日記20 怒涛
魔族という種族を、俺は初めて見た。
一目見て、対峙して、同じ空気を吸って、たったそれだけで、生物的に人族とは異なる存在であると、俺は確信した。
見た目はほとんど人だ。
知らない人が見たら、わからないかもしれない。
まあ、とはいえ俺も人じゃなくて犬。
分類的には獣族に分けられるんだが。
とはいえ、やはり強者であることは間違いない。
セレーヌがここまでやられるほどだ。
俺はなけなしの魔力を使って、固有魔術を発動させる。
【鮮血たる血の眷属】【英雄候補】
俺の固有魔術は【竜の咆哮】によって半減させられることが分かった。
俺の力は、無敵じゃない。
「姉さん!」
「シアーシャ! 良かった……!」
「後は任せなさい! 私がぶっ飛ばすわ!」
合流したシアーシャはイリーシャとノゾミの助太刀に入った。
彼女の格闘能力があれば、あの程度の敵は十分に倒せるだろう。
それに、厄介な闇魔術は俺が打ち消した。
「お前は。そうか。召喚された英雄だな」
「ああ。そうだ」
「お前の内に秘められた力。いずれギデオン様の脅威となるだろう。今のうちに俺が潰す」
「やってみろよ」
低く、威圧のある声で魔族は俺を睨みつける。
俺は魔術師だ。
剣術なんて、おそらくこいつに及ばない。
いくら俺の固有魔術が有効でも、危ない橋であることに変わりはない。
「いけるか、セレーヌ」
「シン様と共に戦えること、私は嬉しいです!」
立ち上がるセレーヌは、やはり俺の師匠だと思った。
彼女となら、どんな敵とでも戦える気がする。
魔王でも、竜でも、他のどんな敵でも、問題ないと俺は思う。
「さあ、来い。剣鬼、そして英雄。俺はお前たちを始末し、ギデオン様の寵愛を受けさせてもらおう」
そう言うと、アルファベータは一つの指輪をはめた。
刹那、空気が変わった。
張り詰めた空気。ピリピリと静電気のようなものにまとわりつかれているような、そんな感覚。
「行きます!」
アルファベータの筋肉が緩んだ瞬間を、セレーヌは決して見逃さなかった。
闇魔術が無効化された今、彼女の剣筋は格段に鋭く、精密になっている。
「ふん、その手には乗るかッッ!!!」
セレーヌが剣を振り下ろす瞬間、アルファベータの背後から狼の魔物が飛び出した。
召喚魔術か。
1匹はセレーヌの斬撃を受けて吹き飛び、1匹は彼女へ牙を向ける。
「
俺はすぐに二重詠唱を唱える。
左から氷斬を飛ばして狼を穿ち、攻撃体制のアルファベータの足元を崩す。
二重詠唱なんて初めての試みだけれど……。なんとか成功したから良し。
「ハッ!!!」
大きく弧を描いたセレーヌの斬撃がアルファベータの胸を切り裂く。
息をつく暇などない。
俺はすぐに距離を詰め、まだ戦意を喪失していないアルファベータの魔術を無効化する。
「シン様!」
セレーヌよりも俺の方が一足早かった。
「クソっ! 小賢しい……」
「
最大火力の炎を引き出す。
肉を焼くイメージ。
より高く、より激しく、燃え盛る炎をイメージする。
火は熱量を増し、それは青く聳え立つ。
「クッソォぉぉ!!!」
アルファベータは一瞬にして、俺の業火に包み込まれた。
溶けるような熱さが、熱風が、周囲を包み込み、そして、消えた。
―――
結果から言うと、アルファベータを倒すことはできなかった。
消え去ったアルファベータの痕跡を辿ると、地面に黒くなった魔法陣がうっすらと残っていたから、おそらく召喚魔術で逃げられた。
「今回は、皆無事でしたので、良しとしましょう」
「そうだな」
俺は頷きながら迷宮の核を破壊する。
核を破壊すると、みるみるうちに普通の洞窟へと様変わりした。
改めて、攻略完了というわけだ。
「ふん! 次会った時はボコボコにしてやるわ!」
「ちょっとシアーシャ。声がうるさい」
「あはは。二人とも元気で良かったぁ」
それにしても、シアーシャの格闘センスがなかなかのものだった。
普通にノゾミと並んで魔物を倒していたし。
格闘センスもそうだが、相当鍛錬したんだろう。
「シン!」
「ん? どうした?」
シアーシャがドタドタと駆け寄ってきて、俺の前にぎこちなく立った。
まともに目を合わせようとしないが、何か言いたそうだ。
「あ、あり……。ふん! か、感謝するわ!」
「お、おう。無事で良かったよ、シアーシャ」
なんだ、そう言うことだったか。
「シアーシャ。なんか生意気」
「何よ姉さん!」
「シンにあまりくっつかないで。シンは私が好きだから」
「なっ……!」
「おいおい何言ってんだイリーシャ」
「二人とも、シン様は私の管轄ですから、触らないでください!!」
セレーヌがここへきて俺を抱き上げる。
イリーシャによって回復しているものの、元気だな。
ていうか管轄って何だよ。
「さぁ、みなさーん。地上へ上がりますよー」
「よし、ノゾミに続くぞ!」
「あ、待ってくださぁーい!!」
俺は逃げるようにしてノゾミの背中を追った。
まあ、ともかれこれで迷宮攻略、完了だな。
―――
俺たちはさっそく地上へ上がると、セキメタス大森林へその足で赴いた。
今回の迷宮攻略についての内容と、ギデオン派の魔族、アルファベータの存在について。
俺とセレーヌは共にエルフの長であるクルトに事情を説明した。
にしてもセキメタス大森林は、その名の通り、大森林だ。
ただ密林なだけでなく、きちんとその中で住むことができるように発展している。
基本的に木の上に家が建てられていて、階段があちこちに張り巡らされているからまるで迷路のようだ。
そうだな。
大都市の駅の全体像を可視化させた、みたいな感じだ。
うん……。微妙な例えだったか。
「しかし、逃げられたとはいえ、王国の騎士の方々には感謝しかありません。この度はありがとうございます」
「いえ。私たちはやるべきことを成したまで」
とまあこんな形だけの会話を済ませること数分。
俺は少し、クルトに提案というか、まあ、お願いしなければならないことがあった。
『突然で申し訳ないんだが』
「何でしょう?」
クルトは視線をセレーヌから俺に移す。
最初は舐めた目で見られていたような気がしたが、どうやら見直してくれたらしい。
『二人を俺の……そうだな。パーティーに加えたいと思っている。これは二人からの頼みでもあるんだ』
そう。
二人は俺の元でその力を奮って行きたいらしく、道中熱心に俺にお願いしてきた。
まあ、俺としても仲間が増えることは嬉しい。
しかし、このクルトとヴォルターが許してくれるかはまた別のことだ。
「そうでしたか。私としても、彼女たちは英雄様の所なら、さらなる力に目覚めると思っています」
『なら』
「私は反対しません。彼女たちが望むなら、そうするのが最適でしょう。ヴォルターにも話を通してください」
「分かった」
意外だった。
クルトは精霊の加護にかなり執着しているようだったから、反対するかと思ったが。
加護があること自体が必ずしも有用で、都合の良いものではないと、今回の件で分かったのかもしれない。
「良かったですね、シン様!」
「ああ、ヴォルターには俺から話を通してくるよ」
「分かりました。私は少し手続きがあるので、後はよろしくお願いしますね」
———
さて。
俺は集落を歩きながら(彷徨いながら)ようやくヴォルターのところへやってきた。
「ふっ!! ふっ!!!!」
ヴォルターはちょうど剣の素振りをしているところだった。
上半身は裸で、追い込んでいる様子だ。
改めて見ると体つきが良い。
剣の腕前もかなりのものだろう。
「おお、英雄か」
俺の姿に気がつくと、汗を拭きながら剣を仕舞う。
『すまない、邪魔をした』
「いや、俺の方こそすまないな。最初は舐めた目で見ていた」
『俺は気にしてない。セレーヌはどうだか分からないが』
セレーヌはともかく、俺は本当に気にしていない。
事実だしな。
「そういえば、英雄に言いたいことというか、まあ、謝りたいことが他にもあってな」
『というと?』
「シアーシャとイリーシャのことだ」
ヴォルターは少し眉間に皺を寄せ、剣を仕舞い込み、服を着て座った。
俺も横に腰掛ける。
「二人は加護持ちだ。しかし、どうにも俺の教育が悪かったのか。素質がなかったのか。そもそも神に見放されてしまったのか。はあ。今回は迷惑をかけたな」
ヴォルターはため息をついた。
言葉が出ない、といったところだろうか。
二人に失望しているようにも見える。
「おかげで俺まで集落の連中から白い目で見られるようになっちまった。この集落を護衛しているのは俺だってのに」
『だが、二人は悪くないんじゃないのか? それに努力はしているだろ』
俺は至極真っ当なことを言った。
周りの都合で二人を敵視するのは間違っているし、何も二人がサボっているとか、そう言うわけじゃない。
それだけ期待が大きかったということもあるだろうが。
「あいつらは神に見放されたんだよ」
『……』
ヴォルターは続ける。
「二人がいると、どうにも禍ばかりだ……って、何をするっ!!」
ヴォルターがそこまで言うと、俺は思わず彼の胸ぐらを掴んでいた。
「お前は二人の父親だろ」
「ああ、そうだ。だから二人がこんな状況じゃ、全く、関係のない俺まで皆から責められるんだ」
「ヴォルター。お前の考えは間違っている」
「はあ?」
これがこの世界の常識だろうか。
なんだ、この気持ち悪い感覚は。
俺がおかしいのか。
「親なら子どもを守るのが大事なんじゃないのか! 二人が悪いことをしてないなら尚更そうじゃないのか?」
「……」
「お前は二人を信じて守り抜き、もし二人を間違っていたなら二人の間違いを正すのがお前の役目じゃないのか?」
「それは……」
ヴォルターは少し、押し黙った。
視線を下に向け、自分が少なからず良くないことを言ってしまったことを自覚し、後悔する顔だった。
「二人を道具扱いすんなよ」
「それはしてない!」
「俺は二人を俺のパーティのメンバーに迎えることにした。これは二人の希望でもある。そのことを、俺は伝えにきたんだ」
「そうか。二人が……」
今更遅いんだよ。そんな顔をしても、遅い。
一歩遅かった。
お前は本来ならば二人から一緒に居たいと言われる立場なのだ。
「俺たちは明日出発する。別れの挨拶……ちゃんとしとけよ」
「ああ。すまなかった。見苦しいところを見せたな」
そう言って、ヴォルターは少し背中を小さくしながら、歩いて行った。
少し言いすぎたか……。
俺も俺でカッとなって言ってしまったが。
そもそも日本で子どもはおろか、結婚すらしてなかった中年が偉そうに言っても説得力が無いな……。
そう考えるとヴォルターは俺よりよくやっている。
———
イリーシャは少し緊張した面持ちで、自らの家のドアを開けた。
シアーシャは相変わらずふんぞり返って後ろで仁王立ちしている。
今から、父に別れの挨拶をする。
イリーシャはシンについていくと決めていた。シアーシャもまた同様である。
なんなら、シアーシャの方がシンにご執心って感じ。
どうやら迷宮で助けられたのが彼女にとって何かのきっかけになったのかもしれない。
イリーシャはともかく、シアーシャは父であるヴォルターを嫌っている。
イリーシャとて、好きかと言われたらそうではないけれど、シアーシャは感情を隠すことなく、刺々しい態度をあからさまに出してしまうのでいつも喧嘩だ。
「おう、二人とも。俺に、挨拶しに来たんだろ?」
「え、あ、はい。なんでそれを……」
「ふん。話が早いわね。なら私は行くわ」
「ちょっと待ってシアーシャ」
「な、何よ姉さん!」
そう言って入って五秒で踵を返そうとするシアーシャを全力で止めて、イリーシャはヴォルターに向かった。
「「「……」」」
沈黙。
シアーシャは仕方なさそうに入り口で立っていて、ヴォルターは気まずそうに俯いている。
イリーシャとて、何か話すことがあってここに止まったわけではない。
ただ、このまま、この状態でここから去るのはダメな気がした。
後悔することになると、思った。
「なあ、イリーシャ」「お父さん」
二人の声が重なり、イリーシャは慌てて父に譲る。
「イリーシャ、シアーシャ。なんというか、すまなかった」
突然のヴォルターの切り出しに、思わずイリーシャは開いた口を閉じ忘れた。
「はっ、今更何よ。散々私たちの味方してくれなかったくせに!」
シアーシャの言うことは最もだと思った。
ただ、イリーシャは目の前の父の顔を見ると、どうしても責められそうにない。
そこには目の下に隈を宿した、父が座っていた。
こんなに老けてしまったのかと、改めて思った。
そういえば、これまでろくに父の顔を見てこなかった気がする。
見てこなかったというより、見ないようにしてきた、というのが正しいかもしれない。
「どうせシンに言われたから渋々謝っているだけでしょ」
「それは違う。俺は……」
再び父は黙った。ギュッと拳を握りしめている。
「何て謝ったらいいのか、上手い言葉が思いつかない。許してもらおうなんて都合の良いことをお前たちに強要もできない」
「ただ、俺は、お前たちに期待してたんだ。母さんがいなくなってから、二人にだけは幸せになってほしくて……」
「加護があると知った時は、これで二人は俺みたいにならなくて済む。幸せになれるって、嬉しかったんだ」
父、ヴォルターはここの集落出身ではない。
浮浪者である。
彼の集落が権力争いによって消滅し、剣の腕前が良かった父はここで運良く用心棒として雇われ、住むことを許可されたのだ。
正直、この集落の身内贔屓というか、結束力というか、よそ者への疎外感は計り知れない。
父も苦労してきたのだろう。
母と結婚し、自分たちが生まれ、ようやく彼もこの集落で地位を向上させた時。
母が病気で死んだ。
イリーシャたちは彼の手で、彼だけの手で育てられてきたのだ。
正直、ヴォルターは不器用だ。
言葉がそれほど上手くないし、学もない。
剣だけが取り柄。
イリーシャは思った。
もしかすると、ヴォルターは自分たちのことを本当は嫌ってないのかもしれない。
ちゃんと、自分の娘として、見てくれていたのかもしれないと。
「期待しすぎてしまった。お前たちの努力を見ていなかった。俺の過ちだ。……すまない」
ヴォルターはそう言って額を地面に擦り付けた。
父のこんな姿を見るのは初めてだった。
彼の逞しい腕には幾数もの傷が刻まれている。
自分も彼のこの腕に今まで守られてきたのかと思うと、イリーシャは涙を堪えることができなかった。
イリーシャは父に抱きついた。
懐かしい背中の大きさ。暖かさ。
「お、お父さん。私こそ、期待に応えられなくてごめんね。迷惑かけてごめんね」
「俺の方こそ、二人を傷つけることを沢山言った。後悔している。シアーシャも、すまなかったな」
シアーシャは相変わらず後ろで立っていたが、途端に洪水のように涙を流した。
無表情で、自分は泣いていることを認めていないような表情だったが、それでも涙は溢れていた。
何年ぶりだろうと、思った。
こうして自分たちが父に抱きしめられるのは。
父の腕は、イリーシャとシアーシャを包み込めるほど長くてしっかりしている。
二人はヴォルターと和解した。
それは出発の日の早朝のことだった。
これまで出来ていたわだかまりが一気に取り払われて、雲一つない。
本当に良かった。そして、シンに感謝しなければならない。
イリーシャはそう思った。
迷宮編 完
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