも、流れ的にもっとシリアスな質問が飛んでくるかと思ったら。
どうにもソフィアには振り回されっぱなしだと、カイは思った。
「そうだな、よく分からんってのが、正直なところだ」
「よく分からない?」
「ああ、この気持ちが好きに当てはまるのか、答えが出せていない」
「真面目な回答ですね」
「悪いかよ」
「いいえ。素敵です」
「ま、こんな会話が出来るくらいだから、そっちは問題なさそうだな」
「そうですね」
談笑していると、あっという間に時間が経過し、交代の時間がやってきた。
ソフィア王女護衛一日目、この日は何事も起きずに終わったのだった。
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