日記19 雪原の剣鬼
迷宮内で、死闘が繰り広げられていた。
それは高度な駆け引きである。
裏をかき、欺き、行動を読み合い、少しでも喰らえば確実に死ぬ。そんな剣と剣の戦いである。
セレーヌ・ディアベルリアは昔、彼女の師となる人物から教わったことを思い出す。
『魔族は決して、こそこそとした真似はせず、堂々と敵を殺す事にこだわる。何故だかわかるか?』
『……分かりません』
『簡単なことだ。あいつらは、自分の強さに自信がありすぎるんだよ』
目の前の魔族、アルファベータはかなり厄介な相手だ。
特にあの剣。あれはおそらく魔剣である。
あの剣が織りなす斬撃は、受けると高確率でこちら側が弾かれるのだ。
決して受け方をミスるわけにはいかないと、セレーヌは思った。
しかし、これはセレーヌの得意とするところでもある。
氷水流剣術は、相手の攻撃を受け流すことに特化した剣術。
「ちっ!! 氷水流剣術か。お前、まさか雪原の剣鬼か」
「あら、よくご存知で」
セレーヌは不敵に笑った。
魔剣を受け流し、相手の死角から顔面に蹴りを一撃放つ。
セレーヌの銀髪は軽やかに舞い、アルファベータの口からは血が滴れた。
「ふはっ。ふはははははははははははは!!!」
「ッッ!!??」
「
アルファベータは、顔を蹴られていながら高らかに笑い、そのままセレーヌの足を掴み取った。
軽々とセレーヌを投げ飛ばし、続け様に光の矢を手から放つ。
自動追跡機能の付いた光の矢が、セレーヌの心臓を穿たんと急接近する。
光の魔術だ。こんなにもスムーズに、しかも、この量の矢を放つ者など、彼女はシン以外に見たことがなかった。
洗練された魔術制御である。
「氷水流剣術、空転流れ」
しかし、氷水流剣術にはこのような状況でも攻撃を受け流すことができる型がある。
セレーヌは空中で回転し、全ての矢を弾き飛ばした。
彼女はふと、あることに気がついた。
アルファベータの純粋な身体能力、そして、魔力量が増加していることに。
まさか、とセレーヌは思った。
攻撃を受けるごとに、力が増している?
「セレーヌ様! 私もっ!!」
「ノゾミ様は来てはなりません! イリーシャを頼みます!」
ノゾミも参戦しようとするが、セレーヌは即座にそれを止めた。
今の勇者では勝てない。そのレベルの相手だ。
「ふはははっは!! 遊びは終わりにしよう。俺とて暇ではない」
先ほどとは打って変わって、敵は好戦的になっている。
そのままアルファベータは口の中で何かを噛み砕く。
その刹那、やつの体は暴れだし、何倍にも筋肉が大きくなった。
「な、なにを!?」
「魔王ギデオン様の名の下に。この力を振るう!」
激しく電撃が地面を伝い、周囲には次々と小さな魔法陣が形成された。
「ま、魔物!?」
見た事のない魔物だ。
狼のようなシルエットだが、全身は真っ黒。
それらが次々とノゾミとイリーシャに肉薄した。
「ノゾミ様!」
「どこを見ている?」
数メートル先にいたはずのアルファベータは一瞬にして消え、セレーヌの間合いに入っていた。
力強いアルファベータの膝が、セレーヌに迫る。
彼女はかろうじで剣でそれを防いだが、威力を殺しきれず、そのまま壁に叩きつけられた。
壁に叩きつけられる、など、いつぶりだろうか。
かれこれそれなりに強敵と剣を交え、己の剣術を磨いてきた。
だからこそ、この程度の魔族に負けるわけにはいかなかった。
「
「ッッ! 何を……」
アルファベータが魔術詠唱を開始する。
ぐわんと、視界が揺れる気がした。
動悸がして、戦意が削がれていく。
負けるかもしれない。
怖い……?
みなぎる活力が、これまでの自信が、自負が、決意が、薄まっていく。
「ほう。俺の闇魔術を受けて、まだ剣を持っていられるとは」
「小細工を……」
闇魔術。
とすると、おそらくマインドコントロール系だ。
対象の戦意を喪失させる。自死へ追い込む。体を操る。
などなど。
闇魔術は意志薄弱な者にとって大きな打撃となる。
「お前はどうだか知らないが。後ろの二人は耐えられないようだぞ?」
アルファベータはにやりと口角を上げる。
ノゾミとイリーシャは何とか持ち堪えているようだったが、それも限界だということが、一目でわかる。
剣が鈍り、ノゾミは狼たちからイリーシャを守るのに手一杯である。
助けに入りたいが、アルファベータとの剣戟で手一杯。
このままではジリ貧だ。
手足が重い。
視界がブレ、集中力が削がれる。
剣が鈍る。
「ふっ。油断したな」
「ッッ……!」
その瞬間、セレーヌは自分の額に影が作られたのが分かった。
鋭く、そして何よりも力強く速い振り下ろし。
防御不可。
このままでは頭から体まで真っ二つ。
氷水流剣術の使い手でも、寸前にまで迫った斬撃を受け流す型などない。
ここまでか。
セレーヌは唇を噛む。
これまで剣に費やしてきた時間は数知れない。
剣の大地でどれほどの汗を流し、血を流し、剣帝と剣を交えてきたか。
彼女には努力ではどうにもならない欠点があった。
魔術適性が皆無だということ。
もちろん魔力の扱いはできるし、身体の強化を行うこともできる。
しかし、それだけだった。
対魔術師戦を想定して氷水流剣術を生み出し、相対することができるようになったが、所詮は悪足掻き。
圧倒的不利な局面は存在する。
今のように距離を取られ、セレーヌの剣が当たらない距離を保たれるとどうしようもないのだ。
しかもこの闇魔術。
それこそシンや剣帝じゃない限り、これを無効化するのは難しいだろう。
もちろんそのための修行は行ってきた。
だが、今回ばかりは相手が格上だった。
それだけのこと。
死を悟ると、世界がスローモーションになるなるなんてよく聞くが、まさか本当だったとは。
速いはずのアルファベータの斬撃が、ゆっくりに見える。
「シン……」
目を瞑る。
自分はここまでだったかも知れない。
けれど、まだ、英雄は残っている。
ああ、
死にたくない。
―――
「ッッ……!? 何だ!!」
ふと、目の前が明るくなった。
魔剣が目の前で散り散りに砕かれ、アルファベータが後ずさる。
『お、間に合ったな!』
目の前に、犬が佇んでいた。
地面に膝をついたセレーヌに背を向けて、アルファベータに対峙するように立っている。
丸み帯びたお尻、全身から溢れ出す愛嬌。
しかし、見る人が見れば恐れ慄く、戦慄するほどの魔力量。
心の奥底が震え上がるほどの、彼の中に潜んでいる何か。
アルファベータは衝撃的な表情を浮かべて1匹の犬に睨みをきかせる。
「……シン様ッッ」
『待たせたな。セレーヌ』
犬はみるみるうちに人の姿になると、鮮烈な剣を手に生み出した。
ドワっと彼から衝撃波が生じ、アルファベータの闇魔術が霧散する。
「やるぞ」
そう言って、英雄はセレーヌに手を差し伸べた。
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