異セカイ・トレック TNG: ザ・ナロウ・ジェネレーション

六典縁寺院

未知への飛翔 - 前編


艦長日誌、C.U.E.(共通宇宙暦)0004.3.7。


先ほど我々は「太陽系・火星」へ向けて帰還の途に就いた。


人類の新たな希望である「第二太陽系・地球Ⅱ」の大地に足を踏み入れて一年。この星での日々は、喜びと悲しみ、そして数々の試練に満ちたものであった。


青く澄んだ空の下、命あふれる大地を目の当たりにした時、私は大いに涙を流した。新政府樹立の瞬間、人類の未来への希望を共有した高揚感は、何物にも代え難いものだった。未知の環境への適応、新たな社会秩序の構築など、様々な困難に直面し、幾度となく苦悩したことも事実だ。


往路で三年半、現地で一年を共にした太陽系・第七艦隊の仲間たちは、すでに第二太陽系・第一艦隊へと編入されている。


復路では公試中の「亜空間スワドライブ」を最大稼働し、航海期間を六ヶ月以内に短縮する予定である。


この画期的な技術は、人類の宇宙進出に新たな扉を開くことになるだろう。


護衛指揮艦「ユナイテッド・シールド・サー・オブ・エイジア」


デュヴァリエ・ストーム艦長、記録。





◇ ◇ ◇ ◇





.―― 約五ヶ月後


USSエイジアは異次元の速度で太陽系へと近づいていった。


亜空間スワドライブの旅は、従来の同アフガンドライブとは一線を画す「快適」の一言だった。


通常空間で行われる亜空間フィールドのチャージ回数は劇的に減り、艦内は包み込まれるような静寂と快適さに満ちていた。


それは長い艦内生活にも変化を及ぼした。


自宅やオフィス、退避スペースに滞在する時間が減り、クルーや家族の生活様式は変わっていく。主流だったインドア趣味は鳴りを潜め、アウトドアレジャーが大流行した。


自然環境モジュールへの流入者が増え、大昔の地球を懐古するようなファッションや食べ物が流行する。 レプリケーターで作られる完璧な栄誉食よりも、皮付きのまま出される根菜料理が人気を集めた。


これは、未だに人類が地球への郷愁を募らせている表れともいえた。





ストーム艦長は部屋にある「窓」に目をやった。


巨大な舷窓に映し出される星々が、まるで光のリボンのように尾を引き流れてゆく。鮮やかに彩られた雲は、闇の中にに輝く幻想的なグラデーションを映し出す。黒いキャンバスに描かれた光の芸術作品。それは、いつしかクルーの日常の風景となっていた。


「放送を開始します」レイク副長が短く言った。


「了解」


「総員に告ぐ――本艦はまもなく減速シーケンスを開始する。ドライブ差動に伴う減速ショックが予想される。総員、速やかに退避スペースに向かうこと――」


艦内に響き渡る副長の声。


五年半にわたる任務の終わりが近づいている。艦長はティーカップに注がれたダージリンの湯面を眺めながら、これまでの航海を振り返った。


着任初日、部下に言い寄ろうとする副長。

艦隊初となる人型・機械知性の配属。

亡き親友の妻と、その息子の成長。

艦内での軋轢、いざこざ。

新世界の感動。

家族を持つことの意味。

この数年で頭角を表した者たち。

地球Ⅱに残った者たち。


亜空間フィールドが解け、ふねは徐々に通常空間へ降下してゆく。


亜空間ドライブの出力が低下するのに伴い、インパルスドライブの推力が上昇していく。


光のリボンは徐々に短くなり、ぼやけた雲の輪郭が鮮明に見えてきた。闇に広がっていたグラデーションは徐々に薄まり、黒は本来の色を取り戻していく。


艦はさらに減速し、船体が亜空間から完全に解放されようとする刹那、異変は起きた。


ティーカップの中に小さな波紋が広がる。


「……うん? なんだ?」


艦長は眉をひそめる。


通常、このような揺れは起こり得ない。艦を構成するすべてのモジュールは、現状最高水準の慣性ダンパーと構造維持フィールドによって完璧に安定化されているはずだった。


異常が起きている。


艦長は胸元のコミュニケーターに手を伸ばし、ブリッジに状況報告を命じようとした。


「ストームだ、至急調べて欲しいことが――」しかし、その言葉を遮るように非常警報が鳴り響いた。


(ギュィッ! ギュィッ! ギュィッ!)「総員、衝撃に備えよ!」


(ギュィッ! ギュィッ! ギュィッ!)「総員、衝撃に備えよ!」


湯面を揺らすだけだったエントロピーは、瞬く間にティーセットを揺らし、さらに無秩序を増大させてゆく。


パシュという音がして、制服が自動的に耐衝撃モードに切り替わった。制服は周囲の元素を取り込みながら、頭からつま先まで全身を包むように素早く変形する。


艦長は叫ぶ。


「ブリッジ! 聞こえるか! 何が起きている!」


4:変形完了、外部モニター接続、各種センサー作動確認


振動はますます激しくなり、モジュールを揺らすまでになっている。慣性ダンパーが抑えきれないほどの揺れが続き、恐怖が身を裂くような軋みが響いた。


3:状況分析


何が起こったのかはわからないが、これは攻撃ではない。通常空間への浮上タイミングをピンポイントで狙うなど、まるで投げたナッツでハレー彗星を破壊するようなものだ。


2:原因予測


ドライブ差動時に軽い減速ショックが予測されていたが……これは異常だ。亜空間スワドライブに構造的問題があるとすれば、大きな問題になるだろう。


1:実行可能な解決策


今はこの制服に包まれ、危機が過ぎ去るのを待つしかない。指示を出せる時間はない。カウントダウンが残り一秒を切った。


0:今


激しい衝撃音。死が微笑んでいるような音だ。





◇ ◇ ◇ ◇





.静寂に包まれた宇宙空間。


深い闇に溶け込むように、紡錘形の巨大な穴が広がっている。


全長:約三千八百メートル

全幅:約千七百メートル

全高:約千五百メートル


それは穴ではなく、巨大な宇宙艦。


船体をぐるりと囲む四重のデフレクターリングが、太陽の光を反射し、金色に輝いている。


超構造体製の黒い外殻は、貪欲に光を吸収し、それを放出することなく存在を誇示していた。艦首から延びる流麗な曲線は船尾で終わり、そこから細長い突起ナセルが十本突き出ている。それは、まるで着飾った軟体生物が泳ぐ姿のようだった。


芸術アートメディアでは「ヴェルヴェットに飾られた宝石」と称される美しい艦も、宇宙の目にはただの浮遊ゴミと変わらない。


「最近の人類は、思い上がりも甚だしい!」と、誰かがつぶやく。


USSエイジアは、静寂の中にただ浮かんでいた。





◇ ◇ ◇ ◇





.半日鳴り響いたサイレンが止んだ。


「非常警報解除――総員、配置に戻れ」


艦内放送はそう告げるが、クルーの耳には残響が響いている。


警戒態勢を表すフロアライトは黄色のまま。天井や壁を這う、色とりどりの小型ドローン。デッキを慌ただしく駆け回るクルーたちの顔には、疲労と不安が刻まれている。停止中のホロテープが貼られたリフトからは、焦げた匂いがかすかに漂っていた。


メイブリッジには普段より多くのクルー。


各コントロールステーションには三人四人が集まり、小さな会議が開かれている。


ブリッジに立ち入ることのない者たちの中には、この機会が飛躍のチャンスに映るかもしれない。


ここは努力だけで来れる場所ではない。才能や運に恵まれなければ、逆境や絡め手を使えばよい。正攻法がダメなら奇策や奇襲を考えよ。それを存分に使いこなせるようになれば、それはもう立派な力。


ここはそういう場所だった。


隣にある部屋は静寂に包まれていた。


――作戦室


喧騒とは切り離されたような空間。


薄暗い照明、張り詰めた緊張感、耳底に鳴り響くホワイトノイズ。


フォーカスモードに設定された可変インテリアは直線的で、目を楽しませるような装飾は省かれてる。しかし、シェルフに飾られた艦長の私的調度品はそのままだったため、奇妙な違和感を放っていた。


部屋の中央にある六角形のテーブルの各辺には、五名の士官が座っていた。


1:口ひげをたくわえたウィリアム・レイク中佐。副長。


2:ヒラリー・フラッシャー少佐は医官用の青いジャケットを羽織ったままだ。


3:心理分析部のダイアナ・トロエ少佐の長い髪が揺れる。


4:モディセ・リフォード大尉の胸元のポケットにはハイパー系工具が見え隠れしていた。


5:オルト少佐の銀色の肌がキラリと輝いた。


6:空席


テーブル中央に浮かぶ様々なホログラム。


艦のスケルトンモデル、慣性ダンパー、フィールドエミッタ、医療モジュール、デフレクター環、通信ログ、粒子収集セイル、艦載機。


遥か昔の人間が現代のホログラム技術を見たら、きっとがっかりするだろう。


「これじゃ、まるで精密模型を作るのと変わらないじゃないか。実際に触れちゃうし!」と。


伝統的な号笛風の入室音が鳴り、プシュと気密ドアが開く。


ストーム艦長が姿を表すと、士官たちは一斉に立ち上がろうとした。


「そのままでいい」艦長はの腕で皆を制止する。





「人間の腕は二本」


これは、数百万年間変わらなかった生物学的事実である。


「再製人間が扱える腕は四本まで」


これは、現代の生物学的事実である。


発展した医療技術により、胎児は最適化された状態で成長する。にもかかわらず、なぜか自然に発生する六腕の胎児。


しかし、時代がどれだけ変わろうが、親は子の可能性を信じたくなるものだ。


赤ちゃんが生まれた時、両親は減腕手術を選択しなかった。


違和感と不自由さ、歩行困難や目眩に苦しみながらもストーム少年は諦めなかった。成長期の外骨格の苦痛に耐え、同年代より数年遅れた教育的アドバンテージを死にもの狂いで取り戻した。


ストーム青年が手に入れたのは、異次元の空間認識能力と、もはや予知能力と呼べるほどの洞察力。


ストーム艦長とは、そういう人物だった。





艦長は空席に座り、短く言い放つ。「レイク、報告」


「はい、艦長!」口ひげの奥から響き渡る、ウーファーのような声が発せられた。


艦長と動揺に「六腕型・再製人間」であるウィリアム・レイク副長は、背腕の片手に小型パッドを持ったまま、残り二十五本の指でコンソールを叩く。


レイクの表情は生命力と自信に満ちており、次世代のリーダーシップがみなぎっていた。


USSエイジアの副長になって五年半。「上」はすでに、次の職場を用意していた。


指令ステーションの中央席。艦長職だ。


艦長とは才能と運だけでなれるものではない。もちろん努力や絡め手だけでもどうにもならない。しかし、彼は未だに返事を保留していた。


「死者ゼロ。負傷者五十六名、うち重症者四名。軽度の外傷・骨折が大半を占め、すでに全員治療を終え自宅療養中です。重症者の一人について、後でフラッシャー少佐から報告があるそうです……」


あれほどの衝撃にも関わらず、奇跡に近い数字だ。


しかし、五十六名の負傷者、四名の重症者という犠牲は決して小さくはない。事故の余韻冷めやらぬその報告を、艦長は重い視線で掃いていた。


「全員、よくやった。しかし、最後の部分が気になるな」


艦長は2番席に座るフラッシャー少佐に尋ねる。「重症者の一人について、後で報告。だと? ドクター、後でいいのか? その患者は手の施しようがない状態ということか?」


「いえ……報告といっても命に関わるような問題ではなく、緊急性が高いものではありませんので。……ただ、重要度は高いと私は考えていますが……」


「それは私が判断することだ。先に概要を送ってくれ」


艦長の言葉には、わずかな不機嫌さが感じられた。


「……そうですね。すぐ送ります」


ドクター・フラッシャーの表情は懸念と不安に満ちており、近しい友人を心配するような目をしていた。


医療室での奮闘を物語るかのように、ジャケットのは捲り上げられ、胸元には赤黒いシミがいくつか見える。


彼女は背腕で医療用パッドを取り出し、空いた手で、ある人物の医療ログを呼び出すと、やや呆れた様子で艦長に送った。


「彼は片腕を欠損し、心臓のひとつが止まった状態で医療室まで歩いてきました。呆れたブリッジ士官です」


艦長は眉をひそめ、唸るように声をあげた。


「ううむ……、ウォルフ大尉か……」


艦長は大尉のことを思い浮かべる。


自然進化型の人間に、ゴリラと熊とサイを取り込み、四肢は維持したまま分割したような存在。そこに、揺るぎない誠実さ、正義感、そして卓越した知能を付与したハイブリッドな人間――それが「獣人」だった。


これもまた、現代の生物学的事実である。


艦長は眉間を押さえ、ウォルフ大尉の医療ログを眺める。


「今回はいったい何人助けたんだ……いや、それはいい。そんなことより、いつか本当に英雄ヒーローに祀り上げられてしまうぞ。ウォルフにはそういう象徴になって欲しくないんだが……」


艦長はドクター・フラッシャーと視線を合わせ、深刻な表情で頷いた。


「……分かった。この件はドクターを交えて当人と直接話し合うとしよう――では、先に艦の状況を頼む」


「わかりました、損傷状況からご説明します」


テーブル上に浮かんでいた雑多なホログラムは、ミニチュアのように縮小化され、テーブルの端のほうに雑に押し込まれた。


残ったのは、艦スケルトンモデル。艦首先端を起点とし、赤から橙、黄から緑へ。それは、美しい四軸のグラデーションに彩られていた。


淡々と被害状況を説明する副長。


慣性ダンパーやフィールドエミッタ、ターボリフトやコントロールステーション。広範囲にわたって艦は損傷・破損していた。


「幸いなことに、衣食住を司るモジュールに致命的な被害はありませんでした」


副長は続ける。


「また――亜空間スワドライブに損傷なし。格納モジュール、メインアセンブリ、メインコアまで全て無事でした。振動増大を予測したエイジアが越権プロトコルを使い、エネルギーラインを緊急ロックしたようです。ちょっとした逆流すらありません」


軽快に舞う六本の腕とは裏腹に、副長の心は穏やかではなかった。


艦隊史上最大・最悪の結果には至らなかったとはいえ、今回の事故による損害は決して小さくない。


五年半に及ぶ「地球Ⅱ移民船・護衛任務」は、些細なトラブルはあったものの、実にスムーズな航海だった。それゆえに、最後に起きた事故が余計に悔やまれる。


しかも、USSエイジアは艦隊の最新鋭艦。クルーだけでなく、「上層部」にも大きな焦燥感を与えることは明白だ。


副長としての重責が六つの肩にのしかかる。


しかし、今は感情に流される時ではない。状況を冷静に分析し、最速で解決策を実行する必要がある。


不眠不休で対応策を検討してきた仲間たちに、彼は容赦なく言い放った。


「インパルスドライブは緊急停止状態になっており、再起動分の重水素デューテリウムも含め、燃料は全て排出されています」


重水素ゼロ、というのは通常空間での航行不能を意味している。


太陽系に新たな浮遊ゴミが生まれた瞬間だった。


だが、艦長や副長を含めた士官たちに悲壮感はない。

なぜなら宇宙艦隊所属の大型艦において「長期持続可能性」のないものなど存在しないからだ。


「再起動に必要な燃料はどのくらいで集まりそうだの時間がかかる?」


艦長は、教本の例文のように冷静に質問を投げかけた。


「停止している状態で星間浮遊物質を集めるのは、ただでさえ骨が折れる作業です。しかも運悪くここは粒子低密度領域。粒子収集セイルは損傷を受けていませんが、デフレクターリングを使った方法でも最低四日はかかるでしょう。ドライブのフル点検も含めると更に追加で一日。五日は欲しいところです」


「ふむ……自宅の庭先で足止めとは……」


目を閉じ、背中で腕を組む艦長。空いた手の指でテーブルの端をトントンと叩きながら呟いた。「さすがに五日間も足止めを食らうわけにはいかんな……」


ここは外宇宙の未探索領域ではない。我らが太陽系内だ。火星はもう目と鼻の先。クルーの「家」は艦内にあるとはいえ、星の故郷を懐かしむ者は多い。


もどかしい気持ちを抑え、艦長は尋ねる。


「事故原因は特定できたか?」


「いいえ、まだです」副長の顔が曇る。


「スワドル解除時の異常な挙動が、事の発端であることは間違いないですが……今はそこに必要なリソースを割くより、修理を優先したいと考えています。いかがでしょうか?」


「ふむ……それでいい。原因究明は後回しでかまわん。ドライブの問題点を明らかにするのは我々の任務ではない。事故前後の状況と、分かっていることだけをまとめ上げ、あとは開発部と事故調に投げるとしよう」


公試装備品が予想外の挙動を示すことはよくあることだが、原因究明に毎回時間を費やすのは任務遂行の妨げになる。


艦長はクルーの帰還を最優先に考えていた。それは副長がわざわざ上申するまでもなかったことだ。


「話を戻そう」


艦長は座り直し、コンソールを見つめる。


「なにか方法はないのか? 近くに艦隊の船は? 艦載機で少し先まで曳航することはできないのか? 司令本部はなんと言ってきた?」


「それについてお話が……」


不安げな声を出す副長。


六腕型・再製人間が持つ特性のひとつである、予知能力とも言える洞察力を発揮するまでもない。次に悪い知らせが来ることは明らかだった。


副長は静かに告げる。


「事故から約十二時間。現在、我々は『孤立』しています」


艦長は言葉を失い、静止する。


「孤立……?」


少し間を置き、怪訝な顔で答える。


「……何を言っているレイク? ここは太陽系内だぞ? つまらん冗談はよせ」


「冗談ではありません」


副長は真剣な眼差しを艦長に向ける。


「あらゆる手段で通信を試みました。艦隊司令本部、すべての基地と宇宙港、上級士官にしか公表されていない秘密基地。もちろん、あらゆる方法で。


……しかし、艦隊の船はおろか、民間の旅客船や商船、個人シャトルすら応答がありません」


「ふむ……」


「さらに、長距離センサーが何も映し出さないのです。火星のすべての都市、工場衛星、木星のエネルギープラント、通信アレイ、センサーアレイ、航路マーカーや暗号化ビーコン、実験プローブ、廃棄船ですら映りません。何もかもです! まるで霧の中にいるような状態です!」


副長の報告は信じられないほど奇妙だった。太陽系内での孤立など、あり得ないことだ。


「聞くまでもないかもしれんが……通信障害の可能性は調査済みだな?」


「もちろんです! 真っ先に通信装置やセンサー系の異常を疑いました! 亜空間フィールドの残滓やマイクロボイド、EMPや雲といった一般的なものから、現存する様々なジャミング兵器の可能性も検討済みです。


ダイアグでの異常もありませんでした。設計仕様上、完璧に正しい動作をしています。


しかし……何も見えず、何も聞こえず、口も聞けません。艦は今、『孤立』としか表現しようがない状態です」


艦長は背もたれに深く身を沈め、沈黙に包まれた。


「孤立……か」


艦長はこの絶望的な状況の中で、冷静さを保ち、乗組員たちを導くための思索に耽っていた。


通信障害か? 故障か? あるいは全く未知の妨害工作か?


いずれにしてもあり得ないことだ。


艦の通信装置やセンサー類は、プライマリ・セカンダリ合わせれば数百系統が用意されている。これらすべてを一瞬で使用不能にするなど、では不可能だ。


では、人間以外の存在が関与しているのか?


この艦には人間以外にも様々なクルーが乗船している。特に「そのような能力に特化した人間」なら、完全な情報封鎖が可能かもしれない。


だが、石版や紙、あるいは閉じた電子機器の中でずっと一人で生きていた彼らにとって、再び「孤立」するということは、自死よりも苦痛を伴う行為に等しい。


彼らは、情報交換を最も重要な生きる動機と考えている。


それにもし、彼らが安易に孤立を選ぶようであれば、「人類」はとっくに滅んでいただろう。もちろん宇宙へ出ることはなく。


「前代未聞の事態だな……」眉間を押さえ、うなだれる艦長。


その様子を見て、副長は静かに指示を出す。


「オルト、エイジア中佐、変わってくれ。懸念を払拭するんだ」


「了解です」立ち上がったオルト少佐は、副長と入れ替わるようにテーブルの端に移動する。


二本の腕、二本の脚。


この場にいるブリッジ士官の中で、最も自然進化型の人間に近い彼の姿は、まるで昔話に出てくる人間のようだった……弾性プラチナカーボンで編まれた銀色の肌を除けば。


「では私から報告です」


オルト少佐が口を開くと、ビューワからはみ出るほどの医療ログが表示される。


ログには、二名のブリッジ士官の名が見えた。


【オルト少佐】人型・機械知性

【エイジア中佐】コード型・機械知性


「健康診断の結果、『私』と『エイジア中佐』は問題ありません。ドクター、カウンセラー、お忙しいところありがとうございました。」


オルト少佐は白い歯を見せて笑う。


「にゃァ」


気づけば、少佐の足元に座っていた猫が鳴いた。


橙色の縞模様を背負い、腹部分が白い「茶トラ白」と呼ばれるようなホログラムの猫だった。


「ちょっと待て」艦長がログを手元のコンソールに映す。


すこし時間がかかるのを予想したのか、猫はしっぽをぴんと立て、オルト少佐の足元に身体をこすりつけた。


少佐は腰を落とし両手を広げる。猫は肩まで飛び乗ると、そのままよりかかるようにしてピュリングを奏ではじめる。


艦長が顔を上げて言った。


「……とも異常なしか。当然といえば当然だが、安心した」


艦長の安堵した顔を見て、エイジア中佐が「にーャ」と鳴く。


「『人間も機械知性も体が資本。健康第一です』だそうです」とオルト少佐が付け加える。


艦の外部にも内部にも異常は見つからなかった。


しかし、事故の完全な原因究明には大規模なシフト調整が必要となる。


航行再開が優先されることになった。





◇ ◇ ◇ ◇





.「ともかく 今は艦の航行再開、ならびに火星帰還を最優先とする――では、解散!」


艦長の言葉が響き渡り、作戦室の可変インテリアがゆっくりとデフォルト設定に戻っていく。


薄暗かった部屋は明るくなり、直線的だったパーティションやテーブルが曲線的に緩みだす。シェルフの縁にも加飾が戻り、調度品に再びスポットライトが当たった。


退席していく士官たちの背後には、様々な品々が静かに並んでいた。


古代の刀あるいは剣、古い実弾銃、真っ黒い球体、古いコンピューター基盤、スペースプレーンの模型、C・D型エイジアの模型、地球儀、火星儀。


その中に、ひときわ目を引く豪華な分厚い本があった。


「……あら? これは?」


立ち止まり、トロエ少佐が言った。


「艦長、これは『ナァロウ教』の『大聖典』ですか?」彼女は振り返り、艦長に尋ねる。


「あぁそうだ」


「誰から貰ったか分かるかな?」


「えぇ、もちろん。地球Ⅱの大統領ですね? あの方、すごく特徴的なエネルギーでしたから」


トロエ少佐は、、ふふと微笑んだ。


ほとんどの場合、獣人は尻尾を受け継げないが、まれに彼女のように先祖返りを起こす者がいる。


しかしそれは、狩りの際にバランスを取ったり方向転換に使うようなものではなく、感情的エネルギーを掴み取るような感覚器官であることが多かった。


艦長は椅子に背中を預け、軽く伸びる姿勢をとる。


「出発直前、私的な食事会をしたときに土産としてもらったものだ。地球Ⅱ産のパルプだけで作られた最初の紙の本だそうだが……」


「まぁ、それは貴重ですわ!  私はてっきり艦長が改宗するのかと……」


「はは、改宗ときたか。さすがカウンセラーだ」少し表情が和らぐ艦長。「しかし、私はこれからも無宗教の信徒。艦隊一筋だよ」


作戦室に漂っていた緊張感は平時の雰囲気に戻りつつあった。





「トロエ少佐がそう思うのも仕方ありませんね! 今の我々の状況も、まさに聖典に書かれているような状況ですから!」


リフォード大尉の何気ない一言が、作戦室に重く響き渡る。


「……なに?」


テーブルの向こうで、ストーム艦長の目が大きく見開かれる。

ドアを出る直前だったレイク副長も動きを止め、猫も含めた全員がリフォード大尉に注目する。


「……え……と……何か……?」


困惑する大尉。

自分が言った言葉の意味が理解できない。


「今なんと言った?  聖典がどうと……」


ストーム艦長の声に、ますます焦る大尉。


「えぇ……は、はい……『我々は聖典のような状況』だと……言いました……」


困惑する大尉。


浅黒い肌が熱を持ち、四つの手のひらが湿り出す。


今の発言のどこに問題があったのか分からないが、ともかく何かやらかしてしまった。


まったく記憶にないが、この中に熱心なナァロウ教の信徒がいたのかも。あるいは最近改宗した人がいるのかも。


ともかく、触れてはいけない誰かの何かに触れてしまったようだ。


彼は両目を覆う外骨格の視覚代替器官バイザーを妙に頼もしく感じた。もし自分に眼球があれば、すごい勢いで宙を泳いでいたはずだ。


声を絞り出し、大尉は発言を補足する。


「あの……聖典のような状況……といっても……そこにあるような主流派メジャーの『大聖典』などではなく、泡沫宗派どマイナーが使うような『聖典片』です。


さらにその泡沫宗派はとうに廃れており、今は存在しないはずですから……ですから、それらを一括りに聖典と言うべきではありませんでした」


そして最後に謝罪する。


「ふと……曾祖母のことを思い出し、『ナァロウ教・主流派・大聖典・泡沫宗派・聖典片』を単純に線形にまとめたのは迂闊でした。申し訳ありません……」


テーブルを囲む仲間たちはぽかんとして彼を見つめていた。


副長が口を開く。


「何に対する謝罪だ? それより早く要点をまとめろ。曾祖母がどうした?」


はっとした顔をして周りを見渡す大尉。


自身の安全を確認した後、かすかに震える声で彼は答えた。


「えぁー……つまり……曾祖母から聞いた聖典の物語。それと、今の我々の状況は……どこか似ていると思っただけです。本当にそれだけです」


首を傾げるトロエ少佐。


「あら?……にそんな聖典あったかしら? それなりに詳しいと自負してたんだけど、ちょっと悔しいわ……」


「ダイアナが知らないナ教の聖典? それってよっぽどね」フラッシャー少佐は親しみを込めて驚いた。「オルトは何か知れない?」


すでにデータベースを調べていたオルト少佐は、こともなげに答える。


「――ええ、たしかに存在しす。……ただ、リフォード大尉の言うとおり、もう廃れた宗派です。ずいぶん昔に。


聖典はどこにも継承されておらず、詳しい内容は突き止めようがありません。艦内のデータベースにあったのは、僅かな概要文と『宇宙艦クルーごと転移派』という奇妙な宗派名だけでした」


「……宇宙艦クルーごと転移派ぁ?」


全員が目を丸くして声を上げた。


「なんだそのフザけた名称は? そのままじゃないか! 我々と!」


「ウィル。彼にそれを言っても仕方ないわ。クレームは星立アキダリア図書館の司書科にでも言って……もっとも、その図書館にも通信は繋がらないんでしょう?」


まるでオルト少佐が命名したと言わんばかりに声を荒げる副長に対し、トロエ少佐が親しげに忠告する。


「レイク、カウンセラー、止めろ二人とも。つまらん言葉遊びはよせ」


艦長は二人を制したが、副長と同じ気持ちだった。


奇妙な一致。そして、誰も知らない廃れた宗派。


「さすがにそれはないだろう」


ナァロウ教が多様な宗教思想を吸収し、どんな世界観でも受け入れる「多様性マルチバース主義」を掲げていることはもちろん知っている。


「転生派」や「召喚転移派」といった主流派があり、そこから数千という分派に分かれていることも知っている。


しかし、まさかそんな針に糸を通すような、今さっき、取って付けたような宗派があるとは信じられなかった。


艦長は困惑しながらも、好奇心に沸き立つ自分を強く律する。


「リフォード、なぜそんな泡沫宗派のことを知っていた? カウンセラーやドクターですら知らないことだぞ?」


大尉は、動揺を抑えながら答えた。



「実は……私の曾祖母は教会に近い『声主』でして……子どもの頃、よく昔話をしてくれたんです。


例えば……声主と書家の誰々が婚姻関係にあっただとか。政治が聖典の内容に介入したなどです。


『宇宙艦クルーごと転移派』の内容も、そのひとつでした」


テーブルの上にエイジア中佐がぴょんと飛び乗り「なぁぁァァオ」と大きく鳴いた。


「『実に興味深い。ストーム艦長、会議再開を上申します。なにか糸口が見つかるかもしれません。今こそ人間の閃きを活かすときです』と中佐は仰っています」とオルト少佐。


「ふむ……」


艦長は椅子から身を起こすと、深く息を吸い込んだ。


そして静かに告げる。


「すまないが皆、延長戦を行う。昔話の時間だ」





作戦室は明るく、可変インテリアはデフォルト設定のまま。


六角形だったテーブルは楕円形に戻っており、昔話をするにはぴったりだった。


再び席に着く五名の士官たち。


「本当にこれでいいのでしょうか?」


不安そうな表情でリフォード大尉が口を開いた。


「原典が確認できない以上、私の話は本当にただの昔話です。とても重要なこととは思えません……」


「いや、重要なことだ」艦長は核心めいた様子でリフォード大尉の目を鋭く見つめた。


「おそらくな」


リフォード大尉は「あくまで昔話です」という点を強調し、話し始める。


彼が語った「宇宙艦クルーごと転移派」の内容は、次のようなものだった。


……

1:大いなる理不尽

最新鋭の宇宙護衛艦は、突如吹き荒れる嵐に襲われる。。嵐が収まった瞬間、目の前に現れたのは、大戦中に轟沈したはずの超大型宇宙戦艦と随伴戦闘打撃群だった。クルーたちは巧みな戦術で戦闘を回避し、宙域を脱出する。


2:未知の世界への移動

艦長を含むクルー全員は、自分が過去の大戦の只中にタイムスリップしたことを理解する。絶望と混乱の中、彼らは歴史への介入を最小限に抑えつつ、この新たな時代で生き延びることを決意する。


3:何者でもない者

徐々に変化していく歴史。未来人としての誇りと、現代人としての苦悩。護衛艦は、大戦に巻き込まれながらも、何者でもない彼らに、新たな未来を切り開く役割が託される。


4:偉大な何かを成す

戦局や戦後を左右する重大局面で、護衛艦とそのクルーたちは、偉大な役割を果たしていく。

……


「……というのが、私が覚えている『宇宙艦クルーごと転移派』の内容です」


語られた内容は、ナァロウ教の聖典に共通する「ナァロウしぐさ」を見事に踏襲したものだった。


ナ教の起源は定かではない。


太陽系・地球が「混乱の時代」と呼ばれる激動の時代にあったことは確かだが、その当時の記録はほとんど残っておらず、その起源もまた謎に包まれている。


共通紀元以前の土着信仰、二千年以上続いた西欧国教、八百年語り継がれた聖人伝説。これらの歴史ある正統派レガシーと比べると、ナ教は歴史も教義も浅いと言わざるを得ない。


しかし、宗教の概念が多様化し、「趣味」のように選択される時代において、ナ教が掲げる「多様性マルチバース主義」は非常に多くの人々を惹きつけた。


地球Ⅱが生まれるまでは……。





熱弁を終えたリフォード大尉を横目に、オルト少佐が無表情に人差し指を上げる。


「艦長、よろしいでしょうか? いくつか質問があります」


「オルト、言ってくれ」


「たしかに、この『昔話』と我々の状況は、類似点が存在すると言えます。しかし……ここから何か糸口を見つけるというのは、やはり困難ではないでしょうか?」


「何故そう思う?」


「はい。まず、亜空間スワドライブの挙動問題は、『大いなる理不尽』とは言い難いと言えます。突き詰めれば、、我々の技術不足によるものです。


また、現在我々は『未知の世界』にはいません。現在地も、時間も、明確に把握されています。



しかし、『何者でもなかった者が、偉大な何かを成す』という点については、全面的に同意いたします。いつの時代も、活躍する者の多くは、そのような存在であると言えるでしょう」


「ふむ、確かにそうだな」


「さらに、この物語は口伝によって伝えられてきたため、集合意識的に内容が編纂されていないというのも気になります。実は、聖典片ですらない可能性も否定できません。


あぁ、リフォード大尉の曾祖母を活動を否定する訳ではなく。本当に『昔話』の可能性がある。ということです。


加えて、主要な情報源がリフォード大尉のみであることは、不確定要素に対して責任が重すぎるでしょう」


艦長はため息に言葉を添える。


「確かに、表面的に捉えればオルトの言う通りかもしれない。しかし、人間が『聖典』を解釈する方法は、それだけではない。言葉や物語に込められた様々な要素から、閃きや啓示を得ることも多い」


「……それに心配するな」艦長は優しい言葉を続ける。


「安心しろ。君の友人に責任は及ばない。このエイジアで起こる全ての出来事は、艦長である私の責任だ」


オルト少佐の表情が僅かに緩んだ気がした。


「……ありがとうございます、艦長。安心しました」


質疑応答の合間を縫って、艦長は静かに立ち上がり、シェルフの方へ歩いていく。


そこに並ぶのは、単なる飾り物ではない。デザイン部門が適当に見繕ったものではなく、それぞれが自分にとって特別な意味を持ち、人生に閃きと啓示を与えてきた大切な品々だ。


そして今、その列に加わったのは「聖典」である。


これが何を意味するのか、艦長にはまだ分からない。


艦長は聖典の背にそっと手を伸ばし、地球Ⅱ大統領の言葉を思い出す。


――「よく見えるところに置いてくれ。すぐ役に立つ時がくるだろうから」


「まったく……先に、無宗教の信徒だと言っておくべきだったな……」


艦長は呟きながら、ゆっくりと表紙をめくる。


見返し、遊び紙、扉まで開くと、地球の挿絵とともに、こんな文言が目に飛び込んできた。


「事実こそ聖典より奇なり」





艦長は本を静かに閉じ、意を決したように言い放つ。


「レイク、地球の映像を出せるか?」


副長は一瞬ためらい、艦長の言葉を念押しするように確認する。


「……地球で。よろしいですね? 火星ではなく?」


艦長の目は、副長の顔を見つめる。


「地球だ。なにか問題でも?」


「いいえ、問題ありません。すぐに出します」


USSエイジアの位置から見て、地球は太陽の反対側に位置していた。


太陽系全体に敷設されていたセンサーアレイが使用不能となった今、地球を観測する方法は限られている。


会議はさらに再延長戦に突入するかに見えたが、オルト少佐とリフォード大尉が提案した代替的なプランが即採用された。


荒いホログラムの生成には数分を要したが、その場にいた者にとっては、それ以上に長く感じられたようだ。


「完成しました、ホログラムに出します。」


副長の声が響き渡る。


そして、薄暗い作戦室に、地球の姿が映し出される。





星を覆う青のグラデーション。


透き通った碧青色から、深海の底に沈むような濃い青色へと移り変わる海は、作戦室に居合わせた者全員の心を奪った。「これが生命の輝きだ」と、彼らは直感的に理解した。


大地は、緑と白茶のマーブリング模様で覆われている。


広大な森林、連なる山脈、荒涼とした砂漠。数十億年かけて作り上げられた大地は、息を吹き返したように躍動していた。


雲のヴェールが、それらを優しく包み込んでいる。


作戦室に、静寂が訪れる。


「どういうことだ! これが地球だと?」


副長の驚きの声が響き渡る。


エイジア中佐は、思わず「ゔるッ」と唸る。


オルト少佐は、エイジア中佐を諌めるするよに言う。


「エイジア中佐。今は冗談を言うタイミングではないかと……」


フラッシャー少佐は、目をしかめる。


「これは……なんの冗談? 私には理解できないわ……」


トロエ少佐は、言葉を詰まらせながら呟く。


「あぁ、なんて……これは……美しいわ……」


リフォード大尉は呆然としていた。


ホログラムに映し出された星は、クルーが知る「地球」の姿とは全く異なっていた。


地球は死んでいるはずだった。


かつて「地球」と呼ばれた星は、今や死の星と化している。


橙色の海と黒色の大地が惑星を覆い、雲は消え失せ、生命の気配は微塵も感じられない。


壊滅的な災害によって、地球は死の呪縛に囚われ、人類は故郷を失った。


しかし、この結末は突然訪れたのではない。数世紀前から、その兆候は現れていた。


時間はゆっくりと、確実に、地球を死へと導いていた。


星が息絶える前に、人類は「新たに加わった人間たち」の力を借りて、未来への道を模索した。


月面の工場は瞬く間に都市へと発展し、ラグランジュ点にあった小さな観測基地は、数万人が暮らす衛星都市へと変貌を遂げた。


そして今、火星の地下こそが、人類にとって第二の地球となった。


機械知性、人類の再定義、再製化技術、人類連盟の設立。超構造体、レプリケーター、亜空間通信、転送技術、亜空間フィールド、亜空間アフガンドライブ、ジオテックフィールド、亜空間スワドライブ。


これらの技術革新が、まるで運命のように絡み合い、「第二太陽系・地球Ⅱ」が誕生した。


それでも、地球を元の姿に戻すことはできなかった。


過酷な教訓として、人類の記憶に永遠に刻み込まれたかのように。





◇ ◇ ◇ ◇





.作戦室に浮かぶ青い地球。


ホログラムの荒い解像度を想像力で補いながら、士官たちは熱く議論を交わす。


惑星再生技術は地球を元に戻すには力不足だった。星の位置からタイムスリップの可能性も消えた。別の方法でホログラムを生成しても、結果は同じだ。


真実を求めた議論が白熱する中、ストーム艦長はふと気づき、星の夜に視線を移す。


地球が誇示する深い闇。


そこに、文明の痕跡はない。


神経シナプスのように広がる都市群、港、海岸を縁取る湾岸道路、そして陸と海を区別する境界線さえも存在しない。ただ漆黒の闇が広がるだけだ。


艦長はホログラムを拡大し、最大倍率に到達したところで呟く。


「……やはりなにか妙だ」


目の前に座っていたエイジア中佐に目を向け、指示を出す。


「エイジア、このグリッドを可能な限りアップスケーリングしてくれ。自動補完は最小限に」


「ゔるッ」と短く鳴き、尻尾をテーブルに叩きつけるエイジア中佐はぐるぐると息を吐きながら、作業に取り掛かる。


【拡大完了】


艦長は、ホログラムから切り取られたグリッドの画像をしばらく見つめた後、静かに言った。


「エイジア、これをビューワーに映せ」


「あァーォ」と中佐が声を上げると、士官たちは一斉にビューワーに視線を向けた。


そこに映し出されたのは、驚きと混乱をもたらすものだった。


深い闇に溶け込むように浮かび上がる、灰色の星型模様。模様の内側には複雑な濃淡があり、よく見れば直線や幾何形体の集合にも見える。


しかし、それは単なる模様ではない。


紛れもなく、文明の光なのだ。


一斉に声が上がる。


「……都市? 都市だと! 地球に、地表に、人が住んでいる! なんてことだ……地球に、生きた地球人だと? 通信エラーやセンサー異常どころか、何もかもひっくり返ってしまうぞ!」


「これは……ずいぶんと独創的な都市計画ですね。過去作られた、どのアルゴリズミックデザインとも一致しません」


「この明かり……電力なのかしら? 火にしては明るすぎる気もするし、電気にしてはずいぶん無計画すぎるわ」


「なんとなくだけど……私たちとは全く異なる意図を感じるわ……この地球は『人類』の知る地球ではないのかもしれない……」


「うそだろ……ありえない……」


艦長は天を仰ぎ見て、考えを巡らせる。


USSエイジアのクルー全員、そして彼らの家族は、を決めてこの任務に臨んだはずだ。


だが、その覚悟はいま目の前に広がる光景を想定していただろうか。


ここは太陽系でありながら、同時に太陽系ではない。


完全な未知の領域なのだ。


我々は孤立している。


ここは「未知の太陽系」である。


深いため息をつき、艦長は全員に告げる。


「諸君――物語の登場人物になる覚悟はあるか?」

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異セカイ・トレック TNG: ザ・ナロウ・ジェネレーション 六典縁寺院 @eternalweekdays

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